22.12.08

フロリダ旅行3 敵は我が内(足ヒレ)にあり


Dry Tortugas3
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キーウエストは2泊。到着の翌日は一日かけて70マイル離れている小島へ行くことにした。疲れた体をいやして、翌々日はマイアミへ戻る。

12/20
朝8時に港を出発し、キーウエストからさらに南東にあるドライトートガス島へ。1993年に国立公園に指定されたこの島は、南北戦争の時にメキシコ湾の入り口を守る要として要塞が築かれたのが始まりらしい。昔も今も真水はなく、またウミガメが多く生息していたために、この名がついたらしい。

船は朝食・昼食・水・シュノーケルグッズ込みで、約2時間の航海。まあ、例によって寝て過ごしたわけだが。

ここのビーチはきれいだった!前日に立ち寄ったバヒアホンダSPでの感動が簡単に上書きされるほど。砂は白く、浜に打ち上げられた珊瑚のかけらや白色や薄紫色に乾燥した海草が彩りを添えていた。

ここで初めてシュノーケルを体験。水中眼鏡の付け方に戸惑い、足ヒレもうまく操れず、慣れるまでは大変。特に、泳ぐのをやめて足をつくときに、足ヒレの先が海底に突っ込むとかかとが着かないので、うまく足をつけずに溺れそうになった。この場所は幸い浅かったので、足の裏を海底につけることをあきらめたら、膝がついて助かった。人は1mの深さでも溺れることができるのである。

珊瑚礁があると先に聞いていた場所は、地図上は島のすぐそばだったが、いざ泳いでみると結構疲れる距離だった。波は高くなり、気がついたら流されていること2回。到達できたときには、珊瑚や魚が見られた感動よりも、達成感の方が上回っていた。

実は珊瑚は要塞の壁沿いにも生えていて、遠くまで泳ぐ必要がなかったのであった。魚はいずれもそんなにカラフルではなかった。

夕方、キーウエストに戻り、港町のバーで軽く夕食。この町は飲酒に寛容な雰囲気で、多くのバーがにぎわっていた。名物のコンク貝のトマトチャウダーとスモークドフィッシュディップを食す。フィッシュの内容はイルカとメニューに記載されていたが、イルカはよくて鯨はだめなのかとなんとも言えない気分になった。おいしくいただきました。

12/21
ヘミングウェイはキーウエストに住んでいたことがあり、老人と海はこの地の物語らしい。読んだことないけど。そんなわけでヘミングウェイの家を見学してみた。白を基調とした南国風の家は素敵だった。プールなんかもついていて、なかなかの裕福な人だったと見える。ネコ好きらしく、多くのネコがいた。

そういえば、ここまでで様々な動物を見た。リス、フラミンゴの小さい版みたいな鳥、クジャク、ネコ、そして鶏。野生のクジャクも驚きだが、キーウエストの鶏もなかなか意外だった。フロリダキーズの中には、キーディアという子犬ほどの大きさの鹿も生息しているらしい。進化の途中か? しかしイサカサイズの鹿がいたら、マングローブ林はあっという間に砂漠化するに違いない。またキーウエストへの道中で、「アリゲーター横切るの注意!」という標識も見た。もし横切られたらどうせよと…? 避けようがないのではと想像。

また、アメリカ最南端と言われるサザンモストポイントは車から眺めたが、それで十分だった。地球の歩き方にアメリカ三大がっかりポイントと称されていたが、ぶっちぎり1位だと思う。

この後、マイアミまで一気に戻る。ずいぶん速度に慣れてきて、時速120kmまで体験した。密かな目標は140kmである。しかし、マイアミ市内は交通量が多く、車線変更は相変わらず怖かった。

夕方にはホテルに到着できたので、マイアミで一番と言われるオーガニックスーパーへ行き、スシを購入するが、これはイサカのWegmanの勝ち。

走行距離: 約270km

フロリダ旅行2 海岸で蟹と戯る

フロリダは暑い。日中は20度を超えるとはいえ、12月であると思って持ってきた長袖Tシャツははっきり言って無駄であった。半袖Tシャツで十分。短パンプリーズ。ジーンズの長ズボン着用は自殺行為だ。

12/19
マラソンからキーウエストまではそんなに遠くないので、この日は寄り道しながら移動。

フロリダキーズを結ぶ橋で一番長いのがセブンマイルブリッジ。海の上を長く橋がかかっていて写真でみると心ときめくのだが、実際運転すると橋から海面までは結構高さがあってそれほどでもない。

途中でバヒアホンダ州立公園へ立ち寄ってみた。ここはビーチの砂が白くて感動。白い砂浜との初の邂逅である。水も透明だし、満足満足。ビーチはそんなに広くないものの、前時代的な赤さびた鉄橋を背景に、グリーンの海が広がる様は美しかった。

この辺から釣り客が多くなる。泳ぐ人よりも釣り人の方が多いかもしれない。

そうしてキーウエストへ到着。ホテルにチェックインした後、港町へ散策。US1の起点を眺め、ボストンの会社の半袖Tシャツを購入し、なぜかタイ料理屋で夕食を取り、早々に帰宅して就寝。

走行距離: 約78km

フロリダ旅行1 海で船酔い


アメリカ的風景
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マイアミはフロリダ半島の南西にあるので、まずは南に向かうことにした。

フロリダ半島は、その南西から南東に向かって、小島が点在しており、南東の果ての島であるキーウエストまで橋を架けて一本の道路をつなげてある。この小島群をフロリダキーズと呼ぶ。島のことをキーと呼んでいるようだが、アイランドも存在するので、キーの正確な意味は不明。道路はUS1(国道1号線)である。

12/18 Wed
フロリダキーズの北部には珊瑚礁があると聞いていたので、はじめにビスケーンナショナルパークへ向かう。

マイアミ市内からはまず高速に乗り、途中でUS1に降りて進む…というルートだったが、高速は大変であった。イサカ-シラキュースとは比較にならないほどの交通量および車線数。出口が右にあったり左にあったり、他のルートへの乗り換えも左右にあるので、3回ほどカーナビに従うことができず、泣く泣く高速を降りて、また乗って…ということをした。混雑時の車線変更ほど恐ろしいことはないね。なんとかUS1までくると、車両数は多いものの走行速度は遅いし、信号も多いしで、気が楽になった。

ビスケーンNPへの道中は、写真のようなアメリカ的な農業機械を見かけるくらい田舎。何もない。速度標識もない。イサカと良い勝負だと思った。

で、ほっとして公園に到着。ここでの目当てはボトムグラスボート(船底がガラス張りになっていて、船に乗って海中の様子が見られる)での珊瑚礁見学であった。のだが、なんと今週中はボートが修理中とのこと。ビジターセンターの方がジョン・ぺネカンプ珊瑚礁州立公園でも同じツアーがあると教えてくれ、そちらに予約の電話を入れてもらった。海沿いをちょっと散歩。初めて生で見るマングローブに感動するも、滞在時間約40分でここを後にする。

そこからまたUS1に戻って南下。道沿いに魚料理を唱うレストランが目につくようになり、その内の一つでサーモンサンドイッチとフィッシュアンドチップスをテイクアウトし、ペネカンプSPへ。こちらはビスケーンNPと異なり繁盛していた。

グラスボートに乗って、マングローブの森を抜けて珊瑚礁ポイントまで約1時間。海は波が高く、おかげで船酔いがひどかった。ボートの底に見える珊瑚礁や色とりどりの魚、海草は確かにきれいだったけど、それより陸地が恋しかった。

フロリダキーズの島はいずれも標高が低く、外洋の浸食にさらされている。島を取り囲むように生息するマングローブは、図らずも天然のバリアーになっているらしい。

この日は、フロリダキーズのおよそ真ん中にあるマラソンという街で一泊。

走行距離: 約195km

フロリダ旅行0 そうだ、フロリダ行こう

イサカの寒さに驚いて、南国に脱出する留学生は数知れず。我々もまた、その例にならってフロリダに行くことにした。フロリダ半島の南から北まで約二週間の旅だ。今回は

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・きれいな水の海を見たい(イサカの排水の臭う滝はもう勘弁!)
・白い砂浜ってどういうこと?(遠州浜の砂は黒いぞ)
・秘境求む
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ということを念頭に、街よりも自然に偏った旅をすることにした。まあ途中でディズニーワールドに寄るけどね。

12/17 tue

朝4:15に出発するNYC行きのバスに乗車。前の晩から雪が降り出しており、バスが山の上の乗車場所まで上ってくるか心配だったが、なんとか来てくれていた。定刻より40分遅れの10:30に無事到着。ここからNewark行きのバスに乗り換えさらに30分。飛行機も定刻通り2:30に出発し5:30にはマイアミ国際空港に到着。バスも飛行機もほとんど寝て過ごしてしまった。最近、長距離移動はすぐに寝てしまうが、これは乗り物酔いを回避するためだと思う。

さて、この旅はなんとレンタカーで行う。運転手は、高速に乗ったのはイサカからシラキュースまでのみの私と、8年前にMTで免許を取って以来、ほとんど運転経験がない彼の二人。どうすんべ。まあ私がやるしかないか。ということで、ネット上の見積もりが一番安かったdollarで、これまた最も安いエコノミープランを利用して車をピックアップ。車を見たら…でかい! その割にキーでドアロックができない。さすがエコノミー…。しかし、いざエンジンをかけると、オイルを交換してくれとの表示。係員に伝えるとあっさり車を変更されるも、新しい車はさらに大きくなっている!ダッジというアメリカの会社の車になりました。そして、やっぱりキーでのリモートロックができないのであった。

イサカとは比べものにならないくらい交通量の多い道を走り、何とか近くのホテルまで到着。この日は日中に寝過ぎたせいで、全然眠れなかった。

走行距離: 約9km

13.12.08


地域の小中学校が休みになるほど雪が降った。

足首まで雪に埋もれるのを見て、ブーツという靴の存在意義がわかった。

積もった雪の表面が外灯を反射してきらきらしていて、空が晴れていてシャッターを開放できるカメラと脚があれば、すごい絵が撮れるかもしれないと思った。

…デジタル一眼レフがほしいなあ。私のサンタは今どこに?

8.12.08

クリスマスリース作り


BOCESの英語教室で、誰かの家でクリスマスリースを作ることになった。誰か、というのは先生や生徒の誰か、ということではなく、先生の知り合いにこの地で個人的にクリスマスリースやテーブルセンターなどの作成を教える人がいるとのこと。この日は授業時間をまるまる使って、隣町まで遠出することになった。

その方の家は、ギリシャ風と呼ばれる建築様式で、家の前面に神殿のような列柱があった。イサカでは結構ポピュラーらしいと聞いていたが、この目で見るのは初めて。中にはいると、アメリカ人の家! って感じ。本物の暖炉に向かって大きなソファが置かれていて、木の床にはふわふわのラグが広がっていた。また、植物を使ったアレンジをするだけあって、家の中にもたくさんの鉢や花瓶があった。どれも素敵(写真上)。

クリスマスリースは金属製の輪をベースに作る。

利用する葉は常緑樹のモミfir、ヒノキcedar、マツpine (pine bough) 、トウヒspruce、ヒイラギholly、ツゲboxwoodなど。これらは家の裏から切ってきたり、または買ったりするらしい(そのほか、リボン、松笠pine coneに色をつけたものや玉、フルーツ、花、枝に透明の樹枝をつけて樹氷っぽくしたものなど、様々な人工的な装飾品もあった)。

葉をいくらか束に手とって、ベースに乗せ、葉の下から2cmほどの箇所を細いワイヤーで巻いて留める。次に葉の束をとって、今留めた葉と輪の間に入れ込み、ワイヤーを巻く…ということを続けて、緑のリースが完成。あとはリボンを結びつけたり、松笠を飾ったりする。

テーブルセンター、ろうそくを真ん中にたてた緑のアレンジは、背の低いオアシスの側面や上面に葉が横に流れるように刺して作る。フラワーアレンジと同じ感じ。私はこっちにして、ろうそくなしで、ちんまりとつくったら写真下のようになった。クリスマスって感じがしなくなってしまった。

生徒達は、この教えてくれる方に見せてアドバイスをもらうこともあったが、たいがいが、飾りすぎ、か、まずどこに目を留めさせてそれからどのように視線を動かしてほしいかという流れがない、と言われていた。特にテーブルセンターの場合は、オアシスが見えないほどに葉を刺すようにと言われていたので、やけに長く切った葉をその側面に刺しすぎているようだった。その様は、なんというか、草ぼうぼうの裏庭のようだったりして。この方が修正して、みんな裏庭から粋なアレンジメントに変身していた。専門家ってすごいね、と思った。

リースの飾り付けに関して、こんな説明があった。クリスマスリースは生木を利用しており、水分の補給もできないため、暖かい部屋に置いておくとすぐにしおれてしまうらしい。玄関が吹きさらしで寒ければ、ドアに飾っても長持ちするが、マンションの上階に住んでいてホールが室内の家は飾る場所を選ばないと大変とのこと。我が家はまさに飾る場所がない。

BOCESのESLのクラスで、こんなことをしているのは私のクラスだけと思われる。先生の裁量が大きいのかもしれない。秋にはジャックランタンも作ったし。1月からこのクラスでなくなるのは、少し寂しい。

29.11.08

サンクスギビング

11月の第四木曜(11/27)はサンクスギビングデー。1620年にニュープリマスに到着したピルグリムたちは、つらい冬を乗り越えて、偶然であった英語の話せるネイティブアメリカンに生活全般を助けてもらったら、1621年の秋は大豊作だったので彼らを招待してお祭りをしました! ってのが始まりらしい。でも諸説ありそう。

この日に食べるものは
  • ターキーにグレービーソースまたはクランベリーソース、
  • マッシュドポテト
  • ヤムイモ(サツマイモのような甘いイモ)
  • パンプキンパイ
などである。アメリカ人にとっては、家族が集まって16:30頃から座ってディナーを食べる日だと言っていた。

一度は焼いてみたい家禽類だが、ターキーなんて9lb(1lb=450g approx.)では焼くのに6-7時間かかるらしい。しかも、焼く前に塩水につけるとか、シロートにはとても無理。ということで、大学主催のサンクスギビングディナーへ行ってきた。

上記の他には、サーモンのホーランデーズソースかけ(よくフレンチでアスパラの上にかかっている、生クリームと卵の白っぽいソース)やにんじんの蜂蜜グラッセ、揚げ豆腐にご飯と野菜がのったもの(ご飯は白いのに食べると甘い)、デザートなんかもあり、楽しいひとときだった。

ちなみに、一番おいしかったのはにんじん。

翌金曜はBlack Fridayと称してあちこちでバーゲン。全米に展開するアウトレットは、深夜0時にオープンし、しかも客は並ぶらしいという恐ろしいウワサを聞いた。まるでデパートの初売りセールだ。
世界恐慌のBlack Thursday /Tuesdayとは異なり、今回のBlackは黒字の意味。

出かけてまで買いたいものが特にないので、引きこもって過ごしました。

12.11.08

終わってしまった。

私の半年間の挑戦が、力及ばず終わってしまった。目標も失って、ちょっと腑抜け状態。

何もしないでいると、自分の持っているものすべてが衰えていくような気がして、気ばかり焦る。思えば、大学出てからずっとこんな調子だ。思春期か。いい年して、困ったなぁ。

5.11.08

あったかい

今週は先週とうって変わってあったかい。日中は18度まで上がるし、最低温度も8度くらいらしい。日本の今頃と変わらないので、衣服に困らないのが助かる。

今日はカーシェアを利用して、日が暮れてから日用品の買い物に行ってみた。こちらで夜に運転するのは初めて。対向車や後続車のライトがやけにまぶしく感じた。あれはハイビームじゃないのか? と疑いながら、光源を見ないようにそろそろ~っと走ってみた。

こちらの運転で戸惑うのは、左折・右折をする際に歩行者や対向車を待つのに、交差点に進入しないで停止位置に留まることだ。信号のない近所の路地なら譲り合い精神が高いので(こちらのドライバーは本当によく道を譲ってくれる! しかも先日は歩行者にまで譲られた)、それに従えば良いんだけど、3車線もあるような幹線道路では本当に困る。後ろが詰まるのが気になるし、下手に交差点に進入すると対向車が困ってクラクションを鳴らしてくるし。

つまり、この問題の原因は、アメリカの交通ルールに関する私の勉強不足だ。NY州の運転免許も結局取ってないので勉強するのやめちゃったんだよなぁ。いかんのである。

オバマが大統領に当確。

3.11.08

怒濤の一週間


ついに雪
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月曜の朝、英語教室へ通う道すがら、大学院のときの友人チアイと出くわした。そのとき、私は当時と同じアウターを着ていて、それが彼女が私に声をかけてくれるきっかけになったらしい。とんでもない偶然もあったもんだ。彼女はここで公共政策を学ぶ学生をしているとのこと。木曜に聴講できる講義があるとのことで、情報をもらうために連絡先を交換してその場は別れた。

彼女は、自分の努力で道を切り開いていて、大学院生の時はその姿にとても励まされた。それに、生活が始まってすぐのつらいときに、助けてくれたのも彼女だった。イサカでくすぶっている今、また彼女に会えたことは私にとってはものすごい衝撃だ。漠然と、未来に向かってがんばれる気がする。本当にうれしい。

火曜は、朝起きたら雪が微妙に積もっていた。悲惨。

水曜は久々にコーネルキャンパスクラブの英語教室へ。先生はこのイサカで生き抜くための知恵をいろいろ教えてくれてとても助かる。のだけど、9-10月と帰国していたため、3回目の出席だ。なんかもったいないことをしたなぁと思えた。終わってから、クラスメイトのリエさんとお茶。様々なことに造詣が深く、良い刺激になった。

木曜は、彼の大学の知り合いを通じて紹介してもらった韓国人とLanguage exchangeを実施。一回目。かなり緊張した。帰国中にジュンコさんに譲ってもらった本『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら…』をさらっと読んでいったのだが、日本語を伝えるのは難しかった。次回もとりあえず続けることになったけど、ちゃんと準備をして行かなくては。

その後、月曜にチアイに教えてもらった講義に出席。コンサルタントによる、コンサルタントに必要な資質、なぜ今、自治体がコンサルティングを要請するようになったのか、警察と消防に関するコンサルティングの経験談などを話してくれた。日本で開発関連で就職を考えると、コンサル会社は選択肢の一つとしてあり得るが、思えばコンサルって何をしているのかよく知らなかったので、この講義は良い機会だった。コンサルの一番大事なことは金だと断言していたのが印象深い。そりゃそうだ。

金曜は同じ寮に住むアヤコさんちで鍋! イサカでもエノキやマロニーが食せることに感動した。鍋の出汁もすばらしかったし、なんだかアメリカにいる気がしない。夜中12時近くまで居座り、ビールをたくさん消費して辞する。

今日、日曜は寮が主催するアウトレットへの小旅行。イサカは衣料を買えるところが少なく、これから訪れる極寒の季節をどうやって迎えるものかと悩んでいたので、車で1.5時間弱の距離を往復5ドルで連れて行ってくれるのは非常に助かった。そうはいっても、ダウンジャケットはデザイン的に選べず、まるでスキーをするときに羽織るかのようなアウターを購入してしまったのであった。1,2月のこの辺で坂を上るのは、雪山を登るような感覚になるだろうと推測しながら。

26.10.08

小春日和?


Cornell Plantation1
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肌寒い季節に、少し暖かさが戻った日をなんと表現すればいいのか迷う。

今日は日中は摂氏14度まで上がり、今週で一番暖かかったので、近所の湖まで今更ながら紅葉を眺めに散歩。

多少の紅葉はあるものの、すでに葉の枯れ落ちた枝が目立つ。セイタカアワダチソウなどの一年草もおおよそすべて枯れてしまっていた。

来週の天気予報では、ついに水曜には雪の予報が出ている。予想最高気温3度、最低気温マイナス2度らしい。まだ冬の衣料も揃えていないというのに…。

25.10.08

車社会で車を買わずに生き抜く方法

何度も書いているが、ここイサカはとにかく自動車社会だ。でも車を持つには、地域のDMVへ自動車登録をしなくてはならないし、当然ながら保険にも加入しなければならない。運転免許はNY州では日本の国際免許で通用するが、好みで州のライセンスを取る人もいる。当然、ガソリン代もかかる(今日の全米平均は1ガロン=約3.785リットルで2.6ドルだった。日本に比べればはるかに安い)。車を持つのは何かと面倒だし、コストが大変だ。

何とか車を買わないで暮らすにはどうすれば良いか、ということで、カーシェアリングを利用することにした。年会費200ドルで会員になると、5ドル/時+0.2ドル/mileのコストのみで、ネットや電話で事前の予約の上、自動車が利用できる。保険は会員資格に付帯、ガソリン代も会費に込み。ボストンやNYなどの沿岸部ではZipcarというサービスがあるらしいが、ここイサカはIthaca Carshareが主催している。

会員申し込みに必要なのは、運転免許証と無事故・無違反記録。私たちは国際免許証と日本から取り寄せた記録を持って事務所にて申し込み。手続きでは、それらのコピーを取ることもなく、目視確認のみだった。ウェブ上に掲載されている諸注意を読んでオリエンテーションとし、車のドアロックをするためのフォブ(キーホルダー大のしずく型のツール)と予約のためのID/passを受領して完了。

車はイサカ市内の特定の地域10カ所に配置されており、会員は予約時にどの場所の車を何時から何時まで利用するか申請する。その場所から乗車し、返却もその場。そのため、住まいから遠いと不便。幸い、この夏より私たちの寮の近所に1台配置されることになり、それもあって申し込むこととしたのだった。

土曜は3時間利用して約20ドル。普段、バスでは行けないスーパーを回り、必要以上の買い物をしてしまった。トータルで考えると、高くついたりして。それにしても、店を回ることができる・荷物状況で買い控えをしなくていい、などと車があると便利だなあとつくづく感じたのであった。

24.10.08

イサカ着


10/21火曜、22時30分にイサカ着。針のように細く降る雨が肌に突き刺さるように寒い。私が帰国している間にこちらは秋が終了してしまったようだ。最終の路線バスで帰宅。

翌日は、同じ寮に住むアヤコさんに同乗して食料を調達。彼は独りでもきちんと暮らしていたようだが、さすがに冷蔵庫の状態は私の好みから離れつつあった。徒歩圏内に生鮮食品店がないことが、この町への最大の不満だ。車の代替はバスであるが、スーパーでの買い物には不便でしかたない。そんなわけで、彼女の助けは本当にありがたい。

この日は朝から雨。時折、霙が混ざった。英語で言えば、フローズンミックス。

木曜より英語教室へ復帰。とりあえず、クラスメイトは私のことを覚えていたようだ。1ヶ月間日本語漬けであったためか、自分と周りとの間に透明な壁があるような、なんとなく狂いそうな気持ちになった。

金曜の授業ではハロウィン用のジャックランタンを作ることになり、これ幸いと、無心になってかぼちゃをくり抜いた。

こちらでは、カボチャの中身を掻き出すスクレイパー、カボチャに彫刻をするためのカービングツールなどと、彫刻の下絵集のセットが4ドル程度で売られている。使うカボチャはPie Pumpkinという橙色のもの。食用には向かないらしい。日本の緑色の皮のカボチャに比べ、断然皮が柔らかく、作業は簡単。

ジャックランタンは生ものだけあって、2日後の日曜には捨てざるを得ない状況になった。残念なことだ。

16.10.08

この一月を振り返って

東京で好き勝手暮らせるのも、明日と月曜だけになってしまった。思えば、ずいぶんごろごろして過ごしたもんだ。いつも以上にニコ動見ちゃうし。まあいいんだけど。もう英語なんて忘れちゃったよー。

9/20は試験を受けにはるばる前橋へ。いやー前橋はちょー遠かった。遠すぎて涙が出る。ほんと遠かった。だいたい群馬って、埼玉の向こうよ。県一つ越えりゃ、そら遠いわ。新幹線乗ってないし。

9/25は元職場のみんなとプロント。大手町・丸の内という場所柄、いろいろ選べるはずなのに、なぜかプロント。プロントの株主になっても良いくらい(精神的に)貢献してるね。

9/26は妹のダンスの公演を見に府中まで。府中は近かった。新宿から約10分! 西の果てってイメージなんだけどなぁ。専門学校時代に比べてずいぶん踊れるようになったなぁと涙がほろり。早く次のステップが見つかればいいんだけど、なかなか難しいね。

翌日から一週間帰省。ADSLセットアップサービスマンと化すが、問題解決せず。初日にすがきやのラーメンを食べてしまったので、あとはやることがなく、家でごろごろしてた。中学生の時にはまったコバルト文庫の<放課後>シリーズ約15冊を全部読み返した。一冊45分で読める程度のボリュームだが、最近のケータイ小説よりは内容がある気がした。挿絵目当て小説。

10/6はリコール対象となったマイPCの無償修理のための引き取り日だったので、しかたなく帰京。

この週は毎日誰かと会っていた。みなさんありがとう。
・月曜…元職場のみんなと飲み。退職してから3ヶ月も経ったなんてとても思えなかった。
・火曜…元所属会社のみんなとイスラエル料理。フムスは英・米のよりおいしかった。塩加減かなぁ。
・水曜…TDL! 夜のハロウィンパレードさいこー! また行っても良い。でも行ける日が10/20しかない。やだやだダメダメ無理無理~
・木曜…大学院の友達に会いに&日本語教室の見学のため鶴間へ。これも遠かった。半蔵門線九段下から田園都市線中央林間まで乗り切る日が来るとは、夢にも見ていなかった。アメリカに戻ったら韓国系アメリカ人とLanguage Exchangeをする予定のため、今回見学したんだけど、なんか日本語を教えられる気がしなくなった…。相手は日本語ゼロの状態。どうなるんだ。
リコールPCが返ってきた。納品書によると、何らかの部品が足されている様子。使用感は全然変わらんぞ。
・金曜…大学の友達と飲み。こっちは1年ぶりだけど、そんな感じは全然しなかった。スラムダンクの話題になったときに、みんなそれぞれに好きな台詞を言い始めたのが笑えた。相変わらずだ。

10/11-13は再度帰省。今度こそADSLのセットアップを完了。でもWinMeマシンのスペックによる動作の遅さだけはどうにもならん。

10/14は元職場の人々と4回目の逢瀬。会いすぎ。TDLの写真をもらいがてら、高田馬場の「渡なべ」へ。ここは近頃珍しくなくなった豚骨+魚介スープ+魚粉。5年前なら素直においしいと思えたが、今は脂こくてつらい。豚骨イラネ。新高円寺の「旅の途中」が恋しい。または馬場の「ひまわり」が「やすべえ」から甘さを除いた感じでおいしい。

10/16は義理の母とランチ。小田急ハルク8Fの「六本木樓外樓飯店」。夜は高いがランチは日替わりが1200円程度、コースも2000円からと割とリーズナブル。上品な中華でおいしかった。特筆すべきはエビとズワイガニ、アスパラガスの塩炒めと前菜のチャーシュー、とろける杏仁豆腐。イサカでは絶対食べられない味。

今週末は再度前橋まで小旅行。できるだけのことをしてこようと思う。

7.10.08

日本にいるのに時差ボケ

ただの昼夜逆転生活とも言う。

先週は一週間帰省していたものの、殆ど引きこもって暮らしてしまった。我ながらさいてー。

実家ではやっとダイヤルアップからADSLに変更すべく、申し込みをしたんだけど、通信がつながらない。原因は、実家のPCがイマドキWindows Meという過去の遺物のため、LANの穴がなく、ADSLモデムに接続できないためだ。しかし、NTTから届いたフレッツ説明書には、LANボードかUSBやPCIカードとLANの変換器を買うようにと注意書きがある。そんなのがあるのにびっくり! だって、てことは同じ問題に直面した人が他にもいるってことだ。

無線対応ルータを買って何とかしようと思ったけど、いやー、高いね。Buffalo製品の本体と子機のセットで9000円。イサカでは知らないメーカーだけど親機が4、5000円程度というのに…。たぶん子機が原因だ。しかし、私のスキルではルータ越しにADSLモデムの設定ができず、結局、来週妹のPCを持ってもう一度帰省することになった。

ADSLの認証設定は、WinMe上ではできないので、ADSLモデムに行うしかない。。また、WinMeはSkypeが使えない!! もうね、なんというか…いろいろとショックでした。

ちなみに、私のPCはリコール対象商品のため、現在修理にだしている。

OSがVistaに変わってからXPの方が便利だったなーと思っていたけど、こうして妹のXPのPCを利用していると決してそうとも言い切れないなとも思う。WindowsUpdateの後に再起動を求めるダイアログが10分ごとに出てくるのを止められないとか、そもそも頼んでないのにUpdateを始めるとか、実にじゃまくさい。

早く私のPC返ってこないかなー。

21.9.08

で、あれほど切望した日本食ですが

これまで食べたものと言えば

・納豆、ゴマ塩、生卵、味付けのり
・ラーメン俺の空
・ネギトロ巻き
・ネギトロ丼
・吉野家で並・玉・味噌汁

である。ラーメン食べたらおなか壊したのがイタイ。ラーメンに限らず、洋食全般と揚げ物に手を出せない。消化が大変そうで。ちなみに吉野家も消化の観点からはイマイチ。

そんな私の必須科目は残すところ

・讃岐うどん
・鴨南そば
・鰻(帰省するから)

のみとなってしまった。うーん楽しみがないぞ。

18.9.08

遠かった…

イサカから約24時間かけて、無事に早稲田着。
イサカ-デトロイトは12列4席のちょー小さい飛行機。こんなの初めて乗った。さぞかしジェットコースターかと震えていたら、全然揺れなくて快適でした。まあ乗ってすぐに寝たから気付いていないだけかも知れん。デトロイト-成田もあまり揺れず問題なく過ごせた。つか食事と休憩中の1時間を除いてほとんど寝てた。NWは座席ピッチが広めな気がする。AFとVirginとしか比べられないけど。

京成ライナーとバスを乗り継ぎ、やっと到着。セブンイレブンでお弁当とシーチキンおにぎり買っちゃった。おいしかったけど、なんだかすごい眠い。これはやはり化調の仕業か? 

アメリカに毒されてるなーと思うのは、今やごみの分別が面倒で仕方ないこと。この食べ終わった弁当ガラやレシートはアメリカなら全部まとめてゴミに出せるのにーと思ってしまう。ちなみに、NY州は燃える・燃えないの分別はない。全部埋め立てる。そのほか、紙・ガラス・缶はリサイクルとして別回収する。

明日はコンタクト作って髪切って、週末に向けて準備。

9.9.08

パウンドケーキ再び

電動ミキサーとパウンド型を購入し、パウンドケーキに再挑戦することにした。

久々に作った際には、型の大きさをまったく考慮しなかったために材料が少なすぎて、厚さ1cmの焼き菓子が出来上がった。ケーキというよりもむしろビスコッティに近い感じ。二度目は材料を2.5倍にしたら、まあそれなりな見た目になった。

パウンドケーキはあまりアメリカンではない。マフィンの方がポピュラー。多分、カットするのが手間なんだと思う。そういえば、カナダではパウンドケーキのスライスがsliced muffinという名で売られていたなぁ。

レシピもちょっと違う。

私の知っているパウンドケーキ…バターをマヨネーズほどに柔らかくすることでケーキを膨らませる
アメリカのマフィンとかの焼き菓子…ベーキングパウダーと重曹で縦にも横にも膨らませる

なんたる手抜き。

また型がでかい! 私が買った型(ローフパン)は23cm x 13cm x 8cm (5 x 9 inch)で、日本のより縦横の1辺が3-5cmほど長い。型の高さはあまり変わりなく、口よりも底の面積が狭いので、ずいぶんつぶれた印象のケーキができる。容量は約1600 cc。

ちなみに計量カップは1カップ240 cc。日本のやつの2割増し。

私が買ったバターは、一箱2 lb (1 lb = 454 g)なのだが、中身が4等分され横長に個包装されている。ネット上のレシピには、2 sticks of butterなどと書いてあって、個包装をそのまま利用すればよい。また、小麦粉や砂糖などの大きな粉類はカップ表記、レモン果汁などはテーブルスプーン表記だ(親切なレシピではグラム併記もある)。

製菓の基本はきっちり計量することと思っていたから、このできるだけ計らないという姿勢は、ちょっと杜撰かなぁと思ったりして。That is America!


----自分用メモ
230g flour/ 2 sticks of butter/ 200g sugar/ 4 large eggs/ 350 F degree preheated, 80 minute bake->次回は温度あげて時間を減らしてみる

23.8.08

燃え尽き症候群

私個人には無関係のLLMのあるLaw school棟。
旅行から帰ってきて、英語教室が9月8日まで夏休みの今、やることがない。
8月頭に大学の寮に引っ越し、やっと家からネットに接続できるようになったはいいが、それと引き換えに徒歩圏内の娯楽を失った。このイサカにもともと娯楽なんてものはないのだが、下町から遠くなり、大学図書館からも遠くなると外に出る気がなくなる。しかも、今度の家はかなり快適なのが、私の隠遁生活に拍車をかける。

多分、この新居と外界との隔離具合は、サセックスのオンキャンパスに住んでたときのような感じだな。私がかつて住んでたところは、もう何て名前だったかも覚えてないけど。

コーネルは大学施設の付近ではワイヤレスLAN完備だ。そのためかパソコンルームはあんまりなく、学生は自分のラップトップを持ってきていることが多い。イサカ全体でもワイヤレスが盛んで、公共図書館でもただでワイヤレスLANに乗れるし、街の中でもカフェや洗濯屋はLightlinkという私営のワイヤレスLANに乗れることが多い。Lightlinkはたぶんイサカの家庭内手工業的なネットサービスで(COOは何と猫だ)、15分間なら無料で利用できる。月額でも9ドルくらいと安価。カナダやNYCにはこんなに無料の電波はなかった。田舎の大学ってのは、隔離されている分、ある特殊な分野で抜きんでていてもおかしくない。

現在、朝の7時前。すっかり夜更かししてしまった。このまま起きつづけて今晩早寝する作戦も、そろそろ厳しい年になってきた。眠らないともたないんだよなぁ。ここは寝ておくべきか…。

20.8.08

旅行4 ニューヨーク 8/13-14

the Statue of Liberty
the Statue of Liberty,
originally uploaded by Yukiko KAWASE.
モントリオールからの夜行バスは、途中2度下ろされた。一度は国境越えの入国審査、もう一度はよくわからないけど乗換地で30分待たされ、寝たような寝てないような気持ちで朝7時にNYCに到着。

ホテルに荷物を預け、自由の女神を目指してバッテリーパークへ向かう。像の島にはフェリーで渡らないといけない。朝9時過ぎのためか、噂の行列もなくすんなりフェリーチケットを購入。でもこの時にはすでに像の中に入るためのチケットは売り切れ。翌日分ならあると言っていたが、我々はスルー。足もとから眺めれば十分です。

11時前にフェリーで戻り(このときには、チケット売り場にはとんでもない行列が!噂どおりだ)、近所のウォール街を経由して、今晩のブロードウェイミュージカルチケットを取り扱う店へ。思ったより多くの劇が提示されているが、全然わからん。聞いたことのあるCHICAGOとhairsprayの価格を尋ね、30ドル安い51ドルで後者を購入。

しかし、NYは本当に高層ビルだらけだ。ウォール街はとくにビルの間隔もせまく、壁がそびえたっている様。wallもそこから来ていたりして。金融街ということもあり、ちょっと大手町ライク。

それから日本人横丁と呼ばれる地域へ。長野から取り寄せたそば粉で作った二八そば自慢の蕎麦屋へ立ち寄る。そばは、ひょっとすると私がこれまで食べてきたやつよりもおいしいかもしれないと思った。近所の日本食スーパーで鰹節を購入。鰹節は本当に存在しないんです。だし昆布や納豆、梅干しなんかはイサカでも買えるのだが。

夜にはブロードウェイへ。楽しかったけど、台詞が、歌詞が、全然聞き取れん。みんなが笑っているところで私も笑いたいなぁ。後から知ったがhairsprayは最近また映画化していたので見なくては。

最終日は連日の疲れから全然朝起きられず。なんとかチェックアウトし、昼ごはんに一風堂へ行ってしまった。単品13ドル。顧客のほとんどは日本人と思しき人。ラーメン屋もなかなかないから、NY近隣の人には重宝するかもしれない。しかし、個人的には数か月ぶりの豚骨ラーメンが非常に重かった。量も日本より多いかもしれないと思った。

そのあと、私がNYで唯一見たいと主張した国連へ。ガイドツアーで中に入れるが大人は13ドル。国連の1年の予算は、NY市予算の4%程らしい。収入確保に一生懸命なんだなぁと思った。MDGsの説明とかしてたよ。8/1から工事中のため安保理の会議場には入れず、実際に中を見られるのは総会ホールのみ。残念。

夕飯に吉野家で牛丼を食し(日本人少なし)、バスで5時間かけイサカへは夜中の1時に到着。お疲れさんでした。翌日は一日寝ていたのは言うまでもない。ネット環境最高。

旅行3 ケベックシティ8/10-12

ケベックシティは本当はケベック。ケベック州と紛らわしいのでシティとつけている。静岡県静岡市みたいなもんだ。

モントリオールから電車で3時間、駅に着いたらいよいよ英語がなくなった。フランス系の本拠地みたいなところか。街の定食屋では英語が通じないケースもあり、ケベック州にきたなーって感じがした。

ここは旧市街こそがまさに見どころで、丘の上の城壁に囲まれた街並みや石畳が歴史を思わせる。写真のお城みたいなホテルが風景の中心だ。泊まってないけど。

ここではメープルシロップソースのクレープ、メープルシロップソフトクリーム、メープルシロップ入りのクッキー、および飴を食す。あまり香りに癖がなくておいしかった。

まあしかし、さすがに足も疲れたし(旧市街は山だからね)そろそろ二度目の洗濯もしなきゃで、フライドポテトが恋しくなっていたのも事実。3日間の滞在のうち、新市街に降りて普通の街並みを眺めたり、マーケットでハンバーガーを食べたりした。ここのハンバーガーとポテトはおいしかったなぁ。

最終日は夕方に電車でモントリオールに戻り、NYCへの夜行バスのため1時間半並ぶ。これから約8時間の旅だ。

旅行2 モントリオール8/7-9

燻製ハムサンド
燻製ハムサンド,
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トロントを早朝に出発し、列車は一路モントリオールへ。移動時間は約5時間。

ケベック州はもともとフランス領で、英仏戦争ののちにイギリス領となった。現在は人口の多数がフランス系だが、少数のイギリス系が経済を掌握しているなどの事情もあり、British Commonwealthに属するカナダから独立する意向もある様子。州の公用語はフランス語。

そうはいっても、モントリオールはまだ英語圏だった。フランス語より英語を耳にした。生まれながらに二ヶ国語を話せる環境に身を置けるのはうらやましいなぁと思った。

さて、到着後はホテルにチェックインののち、さっそく写真のスモークハムサンドで有名なシュワルツへ。そしたらすんごい行列が。歩き方には、異国からはるばる食べに来る人もいるという記載があったが、そうかもしれない。ハムの量が多いのもうれしいし、おいしかったしね。

繁華街へ向かう。道すがら何件かの服屋に立ち寄り、イサカと比べてあまりにハイセンスなラインナップに感動した。デザインが素敵。また、どの店も夏のセール中で激込み。ただどこの店も17時閉店なのは、さすがケベック州(フランスの流れ)?と勝手に思った。

次の日はまず、近所の洗濯屋を探して洗濯。さすがに10日にもわたる旅行となれば、その分だけ服を運ぶのは面倒なので途中で洗濯する方針にしている。待つ時間1時間半ほどと長いけど、休憩タイムなのだ。

旧市街へ向かう。ここは昔の城壁に囲まれている地域が残っており、一つの観光名所だ。とはいえ、街は観光化されていてあまり楽しくない。それよりも昼に入ったビストロがよかった。3コースで20ドル弱。カナダはアメリカよりもデザートの質が高くてよい。

トロント、モントリオール、ケベックシティいずれも水辺の街だ。トロントはオンタリオ湖、モントリオールとケベックシティはセントローレンス川に面している。旧市街はまさに川の淵にあり、フェリー遊覧は定番コースだ。しかし、雨はだんだん本降りになってきたので、さっさと対岸の島へ渡る。

島にはF1のコースやバイオスフィアという水の科学館、カジノなど、昔のモントリオール万博の再利用がある。カジノはバカラやポーカー、ルーレットなどのテーブルをつかったところはおおおと思ったけど、フロアのほとんどはスロットマシンで占められていて、日本のパチンコ屋のような風景だった。

夜にはセリーヌ・ディオンが結婚式を挙げたノートルダム大聖堂で光のショーを見て帰宅。

三日目は近所のロワイヤル山に登る。お目当ての展望台は山の一番高いところにあると勘違いした我々は、とにかく高いところを目指してコースを外れてロッククライミングさながらの強引登山をし、正直遭難するかと思った。ちゃんと道なりに行けばあったのにね。歩き過ぎて疲れた。

旅行その1 トロント8/5-6

魚レストラン
魚レストラン,
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この夏はそうだカナダ行こう!ってことで、

 ・トロント…大都会だし
 ・モントリオール…憧れのモンレアル(雑誌「ふらんす」で現地エッセイが連載されてた)
 ・ケベック(シティ)…今年は建都400周年!
 ・ニューヨーク…イサカへ帰ってくるためには、NYからバス5時間

をめぐる旅をすることになった。期間は8/5-14の10日間。
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イサカからシラキュースまで運転練習を兼ねたレンタカーで2.5時間、シラキュースからバスに揺られること5時間でやっとトロントに到着。途中、レンタカーを乗り捨てる場所がわからず1.5時間ほどさまよったりもしたが、初の高速道路も右側通行も問題なく(時々、方向指示機が左にあることを忘れて、何度かワイパーを動かしたのはご愛敬)、まあそれなりに快適な移動であった。

トロントは、カナダ最大都市だけあって都会!高層ビルが建て込んでいたり、にぎわうレストランが多くあったりで、イサカで牧歌的生活を送っていた身には非常に刺激的だった。

カナダの安易なイメージで魚を食べたい! ってことで魚レストランへ。イサカではほとんどお目にかかれない美しい盛りに感動した。味は予想通りだけどね。実は、今回の旅行で一番高い食事はここだった。店の名前はフィッシャーマンズワーフ なんとかサンフランシスコ。カナダとは無関係?

カナダ唯一のメジャーリーグ球団であるBlue Jaysの試合を当日券11ドルで観戦。近くに座っていた熱いおじいさんとおそらくその女孫の観戦模様がおもしろかった。スポーツ観戦はやっぱライブで見たいもんだね。

そのほか街の中をうろうろ歩き、トロント大学を眺めたり、市役所を眺めたり、いつものスタイルで旅は続く。

28.7.08

ナイアガラ

ナイアガラその3
ナイアガラその3,
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大学の留学生向けイベントで、ナイアガラへ滝を眺めに行ってきた。イベントといっても、大学がバスをチャーターしてくれて、往復3000円で片道3時間半の移動を助けてくれるだけだけど。

ナイアガラの滝は、はアメリカ五大湖のうち西から4番目のエリー湖(上流)と5番目のオンタリオ湖(下流)の間をつなぐ、ナイアガラ川の中流にある2つの滝を指す。2つあるのは、川の真ん中の島が川を二つに分けているからで、滝の下流でまた川は合流する。

ナイアガラ川がアメリカとカナダの国境にもなっていて、上流側がアメリカ、下流側がカナダ。滝を真正面から見るならカナダへ行かなくてはいけないけど、今回のイベントでは国境を越えることは強く止められていたのでお預け。そんなわけで、写真はなんとか、横から眺めたものしか撮れなかった。

それでも、船に乗って下から滝を眺めてみた。近づくと滝しぶきが雨のように降ってきた。船に乗る前に青いレインコードをもらえるので、誰かの後ろに隠れていればそんなに濡れない。

下船後、アメリカ滝の真横を登ってみたのだが、むしろこっちのほうが大雨状態で、レインコートに隠れきれないズボンのすそやサンダルはびしょ濡れでかなり消耗した。水にぬれるだけなのに、どうしてあんなに消耗するのかね。不思議だ。

24.7.08

イサカの銀行

昨日の話の余談。イサカで口座を開いて早半月が過ぎたが、いまだにキャッシュカードが届かない。口座への預入や引出はどうするのかと思っていたら、預入は、窓口備付の用紙に記入してお願いすればいいのに対し、引出は自分宛てに小切手を切らないといけない。引出用の用紙はないらしい。 小切手帳を使い切ったら、新しいものを交付してもらうのに6ドルほどかかるとのこと。ページ数、そんなに多くないよ…。まあ、ほとんど利用してないけど。

午前中に英語を習って、自転車引きずって家について、洗濯物を抱えてさらに山を登るとさすがに疲れる。洗濯や乾燥を待っている間に居眠りしてしまう今日この頃。 原因は暑すぎるせい。晴れた日の12時~5時は、東京大手町のアスファルトの照り返しがきつい8月下旬の午後、みたいな毎日。雨もよく降る。山だから天気が変わりやすいのかね。イサカは思っていたよりも、気温も湿度も高い。

21.7.08

外国送金受け取れない問題

日本を出る前に、シティバンク銀行で円貨口座と外貨口座を開いておいた。彼の給与は円貨口座に振り込まれる。シティバンクはネット上で円貨口座から外貨口座に振替ができる。その外貨口座から、こちらイサカの地域銀行に開いた口座へ外国送金して生活していこうという算段だった。

なぜなら、イサカにはシティバンクは存在しないし、イサカの口座にはシティバンクがくれない小切手帳がついてくるからだ。

シティバンク銀行から外国送金するには、事前にどの銀行のどの口座へ送金したいかを届け出ないといけない。送金先を指定する申込用紙を発送し、無難に事前準備は終わった。そして先週、シティバンク銀行のWebページで外国送金の依頼ができた。Web上でも「正常に送金の手続きをしました」と現在状況が確認できている。

しかし、その後1週間たってもイサカの口座に振り込まれない! 結局、原因は送金先指定用紙に記入した口座番号誤りだった。というのも、口座番号を確認した小切手帳の記載が変だった。正確には変なフォントのせいで読み違えたのだ。

ヘルプデスクに連絡したところ、シティバンクから送金相手の銀行への依頼までは正常にできていたけど、依頼を受けた銀行側で口座番号が存在しないためエラーとなっていたらしい。よかったよかった。もし口座番号が存在して、うっかり振り込まれでもしたら、組み戻せるのか心配だったからね。

ところで、シティバンクからの外国送金は一回3500円の手数料がかかる。

一方、ATMでお金を引き出すにあたって、手持ちのキャッシュカードの銀行がPLUSやCirrusといったグループに属していて、ATMの銀行がそれらのグループに属していれば、他行のカードでもお金を引き出すことが可能だ。シティバンクの外貨口座カードはPLUSの表示があり、イサカに複数ある銀行はいずれもPLUSグループの引き出しに対応している。他行ATMから引き出す場合、手数料がかかるものの、2,3ドルだ。

…外国送金しなくてもよかったんじゃない? 送金先指定用紙を届け出し直すのは面倒なので、おそらく今後は、シティバンクの口座から手数料を払って他行ATMで引き出し→イサカの口座へ手で預入と、自力での資金移動をしていくことになるだろうな。

18.7.08

交通事情

イサカは車がないと結構不便。特に買い物。
  • スーパーへはバスで行くことも可能だが、運行は1時間に1,2本。
  • 掃除用具などのドラッグストア系雑貨、衣料、生鮮食品をすべて売る店がない。野菜や肉を取り扱うスーパーは独立店舗だ(各種雑貨に加え菓子、冷凍食品、ペットボトル、缶詰を売る店は存在する)。したがっていろいろな物を買いたいときには店をハシゴする必要があるが、広大な駐車場と3車線道路が店の間にあったりして、荷物を抱えて徒歩で移動するのはかなりつらい。
今の家の徒歩圏内にはオーガニック食品スーパーや夏季のみ開催するファーマーズマーケットがあるものの、来月に引っ越した後は徒歩圏内には多分何もない。 英語学校に通うこともあって、苦肉の策として自転車を購入した。しかしあまり自転車も便利ではない。
  • 傾斜のきつい坂が多い。今の家は丘(山)の中腹に、英語学校は丘の下の平地にある。行きは思いっきりブレーキをかけてそろそろ~っと下り(雨の日は絶対滑って転ぶ。晴れの日もいつか転ぶ、またはブレーキのゴムが摩擦熱で焼き切れると予測)、帰りは、文字通り、自転車を引きずって登っている。
  • 道が悪い。自転車は車道を走るのだが、遠慮して道路の脇を走ろうとすると、穴にハンドルを取られる。そのうち絶対転ぶ。
  • 冬は雪が降る。自転車に乗れるのか? 少なくとも、滑って転ぶ。

車はほしいが、とりあえずしばらくは自転車で様子見。でもNY州の免許は取ろうと思う。IDにもなるし。

15.7.08

英語学校へ

アメリカでは高校卒業程度の英語読み書き力をすべての人に与えるため、市区町村が無料の英語教室を開いている。で、今日から行ってきた。

内容は、日本の中学英語教育くらい。ただ、習う語彙にこれまで知らなかった日常用語や慣用句がぽんぽん出てきて、かなりショック。とにかく聞いて(読んで)覚えて口に出す、それを軸にディクテーションや文法をちりばめているような印象を受けた。

生徒は留学生の家族と移民が半々くらい。ほとんどアジア人。ビルマ出身の人から、祖国にいたら投獄される恐れがあるから渡米したと聞いた。なんとなく、この夏の台風の話には触れられなかった。

8.7.08

荷物届かない問題

夏服などのすぐに利用する身の回り品は、7/1に日本からEMSで発送しているがまだ届かない。

いわゆる不在票は7/2,3の二日間にわたってポストに入れられていたので、アメリカにはちゃんと来ている。

荷物を受取れなかったときは、郵便配達不在票に再配達希望日を記入したり、もし荷物を置いていってほしい場所があれば同じく記入したりして、またポストに放置しておくと、郵便配達員が持って帰って再配達をアレンジしてくれる仕組み。 土曜も郵便配達はされるとのことだったので、7/2の不在届に7/5(土)に再配達してちょ、と書いておいたのだが、いつまでたっても届かない! のちに判明したが、7/4(金)は独立記念日としてアメリカ全土が祝日なので、7/5(土)も連休だったらしい。一日棒に振った。

この問題は、その後7/8に荷物がやってきたことでようやく解決したのであった。

5.7.08

坂の上の雲

大学の中に渓谷があるとか
今日も今日とて大学へ。坂を登るのがつらい。坂の傾斜と自分の体の角度が45度以下になっている気がする。

この鍛練の途中に洗濯屋(コインランドリー)を発見した。我が家は食器洗濯機はあるが、洗濯機はない。アメリカ人は料理をしないらしいのでその優先順位は間違っている気がするが、ないものはしかたない。二日に一度ほどのペースでこの坂を登る必要があると思い至り、もう日本に帰りたくなった。

もう一つの問題として、家にはネット環境がない。ただこれは比較的楽に解決できて、そのへんを飛び交っている無線電波に乗っかればよい。大学の研究施設棟では大学のサービスで間違いなくカバーされているし(大学の寮の付近はびみょー)、街中でも、lightlinkというイサカの住民がホストを立てているサービスを利用できれば、15分間は無料でネットできる。月額8ドルで無制限に利用も可能。洗濯屋やカフェなど、頻繁にホットスポットを見かける。残念なことに家の中にいてはlightlinkの電波がとらえられないので、結局は大学へ行くか、洗濯しに行くかとなる。今の住まいは8/2までで、この後は大学の寮に入る。家にネット環境を設置するような工事はしないつもり。

大学にてSpouse IDカードを35ドルで作成。図書館で本が借りられる、大学のジムを利用できる、NY州の運転免許試験で学生証に準じた扱いをしてもらえる、という3点の利点があるが、どこまで使えるか…。

3.7.08

イサカは坂だらけ

シラキュースからタクシーで約1時間、イサカの住まいへ到着。日本であらかじめ契約を交わしておいたので、無事に引き渡しされた。一軒家を5世帯向けに分割してあり、それぞれにキッチンやバスルームが備えてある様子で、我が家は地下。

イサカの周辺は氷河の浸食によって、湖や丘(というか山)が続く地形で、家は他の多くの家と同じように斜面に建っている。日本と異なり斜面を削らずに家を建てているので、地下に住まいがある家は珍しくない様子。 あまりきれいな状態ではなかったが、備え付けの掃除機で許せる程度まで掃除を決行。なぜか掃除機は頻繁に石を吸い込み、手がしびれた。

彼が大学へ諸手続きをしに行くというのでついていく。 イサカにはコーネル大学とイサカカレッジの二校があるが、いずれも丘(山)の上にある。なんと学生泣かせな立地なんだ。えっちらおっちら登り、息切れしつつも10分ほどでコーネル大学の入り口に到着。

大学の敷地内も、うすうす感じてはいたがやはり丘(山)のアップダウンがあったり、とにかく広かったり、普通に車道が走っていたり(当然地域の路線バスも走っている!)体力がいくらあっても足りなそうな印象。手続きをするISSO(留学生の世話をする部署)の事務室もこれまた遠くにあって大変だった。 この日はイサカの銀行に口座を開いた後、イサカ市内唯一のショッピングモールへ行き携帯と布団と枕を購入し帰宅。

2.7.08

いざ米国

成田から、乗換地のデトロイトまで11.5時間、デトロイトから最寄りのシラキュースまでさらに1時間、待ち時間を合わせると都合約24時間の旅を経てアメリカにやってきた。

デトロイトでは約5時間の乗継待ち時間があった。これ幸いとアメリカの大きさや安さ(主に食事においてのそれ)を楽しもうとラップサンドを食べてみたのだけど、量もCPも日本の大盛り・得盛り程度でやや拍子抜けだった。しかもかなり薄味で、かろうじて塩胡椒の味が感じられるほど。スタバのホワイトチョコレートモカは頼んでないほど甘かったのが対照的であった。

デトロイト空港ではターミナル内を無人モノレールが走っていた。 この日はシラキュースの空港そばのホテルで一泊。




8.6.08

一段落

一昨日をもって勤務が終了し、退職日までは有給休暇として過ごす日々となった。今日はまだ日曜だから、これまでとの違いをあまり感じていないが、明日からは不思議な気分になりそう。とはいえ、明日は本社へ出る必要がありそうだけど。

金曜は職場の人々に挨拶しながら、人に恵まれた職場だったなぁとつくづく思った。そういえば先日の歓送迎会で上司が送ってくれた言葉が印象的だった。

Youth is not a time of life; it is a state of mind
(青春とは人生の一時ではなく、心の持ちようである)

Samuel Ullmanの詩の一節で、古くはマッカーサーにも引用されているとか。全文を探したらよかったので、以下に貼り付け。

YOUTH

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a body of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

5.5.08

GW

飛び石連休もなんのその、前半4連休後半4連休と怒濤のGWを満喫してきたが、残すところあと1日になってしまった。

前半は実家に帰り、例のごとく鰻屋へ。鰻の稚魚の輸入量が減ったせいか、行きつけの持ち帰り店では白焼きが1尾1200円まで値上がりする予定とのこと。値上げ前の駆け込み購入だったため、今のところは900円だった。10年前は750円程度だった記憶があるが…。
外食では引佐の〈清水家〉へ行ってみた。事前調査なく、偶然店の前を通ったために立ち寄った。鰻重並(2400円)を食す。鰻はとろけるような感触で、柔らかさは私がこれまで訪れた店の中では随一だ。ご飯は非常に多かった。重箱の底から1cmくらいの厚みに敷き詰めてくれれば十分だが、ここは重箱の半分から3/4くらいまで埋まっていた。肝吸の肝は〈あつみ〉と同様に焼かれていないもので、新鮮だった。
どこの鰻重がおいしいか、という問題は、どこのラーメンがおいしいかというのと似ていると思う。答えは、好み、これにつきる。鰻がやわらかく蒸してあるか、やや焦げ目があり香ばしいか、たれは甘めか塩辛いか、ご飯に多くかかっているか否か、肝吸の具は何か、肝は焼いてあるか否か、お新香にぬか漬けはあるか否か…。ポイントはいろいろある気がする。

後半は母が上京してきたので、一緒に観光。東京国立博物館で開催中の薬師寺展へ行ってきた。日光菩薩立像と月光菩薩立像の両像が、ともに東京に来るというのでNHKで特集番組が繰り返し放映されていた。そのためか、とんでもない人混み。40分待ちだった。とはいえ、きちんと解説を聞きながらじっくり仏像を見るのも楽しいものだ。なめらかで肉感のある半裸像を6~7世紀に鋳造という技術でよく作り上げたなあと、不思議な気持ちになった。常設展には、聖観音菩薩立像のレプリカが飾ってあったが、肌や絹の質感がイマイチだった。

あとはダーウィン展に行きたいなぁ。

30.3.08

のどかぜ

気がつけば、もう3月も終わりではないか。

水曜の終業後からやけにのどが痛いなあと思って過ごしていたら、金曜の朝、ついに声が出なくなった。電話ヘルプデスクである仕事には致命的な症状のため、しかたなく休みをもらって最寄りの内科へ。のどを見せろという医師に従って口を開けたら、「あー、真っ赤だねー」と言われてしまった。さらに、いすに座って状態を前に倒し、顔だけ前を向いた状態で(口から食道まで水平にされたのだ)のどの奥を見てもらうと、腫れてるねー、とのこと。咽頭炎に喉頭炎を併発しているとの診断であった。咽頭は扁桃腺などのあたり、喉頭はもっと奥の声帯の付近を指すらしい。声帯あたりが腫れてるので、こすれて咳が出たり声が満足に出せなかったりするらしい。また、声帯のあたりはうがい薬が届かず直接作用させる薬は少ないので、処方する薬を飲んでとにかく黙ってろ、というジャッジであった。処方してもらった咳止めは、最近は縁遠くなっていたにがーい薬だった。

医者への行き帰りに大きな桜の木の脇を通る。すでに満開に近づいてきていた。ここの桜の花は56輪まとまって咲いているためか、遠くから眺めるとぽわぽわの丸いかたまりが枝にたわわに実っているように見える。彼に「ぽんぽんしてるよ」とさんざん伝えたが、どうもわかってもらえない様子。残念だ。

17.2.08

何か予定があるのっていいね3

先週の金曜にプロントでちょっと飲み過ぎたせいか、昨日土曜は一日中へばっていた。宿酔いという感じではなかったが、とにかく胃もたれが激しい。今日は大学院仲間の飲み会だったので、断酒を心に決めて出陣。

開発から離れて(というかそもそも接点がほとんどなかったが)、みんなの話もどこか別世界のように思えたりもする。でも皆、自分の世界で奮闘していて、その真剣さが伝わってくるのがとてもいい刺激になる。働くことに真摯である人と接することができるのがうれしいと思う今日この頃。

赤ちゃんもかわいかったなぁ。

何か予定があるのっていいね2

2/9 広島一泊旅行1日目。この旅行は、昨年12月で失効するマイルを有効活用するべく急遽計画されたもの。でも手持ち マイルが少なくて、行けるのが国内か釜山のみであった。そりゃ国内だ。また、国内線のマイルは3/10くらいまでの搭乗分にしか適用できなかったから、や むなくこの3連休に焦点を当てたのだ。そしたら、全然席がない! いや、普通運賃の席はあって、特典マイルの割り当て分がないってことだと思う。そんなわ けで、広島しか行けなかった。結果として、広島で良かった。

羽田から1時間半のフライトで広島空港へ。そこから広島市内まではリムジンバスで50分。移動中は雪が降っていたが、市内に着いたら晴れ間が見えていた。寒かったけど。

まずはお好み焼きを食す。広島風はそばをぎゅっと押さえつけてくれるので食べやすい。その店は素材に気を遣っていると評判で、麺もゆでおきではなくその都 度ゆでて炒めてくれた。私は肉そばイカ天を注文。イカ天てイカの天ぷらじゃないのが驚きだった。酒のつまみにあるような、お菓子みたいなアレだった。これ が入っていると、うまみや風味は増すんだけど、全部もっていかれる感じがした。基本の肉そばを後から食べると、なんだか物足りないというか…。

彼にはこれが初めての広島だったので、日本人としては一度行かなくては、ということで平和公園へ。私は中学校の修学旅行以来とはいえ、展示内容なんてまったく覚えてなかったので似たもの同士だ。展示内容は広島の歴史、原爆投下の理由、投下時の映像、原爆投下の影響や遺留物、世界の原爆保有状況や戦後の原水爆実験と展開する。途中で何度か涙が落ちそうになった。たまらないね、ほんと。どうして人を殺そうとするのかね。私は殺されたくないと思ったよ。ただ、戦争なんて体験してないし、紛争が頻発しているこのご時世でもできれば見聞きも体験もしないまま生涯を閉じたいと願っているけど、知らなきゃいけないこともあると思った。
入場料は大人が300円だったのも印象深い。

広島近辺では筆作りも盛んらしい。大阪や京都へ出稼ぎに行った人々が、筆を作る技術を持って帰ってきたとの話。今ではその技術を生かして化粧筆も作っている。
熊野筆センターで数本購入。落ち着いたら、万葉仮名とか習いたいなぁ。

夜は魚が自慢の割烹へ。広島は瀬戸内海の魚が多く獲れるところで、このお店ではカタクチイワシと夜泣き貝の刺身が目玉とガイドブックに書いてあった。その通り、どっちもおいしかった。カタクチイワシは鮮度が落ちるのが早くて、アンチョビに加工されてしまう。生は初めて見た。小さな鰯なので塩焼きでも、丸揚げでもおいしいらしい。牡蠣はポン酢和えと牡蠣フライをチョイス。牡蠣フライはもう一度食べたいくらいのおいしさだった。穴子の塩焼きは、寿司屋で頼むのとは違ってふわふわで、口の中でほどける感じ。ネギトロ巻きはブロックのトロをその場でたたいてくれて、海苔巻きをへたに持ち上げると落ちてしまうほどとろとろだった。トロってとろとろだからかねぇなんてつまらない話をして笑ったのであった。いやー、おいしかった。

帰り道、かわいいケーキ屋があったので立ち寄り、アップルパイとシブーストなどを購入。生チョコの名前がPave de Tram(電車の敷石)てのが、広島ならではでいいなぁと思った。これもおいしかったな。

2/10 広島旅行2日目。この日は我が目的である宮島、厳島神社へ。広島からJRで25分ほど揺られて宮島口駅へ。宮島口駅前であなご飯屋へ。朝10時開店で、10時半の入店だったがすでに行列あり。15分ほど待って、白焼きとあなご飯を食す。鰻のイメージを払拭しきれなかったなぁ。この店は弁当も売っているが、実は冷めた方がおいしいらしい。リサーチ不足であった。


フェリーに乗り換えて10分。宮島は島一つが信仰の対象だったらしい。
折しもこの日は牡蠣祭りが催されていて、どこもかしこも激混み。それでも、桟橋から厳島神社までの徒歩約10分の参道を往復する途中、もみじまんじゅうを5個ほど食べた。店によって甘さが全然違う。中には「揚げもみじ」なんてイロモノも…と思ったら、これが意外なほどおいしかった。質の良い揚げパンてとこか。そのほか、あちこちで焼き牡蠣や薩摩揚げの長いやつを屋台売りしていて、牡蠣の店の前には必ず行列があった。もちろん並びました。

数年前に厳島神社は台風の被害に遭ったとニュースになっていたが、すっかり修復されていた。満潮の時がもっとも美しいらしい。この時は午前11時半が満潮とのことで、我らの到着時間ちょうどであった。海はいいね。憧れの水上コテージみたいなもんだ。干潮の時は、沖の大鳥居まで歩けるらしい。それはそれで見てみたかった。この日はとても暖かくて、30分ほどぽけーっと海を眺めてしまった。

帰り道、牡蠣祭りをちょっとのぞいて、路面電車で約1時間かけて広島まで戻る。お好み焼きを食べたり(これは麺が全然固まってなくて焼きそばであった)、うろうろしたりでリムジンバスを待ち、帰路につく。フライトも無事に終え、午後10時頃帰宅。いい旅だった。

去年映画化された「夕凪の街、桜の国」を読み返して、現代の広島を重ねてみると感慨深いものがあった。映画館へ見に行けば良かったな。

何か予定があるのっていいね1

ここんとこ毎週何かの用事があって、楽しく過ごしている。

2/2 ミュージカルWickedを見に汐留へ。ミュージカルを見るのは、一昨年の秋以来。今度はブロードウェーでも高評価を得ているものだし、妹もいいと言っていたしで結構期待して行った。そしたら、すごくよかった。音楽はいいし、演奏が生なのにも驚いた。歌が多いけど、歌詞もちゃんと聴き取れる。泣きすぎてハンカチが濡れてしまった。
ストーリーは、オズの魔法使いに出てくる「南の善い魔女」と「西の悪い魔女」がいかに善い、悪い魔女になってしまったかを追っている。で、「Wicked(邪悪)」てこと。でも作者は
オズの魔法使いの作者ライマン・フランク・ボームではない。wikiによると、オズには複数の作者がいるらしい。Wickedは言うなれば事実上公式扱いを勝ち得た二次創作だね。

2/3 KANのコンサートのため横浜へ。この日は大雪で、つるつるすべりながら道を歩いた。コンサートでは、前半に私の好きな曲が3曲ほど立て続けに演奏されたのでかなり満足。後半は80年代のライブを思わせる選曲、振り付けで、ビデオでしか知らない世界に立ち会えたのがうれしかった。KANはもう45歳なのになぁ。

1.2.08

ついに3ヶ月後となった

おめでたじゃないよ。

5月末で退職する旨を直属の上司に伝えた。早すぎる気がしないでもなかったが、もう一つ上の上司が人員確保の問題から、3ヶ月前には言ってくれろとつっつかれていたのだ。就職して2年半とちょっと、あっという間だったな。
入社して、本社での研修期間は緊張の毎日で、よく鉄臭い汗をかいたもんだ。ストレスがたまると、汗の成分が変化するらしいぞとの情報をネットで調べたことが懐かしい。
3ヶ月後に今の職場に配置が決まり、電話をとることにびくびく過ごした。結構長い間そうだった気がする。ベテランの先輩たちと比べて、自分のできの悪さにため息をつく日々。
そのうちに別の商品も扱わせてもらえるようになり、今やそれなりに戦力になれたと思っている。
残りの日々は、できるだけ恩返し…でもないけど、後の人が少しでもやり易いようにしておきたいなぁと思っている。

明日は劇団四季のWicked、明後日はKANのコンサート、来週末は一泊旅行と盛りだくさんだ。早く寝なきゃ。

19.1.08

明けました。

今年もよろしく。

最近は寒いので何もしていない。「布団にこもってネット」率が60%を越えている疑いがある。先週の3連休は2日ネット1日外出だった。

16日にBank Bandの新譜「沿志奏逢2」を購入した。KANの「何の変哲もないLove Song」の収録でわくわくして聞いたのだが、再生して30秒でプレイヤーを切ってしまった。元の曲はたぶんピアノ一本の曲なのだが、今回のはボサノバ風アレンジが効き過ぎて、元の曲の切なさが全く消えてしまっている。軽すぎ。さいてー。これならDVDの方がいいや。そのほかの収録曲も、一昨年のap fesで演奏したものが多いが、どうしてアレンジを変えてしまったのかと頭を抱えるものばかり。いまいち。