28.11.10

espresso!

夫の友人と連れ立って有楽町の豚しゃぶ〈いちにいさん〉へ。鹿児島物産館の二階であるが、階下と違って給仕の人にネイティブはいないらしい。でもそばつゆに浸して食べる黒豚のしゃぶしゃぶはおいしかった。肉・野菜・そばで2,900円とリーズナブルなのもいい感じ。

この友人は大変な趣味人で、特にフランス式カフェとイタリアのエスプレッソに強い関心があることは知っていたので、それに引きずられて待ち合わせ前にセガフレードザネッティにてカプチーノを飲んでしまった。初セガフレードだったから、カップ&ソーサーでの提供やラテアートが嬉しい驚き。コーヒーはとても苦かったな。

食事中にそんな話をしたら、じゃあ銀座でお気に入りのところへ案内してあげる、ということになり到着したのが三笠会館一階のイタリアンバール〈La Viola〉。LAVAZZAのカップになんとなく親近感を感じながら、この素敵なクリスマスラテアートに、全然違うぜと唸らされる。そもそもセガフレードのハートだってそんなに簡単じゃないと思うのに、なんだこのサンタとトナカイ! すてき。私は家でもマキネッタを使い、豆こそLAVAZZAだが粉だけあってどうしても酸化した臭いがついてしまうし、フォームドミルクも入れすぎてしまう。それはそれで自分の好みでいいんだけど、このカプチーノはぜーんぜん違った。まずミルクが熱くなく、ミルク臭くもない。コーヒーは香り高いけど、酸化した臭いは当然無く、むしろ飲み終わった後に何かすっとする感じがする。これがコーヒーの酸味といううやつか。感動した。近所ならバンコ(立ち飲みスペース)に通うのになぁ。

25.11.10

友人と二郎

ボストンで出会った友人が念願の一時帰国というので、万事繰り上げて再会。まあ万事どうとか言うほど私の用事はないのであるが。

場所は横浜付近、ラーメンが食べたいとの要望があったので、ラーメン友達のアドバイスを受けて選んだのが〈ラーメン二郎 関内店〉。ぶっとい麺・背脂の多いスープ・山のようなもやしとキャベツにチャーシュー麺でないのに分厚くでっかい煮豚がのるので有名な二郎。ラーメン友達には止められたけど、食べログのページを見せたら食いついてきたので(いい友人だ、女性なのに)決行した。

11時過ぎに店に到着すると、すでに行列ができていた。行列中に店員がメニューを尋ねに来るも、そもそも何があるかも分からない。とりあえず小と言おうか、と準備していたら、店員がとても気を遣ってくれ難なく通過。順々に食券を買ってお冷やをゲットして空いた席に向かうが、カウンターの通路が狭いこと! 客の殆どは男性だったから、彼らにも気を遣わせたかもしれない。着席してすぐに店員からニンニクの量をどうするか尋ねられたので、日和って要らないと言ってしまった。あとから少しは入れてもらう方がよかったなと思うも先に立たず。そういえば二郎のいわゆるコールはここで行うらしい。「野菜マシマシで」的な発言もちらほらと聞かれる。間もなく丼が出てきて、本当に店員が気を遣っているのが分かる。野菜が少ない。でもこのとき、周りが怖くて写真は撮れなかった。思ったよりくどくも濃くもなく、麺の固さも適切で、食べ進めるうちに野菜の甘さがスープに溶け出しておいしかった。それに以上においしかったのが煮豚! 大きなバラ固まり肉を丸めて下茹でし、つけだれに漬けておくタイプだった。醤油の色の濃いつけだれほど煮豚には色が付いていなかったが、これがまたスープ比では薄味でラーメンとバランスがよかったな。あれは家でもやってみたいが、ご飯のおかずには脂が力強すぎるかな。やはり二郎のラーメンの具としてだからいいのかもしれない。というわけでかなりおいしかったものの、やっぱり量は多くて、最後の二口がつらかった。飲み込めなくなるほど食べたのは久しぶり。たかがラーメン一杯でこの体たらくとは情けないもんだ。

友人は帰国前に、ラーメンを食べ損ねる夢を見たらしい。きっとあのインパクトがすべて上書きしただろう。もうしばらくラーメンはいいやとこぼしていたのが印象深い。

その後、彼女と連れだって大都会横浜を散策。時を忘れておしゃべりしてしまった。楽しかったな~。彼女の日本滞在が楽しいものであるように祈って別れた。

ところで私の地元には背脂醤油とんこつ系の〈らーめん太閤〉なる店があり、二郎の前日、水曜に行った。初めは一番定番の太閤ラーメン(500円)。ちょっと薄め。で、二郎の翌日金曜日、夫と地元の串揚げ〈こたに〉でやっすい串揚げとこたにサワー(100円)を楽しんだ後、締めにまた〈らーめん太閤〉へ来てしまった。今度はもやしトッピング。少量のにんにくと炒めてあって、香りの溶け出した油がベーシックなラーメンにいいトッピングになった。また来よう。なお、ここの名物はにんにくラーメンなるもので、スプーン二杯ほどのおろしニンニクが入った恐ろしいもの。酔って気が大きくなっていたであろう夫が果敢にチャレンジし、なんとか完食するもののその後2日ほどにんにくの影響から逃れられなかった模様。

そんな感じで図らずもラーメンウイークとなってしまった。

24.11.10

紅葉

住んでいる周りは完全なる住宅地で、街路樹さえ少ないところ。しかしながら、隣町には小さな公園が点在していて、散歩にはいい感じ。まあ今の住まいは区の端っこも端っこなので公園整備があまりされていないのも仕方ないのだけど。先日、近所に住む友人に連れられて小さな銀杏並木のある公園などを散歩して、紅葉への熱が少し高まり、駒込の六義園へ行ってきた。

夕方からライトアップをするというので、日暮れちょっと前に入園。落ち葉が敷き詰められた土の上を歩きながら、東京にこんな場所があったのかとびっくり。庭園の端の方はちょっとした雑木林のようにもなっていて、自然に触れた気になれる。紅葉は黄色から赤色に変化しつつある様子で、時折赤っぽい照明にだまされそうになる。一番のハイライトは庭の中心に大きくしつらえられた池の向こうに築山を眺められるところ。写真を撮るには手前のツツジが邪魔だとは、大変な人混みの中で何度も聞こえた言葉だ。ここは歩道が非常に細く、おそらくこんな時にしか人が来ないからそのままなのだろうけど、もう少し動線を考えて誘導させればいいのにな、と思わせるほど大変な人混み。でもそれを補って余りある美しさであった。



19.11.10

アルコール、クエン酸、石鹸のくらし

先日のひどい咳風邪以降、家の中でだけ除菌女になっている。アルコール除菌ジェルを玄関とお手洗いに。アルコールは除菌はできるけど、ウイルスには効かないので結局は手洗いは必要になる。てか、ウイルスは水で洗い流せば大丈夫なのか?

洗面所とキッチンにはエタノール80%のスプレーを設置して撒きまくり。特に水道の蛇口のハンドル。アルコールは油もじゃんじゃん除去してくれるので、調理直後のコンロ周りの掃除も楽ちんになった。一方、床にまくとワックスがはげるし、可燃性なので気をつけないと。先日、虫をアルコールでやっつけようとして住まいが全焼したニュースを見たばっかりだ。

加湿器もこの風邪の時に導入したのだが、前評判通りにスケールが付きやすい。でもこれって酸性水溶液で柔らかくしてこすれば落ちるのよね、ということを知り、前に購入したクエン酸を取りだしては使ってみた。なかなか役に立つね。加湿器のみならず、アイロンの蒸気孔も復活したし、お風呂のカランにこびりついていたスケールも除去できた。問題はちょっとクセのある臭い。ちゃんと濯がないでアイロンを使ったら、むわっとして思わず手を離しそうになった。

ついでの話題で、最近揺れているのは石鹸に関して。もともと入浴はミヨシの無添加石鹸派であったので、人だけでなく物も石鹸で洗ってみようと思い立ち、食器用石鹸に切り替えてみた。そしたら、油汚れが残りやすくなったことといったらないね。やはり合成洗剤は便利だ。石鹸で行くなら、洗う前に拭き取るとか、もう一手間かけないとだめだね。しかも塗り物とアルミは洗っちゃいけねえときた。まあ今のとこ持ってないけどねたぶん。というわけで早々に脱落し、チャーミーしてしまった。また、洗濯を石鹸に切り替えるかどうかもかなり悩む。人の汚れはたぶん酸性なので、アルカリ性の石鹸は洗浄力を期待できるものの、洗濯機にたまる石鹸カスを考えると恐ろしい。かといって、今使っている洗剤は汚れ落ちがイマイチなので使い続けるのは難。容器が小さいのはすばらしいんだけど。去年まで使ってたmethodはよかったな~。そして、次のシャンプーは石鹸物にするんだ! リンスも同時に変えないといけないので、まだ当分先の話だけど。

16.11.10

お料理教室 魚編

てなわけで、ついに私も料理教室へ行くことにした。魚教室で、月一回のクラスでは一人一尾捌く。

初回は鰯。季節もあるけど、やっぱ簡単な魚からということだろうな。メニューは鰯の頭を落として内臓を引っ張り出しただけの状態での生姜煮と、手開きしてイタリアンソテーの二種。1テーブル4人で全員見知らぬもの同士だった。

初めに先生が調理するのを眺めてから実習に移るのだけど、なにしろ調理道具さえどこに何があるか分からない状態で、結構手間取ってしまった。なかなか先生の様に美しい手さばきではいかなかったけれど、まあそれなりに。

魚の裁き方はこれまでは本頼みだったので、やっぱり三次元・音声付きで教わると理解の深さや気づきが違うなと思った。特に手開き。背中の皮一枚残すところまで親指をつっこむとは思わなかったし、背びれは外側から引っ張って切るなんて知らなかった。通りでこれまで自分でやると内側から処理していたために背中の実がぼろぼろになっていたわけだ。

試食に間に合うように先生がご飯も炊いてくれ、普通に昼食になった。午前クラスにしてよかった~。でも二品あるので、一品はタッパに詰めて持って帰る人多数。確かに全部食べると結構な量だったな。

来月は鯖。鍋、韓国風鯖味噌に焼き鯖鮨! 焼き鯖鮨が家庭で作れるなんて。楽しみだ。

食器用洗剤も洗面所のハンドソープもみんなEcoverなのはさすがだと思った。でもEcoverの食器用洗剤って薄いんだよね。うっかりたくさん使ってしまっていかん。

13.11.10

肉を喰らう会@神保町

大学時代の友人と久々に食事。食べ歩きが趣味の彼がリストアップした店から、神保町の〈食肉センター〉を選び、夕方17時に突撃してきた。なんせ、店名がすてきでしょ。お店も狭く、座席やテーブルの支柱がビールケースだったりしてなかなかの場末感を演出。新しくできたばっかりのお店なのに。

とにかく新鮮なレバーや内臓がうりの焼き肉屋で、店員に野菜は肉の倍食べてくださいねだっておかわり自由だから☆と言われ、一番初めに頼んだ生野菜がまあ減らないこと。それだけ肉ばっかり食べてしまった。脂とりすぎだ。

コプチャン(韓国語で小腸)、丸腸(小腸の一部をひっくり返して脂肪分を内側にした状態)、シマチョウ(大腸)と連続的に食し、最近のシマチョウ熱はそのまま小腸へ引き継がれた。小腸の方がクセがなくて食べやすいのね。この脂のおいしさといったらない。焼いた脂肪組織・上皮組織・結合組織は神、などと感動しているうちに、肉、いわゆるカルビなどが食べられなくなった。赤身(筋肉組織)の舌触りが硬すぎてついていけないのだ。まあおなかいっぱいだったってこともあるけど。

レバ刺し、ハツ刺し、牛刺し、ユッケも美味であった。そのものも新鮮でおいしかったけど、それぞれに合わせた調味料もよかった。

食べ放題ペースで2時間半飲み食いして一人6000円。ろくに会話もせず食べ続けちゃったよ。おかげで翌日は満腹感で全然食事できないほどだった。もう少し「普通」に食べれば安く済むだろうな。ちょうすてきなお店でした。また行きたい。

4.11.10

やっとよくなってきた

四六時中咳がひどくて、一時は眠りについてもずっと唸っているor寝言を言い続けているほどに妨げられていたのだが、なんとか治まってきた。もう咳はいやだ。健康一番だね。

昨日、ついにiPhone黒をゲットした。これまで、白モデルがほしくてプリペイド携帯を使ってきたが、度重なる発売延期の発表にココロをくじかれた。来年春までは待てないし、6月にはiPhone5の噂もある。ネットでも同じように「脱臼」した人を見て、密かに涙したものよ。

てなわけで、今日最寄りのSBショップでアドレス帳の移行をしたのです。それ用の端末に新旧両方の携帯電話をつなげて作業する。端末は基本的には顧客情報を残さないタイプで、その場で作業完了して吸い出したアドレス帳情報も削除する。iPhoneだけはその端末に繋げられないので、旧電話の情報を吸い出してSBのサーバーに上げ、iPhoneアプリを使ってDLするらしい。

で、やっちまったわけですよ。作業の始めにiPhone利用者は「アドレス帳を保存する」的なボタンを選択すべきところ、「データを移行する」を選んでしまった。この場合、(1)旧電話からアドレス帳を端末に吸い出す(2)旧電話からアドレス帳情報を削除する(3)新電話に吸い出したデータを書き込む、で作業完了である。(2)を終えたところでiPhoneは繋げられない事に気づき、作業を中断したら、(1)で吸い出したデータは端末から削除するってよ! でも作業を完了できない以上、中断しないという選択肢はないわけで、泣く泣くデータを諦めたよ。(2)がどう考えても余分なステップだし、作業を中止するなら吸い出したデータは旧電話にリストアさせるべき。こんな仕様がまかり通っているのは甚だ疑問。そのほか、SBは携帯売り場の人たちの商品知識が足りなかったり、SBショップの人も店がガラガラなのに作業している私に声もかけなかったり、全体的にあまりいい印象がないな。そんな会社にお世話にならなきゃいけない現状は残念だね。

30.10.10

犬耳家親族会議 vol.5

11月の第一週に国際フォーラムでFFのクラシックコンサート「Distant World」が開催されると知ったときには、すでにチケットは売り切れていた。瞬間湯沸かし器のように植松楽曲が聴きたくなって調べたら、バンドライブっぽいものがその前の週に開かれることが分かって、気がついたらチケット買ってました。物好きな友人もともに参戦することとなり、咳をしながらも今年初上陸の台風の中を出かけてきた。

普通のライブかと思ったら、ショー的な構成だった。

・犬耳家というだけあって、初めに犬のロボットが単独でスポットを浴びて前説。

・前座のサイモンガー・モバイルはその名の通り、モバイル機器を活用した「一人ファンクユニット」らしく、見たことのない楽器を並べて変なラップを繰り出していた。楽器ってのは音が出れば何でもそうなるもんだなと感心したのは、彼が用意していたのはiPhoneとNintendo DS、ハンディシンセサイザーのカオシレーターなどなどでどれも鍵盤もつまみも付いていない。DSにはカオシレーターの発売会社korgのシンセサイザーソフトが乗っていた。でもちゃんと曲を鳴らせる。音楽って道具じゃないなと思った次第。

・植松レーベルのドッグイヤーレコードから出たピアノCDの奏者が三人立て続けに登場して演奏していった。一人目は中山"ショパン"博之。「ピアコン2」というファミコン時代のBGMのピアノアレンジしたCDからいくつか演奏していたのだが、FF3の「水の巫女エリア」は植松が絶品と言うだけあった。そのほか、「がんばれ五右衛門からくり道中」とか懐かしすぎて涙が出る。二人目は甲田雅人で「悪魔城ドラキュラ」。後にもらったプログラムにも載ってなかったし、これは絶対飛び入り参加させられたんだろうと思われるラフな格好だった。二人はそれぞれピアコン2号、3号と同じプロジェクトで古いゲームの編曲と演奏をしているのだが、こうもピアノの音やアレンジの傾向が違うものかと思ったね。派手なショパン(自分でショパンって名乗るくらいだからな)とシンプルなドラキュラ。三人目はたぶん今回の一番のゲストであるベンヤミン・ヌス。ドイツの若手実力派ピアニストだが、植松の曲をドイツの老舗レーベルグラモフォンから出すというので呼ばれた様子。この人の演奏がすばらしかった。これだけで来た甲斐があったと思ったなぁ。陶酔しちゃった。しかも日本人が好む系統のイケメンだったのもよかったな。

・演奏の合間合間に植松とプロデューサー松下の二人が出てきてはつなぐのだが、これがまたゆる~いMCで、おっさんが飲み屋でしゃべってるのを聞いている気になってしまった。でもだらだらしゃべっているようで、観客を飽きさせず笑いも絶えず、慣れてるなーと思ったな。

・最後は植松率いるバンドEarthbound Papasのライブ。全部で6曲。コーラス4人と「Liberi Fatali」でど派手にに幕を開け、続いて「片翼の天使」でもう全部持って行かれてしまった。次の二曲は何演奏したか思い出せないほど。この二曲はオケアレンジはよく聞くけれどロックアレンジはなかなかないので新鮮だったな。最後二曲は盛り上がる系かなと思ってたらDeep Purpleの「Highway Star」を始めちゃったものだから、演奏者がみんなおじさんということもあり、時代を感じたな。ラストはBlue Dragonから「Eternity」。今のゲームの戦闘曲は歌詞もついてんだね。これもまた違う意味で時代を感じた。今調べたら、EternityのボーカルはDeep Purpleの人らしい。だからDeep Purpleだったのね。ライブ補正もあるけど、コンサートのボーカルの人はすばらしかったな~。あの人の声でまた聞きたい。イアン・ギランに似てたけど。

・閉会は出演者と握手会だったので、舞い上がりながらも植松さんとお話しちゃった。最後にみんなのサイン入りポストカードをもらって会場を後に。なんか手作り感いっぱいのショーでした。おもしろかった。

Blue Dragonやってみたいな~。

26.10.10

まいったまいった

東京に戻ってからやけに調子がのらないので、季節柄、ココロの風邪をひいたかと思っていたら、ふつーに体の風邪でした。先週の金曜、やけに寒いなと思って日中過ごしていたら、その晩からのどが痛くなった。

温度変化に弱いのか、単純に日本の家が寒いのか。セントラルヒーティングが恋しいよ。お風呂上がりやトイレが寒いのはいかんともしがたい。乾燥も気になってきた。部屋を加湿せねば。

17.10.10

結婚式とかいろいろ

友人の結婚式のため朝から静岡まで移動。出席者には高校の同級生で見知った顔もあり、旧交を温めた。由緒ある大名屋敷跡の式場では、池を望む日本庭園での挙式と、絢爛豪華な屏風絵の宴会場での披露宴とが行われ、日本の美しさを再認識。はっきり言って、あの時の興奮は日本フリークな外国人のテンションにも匹敵しただろう。

友人の新婦は高校生以来で一番きれいだった。折に触れて感動の涙があふれて困ったが、結婚式ってやっぱりいいよね。ああいう涙ならいくらでも流したい。

その晩のうちに実家まで移動。

明けて日曜日。近所の自衛隊基地で航空祭が開催されるとのことで、朝からびゅおーんと戦闘機のジェット音が空中に響き渡っていた。レアな飛行機たちが飛んでいるのを見られるのは楽しく、すっかり釘づけになってしまった。 メインのショーは午後のブルーインパルス。6機の飛行機が編隊を組んで曲芸飛行する。二機でハートを描いて、うち一機がそこに矢を射る様を表現していたり、6機が真上に上昇したのち四方八方に宙返りしたり、ただただ感嘆の声が漏れるばかり。青空ならもっとよかったなー。

午後に高校の同級生と、夜には中学の同級生とそれぞれ再会。こうしてつきあってくれる友人がいることはありがたいことよ。高校の友人と会うのは大学入学の頃以来だから10年ぶりくらいか。昔の友人たちと会うといつも思うのは、みんないい年のとり方をしてきたんだなってこと。降る年月に積み重ねてきたものに裏付けられた自信がまなざしや表情に溢れていて、眩しい。それは彼らのなし得てきた物事だったりそばにいる誰かと育んできたものだったりするのだろう。私は、彼らには一体どう映っていただろうか。

明日は私の事務仕事。氏名変更手続めんどくせー。

15.10.10

お出かけ三昧

いろいろと入用になったので、ショッピングなんぞに出かけたわけです。そしたらもうね、すごい疲れた。履きなれた靴を履いていったのに足の甲がぴきぴきしているような気がする。情けないの。

水曜はIKEAへ。今回の生活セットアップにはIKEA頼みにはしなかったけれど、ディスプレイをみてちょっと後悔した。品質がいいというわけではないし、組み立ては大変--特に椅子は難しいし(数%のゆがみでもがったがたになる)、そもそも日本の家は天井が低くて高さのあるIKEA家具は部屋を圧迫しそうだし、だいたい店が遠いので買いに行くのも面倒だったし、いろいろ理由はあるのだけど、過ぎ去りし日々を思い出したらそれらを覆しそうになっちゃった。思い出補正、かなり入ってます。まあ目当てはスカーフハンガーだったんだけど。ついでに観葉植物買っちゃった。植木499円、陶器の鉢99円。Made in China!

そのあとにららぽーとに立ち寄り、最近の上着ずるずる・北欧系?なファッションに打ちのめされた。あんな分厚い衣料は日本の気候に合ってないと思うのだけど。

木曜は散髪ののち、週末の帰省のために新幹線の切符を買いに東京駅まで出陣。Suicaを忘れたために切符料金表を眺め、電車料金の高さに打ちのめされる。普段だったら地下鉄+JRコンボで行くところ、3回乗り換えを甘んじて受けJRのみで移動することに。100円違うのである。ほんっと、東京の移動は金はかかるわ歩かされるわで大変だ。

ついでに東京駅の地下街でラーメン〈六厘舎〉に立ち寄る。13時半というのに30人ほどの行列があった。30分ほどで食事にありつけたけれど、その後も行列が短くなることはなかった。メニューはつけ麺のみでラーメンはない。魚粉の効いた濃厚なスープが最近のはやりなんだろうか。極私的のはやりは煮干し出汁醤油ラーメン(釧路で食べた感じの)です。腹ごなしに大丸をぷらぷら歩いてから帰宅。

金曜? 寝込んでしまったことは言うまでもない。

11.10.10

三日に1イベント

出不精もここまで来たかと感慨深い。先週までは、今度の連休はどこかに行こうか、なんて話していたのに、気がついたら連休明けの火曜だ。タイムトリップしているのかもしれない。したことと言えば、金・土・月と続けて近所の魚屋に行ったのと、日曜は柴又で猿回しを見たくらい。現地滞在時間40分。

今の住まいの周りはやや郊外の住宅地だ。買い回り品を購入できる商店を大規模ショッピングセンターが駆逐しつつあると感じる。地域社会との接点もなく、近所探検もそれほどしてこなかった。だから、9月のやや涼しくなったある日に気まぐれで路地に入り込み、いわゆる魚屋を発見したときの感動と驚愕よ。もっと早く見つけていればよかった。で、この週末に魚好きの夫を連れて通ってしまったのだった。店の人によると、ここのような個人商店の魚屋は区内に6軒しかないらしい。軒先に並ぶ売り物は刺身にさばいてあるものか、焼き物・フライなどの総菜となっているものが殆どだが、一尾下ろしてほしいなどの要望も叶うんじゃないかなと想像する。もう魚を下ろす必要がないよ。個人商店万歳! 

柴又は帝釈天への参道が予想よりかなり狭く、こぢんまりとしているのが箱庭的でまたいい感じ。浅草は規模が大きすぎるんだよな。帝釈天は法華経のお寺でした。境内で猿回しの芸をしていたのが印象深い。25歳のおねーさんと人間の年齢で24歳のお猿のヒカルくんによる、いい意味でこぢんまりとした芸であった。

7.10.10

編みたい

編み物にはずーっとあこがれを持っていた。しかしながらかつて棒針編みで二段目に行けず挫折したこともあり、意を決してかぎ針編みのちょー初心者用キットを入手したものの、設計図を見た瞬間に目がばちばちし、針と毛糸を持つ絵が理解できず、かぎ針をパッケージから開けてもいないのに早くもに挫折気味であったのだった。

が、持つべきものはやはり友よ。田舎の幼なじみが同じ最寄り駅を利用するところに住んでいると聞き先日再会した折に、小学生も低学年の頃からかぎ針を使っていたことを知った。で、我が家に招待し、毛糸の指へのかけ方から習ったわけです。何事も案内はあらまほしきものなり。ちゃんと仁和寺の門まで到達したよ! クラフトでも料理でも最近はyoutubeに指導動画があるが、画面で見るのと三次元で見るのとは受ける印象が違うものよ。好きな角度から見られるのが大きいのかもしれない。

レースモチーフを編んでつなげて……なんて、夢だ。しかし、糸が細くなるほど難しい(というか根気が要る)らしいので、まだまだ先の話。文字通り、夢だな。

4.10.10

揚げて調味料につけ込む料理のすばらしさよ

休み明けは生活リズムが崩れるね。今日の日中はよく寝てしまった。昼寝をしないで出かけた日の方が、夜まで元気でいられるのはわかっているのだが、ねむいもんはねむい。

で、眠い目をこすりこすり製作した今日の夕飯は鶏肉の南蛮漬け。これは鶏の揚げたのを甘辛酸っぱい液体に漬け込んだ料理は至高である、ということだけを訴えるためだけの日記です。類似品は何でもあり。中華の油淋鶏も好きだし、酸っぱくなくても出汁のきいた揚げ浸しもすばらしい。最近購入したオイルポットがまたすばらしい機能で、フィルターで漉したあとはまるで新しい油の様に白い。中華鍋を入手した事もあるけど、俄然揚げ物への壁が低くなったのが嬉しい。

二人で鶏もも肉一枚とついでに揚げた茄子一本を食べ尽くしてしまった。明日の弁当のおかずにとっておくつもりが、ついうっかり。なんで、明日の弁当は堂々と休みにする。

3.10.10

レンタルDVDすらため込んでしまう

映画はそれほど見ないので、レンタルDVDもそれほど借りない。しかし、一度借りて見ればおもしろいと思うし、その勢いでまた借りる。それでも見るのが億劫で返却期限ぎりぎりまで放置。

そんなことを繰り返すので、日曜の午後は続けて2本DVDを見る羽目になるのである。今日は「メメント」と「ジョー・ブラックをよろしく」。

メメント…昔、おすぎがこの映画のシークエンスについて解説しているのを読んでしまったことがあり、ネタは分かっていたのだけれども、それを上回るよく分からない感じ。というか、今回は字幕を読むのに追いつかず、最後の種明かしを理解するのに時間がかかった。字幕が切り替わるのが早いんだよ! 俳優の顔が一人一人違ったのは見る上で非常に助かった。構成はよくできていると思ったが、ストーリーは結末を見た後にすっきりしない。

ジョー・ブラックをよろしく…ブラピの顔を礼賛する映画。アンソニー・ホプキンス演じる、人生の酸いも甘いも噛み分けたご老公が光っていた。ブラッド・ピットの顔に惚れたアンソニー・ホプキンスの娘役クレア・フォラーニも美しかったけれど、年齢的に私と近いはずのフォラーニよりもホプキンスに感情移入しちゃった。去りがたいのが人生よ、と満足げな顔で独りごちた姿には落涙。ブラピの顔よりも、ホプキンス老人の一生をもう少し描いてほしかったな。何しろ180分もあるんだし。ラブストーリーとしては長すぎ。

2.10.10

再会

イサカで親しくしていた友人達と、外国帰りの人らっぽく持ち寄りランチなぞをするために出かけた。ポットラックとはいえ、ほとんどホストの方の手料理となってしまってありがたいやら申し訳ないやら。

1年ぶりに会う顔もあったものの、とてもそんなに間が空いたとは思えない再会であった。こうして集まれる間柄があるのは本当に嬉しいことだ。今回の主役は、仲間内の夫婦で最近生まれた赤ちゃん。赤ちゃんを囲む大人達はみんなもうめろめろ。赤ちゃんのかわいさは神。友人の子どもたちもすっかり大きくなって、抱き上げるのも大変なほど。成長ってすばらしいね。

1.10.10

ドラクエ廃人からの復帰

ここ1ヶ月、断続的にドラクエ9廃人になっていた。もともとストーリークリア後のやりこみ企画がかなりのボリュームであることと、発売されて1年がたったというのに今もWifi接続するとゲームに有用なデータがDLできたりして、なかなかやめどころが見つけられなかったのだが、あっけなくその時はやってきた。原因は…「すれ違」えないため。

DSのゲームでは、本体同士で通信しあってお互いのデータを一部交換するとプレイが進む、といった「すれ違い」と呼ばれる趣向が盛り込まれていることがある。ドラクエ9の場合は、これがクリア後のやりこみにかなり影響するのだがちんたらと本編を進めていたので、なかなかその機会がなかった。

で、ついに最寄り駅まで持って行ったわけですよ。特にDSのwifiステーションを設けているマックや、ゲームコーナーに子ども達がたむろしているイトーヨーカドーとかね。そしたら、誰にもすれ違えない。確かに最寄り駅は小さな町だけれども、DSを携えている子ども達は結構見かける。マックで隣の席の少年だって熱心にタッチペンを動かしていた。しかしながら、今、彼らが夢中ですれ違いさせてるのはポケモンなのであった。このあいだ新作が出たばかりだもんな。てなわけで、あまりの寂しさに独り寂しく通信を終えたのでした。

27.9.10

連日雨は困る

洗濯ができないじゃないか。我が家の洗濯機には乾燥などという高級機能はついていないのでござる。

二三先の駅に区立図書館がある。だいたい図書館に行くのに電車代を払わなくてはいけないのは癪ではあるが、徒歩圏内には小さな書店しかないのでやむなく遠征した。きれいでびっくり。最近オープンしたばかりらしい。まだ住民税も払ってないのに悪いねーと思いつつもいろいろ借りてみた。カードの作成申請用紙とともに本を抱えてカウンターへ。そしたら、チェックアウトは機械でやってね☆とスマイル0円。基本的に全部セルフチェックアウトだった。すごいね。よくよく見ると、機械の近所で係員が目を光らせていて、ちょっと戸惑っているとすぐに寄ってくる。別にほったらかしってわけじゃない。ちなみに返却はあちこちにあるブックポストへ。ここも対人のやりとりはない。あまりに人間が介在しないのを目の当たりにして、浦島太郎状態になってしまった。まあ不便がないからいいんだけど。ついでに、館内で閲覧した本も係員が片付けてくれるといいなぁ。

そういえば先週はDVDも借りた。久しぶりに映画を見るとおもしろいね。とは言っても2時間強を続けては見られず、1時間過ぎたあたりで休憩が必要だけど。

ミスティックリバー… 「オトナのStand by me」とかアオリ文がパッケージについてるけど、そんなノスタルジックでいい気分になれる話じゃないな、これ。ただのサスペンスじゃないか。舞台はボストン北部のMystic Riverで、車で近所まで一度だけ行った。近所に地上を走る地下鉄の駅もあるけど、きっとその近辺には何にもないだろうと思って行ったこともない。あんまり交流がないエリア、そんな感じそのままのお話であった。そんな町で生まれ育った3人の少年が、ある日遊んでいるときに起きたちょっとした事件をきっかけに疎遠になってしまった。3人はそれぞれの人生をたどって大人になり、うち一人の娘が殺された事件をきっかけにその関係が変わっていく。その辺の描き方が小出しというか、少しずつ少しずつ明らかになっていく流れが秀逸だと思った。しかしながら、そのささやかすぎるために、役者の顔の見分けが付かないうちはかなり混乱したけど。まあそんなのいつもの話だ。台詞でみんな解説してしまう映画だとどこかで読んだけれども、全然そんなことはない。映像や役者の芝居から話を読み取っていく映画らしい映画。ちなみに原作者は「Shutter Island」の作者でもある。こっちもボストン沖が舞台。帰国前に見たかったな。作者はドチェスター出身。

ダークナイト…悪役がやばすぎておもしろいとの評判を見たので借りた。とんでもないサイコパスだった。びっくら。「ミスティックリバー」よりは台詞が短かったため、字幕を読むのが面倒だったし、聞き取るために音量を上げていたら、突然の場面転換でどんぱち始まっちゃったときの爆発音のすごさよ。仕方ないのでまたどんぱち中は音量を下げ、会話シーンになったら音量を上げ、とリモコンを操作する親指が腱鞘炎になるかと思った。そして結局は字幕を読んだ。ちなみに転た寝していた夫によると、この映画の8割は「ばらばらばらどかんどしゅんげしゅしゅしゅ」「ぼそぼそぼそぼそ」「ばーんどがぐしゅーん」「ぼそぼそぼそ」だったらしい。よく居眠りできたな。まあそれはともかく、冒頭からサイコパスの悪役にしてラスボスのジョーカーが悪行の限りを尽くした上にマフィアと組んだんだけど、新しく着任した地方検事が武闘派だったからそろそろ引退したいと悩み始めたバットマン、あれやこれやで結局自分が出張ってジョーカーを捕まえ、警察に引き渡したらジョーカーが地方検事とその恋人を爆薬とともに閉じこめてると挑発、急いで彼らを救出に向かった最中に警察署は爆破されるは、組んだマフィアのボス的な立場の人(こいつも一度香港に高飛びしたのにバットマンがアメリカへ連れ帰ってきた)とともに逃げ出すは、ここまでで1時間ってあと半分以上残ってるの!? 的な、すでに心臓がどきどきしすぎてひっくり返って一周したので、その後は比較的穏やかに鑑賞できた。漫画原作らしいおもしろ映画でした。アメリカのあのどでかいトレーラーを使ってのカーチェイスはアメリカらしい物量作戦映像で、やりすぎだろと見ていて笑えた。

25.9.10

急に寒くなった

11月並の気温ってのは言い過ぎだと思うけど、それでも外では長袖が必要なほどになった。洗濯物が乾かない季節がやってくる…ああ……。

21.9.10

もう9月も下旬じゃないか

先月の旅行をまとめようと思いながら、しばらくの間、腑抜けて過ごしてしまった。月日が過ぎるのは速いわねー、やーねー。つーわけでちょいと振り返って日記の穴を埋めることにしよう。

20.9.10

三連休

いつになくだらだら過ぎたこの三連休であった。一日1イベントまでという己への課題とまともに向き合い、堂々と寝連休を達成できたことは自信につながるであろう。今後の展開が期待できそうだ。

というのはともかく、土曜は松戸のニトリへ冬用の布団を買いに行き、その足でラーメン屋を巡った。有名店〈とみ田〉は12:30に到着したら大変な行列。まいるね。近所の〈兎に角〉へ行き先をチェンジ。こちらも多少の行列はあったものの、15分ほどで着席できた。油そばを食す。油そばといえば江戸川橋の〈東京麺珍亭〉がデフォルトの私にはラー油とお酢は必須。でもここのはたれにそこそこ油が予め入っていて、かなりの量のラー油をかけるもなかなか足りない感じ。最後に出汁をかけて食べてね☆と言われたままに投入すると、むせるほどの魚粉の香りよ! なんかよくがんばってるなーと思わせる油そばであった。もうちょいシンプルでいいのになぁ。ふつーのラーメンを食べてみたかったかも。

話は前後する。ニトリの安さはすごいと思っているが、場合によっては安いなりだなーと思うこともあった。商品だけでなくてサービスなんかも。初めて訪れた南砂町店では、家具以外の小物、収納用品やゴミ箱なんかの電車で運ぶにはちょっと大きい商品たちは、自分で梱包する必要があった。もちろん、ダンボール箱などの梱包材は使い放題ではある。まさに日本版IKEA。ところが松戸店はキャッシャーで買い物したら、送付先を記入した伝票と買ったものそのままを店員に引き渡せばあとはお任せできちゃった。助かるねー。さすがプロが梱包してくれただけあって、美しい状態で届きました。どうもありがとう。

新生活のセットアップのためにアキバのヨドバシと近所のコジマをハシゴした際に感じたことがよみがえった。それはサービスと店の大きさはトレードオフってこと。ヨドバシは店は大きいし商品展開も幅広く、ものすごくにぎわっているけど、買い物に100%満足できたかと問われればそうそうに肯定することは難しい。コジマでは限られた陳列物から勘で商品を選ぶわけだけど、買い物後の満足感はヨドバシとあんまり変わらなかった。この差は店員。商品知識のある人に対応してもらえるだけで大きく違うな、個人的にはね。なんで、多少はにぎわって「いない」店の方がそこそこ満足できていいなーと思う今日この頃。

ツタヤの漫画レンタルで見つけた「岳」がおもしろかった。既刊12巻だが一晩で読めるほどに文字が少ない。楽に読めていいね。人が死にすぎるけど。まあ山岳救助の話だからしかたない。しかし、登山ってそんな命がけなのか? 来年、小栗旬主演で映画化するらしいが、物語のクライマックスの雪中行軍は全編CGだとなんかで読んでしまった。なんだよー。がんばってロケをした「剣岳」はなんだかんだで、定番の画ばっかりだったというから、ロケが必ずしもすばらしいとは言えないけれども。

KANのライブもテレビで見てしまった。BS放送ってすばらしいね。内容は9/22に届く予定のライブDVDからの抜粋。ゲスト出演した桜井が見られなくて残念だった。一方、登場したASKAはすばらしかった。もういいお年だろうに、全然声が変わってない。DVDはよ届かないかなー。

13.9.10

Cirque du SoleilとTDL

金、土と予定が盛りだくさんだったせいで、日曜はすっかり寝込んでしまった。昼に起きたのに、夕方から5時間の昼寝……。その結果は朝4時まで目がランランらん。つらい月曜の朝である。


金曜は友人に誘われてCirque du Soleilを見に行ってきた。サーカスなんて幼い頃に連れて行ってもらって以来、人生二度目だ。しかも、1000円追加すれば15時からTDLかTDSのいずれかに入園できるとのこと。そりゃ行くでしょうってことで、ちょっと遅い夏休みのお楽しみとなったのでした。

サーカスというより身体能力をアピールしながらのショーは圧巻だった。天井から垂らした長い布にくるまって降ってきたり登ってみたり、重力が我々と90度違うんじゃないかと思わせるほどに上り棒をするすると登ったり、あっという間の90分であった。

TDLは前日からハロウィンが始まった&金曜&アジアからの観光客の増加でいつまでも混んでる! 一時間に一つアトラクションへ向かえる感じ。過去に三回乗って必ずグロッキーになっていたスペースマウンテンは、ちゃんと目を開けていればそれほど酔わないんだね。しかしながら、横からかかるGが三半規管に与える影響は消しがたく、出口に向かう際には脚がぷるぷるしてた。今年のハロウィンのパレードでは、ミッキーのシェーもどきを見られたのが一番の収穫であった。あまりに衝撃的で、カメラを構えていてもシャッターを切れなかった……。残念。 シェーはないわ。定番のユーハイム製クッキーとフィナンシェを買おうと思ったが、クッキーが750円になってる! 450円だったのにな。しかたないのでフィナンシェだけにしておいた。

土曜は法事に出席した後に、妹が友達と企画したショーを見に吉祥寺まで足を伸ばした。吉祥寺ってのは遠いね。家からでは23区の西の端と東の端を移動するようなもの。久しぶりのヒールの靴での移動はかなりつま先にキていて、近いうちにかわいくともぺたんこな靴を買うんだと決心した。妹のショーは学生時代からするとみんないろいろとうまくなっていてほろりとしたなぁ。

8.9.10

夏休みボケ

8月末の旅行後、気が抜けて過ごしていたらもう9月も一週間が過ぎてしまった。撮った写真もまだ見返していない。ヒマすぎる日常と濃密な非日常のギャップの大きさに打ちのめされるときに、いわゆる夏休みボケは起きる気がしてきた。本当に夏休みがあった頃は、休みの日よりも学校がある日の方が充実してるから感じなかったんだな。

こりゃいかんと区の図書館で本を借りてきたり、クラフト系通販でかぎ針編みのキットを注文してみるも、なかなか手が伸びない。いかん。まあ、かぎ針編みは予想以上に設計図が読めず、途方に暮れているというのもあるんだけど。

そんな中、一昨日からドラクエ9始めました。思えば、ドラクエはシリーズ全部プレイしてるんだよなぁ。私が楽しめる数少ないゲームの一つだ。ちょっと前までかなりぬるくリメイクされたDQ6をやったこともあり、同じDSという機種からどれだけ「ぬるゲー」になっているか気になっていたが、実際にはそれほどでもなかった。お金が貯まりやすくなったけど、それ以上に出費先が多くて困る。戦闘もそれほど甘くない。賛否両論あったガングロギャルのキャラクターはそれなりに世界観に合っていた。キャラクタの造形をアバターを作るように顔から髪型から選べたのが衝撃。別にお仕着せのキャラでいいのになーと思ったりもしたが、ドラクエは「主人公=プレイヤー」だからむしろ原点に立ち返ったのかもしれない。

4.9.10

音楽ならなんでもよかった

土曜は音楽漬けであった。日中はこの日封切りのミスチルの映画「Split the Difference」を見に豊洲まで出かけ、夕方にはテレビで「題名のない音楽会」の再放送。

映画は二週間限定公開でスクリーンが少ないということもあり、新宿はすでにほぼ売り切れ。人気あるんだね~。2時間ちょっとのフィルムは、レコーディングと兼ねたパーティ形式のミニコンサートから東京グローブ座でのファンクラブ限定小規模ライブまで段階を踏んだ、一連のコンサート企画をドキュメンタリー形式にしたもの……と書くと、ライブの裏側全部見せます的なわくわく感がある。が、実際は初めの一時間は、ミーティングやレコーディングの中でアレンジをしていく過程を手撮りした動画を断片的につなぎ合わせたもの。小林武史がアレンジを考えて指示を出し、その通りにメンバーが演奏して曲ができあがっていく流れは興味深いものがあった。しかしながら映像自体は手ぶれがひどく、久々に画面酔いした。まあなんて言うか、プライベート映像? 後半は各コンサートから演奏風景をピックアップしてあり、こちらは大きなカメラが入っていた模様。古い曲が多く流れて楽しい。

1 NOT FOUND…あれ、これライブでやる曲だっけ? とイントロで耳を疑った。レコーディング風景のみの映像。CDよりも悲壮的で、桜井が満面の笑みで歌う昨今のミスチル曲とちょっと違う感じ。
2 Everything (It's you)…一曲目よりも悲壮だった。
3 SUNRISE…まさかこれを映像付きで見られるとは! 嬉しい。
4 ファスナー…スガシカオをゲストボーカルに迎えて、本人の提案でファンキーなアレンジになっていた。楽曲とスガの声が合っていて、誰が起用を決めたのかが気になるところ。どうでもいいけど、スガと桜井のファッション、いずれも体の線が見えるTシャツに、ネックレスやらブレスレットやらいろいろつけていたのに惹かれてしまった。私も皮のとシルバーのブレスを重ねづけしたい。
5 …渋い。誰得!? 歌詞がちょっと思春期な感じで身もだえさせられるのでたまらないけど、でも聞いちゃう、そんな人は結構たくさんいると思う。
6 Surrender…まさかこれを映像付きで見られるとは! その2。
7 Another Mind…まさかryその3。アルバム「versus」は思えば初めて聞いたミスチルだったな。
8 終わりなき旅…定番曲。まあ全部マイナー曲にするわけにはいかないだろうからね。
9 横断歩道を渡る人たち…フィルムの中でアレンジの過程を細かく追った曲。随分壮大なイメージになった。CDの段階、つまり初めからこういうのができあがっていればいいのになー。
10 ニシエヒガシエ…定番曲。相変わらずライブ映えするね。
11 Forever(新曲)…最近のミスチル曲。微妙にひねくれているけど、その真意はストレートなラブソング。来年のap fesの桜井像が目に浮かぶ。
 
今後の商売的には、再編集した映画・グローブ座でのコンサート・レコーディングしてたCDに豪華ブックレットをつけて、完全受注販売で一部15,000円で発売すると予想。よし、映画に入らなかったおまけ映像も特典でつけてあげる! と思いめぐらせたのでした。

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「題名のない音楽会」は期待通りすばらしかった。30分は短すぎるほど。ノビヨにもっとしゃべってもらいたかったが、インタビュー内容としてはスマブラの人が一番おもしろかったな。今のゲーム音楽って音楽そのまま収録してるんだってね。昔は音色と楽譜をつっこんで、ゲーム内部の処理として3音や8音で演奏させていたというのに。技術革新はすごい。

それと、ドラクエ3はゾーマ戦からプレイしたい。BGMを聴くために。

30.8.10

道東五日間 最終日

帰りのフライトは16時45分発、それまでにレンタカーを空港に返せばよいので、ここにきてやっと釧路を楽しむことに。

午前中は釧路湿原の西側の展望台へ。初日は東側をずっと北上していったので、こちらは未踏であった。湿原の観光といえば西側のようだったけれど、その通りで湿原の上にせり出すボードウォークの上を歩けるのはこちら側だ。この日も午前中は非常にいい天気で、とりわけこの散歩タイムの日差しのまぶしいことと言ったらない。ビジターセンターでは前の日にタンチョウヅルが見えたなどとの情報があったが、こんな暑い午前中からツルがうろうろしているわけもなく、湿原の草本も夏のピークを越え枯れ草となりつつあり、なんか白っぽい草を眺めながらの行軍となってしまった。湿原の端っこの林に到着したときには、日陰のありがたさを思い知ったね。

湿原への道すがら、野生動物保護センターがあったので立ち寄ってみた。湿原にはもうほとんどいないと言われるエゾフクロウが保護されたばかりとあって興味深い。人間の目に極力触れぬよう、ケージはシートで覆われており、観察はカメラを通してすることができた。そのほかオオワシも何頭か。猛禽類は大きいし、保護して世話するのも大変であろうなと想像する。しかし、猛禽はかわいいねー。

さて、最後の昼ご飯だ。とはいえ、もう既に魚卵や鮭は食べ過ぎである。これ以上魚卵を取ったらコレステロールが気になる。てなわけでラーメン屋〈まるひら〉へ。市内でも屈指の名店らしく満席だったが、回転は速く無事に席に着けた。鰹だしの醤油ラーメンは昨今の魚粉でごまかした魚出汁ラーメンと違って、奥深い味だった。おいしかったなー。帰国後一番おいしかった&こういうの食べたかったラーメンだ。何の変哲もない醤油ラーメンなんだけど、不思議だな。地域のおばちゃんたちで店を回していたのも興味深かった。創業51年なんて聞くと、偏屈じーさんが厨房の真ん中を陣取ってるイメージが湧いてくるのだが。ひどい偏見!

最後はタンチョウヅル保護センターへ。タンチョウヅルは冬に渡ってくるのだが、夏の北海道でもいるところにはいるらしい。タンチョウヅルは頭頂が赤い、日本のツルらしいツルだ。でもあれと同じ見てくれのやつは北米にも多く分布しているらしいんだけどね。7月に生まれたヒナに餌やりをしている姿が見られたのがよかったなぁ。生まれて二ヶ月もたつとヒナと呼ぶにはもう十分大きくなっていたが、それでもまだ自分で食べないのかと思うと笑える。



無事に空港に戻り、トラブルもなく19時頃羽田着。北海道は自然が多くて良かったなー。また行きたいし、いつか知床岬まで到達できたらいいなぁ。

29.8.10

道東五日間 5日目

川湯温泉から幹線道路に出る道すがら、アトサヌプリへの誘導看板が見えたので立ち寄ることにした。ここの駐車場券は摩周湖の第一展望台と共通なので お得感が。遠くからでも分かる硫黄湯気の立ち上り方に衝撃。肌寒いほどの朝だったのに、この周辺だけやけに汗ばむ。活火山だ。アトサ(裸)ヌプリ(山)の 名前の通り周囲は木々も生えず、地獄谷的な風景であった。おもしろいね。この辺から産出する硫黄で戦前までは潤っていたらしいよ。温泉玉子は湯気の吹き出 し口に放置して作っていた。一個100円、5個400円。硫黄臭いのを期待したがそれほどでもなかった。

弟子屈の町 から峠を越えて阿寒湖へ。阿寒の町は車で旅行に来ようキャンペーンをしていて、一人1500円のチケットを買うと駐車場代もタダにしてやるというのでそれ にのっかる。このチケット、1500円以上する阿寒湖遊覧船や、一番高いところは1450円もする豪華旅館の日帰り入浴、当然有料のアイヌコタンのアイヌ 舞踊の鑑賞、レンタサイクルの利用の4点が可能。こんなんで収益は大丈夫かと心配になってしまうよ。自転車以外はきっちり利用してきた。

遊 覧船のルートには阿寒湖内の小島にあるマリモ保護センターの見学もあって、天然マリモをこれでもかというほど堪能。船の中ではずっと阿寒湖の解説テープが 流れていたが、最後にこの辺の歌謡曲が。これが、♪北の果て~摩周~、と歌っていていろいろつっこみたい衝動が湧いてきた。そういや、マリモってのは日本 だけにあるわけではなく、ヨーロッパなどでも見られるらしい。分布図をみたらみんな阿寒と同じくらいの緯度であった。阿寒温泉を楽しんで、アイヌコタンで 無形世界遺産にもなった舞踊を見て、アイヌ楽器を購入し(あ、どこやったっけ?)、近隣の定食屋〈奈辺久〉でルイベ刺身定食を食し、予想外に阿寒を堪能し てしまった。駐車場への帰り道に通りかかったケーキ屋さん〈Pan de pan〉は、店先のシュークリームの看板があまりにおいしそうでついつい吸い寄せられてしまったが、いやーこれはおいしかったなぁ。二種類のシュークリー ムは、一方のクリームはシェリーの甘い香り、もう一方はほろ苦いキャラメル仕立てでもう2個ずつ食べたいくらい。あのケーキ屋はまた行きたいなぁ。

阿寒湖の西南にオンネトーという名の小さな湖がある。ここも裏摩周の近所にあった神の子池のように透明度の高い美しい湖との話で足を伸ばしたのだが、展望台が低すぎて湖面に光が反射してしまう。山の合間の湖で、すぐ背後に低い山があったのでそこから登ってみたが、これがまた大変な登山であった。上下移動が激しいのも疲れるもんだ。オンネトーの背後の雌阿寒岳の上部は煙がぷしゅぷしゅ出ていて、そんな光景を見られただけよかったけど、いやー疲れた。ついでにもうちょっと足を伸ばして湯の滝まで行った。温泉が岩の上を流れる様を見られたのはよかったが、日が暮れての山道歩きは怖かったな。こっちは歩道といってもサービス車両は入れる広さがあったので歩きやすかったが、キャンプ場隣の林の中の道である。無理は禁物だ。


で、そこから一生懸命釧路まで戻る。約95kmくらいかな。釧路の夏は濃霧がひどいってのは地理で昔習ったけれど、本当にすごかった。途中で脇を通った空港は、立ちこめた霧に誘導灯などの赤い照明が乱反射していて、火事でも起こっているのかと不安になったほど。

28.8.10

道東五日間 4日目

今回の旅行もついに折り返し。早いなあ。今更ながら、今回は五泊するのでタイトルは正しくは六日間だ。今更気づいた。

本日は、午前中は小船で知床半島の先までクルージング、昼はウトロの有名店〈一休屋〉でハーフ丼を食し、摩周湖を眺めたのちに屈斜路湖畔で砂を掘って温泉で足湯。夜は近隣の川湯温泉で足湯と同じ硫黄泉を堪能するも、うっかり顔を拭って目があぁぁぁなムスカ状態に。


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知床半島の半分から先は車は立ち入り禁止。岬まで到達するには歩いていくか船に乗るしかないのは、こちらウトロ側も羅臼と同じである。というわけで高速小型船のクルージング3時間コースに乗った。今回はちゃんと酔い止めも頓服済み。

船は半島の北側を進み、船からは南側の半島の奇岩を楽しむわけだが、午前中の光は実にまぶしくてクルージングを楽しむどころではなかったなぁ。昨日に見たフレペの滝を見上げるのは絶景ではあったが、それよりまぶしくてよく見えません。ヒグマの親子連れが見られたからいいか。あとは遠くにイルカも見えたのだが、なんか黒いのが波間を縫っているなぁ、程度の認識。一番すごいと思ったのは知床岬の先の先は平坦になっていること。エゾジカが草を食べてしまうので遠くからでも平坦に見えるらしい。大地の終わりが波に洗われたままになっている様は滅多に見られないこともあり、たまらない風景だ。いつかキャンプしたい。果てなき夢だなぁ。



昼過ぎにウトロへ戻り、先に書いたとおりのいくら&うに丼を食す。ここのご飯は酢飯ではなく、海産物の味がダイレクトに伝わる。縁に敷いた海苔の細いこと、そしてあしらわれた木の芽に気遣いを感じたね。この旅行で一番おいしかったなぁ。

ここから約100km、屈斜路湖・摩周湖のある弟子屈地方へ向かう。道の両隣はだいたい牧草地かジャガイモ畑。時折、可憐な白い花が見えたりする。北海道の風景は私の知っている日本よりもアメリカに近いかもなぁとつくづく思う。摩周湖は摩周岳を登ってカルデラ湖を眺めるわけだが、初日に裏から見たのと比べるとこちらはやっぱり表かな、という印象。展望台から湖面はなるべく遠い方がきれいに見えるもんだ。夕方だったためにあんまり摩周ブルーにはみえなかったが、まあクレーターレイクかなと早々に引き上げた。

で、次は屈斜路湖である。屈斜路湖と摩周湖、その間で今も硫黄の煙をもうもうと上げる山アトサヌプリは、もともと大屈斜路岳の火口内に位置する。その後にそれぞれの場所で噴火して、屈斜路湖となったり、山となったり、摩周岳にカルデラ湖ができたりしたらしい。従って温泉地だ。アトサヌプリから屈斜路湖までは熱泉となった地下水が地面の表層近くを流れており、そこら辺にできた温泉街が川湯温泉であり、湖岸の砂地をほじくって熱湯が出てくるのが屈斜路湖ほとりにある砂湯なのである。熱湯は下手に掘り進めると火傷するほど。冷たい湖の水と混ぜて適温を目指したいものだがなかなかうまくいかないものだね。あっちあっちと踊ってしまった。

この日は町中がそこはかとなく硫黄臭い川湯温泉に泊まる。宿は昔ながらの温泉旅館でなんだかほっとした。硫黄泉であった温泉の質もすばらしく、長時間浸かってしまった。しかしながら顔を拭ってはいかんね。

27.8.10

道東五日間 3日目

リアルタイム更新と言っておきながらこの体たらくである。国後島を臨む北海道の東の端を北に伸びるホッポーロード上は、携帯の電波がなかった……。後日、写真などとともに整理します。

今日は羅臼でこんぶ▶太平洋を見ながらの野天温泉で足湯▶知床峠▶知床五湖。

二十世紀少年第三部から目が離せん。

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この日もいい天気。宿のおかみさんに、カラフトマスの遡上が昨日より始まったと聞く。川が黒いと思ったらサケだったということがあるらしい。今日は知床半島を横断してウトロまで行く予定。遡上する川は羅臼側なので、まずはこちら側を存分に楽しむことに。

羅臼の道の駅でおかみさんおすすめの昆布茶のサンプリングを食す。昆布の切端に昆布茶の粉末が振ってあり、お湯に投入すれば簡単に昆布茶になるというもの。これが絶品だった。羅臼昆布っておいしいんだねぇ。高いだけあるわ。その場で昆布の端を切り落としたものをあつめた徳用パックと昆布茶を購入。

知床半島の先に向かって車を走らせると車道は半島の半分ほどで終わる。そこから先を目指すためには人力しかない。知床半島の先まで向かうキャンパーは海岸を歩いたり、登山したり、ロッククライミングしたり、シーカヤックしたりするらしい。ビジターセンターのルサフィールドハウスに、アウトドア経験の豊かな人でないと無理だと警告してあったのが印象深い。世界遺産にもなっている国立公園だけあって、できるだけ人が入らないようにしてあるのだろう。ここでは、昆布の根っこを自分で昆布茶にしてみよう! と配っていたのだけど、案内通り水のペットボトルにつっこんだら、立派な昆布だしがとれましたとさ! 考えてみれば、いわゆる昆布茶って塩やらなんやら調味してあるよね……。さすがに飲料として飲むことはできなかったよ。ものすごい濃い出汁が出るんだもん。すみませんでした。

てなわけでここでは昆布漁が実に盛ん。海岸には昔ながらの番屋と呼ばれる小屋の名残が多く見られた。その昔、昆布漁のピークとなる夏はこの番屋に泊まり込んだという。現在は自動車によって流通が楽になり、番屋に滞在する必要はなくなったらしいが、時折フォークリフトが大量の昆布を運ぶのを見かけた。あれを自動車がない時代に運ぶのは大変だっただろう。何しろ、幅広で長さも2mを超す羅臼昆布である。

また知床半島は火山が連なっているため、羅臼も反対側のウトロも温泉地だ。特にこの羅臼側では、海岸沿いに岩を組んだだけの簡素な立ち寄り湯が二カ所ある。うち一つは海を望む岩場に岩を組んであるだけの非常に野趣溢れる瀬石温泉で、こういうのは露天風呂ならぬ野天風呂と呼ぶらしい。入浴していた全裸の若者が帰った後、そろそろと足湯だけしてみた。もう一つの相泊温泉は夏の間は囲いがしてあって脱衣棚もある親切設計であるが、お湯が熱すぎてとても入浴できなかった。

羅臼に戻りがてら、橋の上から川を眺めると聞いていたとおり川が黒い。サケだ。いやカラフトマスか。フィールドハウスのおねえさんによるとこの時期の遡上はまだマスで、サケの遡上は9月から10月らしい。そういや秋鮭って言うもんね。河口では大量のカモメがぎゃーぎゃー騒いでいた。自然とはかくも厳しいものよ。


羅臼の「食事処 鰍」で食べた上生ちらし、おいしかったなー。鮨屋だけあって酢飯も完璧でした。この酢飯に日本を感じたな。これぞ帰国の喜びであるよ。

知床横断道路沿いにも山の中に野天温泉の熊ノ湯が。ここは脱衣所も完備の初心者に優しい温泉で立ち寄ることにした。相変わらず温度は高いが、何度も入り直すと体が慣れてくる。一度に長時間浸からないことがコツのようだ。壁にいろいろと薀蓄が書いてあっておもしろかったな。女湯の周囲は完全に覆われているが、男湯は川に面した所は開放されているので、駐車場から木々の間を注意深く見ると覗けてしまうのが危険であった。でも渓流の涼しい風を浴びながら熱いお湯に浸かれるのはうらやましいものだ。

知床峠で羅臼岳を見て、ウトロまで下りたらそのまま知床五湖へ。ここではこの旅行で一番たくさん観光客を見たなぁ。5つの湖、というか池を全部巡ってもたかだか1時間半の道のりであるが、トレイルは途中から山道に。午後のけぶった空ではあったけれど、知床連山を背景にした池を眺める散歩は、運転疲れにはいい気分転換となった。



お散歩第二弾はネイチャーセンターの裏手にあるフレペの滝。翌日にクルーズで海から眺める予定ではあったが、日暮れまで時間があったのでついでに歩いてみた。崖にしみ出る地下水が滝となっておりそれを上から眺めるのであるが、高低差がかなりある断崖で自然を感じたなぁ。だいたい、エゾジカが多すぎた。それに崖に巣を作るアマツバメが大量に飛んでいたのが印象深い。ネイチャーセンターの人によるとアマツバメはそれほど珍しい鳥ではないらしいけど。この辺ではケイマフリという水鳥がかなり希少で時々見られるらしいが、さすがに裸眼でゴマ粒をひとつひとつ判別することは叶わなかった。そういえば、北海道でも根室あたりではエトピリカが見られるらしい。アラスカで見たtufted puffinである。パフィンの方が横顔はかわいいし、メーン州海岸では一時激減したのが戻りつつあると帰国直前に見かけ、ウォッチングツアーに行きたかったものよ。行けなかったけど。

26.8.10

道東五日間 2日目

朝からいい天気なので、釧路駅前のレンタカー屋まで歩いて移動。ここのレンタカーは友人が見つけてきたのだが、5日間で25,000円と破格。とは言っても、万が一の時の補償で一日500円追加したので結局は30,000円弱に。走行距離が6,500kmほどのヴィッツが今回の旅の友となった。

まずは釧路湿原を見物しに行く。東側にいくつか展望台があるので、南から順に向かうのだが、初めに訪れた細岡展望台からの眺めが一番良かったように思う。展望台が高い場所にあって湿原が近く、川の蛇行も見える。また、展望台までのトレイルはシラカンバとクマザサの森の中に敷かれてあり、木陰のさわやかな風を受けながら気持ちよく散歩できた。問題は、幹線道路から駐車場までの道が細すぎて、対向車とのすれ違いがややひやひやしたことかな。まあこの辺りは私は運転してないけど。その北側のサルボ展望台とサルルン展望台はちょっとした山の上にあって、サルボ展望台に着いたところですでに脚ががくがく。階段を上るのは久しぶりで全然脚がついていけない。もう無理。

前夜、虎キチの店で飲み過ぎたために朝ご飯をかなりセーブしていた。その割にハードに歩くものだから、栄養不足もピークである。早く昼ご飯が食べたい…そんな気持ちで初めに入った町・標茶にて、最も近いそば屋へ。北海道は気候が厳しいために、蕎麦の栽培は古くから行われているらしくそば屋がたくさんある。ここもそんな店の一つであり、そばはおいしかった。セットにしたカツ丼はカツと玉子が別々に供されたのには面食らったが。

いよいよ運転は私の番である。町の道から農道へ入り40分ほどさらに北上して、摩周湖の東側にある裏摩周展望台に到着。「表」は反対側、西側である。こちらの方が標高が低く湖面が近いらしい。摩周湖は大きなカルデラ湖で、クレーターレイクを思い出させる風景だ。水の透明度が高いためか湖面が青く美しい。展望台の周りに木々が生い茂って、視界を遮られるのがやや残念。

裏摩周展望台のちょっと北側に神の子池と呼ばれる泉があるのでそこまで足を伸ばす。鄙びた感じの池がいいね。水の湧いている場所は池が青く、神秘的であった。池の畔で魚を捕まえるカワセミを見られたのもよかったなぁ。



ここから100kmほど西へ移動。中標津で数あるソフトクリーム屋の看板に引かれ、ついうっかりバニラソフトを食す。牛乳くささがまたよい感じ。日の入り一時間前になってやっと太平洋岸までたどり着き、国後島へ向かって伸びる砂嘴となっている野付半島へ向かう。

野付半島は海に向かって砂がくちばし型に堆積している場所で、半島の根元は土壌がしっかりしており松林が見られるほど。半島の先は現在も先へ先へと伸びており、その影響か半島の内側(岸側)のカーブを描いている部分は海水に浸食されている。松林の根元に海水が入り込むと当然ながら枯れる。そうして松が立ち枯れた風景が見られるのがこの野付半島の醍醐味なのだ。今はかなり枯死が進むトドマツのトドワラ、立ち枯れた木々が風食されていくのはこれからのナラマツのナラワラが見物のポイントで、それぞれでっかい看板が出ている。トドワラまでは片道30分歩かなくてはならないのが大変だが、トレイルは海岸植物に囲まれていてハマナスの赤い実やセンダイハギが風に揺れるのが夕日に映えて風光明媚である。


で、トドワラ付近はボードウォークが敷いてあるので、足下まで打ち寄せる海水に浸った湿地をじっくり眺めながら歩ける。枯れたどころか木の幹が風や海水の浸食で殆ど残っていないのは、夕暮れという時間帯に眺めると一層寂寥感が増す。


夕暮れをたっぷりと堪能した後、日が暮れると真っ暗になってしまうので追われるように駐車場へ帰る。その道すがら、遠くに謎の影が海を渡っていくのが見えた。鹿の群れだ。時々胴の深さまで水に浸かりながらも、大概は膝ほどの深さを悠然と歩いていた。砂嘴の一部で小島となっている場所を目指しているようだったが、あんな所に餌があるんだろうか。謎だ。ゴマ粒の大きさになるまでじっくり眺めてから、本日の宿を目指す。



この日は民宿モシリバで一泊。夕食には大きなカラフトマスを使ったちゃんちゃん焼きや白子のフライ(絶品だった!)、さらに流氷の氷で焼酎をいただき、あっという間に就寝。

25.8.10

道東五日間 1日目

ネットにつながるとリアルタイム更新ができるのがすばらしいね。

てなわけで釧路に着きました。19:30頃に釧路空港に到着し、空港で待っていたバスに乗って釧路市内まで40分弱。気温は20度と半袖では肌寒いほど。夕飯は3回まで広島にぼろ負けしていた阪神の熱烈ファンな飲み屋へgo! しかしながらいつの間にかの大量得点で22-ナントカにより勝ったらしい。よかったね。

明日からCA旅行も一緒にした友人夫妻とドライブだ。とりあえずは天気がいいといいなあ。

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8/25-30で道東をぐるっと回ることになった。移動はレンタカー、今年の初めにアリゾナをともに走った夫の友人夫婦と約670kmの旅程である。

8/25 到着、釧路
8/26 釧路湿原、裏摩周、野付半島
8/27 知床半島の羅臼側
8/28 知床半島のウトロ側、屈斜路湖と川湯温泉、摩周湖
8/29 8/30 阿寒湖、釧路、帰る

初めて買った市販のピアノ楽譜はFF6のピアノコレクションだった。

来週のテレビ「題名のない音楽会」はゲーム音楽特集でゲストがFFのコンポーザー植松伸夫だってんだから見ないわけにはいかない。曲目は以下。

1.「スーパーマリオブラザーズ」より“地上BGM”
2.「ファイナルファンタジー・シリーズ」より“ファイナルファンタジー”
3.「ファイナルファンタジーX」より“ザナルカンドにて”
4.「大乱闘スマッシュブラザーズ X」より“メインテーマ”
5.「ドラゴンクエストIX」より“序曲”
6.「ドラゴンクエストIII」より“冒険の旅”
7.「ドラゴンクエストIII」より“そして伝説へ・・”

なんて、30分の放映時間にしてはかなり詰め込んでる印象。一曲3分以下か。

先の発表ではゲストがノビヨさんですぎやまこういちも振るとの話だったので、もっとFFDQ縛りでくるかと思っていた。マリオはともかく、スマブラは意外だ。またメドレーがないのも予想外。だが、演奏時間の短さや、メドレーにするほどポピュラーな曲がどれだけあるかを考えたら、ないのは道理かもしれない。

二曲目のFFのメインテーマはどのアレンジで来るか気になるなぁ。FF3のイントロつきか、FF8や9あたりのオーソドックスなものか。三曲目は無難なチョイスだな。旋律が明快で印象に残りやすいのでテレビ放映向きか。DQ3から二曲やるのは、ドラクエのブランドが今もロトシリーズのイメージに支えられている証左なのか、たんにすぎやまこういちの好みなのか。DQ3のエンディングBGMってどんなだっけ?



なんて非常に心躍るわけだが、今日からちょっくらお出かけしてくるので見るのは無理かも。まあいざとなればあれやこれやで何とかなるだろう。

22.8.10

目を合わせたいよ

土曜の夜に「大学仲間の一人に奥さんを見せびらかしてもらおうの会」が開催された。

ささやかながら結婚祝いを贈るべく、それに先立ってデパートへ行った。ギフトや生活用品のフロアを中心に物色したのだけど、並んでいる物が尽く私の物欲をかき立てて困った。商品は日本製品より海外製品の方が多かったのに。鍋一つとっても定番のフランス製鋳物琺瑯鍋は何種類かあっても国産品は見つけられなかったし、電気ケトルだってちょっと素敵なデザインのものはデロンギだ。オシャレ洗濯用品コーナーはバスケットと木製のピンチハンガーで溢れていた(カビの心配はないのだろうか?)。デパートなんて一所にあんな大量の「ちょっといいもの」を集めるバイヤーすげえと思った訳です。

しかしながら、接客はかなり残念であった。デパートと言えばやはり商品+α(大概、それは接客になるわけだが)あんまり顧客本意とは言えなかったな。丁寧な対応はすばらしいけど、そのときはそれよりも迅速さを求めていたのに、小箱二つと袋一つの包装紙を巻く程度のラッピングに25分かかっていた。ハッキリ注文しないとダメな人だったのが残念だ。また、カタログギフトの見本を貰おうとした際には、店員6人・接客ゼロの状態で、私が声をかけても誰も気づかない。店員はそのとき、何かをお話していたり、ディスプレイを直したりするのに夢中な様子であった。売り場に顧客が踏み入れてきたら注意していろよ! というのは求めすぎだろうか。いつだって店員とすぐに目が合ったボストンが恋しいよ。まあそんなわけで、池袋の東口はもう行きません。

てなことがあって、宴会は少々遅刻。広島料理の〈雑草庵〉はでてくる瀬戸内のお魚料理がどれもおいしかった。お刺身の新鮮なことは筆舌に尽くし難い。食材はいずれも産地直送らしくその分予算も高めの店だけどまた来たいなぁ。たった一人でホールを回していたお姉さんとは、注文したい時によく目が合ったのもよかったなあ。

20.8.10

引っ越し完了

お盆が明けて帰京した今週の初め、ボストンから船便で送った引っ越し荷物が届いた。大小合わせて15箱は、存外部屋のスペースを占拠して困る。荷物がないなり(まあいろいろ買い足してはいるが)に一ヶ月暮らしてきた中で組み立ててきた生活のパターンを揺るがすほどのインパクトだ。帰国直前に熱に浮かされたように急いて購入した鋳物琺瑯鍋はとりあえず吊り戸棚にしまったものの、重さが心配。収納計画を修正しないといけないなぁ。

ボストンでできた友人から一時帰国しているとの連絡をもらった。私の帰国直前にはいろいろ都合が合わず、挨拶さえできなかったのが心残りだったので嬉しい驚きであった。おみやげをいただけるとのことで、のこのこと東京駅まで出向く。銀の鈴前で再会するのも不思議な感じであった。彼女の背景にはボストンの緑が似合う気がする。MFAグッズのみならず、カレーパン発祥の地森下のパン屋〈かとれあ〉のカレーパンやグランスタで常に行列を作っているかりんとうなど、数々のおいしいものまでいただいてしまった。ありがとうございました。カレーパンはレンジで20秒温めたのち、オーブンで2分ほどあぶるとできたてのおいしさが戻ってきた! 今後、この方法で食べようと思う。きんぴらごぼう風味のかりんとうもくせになるおいしさでした。いやあ日本の食べ物はすごいね。

12.8.10

帰省中

今週初めより帰省し、地元の友達と旧交を温めている。姿・しぐさ・話す内容、どれをとっても当時は想像つかなかったほどにみんな大人になっているのに感嘆しながらも、あの頃と変わらない笑顔に会えるのがうれしい。こうして仲良くしてくれる人がいることのありがたさよ。

友人の一人とは彼女の幼稚園児の子と小学生高学年の姪とともに遊園地にて再会した。友人とは15年ぶり、子供たちとは初めて。この姪っ子ちゃんは年齢以上にしっかりと従妹の面倒を見ながらも、まだまだ子供な部分もあってとにかくかわいかった。

彼女が観覧車が一番高いときにコクハクするとうまくいく確率が高いと言うので、姪っ子ちゃんもするの、と尋ねると少し首をかしげて、しない、とつぶやいた。照れているのかと思ったが、それに続いて言うには、カレシをつくるよりも楽しいことがたくさんあるし小6じゃカレシってよりも所詮ボーイフレンドに過ぎない、らしい。それにクラスの男子はかっこいいと言われたいだけだから、聞かれたらそう答えてあげれば満足する、とも。このお姉さんの恋愛講義には脱帽だ。しかしながら、だからこそさあ帰るぞという間際になって、今日の記念に一緒にプリクラ撮ろう、と恥ずかしそうに耳打ちしてきたときの表情と言ったらもう! 幼い子がはにかみながら勇気を出して誘ってくれたのと同じで、先ほどの「おねえさんモード」とはまったく逆であった。

人が成長していくのって素晴らしい自然現象だなと思う今日この頃。

1.8.10

暑かったり寒かったり

木、金はすわ冷夏か!? と焦るほどの涼しさだったのに、この土日は非常に暑くなって倒れそうだ。

先日、近所の河川敷で花火を眺めてきた。最寄り駅は普段はがらがらで非常に寂しいが、この日ばっかりはとんでもない混雑。ちょっとした日曜の新宿だった。

1時間以上にわたって音楽に合わせて打ち上げられる花火は、いくらかの種類を使い回しているようにも見えたが、それでもスマイルマークが上下正しく打ち上げられると「当たり」かと嬉しくなる。去年の7/4に見た独立記念日の花火はものすごい量で押しているのがさすがアメリカと思ったが、それに比べて今回のはちょっとはかない感じが日本っぽくていい。



最後5分で何千発上げるとの前評判通り、ラストは物量作戦であった。火薬が多すぎて真っ白。明るすぎだろう、これはさすがに。


28.7.10

エアコンの風は埃を舞い上がらせているのかどうか気になる

昨日までの一週間は、友人が関東に来ていたりかねてから予定していた仲間内で集まっての花火見物があったりで、そういったイベントに恵まれて楽しい日々であった。

待ち合わせの場所が横浜だったり松戸だったりと、これまであまり足を運んだことのない街が多く、新鮮な気持ちであちらこちら行脚してきた。駅ビルでウインドウショッピングをするのも久しぶりだ。並べられている衣服や雑貨がことごとく自分の好みに合っていて、どれも欲しくなって困る。数ヶ月前にはあまり経験できなかった感動があるね。趣味や嗜好ってやつは、生まれ育った環境で形成されるものだなぁ。

一方、普段の生活では普通に家事をして過ごしている。イスがない生活を送ってきたため、床が非常に近い所にある生活をしてきたのだが、こうなると床の上のチリが実に気になる。午前中に掃除機をかけても夕方には細かないろいろが落ちているのに気がつく。散らかしているのは私か!? とがっくりしつつ、時には再度掃除機を取り出したりもする。なるべく床を占有するものを置かないようにしたいが、なさすぎると埃が気になり出すので問題だ。ヒマ故の気にしすぎなのかもしれないけど。

21.7.10

東京はちょっと出かけるとすぐに電車代がかさむのが腹立たしい。

今日は半年ぶりに散髪できた。この帰国後は湿度や発汗と相俟って落ち武者化が進む一方であったのが、やっと一般人に戻った。昨夜、友人に会いに六本木まで出たら道行く女性がみんな美しく、我が身を振り返ってちょっと哀しくなったのである。しかしながら、暑さに耐えてゆるふわとか愛されとかモテ的なカールがかけられるわけもなく、とりあえずは首を曝すことを第一に、いつも通りのおかっぱ頭になった。

隣駅の神楽坂で夏祭りとほおずき市をやっていることを思い出し、足を伸ばした。この時期は東京ではあちらこちらでほおずき市を開催しているが、ここのは神楽坂の毘沙門天さまの縁日に併せてちょこっとほおずきを並べている程度。とはいえ、料亭の町神楽坂だけあって、格子窓にほおずきがいくつも吊されているのはなかなかに風流であった。

ほおずきは日の当たるところに置いて水をたっぷりやるものらしい。葉が枯れ落ちても実は残り、秋の終わり頃には実の覆いが葉脈だけになるらしい。それを漂白すると、白い葉脈の殻の中に赤く丸い実が残るのが可憐だと売り場の方が教えてくれた。長く楽しめそうだ。

神楽坂商店街からの出店も多く焼き鳥のにおいにそそられたものの、それ以上に大変な人口密度で早々に退散した。それほど人が多いわけでもないがそれでも人出に対して道が狭すぎるのである。神楽坂の付近にはお高いオシャレなレストランが多い一方、気軽な町の中華料理屋もよく見られる。どこかに立ち寄って夕飯としようと考えてながら、ついうっかりラーメン屋の〈天下一品〉に入ってしまった。かつて大学の近所にもあったけれど、2度ほどしか入店したことがない。こってりラーメンはこんなにこってりだったっけか? と思いつつも食べきってしまった。先日に入った亀有の〈道〉よりは重い食感のスープであったが、食後はむしろ軽く感じたのが意外であった。

19.7.10

足が黒い

やっと住まいも落ち着いてきて、昔なじみに会ったり、ちょいと出かけたりする余裕も出てきた。

地下鉄の中ではついつい周りの人を眺めてしまうのだが、いやーみなさん美白だね。特に足。私はもうずっとサンダル履きなのだが、全然日焼け止め対策していないために足の甲が黒い。横から眺めると、足の裏の縁に日焼けの境目が見えるほど。このままでは、暗闇で靴が履けなくなってしまう。

高校生の頃は自転車通学をしていたために、一夏終わる頃には腕の表と裏がオセロ状態になっていたことを思い出す。
 

16.7.10

やっと世界と繋がった

待つこと早2週間強、本日やっとネットが繋がった。やったー!!

エアコンは相変わらず設置していない。東京は全然雨が降らず、昨日から夏の暑さが到来した。昨夜、扇風機をつけっぱなしにしていたら、案の定またのどが痛くなった。扇風機の風は顔に受け続けてはいけないとあんなに反省したのに……。やっぱりエアコンは必要な気がする。

そういえば、今年のボストンもめちゃくちゃ暑いらしい。100F(約38C)って! フロリダやアリゾナのような南のいかにも暑い地域で見た気がする、そんな気温だよ。

それはそうと、他の地域で豪雨の被害に遭っているみなさんが早く安寧の日々を取り戻すことを祈る。

10.7.10

風邪ひいた

エアコンがない。新居にはもともとついていないし、まだ購入してもない。だいたい部屋の照明さえついていない住まいだから、エアコンなんて望むべくもない。

てなわけで、一晩中扇風機を顔に浴びていたら、のどが痛くなって頭も痛くなって咳が止まらなくなった。一日寝て過ごしたら頭痛は治まり、翌日にちょっと外を出歩いたらまた悪化したので、今日はまた寝て過ごしている。風邪薬を飲んだため、かなり症状が抑えられて楽にはなったけれども、何かしでかすとすぐにぶり返しそうだ。

適度な湿度と引き替えにエアコンで気温を管理してしまうのと、自然の気温のまま風を浴びて暑さをごまかすのと、どっちが健康的なのかわからなくなってきた。

6.7.10

日常生活が始まった

家に家具と呼べるものもないまま夫が仕事に出かけ始めたので、それに合わせて日常生活が始まった。冷蔵庫と洗濯機、布団さえあれば食べて洗濯して寝ることは可能なもんだ。が、部屋の真ん中に置かれたテーブル代わりのダンボール箱が哀愁をそそる……。

当初は牛乳もジップロックのプラスチック容器も小さすぎてこの先やっていけるか心配になるほどであったが、だんだん慣れてきた。近隣にラーメン屋がないのが残念ではあるが、スーパーには有名店の名前を冠した生ラーメンが数多く並んでいて、毎日買っても食べきれないほど。スーパーの総菜も目移りする。すばらしいね、日本。

4.7.10

友人の結婚式

というわけで仙台である。今回、友人はお寺の跡取りと結婚することになったので、仏前結婚式を行う。ありがたいことに式から招かれて、貴重にも紅白の幕が飾られるお寺を見学することができた。

式では、そのお寺のとりまとめ寺から偉いお坊さんが派遣され(式師さんと呼んでたな)、進行こそ司会役がいたものの、それ以外はすべて取り仕切っていた。経白文や誓約文を奉読したり、三帰礼文や四弘誓願文を一同で唱和させたり、新郎新婦に数珠を授与したりと仏教らしいイベントがある一方、指輪の交換や三三九度など結婚式の定番のイベント見られた。葬儀と違って、式師さんの述べる言葉が分かりやすく、また人生の節目を感じさせる場面が多数あったのが印象的だった。

仏教に慣れ親しんで育ってきたら、その環境で結婚式を挙げるのもいいかもしれないと思ったなぁ。私も幼い頃から法事には事欠かなかったので、式師さんの奉読する内容が馴染みあってよくわかり、じんわりきたよ。結婚式として変に浮かれるでもなく、でも新たに人生の門出を迎えて居住まいを正すような。昔、元服の儀式を家で執り行ったというけれど、親や身近な人に見守られて行われる儀式、そんな感じかもしれない。少なくとも、全然縁のない教会式よりはよかった。なんて、私も教会っぽい式を選択し、開催したけれども。

披露宴は漫画「美味しんぼ」にも登場する勝山館で盛大に開かれた。友人とは高校以来の仲だが、この13年間で一番きれいだった。ご両親の嬉しそうな顔も忘れられない。結婚式ってほんといいね。

それに、ゲストとして嬉しかったのがご飯! 東京ではコンビニ続きだったこともあって、仙台の海産物が一層ごちそうに見えた。式の前にいただいた御膳のウニご飯、披露宴の刺身お造りなど、和食最高。

翌日、昼頃の新幹線で帰京。その前に、いつもの手近な鮨屋〈うまい鮨勘〉で特に値段も気にせずいろいろ食したら、わずか1300円であった。安いのか、私の味覚が安いのか。どっちもだな。穴子の塩、アジ、生だこポン酢は相変わらずのおいしさであった。5年ほど前に何度も来たが、その時より醤油・塩・ポン酢を選べるようになっていた。でもあんまり客側にイニシアチブを渡さなくていいのになぁと思う。一番おいしい食べ方は店に任せたい。ちなみに、マグロは今のところボストンの奇跡の魚屋New Deal Fishで偶然出会ったクロマグロの中トロに敵うものがない。あればっかりはCP的にもボストンが一番かもしれない。

2.7.10

新生活

6/30に無事に成田に到着し、連日、新居のセットアップに追われる日々である。

にもかかわらず、照明さえきちんと設置されていない部屋に夫を独り残し、私は今日から仙台です。目的は友人の結婚式だ。高校で出会って以来だからもう15年近くになる。めでたい日に立ち会えるのは嬉しいことだ。力の限りお祝いしてきますよ。

30.6.10

帰り道

朝4時40分にタクシーを呼び、Mass Pikeを通ってローガン空港へ。朝焼けの中に映るボストンのビル群の影が美しかったが、デジカメをどこにしまいこんだのか全く思い出せず。発券もセキュリティポイントも早朝だというのにめちゃくちゃ混んでいて、ゲートについたときにはすでに疲労困憊であった。

搭乗を待ちながら、ダンキンドーナツで最後のアイスコーヒーとドーナツを食す。ここのアイスコーヒー、一番小さいのをくれって言っても出てくるのはスタバのventiサイズなんだよなぁ。しかもミルクと砂糖を入れてと頼むと、本当に砂糖を入れてくる。じゃりじゃりしたアイスコーヒーに当初は面食らったけれど、慣れてくるとかなりハマったもんだ。ダンキンのドーナツはグレーズドでないのを選べるのも良かった。いつまでもクリスピークリームに負けないでほしいな。

てなわけで、ちょうど2年間に渡るアメリカ生活も終わり、ついに帰路に就いた。成田-ボストン間は直行便がないため、どこかしらで乗り継ぎをしなくてはならない。みんなの評判がよく、和食の機内食にも期待できる全日空にしてシカゴを経由地とした。そしたら、シカゴでは乗り継ぎ便が2時間遅れるとのアナウンス。ひっきりなしにお詫びの放送が流れ、$10分の食事券までもらってしまった。そんなにしなくてもいいのに。日本的だ。おかげで、W杯で日本が決勝トーナメント進出をかけた対パラグアイ戦をPKまで観戦できた。遅延してくれてむしろどうもありがとう。試合観戦に興奮しすぎて、夫は多くのクレジットカードを納めたiPod touchをケースごと落とし、搭乗直前に名前を呼ばれているのをやっと気づく始末。最後の最後までこれだよ。善意ある人が拾ってくれてよかった。

初の全日空は、赤ちゃん連れの人の隣だったので前は壁で足が伸ばせるのはいいのだが、座席が狭い。個別のモニタがついていて好きに映画が見られるのはよかったが、座席の狭さはいかんともしがたいね。機材がへぼいと悪評高いNWやデルタの方が座席が広い分いいなぁ。同じボーイングなのに、米系とのこの座席の広さの差はどうだろう。そういえば、最近はなぜか座席に恵まれていて、今回のボストン-シカゴ間もエコノミープラスで一番前だったし、ちょっと前にDCに行ったときも選んでないのにエコノミープラスだった。いずれもユナイテッドだけど、謎だ。

無事に成田についたら、案の定、湿気がひどい。そしてエアコンが弱い。日本らしい臭いを感じることはできなかったけれど、暑いのはすぐにわかった。気温はボストンより断然低いのになぁ。湿度恐るべし。

29.6.10

最終日

先ほど引っ越し荷物が搬出されていった。家具が残っているのと引き続き床を占有するスーツケースのせいで、部屋はそれほど寂しさは感じない。しかし、冷蔵庫を開けると寂しさがぶり返す。残り一つになったクッキーアイスクリーム、夫が出かけているうちに食べてしまおうか……。

洗濯待ちをしながらNEDvSVKを観戦していると、オランダの本気が伝わってくる。両チームとも選手がでっかいのでいつもよりフィールドが狭く見える、というのは言い過ぎか。

昨日は最後の晩餐にチャイナタウンの〈East Ocean City〉へ。思えばこのレストランも何度も来たなぁ。ゲストがボストンに来るたびに、醤油味のロブスター炒めにボストンらしさを感じると伝え連れてくるのだが、その実一番ここで食事したいのは自分たちである。そんなわけで、いつものロブスター炒め、ソフトシェルクラブフライ、福州炒飯と、チャレンジメニューとしてトムヤム風貝の煮込みを食す。いつもの料理はいつも通りおいしかったのだが、特筆すべきはトムヤム風。アメリカでは珍しく、正しいトムヤンクンの味がした。ボストンのタイ料理はアメリカ風味がひどく、とにかく甘く、辛みがない。以前どこかで食べたトムヤンクンは甘いトマトスープであった。本物はトマトは入っていないと思うんだけどなぁ。ぶつ切りロブスターは相変わらず非常に食べにくかったけれど、これが最後の外骨格かーと思いながら殻をしゃぶるのもなかなか乙な感じであった。

明日、8時前のフライトでボストンを発つ。2年間なんてあっという間だったな。アメリカで出会った多くの人に感謝しながらも、あと2回、洗濯機回さなくちゃ。

22.6.10

日帰りケープコッド

自動車の引き取り手もまだ見つからないまま、ボストン最後のドライブはケープコッドを目的地にした。当然日帰りである。

ケープコッドはMA州の南、海に向かって大きく腕を曲げているような形の岬で、ボストンから腕の根本までは約1時間弱、そこから指の先のプロビンスタウンまでは1時間半の距離。cod岬の名前の通りかつてタラが豊富に捕れたこの一帯は、今では海水浴客でにぎわうリゾート地だ。

初めに目指したのはイギリス風の農村のようなサンドイッチ。水車小屋のある池の畔にガラス工芸館がある。日本へのお土産探しのためにここに来たと行っても過言ではない。水差しやグラス、花瓶、アクセサリーとどれもステキであったが、価格もかなりステキ。結局、無難にコースターを購入した。帰国後、渡した人からは好意的な感想が聞かれたのでよかったけれど。私はよく夜店で売られているような小さなガラス人形、特にロブスターとタコが気になったが、こういうのって買ってもすぐどっかに紛れちゃうんだよねー。と思ってやめた。

ケープコッドの先まで続く6号線には、旧街道の6A号線が平行に敷かれている。行きは6A号線で森の中を進み、時折展望台に立ち寄ったりした。しかしながら、交通量が多いね。月曜だってのに、観光客がたくさん。たぶん、これからもっともっと混むのだろう。

途中で6号線と合流し、ケープコッドの大西洋側に広がる国立海浜公園のビジターセンターへ向かう。このラインはずっと海岸が続くのだが、場所によって管轄が国だったり、州だったり、町だったりするようだ。立ち寄った限りでは、州の管轄地がシャワーなり更衣室なりの設備が整っている様子。

大西洋の海は冷たく透明できれいだった。南の海のような暖かみはあまりないが、硬質な美しさを感じた。ただ、泳ぐにはちょっと冷たすぎたかなぁ。かなりにぎわっていたけど。


岬の先のプロビンスタウンは、かつてイギリスのプリマスを出航したピルグリムファーザーズが1621年に到着した場所。そう思うとなかなか感慨深いね。それを記念して1900年頃に建造された展望台に登ると、ケープコッドの先の先、陸地に向かって円を描く岬の様子が見られる。また海岸近くの沼地や大西洋側に堆積する砂丘など、様々な風景が一望できておもしろい。ここはボストンのバンカーヒルモニュメントと違って、階段ではなくスロープで登れるのが楽。国立公園でないので有料ではあるが、登る価値がある展望台だ。

町歩きも楽しい。ポルトガルと何らかの縁があるのか、町中にポルトガル国旗が飾ってあった。この日の朝、サッカーW杯でポルトガルが勝ったのでひょっとしたら午前中は盛り上がっていたかもしれない。町の中心部に二軒あるアイスクリーム屋の一方でスムージーを頼んだら、本物の果物を使っていて感動した。おいしかったなー。また数あるおみやげ屋の中にがらくたと言っていいほど雑多な物を取り扱う店があり、ついつい入り浸ってしまった。木でできたブイ(ベンチの背もたれの上にいっぱいのってるやつ)、ほしかったなー。お財布様に強く反対されて諦めた。まあね、がらくたなのは認める。


灯台は4つほど巡った。そのうち一つは、Cape Cod Chipsというポテトチップスのパッケージにもなっているもの。そういえばこの近辺にはそのポテトチップスの工場があって、見学ができるらしかったがスルーしてしまった。アメリカの灯台って、ときどき家っぽいのもあるのが不思議。

海水浴もせず、かなり駆け足のケープコッド行脚は往復で250マイルであった。長距離ドライブ旅行の直後だったし、250miなんて平均的な距離だと高をくくっていたけれど、その翌日は疲れてしまった。観光とドライブと両方あるとやっぱ大変かもと思ったのであった。

20.6.10

Red Sox観戦5回目

 MLBはインターリーグ戦の真っ最中でこの週末は対ドジャース3連戦。来週からRed Soxはロードに出てしまうため、観戦できるのはこれが最後のチャンスである。日曜に元広島の黒田が先発する姿を見たかったが、コンサートの予定があるために土曜のデーゲームの当日券を狙うことに。

当日券を買いに夫に並びに行ってもらい、私は悠々と大臣出勤。このドジャース戦は、かつてRed Soxにいた「いい選手だけどとんでもない問題児」のマニー・ラミレス君がドジャースに移籍した後、初めてのフェンウェイ凱旋とあってかなりの注目カード。普段、チケット売り切れが当たり前のヤンキース戦と同じ状態であり、当日券を買うための整理券が配られたほどだったらしい。が、なぜかその整理券を配っていたスタッフが、外野席のチケットならあるよと言ってくれたという。個人売買!? 購入できたのでラッキー。

普段は並ぶと、開場2時間前にGate Eの当日券売り場で発売開始し、その場で購入してすぐに入場することになる。過去の経験からすると、たいがい内野席の後ろの方(グランドスタンド)になる。外野に比べれば近いんだけど席がめちゃくちゃ狭かったり、スタジアムの柱に邪魔されたりするのに$50からなので、ちょっと割に合わないかなあとも思っていたのだ。外野は$25くらい。まあ選手が遠いと言えば遠いけれど、人間の肉眼はなかなか優秀であり、狭いフェンウェイパークではそれほど小さく見えない。それに、外野席の最大の醍醐味は人間味溢れる観客の応援を見られることだ。悪い言葉が飛び交うのも一興である。

今更ながらフェンウェイパークにまつわるいろいろを見てきた。ひとつは2004年と2007年の優勝トロフィー。電器会社Best Buyの協賛で、トロフィーと記念撮影してその場で写真にしてもらえるのだ。2004年の優勝は確か40数年ぶりで、ドラマ「アリーmyラブ」でもこれにまつわるエピソードがあった覚えがある。 それからジミー少年とテッド・ウィリアムス像。08-09の「地球の歩き方」の表紙にも登場していた。小児ガン患者への支援をするJimmy FundとRed Soxがパートナーシップを結ぶきっかけになった、テッド・ウィリアムスの病気の子供への支援を表している。



球場の周りではFM局が宣伝を兼ねて「K」の文字が入った紙を配っている。投手に三振をとるよう鼓舞するのに掲げたりするわけだが、今回はその裏面に 「Who needs Manny?」の文字が。企業が一個人を攻撃する文章を入れたチラシを配るのはアリなのか? まあいいか。ドジャースファンの人はこれを切り貼りして「need Manny」にしていた。

試合では、このマニー君は4番で出場し、ヒットを打ったりホームランを打ったりと大活躍。ヘルメットから溢れるアフロの後ろ髪が風になびいていた。 問題児だけど4番だけあるなぁ。名前を呼ばれるたびに、外野は大ブーイングと大歓声がわいた。Red Sox側もいい感じで打っていた。が、守備はエラーが目立ったなぁ。2アウトでショートゴロとなった際、外野も含めてベンチに戻る姿勢でショートがファーストに投球したら、もうね、大暴投でしたよ。ファーストではないところに飛んでいった。ちゃんと目の前の仕事に集中して、終わらせてからベンチに帰んなさいよ、と思った。仕事には集中しなきゃいかん。まあ最後に、夫がTシャツを買ったペドロイヤ選手がサヨナラヒットを打って勝ったのでよかったよかった。もみくちゃにされるペドロイヤ君。骨折に注意!


今シーズンは観戦したゲームでは全部Red Soxが勝ったのでよかった。去年、観戦を始めた頃は毎回負けで「デスノート」かと悲しい気持ちになっていたのだが。

最後に残念なのが、私がTシャツを買ったEllsburyがケガ(しかもRed Soxの選手に踏まれてできたケガ)から未だ復帰できていないことと、調子が戻ってきたオルティスのヒットを見ないで終わってしまったこと。テレビを見てるとオルティスはホームランを打っているのに、前日の試合でも打ってるのに、この日はノーヒットでした。やはりデスノート……

まあとにかく、野球観戦を存分に楽しんだ1年であった。次の目標は、ピッチャーの投球の種類を見分けるのと、次に登板してくる投手の予想。まだまだ先が長いなぁ。

18.6.10

帰国前だからか微妙な興奮状態に陥っている

旅行から戻ってきて新居が東京に決まり、やっとこさ荷造りを始めた。完全に閉めてしまった箱はまだ一つしかないが、あと数箱で済みそうな予感。DVDのタイトルをいちいちリストに書き記さなくてはいけないのが面倒だなーと思っていたが、それすら用紙1枚も埋まらなかった。家財道具一式は引き継ぐし、文献も音楽もみんなデータで管理できるのが大きい。生きていくのに持ち物は少ない方がいいが、帰国直前ゆえに湧いてくる物欲との矛盾に悩む。

食材が微妙に底をつきかけているのも問題だった。7kg弱のお米を買ってもまず食べきれないので、ここにきて2kgの白米に2lb分の玄米を購入。玄米はアメリカでは結構ポピュラーで、総菜のスシでもよく使われているのだが、私は玄米を食べたことがなかった。もちろん、調理したこともない。こんなとき、ネットは便利だね。一対一で混ぜて炊いてみたところ、若干歯ごたえが残るもののそれが返って新鮮な食感で、なかなかおいしかった。去年の今頃、日本人家族4組が集まったときに、五穀米のように白米にいろいろ混ぜることの可否について大激論になったことを思い出す。昔の人がありがたがった白米にどうして今更白米の代替物ですらあった麦や粟、きびなどを混ぜたがるのか理解できないとする男性陣と、栄養・見た目・物珍しさ・メニューのバリエーションなどの様々な側面から白米への混ぜ物はアリとする女性陣とにはっきりと意見が分かれた。私は混ぜ物はやっぱりアリだと思うなぁ。

ところで、今日はNBAファイナルもファイナル、決勝の最終戦だ。我らがセルティックス対レイカースでどちらも3ゲームずつ勝っている。試合開始は9時で、スポーツバーで観戦すべく7時過ぎに入店したら既にテーブルの空き待ちが必要であった。みんなこのゲームを見に来ているわけで待っていてもテーブルが空くはずもないので、近所の〈Soul Fire〉へ移動。南部風味のフライドチキン、チキンウィング、BBQリブを食べたら肉の脂にノックアウトされた。鶏肉も豚肉も柔らかくジューシーで火の通り方は完璧、4種類の店のオリジナルBBQソースもその辺のソースとは一線を画した複雑な味わいで持ち帰りたいほど。だが、ちょっと一気に食べ過ぎたなぁ。野菜も頼まず、ひたすら肉をがっついてしまった。アメリカで食べなくてなくてはならない・食べ残している料理の筆頭であり念願のスペアリブ、もうちょっと万全な体勢で臨むべきであった。帰国したら必ず行くであろうラーメン屋への準備にあたって教訓にしなくては。

で、帰宅して家でテレビ観戦をしているのである。第3クォーター残り8分で46-37、セルティックスのリード。得点低っ!

とか思っていたら負けた……。しょぼん。セルティックスはよくがんばったよ。 NBAファイナルに行けるかどうか、旅行中もプレーオフの結果は見てしまったもんなぁ。私的に一番盛り上がったのはキャバリエとの最終戦だったけど。

17.6.10

オレゴン州でしめくくり CA・OR・WAの旅 その9(完)

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 5/18-6/8のカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州の旅行を振り返る
写真はこちら
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▼6/6 sun

今日も雨。ポートランドは雨で有名な都市らしいが、この旅行中の雨率の高さからしたらもうどうでもいい。日曜の朝は街の中心部はがらがら。ここは公共駐車場の料金がめちゃくちゃ安いし、町中にバスと路面電車が敷いてあり、自動車なしでらくらく移動できる。また自転車の利用も強く促進されていて、路面電車にも自転車ラックがあるほど。オレゴン州は道路を走っていてもみんな厳格に規制速度を守るし、遵法精神が高いように思う。よく道も譲ってもらえるしね。ボストンとはえらいちがいだ。

街の中心のモニュメントは高等裁判所。現役で使われている裁判所である。平日はツアーで内部見学ができるらしいが、この日は残念ながら日曜だったため外から眺めておしまいだ。街の北東にあるチャイナタウンへ移動し、念願の飲茶を食す。が、出てくる物がみんなアメリカンな中華であった。夫はこれが初飲茶だったので、いろいろ持ってきてくれるワゴンに大興奮。調子に乗ってたくさんもらってしまい、あっという間に限界に達していた。餅米のダメージがでっかいちまきは先に頼んじゃいけないのである。精算を済ませた後に豆腐花が出てきたのがショックであった。急いで食べ過ぎたなぁ。

街歩きが楽しい北西地区に移動し、オレゴン一の広さを誇る本屋を覗いてみた。本屋のにおいは落ち着くね。もしこの辺に住んでいたら無意味に通いそうな広さであった。アメリカにはなかなか大きな本屋はないし、アマゾンで割安で購入できるために、本屋からはずいぶんと足が遠のいてしまう。寂しいもんだ。その代わり図書館はそこそこ充実しているけどね。

とにかく大雨だったので、ポートランドでは必ず訪れるべき! なバラ園にも行かずに終わった。ちょっともったいなかったかな。でもその気持ちをくじけさせるくらいの大雨であったのだ。

さて、この後は東へ向かう。ワシントン州とオレゴン州の州境はコロンビア川。大手アウトドア用品店のコロンビアはここオレゴンが発祥の地である。ちなみにナイキも。で、このコロンビア川が美しい峡谷を刻んでいるのとその周辺に多くの滝が見られるらしく、渓谷好きとしては立ち寄らないといけないと思っていたのだ。

何度も言うけど、この日は雨。結果として、コロンビア川峡谷はぜーんぜん見えなかったです。場所によってはかすかに、相当びみょーに浸食された河岸の影が見えて、こりゃ晴れていたら絶景だっただろうな、というのはなんとなーくわかったけれど、でも真っ白。しかしながら、崖側の滝は結構壮観だった。川の北側、我々の対岸は河岸段丘がはっきり見て取れたけれど、南側は浸食が激しくV字谷の傾斜が大きく、滝までの距離がほどんどない状態。ポイントにはどこも駐車場が完備されていて、車からちょっと降りて眺められて楽。もうハイキングは十分と思っていたのでなおさらこの立地はありがたかったな。最大のモルトノマ滝は目の前にしたら圧巻だった。雨に滝しぶきが相俟って豪雨状態だったけど。

コロンビア川の渓谷群を抜けて南下する道に入ると、そこは一面広がる農地であった。地平線まで広がるローリングヒルに雲の影が流れていく。時折、大地が河川や風に浸食されて盆地の中に台地が取り残されていたり、小さな川が鋭いV字谷を形成していたりと、アメリカの自然の大きさ、バリエーションの豊富さを感じさせる場所であった。ほんと、アメリカは大きかったなぁ。

ワシントン州のノースカスケード付近からこのオレゴン州の中程、さらにはカリフォルニア州までの火山帯は、大きくは環太平洋造山帯に属している。ドライブ中、道の脇にいくつもの山の頂が見えた。現地の人からすれば釣りやハイキングなどでレクリエーションを楽しめる場所がたくさんあるのだろう。こういったアウトドアの楽しみが人々に近いことが、日本にはないアメリカのいいところだと思う。国立公園だけでなく、州立公園、ともすれば市区町村レベルで大きな公園が整備されており、水道や衛生施設なんかもだいたい設置されている。民間の商売も開発も入り込まず、ただ自然を楽しめるのはすばらしいことだ。

この日は、翌日のクレーターレイクに向かってひたすら進むのみ。途中で夫の恒例「財布なくした」が始まったが、30マイル引き返したところで車の中から発見できたのでよかった。そういえば、この旅行の初めの頃には携帯電話を洗濯していた。私の携帯も持ってきていて良かったよ。

走行距離 299 mi.


6/7 mon

クレーターレイク国立公園は巨大なカルデラ湖。1800年代に「発見」されたときにはすでに今の状態であったらしい。その後の調査から、約3000年前に富士山級の高さのマザマ山が大噴火を起こし、現在あるように火口縁の高度は約2000mとなったという。どれほどの大噴火だったかが忍ばれるが、一説にはシアトルに火山灰が数cm積もるほどであったという。


火口の縁にぐるりと道路リムドライブが敷かれているのだが、雪が残っているこの季節はまだ封鎖中であった。のに、この翌日から一部開通するんだってよ! ひどい。てなわけでこの日までは西南の入り口から入って、南側のビューポイントまで車で上っておしまい。湖は青くてきれいだったよ。周りは雪だらけだったけど。

カルデラ湖ひとつ、それだけがここの公園なので、湖を見てしまえば終わりなのがつまらん。リムドライブが全線開通していれば、カルデラ湖内に見える奇岩なんかも眺められたのだろうが、まあ湖は湖だからね。てわけで、2時間ほどでここを後に。

何度も何度も言うけど、この辺は火山帯。過去に噴火した火山もいくつもある。そんなわけで、周辺には固まった溶岩から火山ガスが抜けて形成した洞窟もいくつもある。この旅行の最後は、そんな洞窟探検で締めくくることにした。

さらにさらに南下して、カリフォルニア州との州境を越えてすぐの場所にあるLava Beds国定公園へ。未だに草木さえ生えていない溶岩大地の脇を通り、念願の洞窟群へ。ここは大小20以上の洞窟が見学可能であるが、ただ一つビジターセンターすぐそばの洞窟を除いては照明がついていない。そのため、ビジターセンターで懐中電灯を借りていかないと危険。鍾乳洞とも違ってストラクタイトとスタグマタイトなどの見所もないので、ただ自然の洞窟の中を素朴に探検する気分になれる。深い場所へ潜れば、光が届かないので真の闇を体験することも可能だ。また、いくつかの洞窟はコウモリの繁殖時期のために封鎖されていた。洞窟潜入に当たっては、初級・中級・上級と大きくグループ分けされており、初級・中級の洞窟は500mもないが上級は2kmにも及ぶものもあった。上級は殆ど這っていかないと進めないとか、マッピング必須とかかなりレベルが高そうであったので、私たちが行くのは中級までにしておいた。そんなわけで、洞窟の中は見て楽しむというよりもむしろ、自分が探検して楽しむ、といったものであったが貴重な体験であったと思う。


夕方17時頃にここを出発し、サンフランシスコ空港そばの宿に到着したときには既に23時近くであった。途中、シェスタ山の周りを巡った際には、山の形が美しすぎてこの近辺の湖が大きなリゾート地になっているのがよくわかった。この辺は山が一つ一つ独立して存在するので、その形もわかりやすい。


道路状況は、サンフランシスコ北東のバークレー付近から急に交通量が増え、また速度が速く車線変更を激しく繰り返す車が目に付くようになり、ベイブリッジを渡って以降はかなりひやひやした。事故を起こさずに済んで本当に良かった。この旅行中、一番怖い道であった。時間は23時近くだっていうのにこれだから、もしこの晩に空港まで行かず、翌朝に空港に向かうことにしていたらどうなっていたか。サンフランシスコに入るには、すぐに高速道路を下りてしまうゴールデンゲートブリッジからのルートの方が幾分安全かもしれない。

走行距離 579 mi.


▼6/8 tue

宿から空港まではたったの2マイル。フライトは13時であったが、レンタカーの返却が9時半であったために早めに出た。最後に給油したガソリン、すっごい高かったな。1ガロン当たり$3.85。去年旅行したアラスカのマッキンリー山付近と同レベルなんだけど。無事に飛行機がボストンに到着した後、家に帰るまでが遠足です。どうもお疲れ様でした。

しかしながら、よく運転したもんだ。 3536マイル、約5660kmである。そのうち、私がお休みしていられたのは150kmか。ちなみに、運転が一番怖かったのはやっぱベイブリッジからSFに入ったところでした。あの辺の人たちはオレゴン州のみなさんを見習うべき。あっ、ボストンの人も。

走行距離 2 mi.

WAの山、マウントレニエとセントヘレンズ CA・OR・WAの旅 その8

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 5/18-6/8のカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州の旅行を振り返る
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▼6/3 thu

シアトル南部の大きな山、マウントレニエ。シアトルのポストカードなんかにも時々映り込んでいるけれど、昨日は天気が悪く全然見えなかった。東京西部の街並みに富士山が見えるのとよく似ていると思う。正しくはレニアーって言ってたかな。

曇り空の中、天気を不安に思いながらも約2時間の道のりを走ると、でっかい山が目の前に…見えない。山の上部に雲がかかっている。またか! マウントレニエは観光にすばらしいポイントが二カ所(パラダイスバレー、サンライズ)あるが、いずれも雪で封鎖されていた。そのうちのパラダイスバレーの入り口までは通年で除雪作業をしてあるために車で到達できるのだが、目玉であるバレーから山腹の花畑をハイキングするのはとても無理だ。パラダイスとは、初めてマウントレニエに訪れた人が花畑の向こうに見える山を見て、こここそがパラダイスだと言ったのに由来する。だからそんなパラダイスらしい風景が見られないのは実に残念であった。

バレー入り口のビジターセンターに到着したときには青空が見えていた。げに変わりやすい山の天気よ。ギフトショップでスノーシューをレンタルできたので、それを履いてまたも雪中行軍することに。氷河の谷のほとりまで行って帰ってくる約2kmのトレイルが最も近かったが、やっぱり雪の中を歩くのは時間がかかる。スノーシューは雪面との接着面が大きいため、雪に足がはまりこむ心配は少なかったが、それでも普通に歩くのとは違って大変であった。スノーシュー体験ができたのでよかったよかった。「パラダイス」はナショナルパークサービス作成のビデオで十分に堪能してこの地を後にした。

帰り道、キツネの子供が道の脇から顔を出していたので、車を路肩に停めて眺めてしまった。私たちの他は誰も止まらなかったけど。

走行距離 227 mi.

▼6/4 fri

またも朝から雨。1980年に大噴火を起こしたセントへレンズ、今もまだ楽観視できないとのことでナショナルフォレストサービスが観測所を置いている。しかしながら、雨と霧でぜーんぜん山が見えない。観測所まで到達するも、やっぱり見えない。悔しいので、展示されていた当時の新聞記事など読みまくってやった。

1980年5月18日に噴火を起こしたのであるが、その一週間ほど前から溶岩ドームがふくらみ初め、噴火のタイミングはある程度予測できていたらしい。しかしながら地質学者やキャンプをしていた親子など、予想被災範囲の外にいたのに命を落としてしまった人、なんとか逃げ延びることができた人、様々なケースがあったという。その中でも避難勧告を拒み、妻が眠るこの地に留まったトルーマン老人のエピソードには胸を打たれた。かつては美しい二等辺三角形の山だったのが、今や上部三分の一が崩れ落ちクレーターとなっている。大地のエネルギーは人間が太刀打ちできないものであるなと溜息が出る。

今年は噴火からちょうど30年。National Geographic5月号で特集記事が組んであったため、つい買ってしまった。

走行距離 161 mi.

▼6/5 sat

朝から晴れ。やった! 前日のリベンジを果たすべく、もう一度チャレンジ。かなり遠くから山の頂が見え始め、運転中なのに大興奮した。危険。セントへレンズの近くに道路を通してあるためだが、山がかなり大きく見える。この道路は噴火後に敷き直されたもので、今後もしまた噴火しても土石流の被害に遭わないように谷底から外して建設されたらしい。しかしながら、最も近い国道5号線から観測所まで最も短いルートで結んであるという。いやーリベンジして良かった。


この日はナショナルトレイルデーとして、国立公園や国営林などの入園料が無料になっており、それもあってものすごい人出。観測所からトレイルを辿って、時間の許す限りセントへレンズの傍まで近づいてみた。多くの人は途中で分岐する道をセントへレンズとは逆方向に進み、近隣で最も高い山まで登って上から見下ろしたらしい。どっちがよかったかはわからないが、とりあえず私たちのルートを進んだ人は誰もおらず、目の前の風景を独り占めできたのには幸せであった。火砕流が1m以上も堆積し、一度はすべての植生がリセットされたこの地であるが、新たに高地から流れる雨水に沿って灌木が生え、その周りに草本が、その外側には苔類が生えていた。噴火から30年、こうして生命がまた生まれていく過程を目の当たりにできるのは実に貴重だ。今回の旅でレッドウッドと一二を争うすばらしい場所であったなぁ。自然に感動するよ。

ハイキングの帰り道、噴火口からぷしゅぷしゅと煙が立ち上った。2003年頃からまた活動が見られるらしい。しばらくは大噴火はしないだろうとの見込みだが、噴煙は見慣れないこともあってちょっと怖かった。

この日のうちにオレゴン州ポートランドまで南下。ホテルの周りは住宅地で大手ファストフードチェーンすらなく、こりゃ今夜は夕食難民かと焦ったが、近所にチキンウイングで有名な店があるという。ここが当たりであった。ソースはバッファローウィングだけでなく12種類から選べるのだが、そのうちアジアンものが意外にヒットした。チキンの揚げ具合も表面はぱりっと、かみしめるとじゅわっとやわらかく、完璧です。日の入りが9時近くとあって、太陽の光を浴びながらビールグラスを空けてしまった。

走行距離 174 mi.

都会で息抜き CA・OR・WAの旅 その7

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▼6/2 wed

せっかくシアトルに来たのでそれなりに街中観光をすることに。シアトル最大の目的はマリナーズ観戦なんだけど。

シアトルは非常に小さい町で、端から端まで歩くことも可能。宿のそばにニードルタワーで有名なシアトルセンターまでモノレールが走っていたが、乗り場まで南下するのは回り道になるので、ちょっくら歩いてみたら歩けちゃった。その道すがら、宿の近所のドーナツ屋で朝ご飯。へんぴな立地なのに次々に訪れる客にびっくり。その半分が日本人だったのにはなおびっくり。ちょっと日本だった。有名店なのかはよく知らず。ドーナツはダンキンよりも50セント高い分おいしかったかな。コーヒーも普通のドリップだろうになかなかのもの。ダンキンがんばれ! 

シアトルセンターは観光シーズンがまだこれからとあって、噴水の水は抜いてあるわ、しかも今掃除中だわで、開店直後の品出し中のデパートに入っちゃった感じ。展望台のニードルタワーは雨の風景を見るのもなぁ、ってことで登らず、ロックミュージックのミュージアムもフィーチャーしてる歌手がちょっと古くてよく知らない人が多いので入らず、科学館はまあいいやとスルーして、果たして何しに来たのか不明。雰囲気を味わったのでよしとする。



センターはシアトルの北側の丘の中腹にあり、ここから西に下るとすぐにピュージェット湾を臨む港だ。西海岸北部の大きな町はだいたい港町だなぁ。カリフォルニア州のサンフランシスコしかり、オレゴン州のポートランドしかり。港に沿って彫刻公園があるというので向かうと、公園というよりも、高速道路を造るのに丘を削ったけど、削りきれない所があったのでとりあえず何か置いてみましたという体であった。でっかい修正道具はDCの国立美術館の彫刻庭園にもあったな。

ここから南下して、シアトルが誇る市場パイクマーケットへ。狭いスペースに工芸品や花、魚や謎のアジア玩具までいろいろな店が軒を連ねており、見て回るだけでも楽しい。残念ながら魚を投げると噂の魚屋でそのパフォーマンスを見ることはできなかったが、それでも大量に並べられたダンジネスクラブはなかなかに壮観であった。オリンピック国立公園近所のダンジネススピットのダンジネスクラブである。自分の訪れたところとリンクするのがまた感慨深い。この近所にスタバの一号店があると聞いていたが、パイクマーケットの端っこに大きな店舗があったので、確信が持てないままこれかなーと入店、メニューは普通のスタバ。でもこれは一号店ではなかった……。事前の調査ってのは大事だね。てか、店員に聞けば良かった。

昼ご飯はマーケット内のロシア料理店でとった。他はピザ屋、ハンバーガー屋、アフリカ料理、ビストロ…と多彩ながらいつも通りのラインナップであり、最も目新しく、かつ閑散としていたのがこのロシア料理店であった。ビーフストロガノフとピエロギをメインに頼んだら、サラダに加え小鉢を4種類ずつ選べるという。韓国料理か。勧められるままににんじんサラダや玉ねぎベーコン炒め、ザワークラウトなどをつけてもらい、さらにデザートもサービスするというからロシア風ティラミスとナポレオンをもらった。とんでもない量になってしまい、デザートは端から持ち帰りとした。ピエロギは水餃子みたいなもの。肉団子を小麦粉の皮で包んで茹でる料理は中国から東欧、イタリアまで存在するのかと思うと不思議な気分になる。どこかから伝わった調理法なのか、それとも各地で自然発生的に生まれたのか。人が考えることは洋の東西でそう変わらない気もする。でもデザートは伝わっていったものと思う。ロシアのティラミスはコーヒークリームを挟んだショートケーキであり、ナポレオンは大ぶりのパイで生クリームとカスタードクリームを混ぜたようなクリームがたっぷりはさんであった。ボストンに数ある東欧食材店のデリでもよく見かけるこの手のデザートは一度食べてみたかったので、ここで出会えて良かったなぁ。ティラミスはイタリア製のスポンジからコーヒーがじゅわっとしみ出す方が好みだが、まあそれはそれとして。

そこから街中を歩いて、壁一面がガラスでできたシアトル図書館へ。鉄筋とガラスの建物の内部は1階から5階まで吹き抜けていたり、カラフルな閲覧用のイスがかなり現代風であった。仙台のメディアテークを思い出す。そういえばメディアテークの模型はNYのMoMAにあったので、ここのもあったのかもしれない。

で、さらに南へ進むとパイオニアスクエアやクロンダイク国立歴史公園が。シアトルはネイティブアメリカンのシアトル酋長から名前を採った集落が始まりで、そこそこ栄えてきたのだけれども1897年の大火で街は殆ど焼失したらしい。すぐに復興に着手し、すわ復興景気かと思いきや世界恐慌に水を掛けられ、どうなることやらという状態になった。その直後、シアトルの人がカナダのクロンダイク金鉱を発見したという一報が入ると、まだこの時代はゴールドラッシュの名残があったらしく、アメリカ中から人が集まりあっという間に好景気に。シアトル以北のワシントン州内はおろか、カナダの西海岸もまだろくに開拓が進んでいない時代で、シアトルは重要な拠点だったらしい。金を手にして成功した人、手にできなかった人、彼らを対象に商売を初めて成功した人がいろいろと紹介されていた。その中でも、全米に展開するデパートNordstromの創業者が大きく採りあげられていたなぁ。

そしてついにセイフコフィールドに到着。セイフコってのは保険会社の名前らしいね。当日でもらくらく外野席のチケットを購入できる。フェンウェイとは違うなあ。開場までたっぷり時間があったのでグッズ屋へ立ち寄ると、店員が店内のテレビに注目して仕事の手が止まっている。チームの精神的支柱であったJrが引退するとの報道が流れ、みんなかなり動揺していた。ジュニアがやめちゃうんだって、知ってた? 今聞いたよ……といったやりとりがあちこちで起きており、なかなかレアな風景であった。18時に試合が始まり、いつものレッドソックス戦と比べるとかなり早く試合が進む。しかしながら、球場はとても寒い。イチロー選手も9回裏まで無安打で、両チーム無得点のまま延長戦に突入したので、見切りをつけて球場を出た。そしたら、10回裏でイチローのサヨナラヒットで勝ってしまった…しょぼん。もうちょっとがんばればよかったかな。でもこの夜は寒すぎたのでまあいいや。

一度宿に戻り、車に乗ってシアトルの夜景を見にシアトルセンターの北側の丘を登る。あっちこっち迷いながらなんとか公園に到達。寒いのに多くの人が写真を撮りに来ていた。

 走行距離 7 mi.