30.6.10

帰り道

朝4時40分にタクシーを呼び、Mass Pikeを通ってローガン空港へ。朝焼けの中に映るボストンのビル群の影が美しかったが、デジカメをどこにしまいこんだのか全く思い出せず。発券もセキュリティポイントも早朝だというのにめちゃくちゃ混んでいて、ゲートについたときにはすでに疲労困憊であった。

搭乗を待ちながら、ダンキンドーナツで最後のアイスコーヒーとドーナツを食す。ここのアイスコーヒー、一番小さいのをくれって言っても出てくるのはスタバのventiサイズなんだよなぁ。しかもミルクと砂糖を入れてと頼むと、本当に砂糖を入れてくる。じゃりじゃりしたアイスコーヒーに当初は面食らったけれど、慣れてくるとかなりハマったもんだ。ダンキンのドーナツはグレーズドでないのを選べるのも良かった。いつまでもクリスピークリームに負けないでほしいな。

てなわけで、ちょうど2年間に渡るアメリカ生活も終わり、ついに帰路に就いた。成田-ボストン間は直行便がないため、どこかしらで乗り継ぎをしなくてはならない。みんなの評判がよく、和食の機内食にも期待できる全日空にしてシカゴを経由地とした。そしたら、シカゴでは乗り継ぎ便が2時間遅れるとのアナウンス。ひっきりなしにお詫びの放送が流れ、$10分の食事券までもらってしまった。そんなにしなくてもいいのに。日本的だ。おかげで、W杯で日本が決勝トーナメント進出をかけた対パラグアイ戦をPKまで観戦できた。遅延してくれてむしろどうもありがとう。試合観戦に興奮しすぎて、夫は多くのクレジットカードを納めたiPod touchをケースごと落とし、搭乗直前に名前を呼ばれているのをやっと気づく始末。最後の最後までこれだよ。善意ある人が拾ってくれてよかった。

初の全日空は、赤ちゃん連れの人の隣だったので前は壁で足が伸ばせるのはいいのだが、座席が狭い。個別のモニタがついていて好きに映画が見られるのはよかったが、座席の狭さはいかんともしがたいね。機材がへぼいと悪評高いNWやデルタの方が座席が広い分いいなぁ。同じボーイングなのに、米系とのこの座席の広さの差はどうだろう。そういえば、最近はなぜか座席に恵まれていて、今回のボストン-シカゴ間もエコノミープラスで一番前だったし、ちょっと前にDCに行ったときも選んでないのにエコノミープラスだった。いずれもユナイテッドだけど、謎だ。

無事に成田についたら、案の定、湿気がひどい。そしてエアコンが弱い。日本らしい臭いを感じることはできなかったけれど、暑いのはすぐにわかった。気温はボストンより断然低いのになぁ。湿度恐るべし。

29.6.10

最終日

先ほど引っ越し荷物が搬出されていった。家具が残っているのと引き続き床を占有するスーツケースのせいで、部屋はそれほど寂しさは感じない。しかし、冷蔵庫を開けると寂しさがぶり返す。残り一つになったクッキーアイスクリーム、夫が出かけているうちに食べてしまおうか……。

洗濯待ちをしながらNEDvSVKを観戦していると、オランダの本気が伝わってくる。両チームとも選手がでっかいのでいつもよりフィールドが狭く見える、というのは言い過ぎか。

昨日は最後の晩餐にチャイナタウンの〈East Ocean City〉へ。思えばこのレストランも何度も来たなぁ。ゲストがボストンに来るたびに、醤油味のロブスター炒めにボストンらしさを感じると伝え連れてくるのだが、その実一番ここで食事したいのは自分たちである。そんなわけで、いつものロブスター炒め、ソフトシェルクラブフライ、福州炒飯と、チャレンジメニューとしてトムヤム風貝の煮込みを食す。いつもの料理はいつも通りおいしかったのだが、特筆すべきはトムヤム風。アメリカでは珍しく、正しいトムヤンクンの味がした。ボストンのタイ料理はアメリカ風味がひどく、とにかく甘く、辛みがない。以前どこかで食べたトムヤンクンは甘いトマトスープであった。本物はトマトは入っていないと思うんだけどなぁ。ぶつ切りロブスターは相変わらず非常に食べにくかったけれど、これが最後の外骨格かーと思いながら殻をしゃぶるのもなかなか乙な感じであった。

明日、8時前のフライトでボストンを発つ。2年間なんてあっという間だったな。アメリカで出会った多くの人に感謝しながらも、あと2回、洗濯機回さなくちゃ。

22.6.10

日帰りケープコッド

自動車の引き取り手もまだ見つからないまま、ボストン最後のドライブはケープコッドを目的地にした。当然日帰りである。

ケープコッドはMA州の南、海に向かって大きく腕を曲げているような形の岬で、ボストンから腕の根本までは約1時間弱、そこから指の先のプロビンスタウンまでは1時間半の距離。cod岬の名前の通りかつてタラが豊富に捕れたこの一帯は、今では海水浴客でにぎわうリゾート地だ。

初めに目指したのはイギリス風の農村のようなサンドイッチ。水車小屋のある池の畔にガラス工芸館がある。日本へのお土産探しのためにここに来たと行っても過言ではない。水差しやグラス、花瓶、アクセサリーとどれもステキであったが、価格もかなりステキ。結局、無難にコースターを購入した。帰国後、渡した人からは好意的な感想が聞かれたのでよかったけれど。私はよく夜店で売られているような小さなガラス人形、特にロブスターとタコが気になったが、こういうのって買ってもすぐどっかに紛れちゃうんだよねー。と思ってやめた。

ケープコッドの先まで続く6号線には、旧街道の6A号線が平行に敷かれている。行きは6A号線で森の中を進み、時折展望台に立ち寄ったりした。しかしながら、交通量が多いね。月曜だってのに、観光客がたくさん。たぶん、これからもっともっと混むのだろう。

途中で6号線と合流し、ケープコッドの大西洋側に広がる国立海浜公園のビジターセンターへ向かう。このラインはずっと海岸が続くのだが、場所によって管轄が国だったり、州だったり、町だったりするようだ。立ち寄った限りでは、州の管轄地がシャワーなり更衣室なりの設備が整っている様子。

大西洋の海は冷たく透明できれいだった。南の海のような暖かみはあまりないが、硬質な美しさを感じた。ただ、泳ぐにはちょっと冷たすぎたかなぁ。かなりにぎわっていたけど。


岬の先のプロビンスタウンは、かつてイギリスのプリマスを出航したピルグリムファーザーズが1621年に到着した場所。そう思うとなかなか感慨深いね。それを記念して1900年頃に建造された展望台に登ると、ケープコッドの先の先、陸地に向かって円を描く岬の様子が見られる。また海岸近くの沼地や大西洋側に堆積する砂丘など、様々な風景が一望できておもしろい。ここはボストンのバンカーヒルモニュメントと違って、階段ではなくスロープで登れるのが楽。国立公園でないので有料ではあるが、登る価値がある展望台だ。

町歩きも楽しい。ポルトガルと何らかの縁があるのか、町中にポルトガル国旗が飾ってあった。この日の朝、サッカーW杯でポルトガルが勝ったのでひょっとしたら午前中は盛り上がっていたかもしれない。町の中心部に二軒あるアイスクリーム屋の一方でスムージーを頼んだら、本物の果物を使っていて感動した。おいしかったなー。また数あるおみやげ屋の中にがらくたと言っていいほど雑多な物を取り扱う店があり、ついつい入り浸ってしまった。木でできたブイ(ベンチの背もたれの上にいっぱいのってるやつ)、ほしかったなー。お財布様に強く反対されて諦めた。まあね、がらくたなのは認める。


灯台は4つほど巡った。そのうち一つは、Cape Cod Chipsというポテトチップスのパッケージにもなっているもの。そういえばこの近辺にはそのポテトチップスの工場があって、見学ができるらしかったがスルーしてしまった。アメリカの灯台って、ときどき家っぽいのもあるのが不思議。

海水浴もせず、かなり駆け足のケープコッド行脚は往復で250マイルであった。長距離ドライブ旅行の直後だったし、250miなんて平均的な距離だと高をくくっていたけれど、その翌日は疲れてしまった。観光とドライブと両方あるとやっぱ大変かもと思ったのであった。

20.6.10

Red Sox観戦5回目

 MLBはインターリーグ戦の真っ最中でこの週末は対ドジャース3連戦。来週からRed Soxはロードに出てしまうため、観戦できるのはこれが最後のチャンスである。日曜に元広島の黒田が先発する姿を見たかったが、コンサートの予定があるために土曜のデーゲームの当日券を狙うことに。

当日券を買いに夫に並びに行ってもらい、私は悠々と大臣出勤。このドジャース戦は、かつてRed Soxにいた「いい選手だけどとんでもない問題児」のマニー・ラミレス君がドジャースに移籍した後、初めてのフェンウェイ凱旋とあってかなりの注目カード。普段、チケット売り切れが当たり前のヤンキース戦と同じ状態であり、当日券を買うための整理券が配られたほどだったらしい。が、なぜかその整理券を配っていたスタッフが、外野席のチケットならあるよと言ってくれたという。個人売買!? 購入できたのでラッキー。

普段は並ぶと、開場2時間前にGate Eの当日券売り場で発売開始し、その場で購入してすぐに入場することになる。過去の経験からすると、たいがい内野席の後ろの方(グランドスタンド)になる。外野に比べれば近いんだけど席がめちゃくちゃ狭かったり、スタジアムの柱に邪魔されたりするのに$50からなので、ちょっと割に合わないかなあとも思っていたのだ。外野は$25くらい。まあ選手が遠いと言えば遠いけれど、人間の肉眼はなかなか優秀であり、狭いフェンウェイパークではそれほど小さく見えない。それに、外野席の最大の醍醐味は人間味溢れる観客の応援を見られることだ。悪い言葉が飛び交うのも一興である。

今更ながらフェンウェイパークにまつわるいろいろを見てきた。ひとつは2004年と2007年の優勝トロフィー。電器会社Best Buyの協賛で、トロフィーと記念撮影してその場で写真にしてもらえるのだ。2004年の優勝は確か40数年ぶりで、ドラマ「アリーmyラブ」でもこれにまつわるエピソードがあった覚えがある。 それからジミー少年とテッド・ウィリアムス像。08-09の「地球の歩き方」の表紙にも登場していた。小児ガン患者への支援をするJimmy FundとRed Soxがパートナーシップを結ぶきっかけになった、テッド・ウィリアムスの病気の子供への支援を表している。



球場の周りではFM局が宣伝を兼ねて「K」の文字が入った紙を配っている。投手に三振をとるよう鼓舞するのに掲げたりするわけだが、今回はその裏面に 「Who needs Manny?」の文字が。企業が一個人を攻撃する文章を入れたチラシを配るのはアリなのか? まあいいか。ドジャースファンの人はこれを切り貼りして「need Manny」にしていた。

試合では、このマニー君は4番で出場し、ヒットを打ったりホームランを打ったりと大活躍。ヘルメットから溢れるアフロの後ろ髪が風になびいていた。 問題児だけど4番だけあるなぁ。名前を呼ばれるたびに、外野は大ブーイングと大歓声がわいた。Red Sox側もいい感じで打っていた。が、守備はエラーが目立ったなぁ。2アウトでショートゴロとなった際、外野も含めてベンチに戻る姿勢でショートがファーストに投球したら、もうね、大暴投でしたよ。ファーストではないところに飛んでいった。ちゃんと目の前の仕事に集中して、終わらせてからベンチに帰んなさいよ、と思った。仕事には集中しなきゃいかん。まあ最後に、夫がTシャツを買ったペドロイヤ選手がサヨナラヒットを打って勝ったのでよかったよかった。もみくちゃにされるペドロイヤ君。骨折に注意!


今シーズンは観戦したゲームでは全部Red Soxが勝ったのでよかった。去年、観戦を始めた頃は毎回負けで「デスノート」かと悲しい気持ちになっていたのだが。

最後に残念なのが、私がTシャツを買ったEllsburyがケガ(しかもRed Soxの選手に踏まれてできたケガ)から未だ復帰できていないことと、調子が戻ってきたオルティスのヒットを見ないで終わってしまったこと。テレビを見てるとオルティスはホームランを打っているのに、前日の試合でも打ってるのに、この日はノーヒットでした。やはりデスノート……

まあとにかく、野球観戦を存分に楽しんだ1年であった。次の目標は、ピッチャーの投球の種類を見分けるのと、次に登板してくる投手の予想。まだまだ先が長いなぁ。

18.6.10

帰国前だからか微妙な興奮状態に陥っている

旅行から戻ってきて新居が東京に決まり、やっとこさ荷造りを始めた。完全に閉めてしまった箱はまだ一つしかないが、あと数箱で済みそうな予感。DVDのタイトルをいちいちリストに書き記さなくてはいけないのが面倒だなーと思っていたが、それすら用紙1枚も埋まらなかった。家財道具一式は引き継ぐし、文献も音楽もみんなデータで管理できるのが大きい。生きていくのに持ち物は少ない方がいいが、帰国直前ゆえに湧いてくる物欲との矛盾に悩む。

食材が微妙に底をつきかけているのも問題だった。7kg弱のお米を買ってもまず食べきれないので、ここにきて2kgの白米に2lb分の玄米を購入。玄米はアメリカでは結構ポピュラーで、総菜のスシでもよく使われているのだが、私は玄米を食べたことがなかった。もちろん、調理したこともない。こんなとき、ネットは便利だね。一対一で混ぜて炊いてみたところ、若干歯ごたえが残るもののそれが返って新鮮な食感で、なかなかおいしかった。去年の今頃、日本人家族4組が集まったときに、五穀米のように白米にいろいろ混ぜることの可否について大激論になったことを思い出す。昔の人がありがたがった白米にどうして今更白米の代替物ですらあった麦や粟、きびなどを混ぜたがるのか理解できないとする男性陣と、栄養・見た目・物珍しさ・メニューのバリエーションなどの様々な側面から白米への混ぜ物はアリとする女性陣とにはっきりと意見が分かれた。私は混ぜ物はやっぱりアリだと思うなぁ。

ところで、今日はNBAファイナルもファイナル、決勝の最終戦だ。我らがセルティックス対レイカースでどちらも3ゲームずつ勝っている。試合開始は9時で、スポーツバーで観戦すべく7時過ぎに入店したら既にテーブルの空き待ちが必要であった。みんなこのゲームを見に来ているわけで待っていてもテーブルが空くはずもないので、近所の〈Soul Fire〉へ移動。南部風味のフライドチキン、チキンウィング、BBQリブを食べたら肉の脂にノックアウトされた。鶏肉も豚肉も柔らかくジューシーで火の通り方は完璧、4種類の店のオリジナルBBQソースもその辺のソースとは一線を画した複雑な味わいで持ち帰りたいほど。だが、ちょっと一気に食べ過ぎたなぁ。野菜も頼まず、ひたすら肉をがっついてしまった。アメリカで食べなくてなくてはならない・食べ残している料理の筆頭であり念願のスペアリブ、もうちょっと万全な体勢で臨むべきであった。帰国したら必ず行くであろうラーメン屋への準備にあたって教訓にしなくては。

で、帰宅して家でテレビ観戦をしているのである。第3クォーター残り8分で46-37、セルティックスのリード。得点低っ!

とか思っていたら負けた……。しょぼん。セルティックスはよくがんばったよ。 NBAファイナルに行けるかどうか、旅行中もプレーオフの結果は見てしまったもんなぁ。私的に一番盛り上がったのはキャバリエとの最終戦だったけど。

17.6.10

オレゴン州でしめくくり CA・OR・WAの旅 その9(完)

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 5/18-6/8のカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州の旅行を振り返る
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▼6/6 sun

今日も雨。ポートランドは雨で有名な都市らしいが、この旅行中の雨率の高さからしたらもうどうでもいい。日曜の朝は街の中心部はがらがら。ここは公共駐車場の料金がめちゃくちゃ安いし、町中にバスと路面電車が敷いてあり、自動車なしでらくらく移動できる。また自転車の利用も強く促進されていて、路面電車にも自転車ラックがあるほど。オレゴン州は道路を走っていてもみんな厳格に規制速度を守るし、遵法精神が高いように思う。よく道も譲ってもらえるしね。ボストンとはえらいちがいだ。

街の中心のモニュメントは高等裁判所。現役で使われている裁判所である。平日はツアーで内部見学ができるらしいが、この日は残念ながら日曜だったため外から眺めておしまいだ。街の北東にあるチャイナタウンへ移動し、念願の飲茶を食す。が、出てくる物がみんなアメリカンな中華であった。夫はこれが初飲茶だったので、いろいろ持ってきてくれるワゴンに大興奮。調子に乗ってたくさんもらってしまい、あっという間に限界に達していた。餅米のダメージがでっかいちまきは先に頼んじゃいけないのである。精算を済ませた後に豆腐花が出てきたのがショックであった。急いで食べ過ぎたなぁ。

街歩きが楽しい北西地区に移動し、オレゴン一の広さを誇る本屋を覗いてみた。本屋のにおいは落ち着くね。もしこの辺に住んでいたら無意味に通いそうな広さであった。アメリカにはなかなか大きな本屋はないし、アマゾンで割安で購入できるために、本屋からはずいぶんと足が遠のいてしまう。寂しいもんだ。その代わり図書館はそこそこ充実しているけどね。

とにかく大雨だったので、ポートランドでは必ず訪れるべき! なバラ園にも行かずに終わった。ちょっともったいなかったかな。でもその気持ちをくじけさせるくらいの大雨であったのだ。

さて、この後は東へ向かう。ワシントン州とオレゴン州の州境はコロンビア川。大手アウトドア用品店のコロンビアはここオレゴンが発祥の地である。ちなみにナイキも。で、このコロンビア川が美しい峡谷を刻んでいるのとその周辺に多くの滝が見られるらしく、渓谷好きとしては立ち寄らないといけないと思っていたのだ。

何度も言うけど、この日は雨。結果として、コロンビア川峡谷はぜーんぜん見えなかったです。場所によってはかすかに、相当びみょーに浸食された河岸の影が見えて、こりゃ晴れていたら絶景だっただろうな、というのはなんとなーくわかったけれど、でも真っ白。しかしながら、崖側の滝は結構壮観だった。川の北側、我々の対岸は河岸段丘がはっきり見て取れたけれど、南側は浸食が激しくV字谷の傾斜が大きく、滝までの距離がほどんどない状態。ポイントにはどこも駐車場が完備されていて、車からちょっと降りて眺められて楽。もうハイキングは十分と思っていたのでなおさらこの立地はありがたかったな。最大のモルトノマ滝は目の前にしたら圧巻だった。雨に滝しぶきが相俟って豪雨状態だったけど。

コロンビア川の渓谷群を抜けて南下する道に入ると、そこは一面広がる農地であった。地平線まで広がるローリングヒルに雲の影が流れていく。時折、大地が河川や風に浸食されて盆地の中に台地が取り残されていたり、小さな川が鋭いV字谷を形成していたりと、アメリカの自然の大きさ、バリエーションの豊富さを感じさせる場所であった。ほんと、アメリカは大きかったなぁ。

ワシントン州のノースカスケード付近からこのオレゴン州の中程、さらにはカリフォルニア州までの火山帯は、大きくは環太平洋造山帯に属している。ドライブ中、道の脇にいくつもの山の頂が見えた。現地の人からすれば釣りやハイキングなどでレクリエーションを楽しめる場所がたくさんあるのだろう。こういったアウトドアの楽しみが人々に近いことが、日本にはないアメリカのいいところだと思う。国立公園だけでなく、州立公園、ともすれば市区町村レベルで大きな公園が整備されており、水道や衛生施設なんかもだいたい設置されている。民間の商売も開発も入り込まず、ただ自然を楽しめるのはすばらしいことだ。

この日は、翌日のクレーターレイクに向かってひたすら進むのみ。途中で夫の恒例「財布なくした」が始まったが、30マイル引き返したところで車の中から発見できたのでよかった。そういえば、この旅行の初めの頃には携帯電話を洗濯していた。私の携帯も持ってきていて良かったよ。

走行距離 299 mi.


6/7 mon

クレーターレイク国立公園は巨大なカルデラ湖。1800年代に「発見」されたときにはすでに今の状態であったらしい。その後の調査から、約3000年前に富士山級の高さのマザマ山が大噴火を起こし、現在あるように火口縁の高度は約2000mとなったという。どれほどの大噴火だったかが忍ばれるが、一説にはシアトルに火山灰が数cm積もるほどであったという。


火口の縁にぐるりと道路リムドライブが敷かれているのだが、雪が残っているこの季節はまだ封鎖中であった。のに、この翌日から一部開通するんだってよ! ひどい。てなわけでこの日までは西南の入り口から入って、南側のビューポイントまで車で上っておしまい。湖は青くてきれいだったよ。周りは雪だらけだったけど。

カルデラ湖ひとつ、それだけがここの公園なので、湖を見てしまえば終わりなのがつまらん。リムドライブが全線開通していれば、カルデラ湖内に見える奇岩なんかも眺められたのだろうが、まあ湖は湖だからね。てわけで、2時間ほどでここを後に。

何度も何度も言うけど、この辺は火山帯。過去に噴火した火山もいくつもある。そんなわけで、周辺には固まった溶岩から火山ガスが抜けて形成した洞窟もいくつもある。この旅行の最後は、そんな洞窟探検で締めくくることにした。

さらにさらに南下して、カリフォルニア州との州境を越えてすぐの場所にあるLava Beds国定公園へ。未だに草木さえ生えていない溶岩大地の脇を通り、念願の洞窟群へ。ここは大小20以上の洞窟が見学可能であるが、ただ一つビジターセンターすぐそばの洞窟を除いては照明がついていない。そのため、ビジターセンターで懐中電灯を借りていかないと危険。鍾乳洞とも違ってストラクタイトとスタグマタイトなどの見所もないので、ただ自然の洞窟の中を素朴に探検する気分になれる。深い場所へ潜れば、光が届かないので真の闇を体験することも可能だ。また、いくつかの洞窟はコウモリの繁殖時期のために封鎖されていた。洞窟潜入に当たっては、初級・中級・上級と大きくグループ分けされており、初級・中級の洞窟は500mもないが上級は2kmにも及ぶものもあった。上級は殆ど這っていかないと進めないとか、マッピング必須とかかなりレベルが高そうであったので、私たちが行くのは中級までにしておいた。そんなわけで、洞窟の中は見て楽しむというよりもむしろ、自分が探検して楽しむ、といったものであったが貴重な体験であったと思う。


夕方17時頃にここを出発し、サンフランシスコ空港そばの宿に到着したときには既に23時近くであった。途中、シェスタ山の周りを巡った際には、山の形が美しすぎてこの近辺の湖が大きなリゾート地になっているのがよくわかった。この辺は山が一つ一つ独立して存在するので、その形もわかりやすい。


道路状況は、サンフランシスコ北東のバークレー付近から急に交通量が増え、また速度が速く車線変更を激しく繰り返す車が目に付くようになり、ベイブリッジを渡って以降はかなりひやひやした。事故を起こさずに済んで本当に良かった。この旅行中、一番怖い道であった。時間は23時近くだっていうのにこれだから、もしこの晩に空港まで行かず、翌朝に空港に向かうことにしていたらどうなっていたか。サンフランシスコに入るには、すぐに高速道路を下りてしまうゴールデンゲートブリッジからのルートの方が幾分安全かもしれない。

走行距離 579 mi.


▼6/8 tue

宿から空港まではたったの2マイル。フライトは13時であったが、レンタカーの返却が9時半であったために早めに出た。最後に給油したガソリン、すっごい高かったな。1ガロン当たり$3.85。去年旅行したアラスカのマッキンリー山付近と同レベルなんだけど。無事に飛行機がボストンに到着した後、家に帰るまでが遠足です。どうもお疲れ様でした。

しかしながら、よく運転したもんだ。 3536マイル、約5660kmである。そのうち、私がお休みしていられたのは150kmか。ちなみに、運転が一番怖かったのはやっぱベイブリッジからSFに入ったところでした。あの辺の人たちはオレゴン州のみなさんを見習うべき。あっ、ボストンの人も。

走行距離 2 mi.

WAの山、マウントレニエとセントヘレンズ CA・OR・WAの旅 その8

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▼6/3 thu

シアトル南部の大きな山、マウントレニエ。シアトルのポストカードなんかにも時々映り込んでいるけれど、昨日は天気が悪く全然見えなかった。東京西部の街並みに富士山が見えるのとよく似ていると思う。正しくはレニアーって言ってたかな。

曇り空の中、天気を不安に思いながらも約2時間の道のりを走ると、でっかい山が目の前に…見えない。山の上部に雲がかかっている。またか! マウントレニエは観光にすばらしいポイントが二カ所(パラダイスバレー、サンライズ)あるが、いずれも雪で封鎖されていた。そのうちのパラダイスバレーの入り口までは通年で除雪作業をしてあるために車で到達できるのだが、目玉であるバレーから山腹の花畑をハイキングするのはとても無理だ。パラダイスとは、初めてマウントレニエに訪れた人が花畑の向こうに見える山を見て、こここそがパラダイスだと言ったのに由来する。だからそんなパラダイスらしい風景が見られないのは実に残念であった。

バレー入り口のビジターセンターに到着したときには青空が見えていた。げに変わりやすい山の天気よ。ギフトショップでスノーシューをレンタルできたので、それを履いてまたも雪中行軍することに。氷河の谷のほとりまで行って帰ってくる約2kmのトレイルが最も近かったが、やっぱり雪の中を歩くのは時間がかかる。スノーシューは雪面との接着面が大きいため、雪に足がはまりこむ心配は少なかったが、それでも普通に歩くのとは違って大変であった。スノーシュー体験ができたのでよかったよかった。「パラダイス」はナショナルパークサービス作成のビデオで十分に堪能してこの地を後にした。

帰り道、キツネの子供が道の脇から顔を出していたので、車を路肩に停めて眺めてしまった。私たちの他は誰も止まらなかったけど。

走行距離 227 mi.

▼6/4 fri

またも朝から雨。1980年に大噴火を起こしたセントへレンズ、今もまだ楽観視できないとのことでナショナルフォレストサービスが観測所を置いている。しかしながら、雨と霧でぜーんぜん山が見えない。観測所まで到達するも、やっぱり見えない。悔しいので、展示されていた当時の新聞記事など読みまくってやった。

1980年5月18日に噴火を起こしたのであるが、その一週間ほど前から溶岩ドームがふくらみ初め、噴火のタイミングはある程度予測できていたらしい。しかしながら地質学者やキャンプをしていた親子など、予想被災範囲の外にいたのに命を落としてしまった人、なんとか逃げ延びることができた人、様々なケースがあったという。その中でも避難勧告を拒み、妻が眠るこの地に留まったトルーマン老人のエピソードには胸を打たれた。かつては美しい二等辺三角形の山だったのが、今や上部三分の一が崩れ落ちクレーターとなっている。大地のエネルギーは人間が太刀打ちできないものであるなと溜息が出る。

今年は噴火からちょうど30年。National Geographic5月号で特集記事が組んであったため、つい買ってしまった。

走行距離 161 mi.

▼6/5 sat

朝から晴れ。やった! 前日のリベンジを果たすべく、もう一度チャレンジ。かなり遠くから山の頂が見え始め、運転中なのに大興奮した。危険。セントへレンズの近くに道路を通してあるためだが、山がかなり大きく見える。この道路は噴火後に敷き直されたもので、今後もしまた噴火しても土石流の被害に遭わないように谷底から外して建設されたらしい。しかしながら、最も近い国道5号線から観測所まで最も短いルートで結んであるという。いやーリベンジして良かった。


この日はナショナルトレイルデーとして、国立公園や国営林などの入園料が無料になっており、それもあってものすごい人出。観測所からトレイルを辿って、時間の許す限りセントへレンズの傍まで近づいてみた。多くの人は途中で分岐する道をセントへレンズとは逆方向に進み、近隣で最も高い山まで登って上から見下ろしたらしい。どっちがよかったかはわからないが、とりあえず私たちのルートを進んだ人は誰もおらず、目の前の風景を独り占めできたのには幸せであった。火砕流が1m以上も堆積し、一度はすべての植生がリセットされたこの地であるが、新たに高地から流れる雨水に沿って灌木が生え、その周りに草本が、その外側には苔類が生えていた。噴火から30年、こうして生命がまた生まれていく過程を目の当たりにできるのは実に貴重だ。今回の旅でレッドウッドと一二を争うすばらしい場所であったなぁ。自然に感動するよ。

ハイキングの帰り道、噴火口からぷしゅぷしゅと煙が立ち上った。2003年頃からまた活動が見られるらしい。しばらくは大噴火はしないだろうとの見込みだが、噴煙は見慣れないこともあってちょっと怖かった。

この日のうちにオレゴン州ポートランドまで南下。ホテルの周りは住宅地で大手ファストフードチェーンすらなく、こりゃ今夜は夕食難民かと焦ったが、近所にチキンウイングで有名な店があるという。ここが当たりであった。ソースはバッファローウィングだけでなく12種類から選べるのだが、そのうちアジアンものが意外にヒットした。チキンの揚げ具合も表面はぱりっと、かみしめるとじゅわっとやわらかく、完璧です。日の入りが9時近くとあって、太陽の光を浴びながらビールグラスを空けてしまった。

走行距離 174 mi.

都会で息抜き CA・OR・WAの旅 その7

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▼6/2 wed

せっかくシアトルに来たのでそれなりに街中観光をすることに。シアトル最大の目的はマリナーズ観戦なんだけど。

シアトルは非常に小さい町で、端から端まで歩くことも可能。宿のそばにニードルタワーで有名なシアトルセンターまでモノレールが走っていたが、乗り場まで南下するのは回り道になるので、ちょっくら歩いてみたら歩けちゃった。その道すがら、宿の近所のドーナツ屋で朝ご飯。へんぴな立地なのに次々に訪れる客にびっくり。その半分が日本人だったのにはなおびっくり。ちょっと日本だった。有名店なのかはよく知らず。ドーナツはダンキンよりも50セント高い分おいしかったかな。コーヒーも普通のドリップだろうになかなかのもの。ダンキンがんばれ! 

シアトルセンターは観光シーズンがまだこれからとあって、噴水の水は抜いてあるわ、しかも今掃除中だわで、開店直後の品出し中のデパートに入っちゃった感じ。展望台のニードルタワーは雨の風景を見るのもなぁ、ってことで登らず、ロックミュージックのミュージアムもフィーチャーしてる歌手がちょっと古くてよく知らない人が多いので入らず、科学館はまあいいやとスルーして、果たして何しに来たのか不明。雰囲気を味わったのでよしとする。



センターはシアトルの北側の丘の中腹にあり、ここから西に下るとすぐにピュージェット湾を臨む港だ。西海岸北部の大きな町はだいたい港町だなぁ。カリフォルニア州のサンフランシスコしかり、オレゴン州のポートランドしかり。港に沿って彫刻公園があるというので向かうと、公園というよりも、高速道路を造るのに丘を削ったけど、削りきれない所があったのでとりあえず何か置いてみましたという体であった。でっかい修正道具はDCの国立美術館の彫刻庭園にもあったな。

ここから南下して、シアトルが誇る市場パイクマーケットへ。狭いスペースに工芸品や花、魚や謎のアジア玩具までいろいろな店が軒を連ねており、見て回るだけでも楽しい。残念ながら魚を投げると噂の魚屋でそのパフォーマンスを見ることはできなかったが、それでも大量に並べられたダンジネスクラブはなかなかに壮観であった。オリンピック国立公園近所のダンジネススピットのダンジネスクラブである。自分の訪れたところとリンクするのがまた感慨深い。この近所にスタバの一号店があると聞いていたが、パイクマーケットの端っこに大きな店舗があったので、確信が持てないままこれかなーと入店、メニューは普通のスタバ。でもこれは一号店ではなかった……。事前の調査ってのは大事だね。てか、店員に聞けば良かった。

昼ご飯はマーケット内のロシア料理店でとった。他はピザ屋、ハンバーガー屋、アフリカ料理、ビストロ…と多彩ながらいつも通りのラインナップであり、最も目新しく、かつ閑散としていたのがこのロシア料理店であった。ビーフストロガノフとピエロギをメインに頼んだら、サラダに加え小鉢を4種類ずつ選べるという。韓国料理か。勧められるままににんじんサラダや玉ねぎベーコン炒め、ザワークラウトなどをつけてもらい、さらにデザートもサービスするというからロシア風ティラミスとナポレオンをもらった。とんでもない量になってしまい、デザートは端から持ち帰りとした。ピエロギは水餃子みたいなもの。肉団子を小麦粉の皮で包んで茹でる料理は中国から東欧、イタリアまで存在するのかと思うと不思議な気分になる。どこかから伝わった調理法なのか、それとも各地で自然発生的に生まれたのか。人が考えることは洋の東西でそう変わらない気もする。でもデザートは伝わっていったものと思う。ロシアのティラミスはコーヒークリームを挟んだショートケーキであり、ナポレオンは大ぶりのパイで生クリームとカスタードクリームを混ぜたようなクリームがたっぷりはさんであった。ボストンに数ある東欧食材店のデリでもよく見かけるこの手のデザートは一度食べてみたかったので、ここで出会えて良かったなぁ。ティラミスはイタリア製のスポンジからコーヒーがじゅわっとしみ出す方が好みだが、まあそれはそれとして。

そこから街中を歩いて、壁一面がガラスでできたシアトル図書館へ。鉄筋とガラスの建物の内部は1階から5階まで吹き抜けていたり、カラフルな閲覧用のイスがかなり現代風であった。仙台のメディアテークを思い出す。そういえばメディアテークの模型はNYのMoMAにあったので、ここのもあったのかもしれない。

で、さらに南へ進むとパイオニアスクエアやクロンダイク国立歴史公園が。シアトルはネイティブアメリカンのシアトル酋長から名前を採った集落が始まりで、そこそこ栄えてきたのだけれども1897年の大火で街は殆ど焼失したらしい。すぐに復興に着手し、すわ復興景気かと思いきや世界恐慌に水を掛けられ、どうなることやらという状態になった。その直後、シアトルの人がカナダのクロンダイク金鉱を発見したという一報が入ると、まだこの時代はゴールドラッシュの名残があったらしく、アメリカ中から人が集まりあっという間に好景気に。シアトル以北のワシントン州内はおろか、カナダの西海岸もまだろくに開拓が進んでいない時代で、シアトルは重要な拠点だったらしい。金を手にして成功した人、手にできなかった人、彼らを対象に商売を初めて成功した人がいろいろと紹介されていた。その中でも、全米に展開するデパートNordstromの創業者が大きく採りあげられていたなぁ。

そしてついにセイフコフィールドに到着。セイフコってのは保険会社の名前らしいね。当日でもらくらく外野席のチケットを購入できる。フェンウェイとは違うなあ。開場までたっぷり時間があったのでグッズ屋へ立ち寄ると、店員が店内のテレビに注目して仕事の手が止まっている。チームの精神的支柱であったJrが引退するとの報道が流れ、みんなかなり動揺していた。ジュニアがやめちゃうんだって、知ってた? 今聞いたよ……といったやりとりがあちこちで起きており、なかなかレアな風景であった。18時に試合が始まり、いつものレッドソックス戦と比べるとかなり早く試合が進む。しかしながら、球場はとても寒い。イチロー選手も9回裏まで無安打で、両チーム無得点のまま延長戦に突入したので、見切りをつけて球場を出た。そしたら、10回裏でイチローのサヨナラヒットで勝ってしまった…しょぼん。もうちょっとがんばればよかったかな。でもこの夜は寒すぎたのでまあいいや。

一度宿に戻り、車に乗ってシアトルの夜景を見にシアトルセンターの北側の丘を登る。あっちこっち迷いながらなんとか公園に到達。寒いのに多くの人が写真を撮りに来ていた。

 走行距離 7 mi.

ノースカスケード国立公園とオルカウォッチング  CA・OR・WAの旅 その6

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 5/18-6/8のカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州の旅行を振り返る
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▼5/30 sun

朝から今回の旅で最も北に位置するノースカスケード国立公園へ向かう。時間的にも場所的にも、旅の折り返し地点である。旅の後半は、カリフォルニア州北部にあるシャスタ山からカナダまで続くカスケード山脈の有名どころに立ち寄っていく予定だ。


で、このノースカスケード国立公園、山地の谷間を東西に伸びる道路を走りながら、国立公園や近隣のナショナルフォレストなんかのポイントに立ち寄る場所であるが、一番の見所ワシントンパスのビューポイントは除雪作業が済んでおらず車で乗り入れることができなかった。幹線道路に車を停めて徒歩で到達したけど。峠の上からの眺めはなかなか壮観だった。他は……その付近は標高が高いだけあって、どのトレイルも深い雪に覆われていた。スキー装備でなければハイキングは不可能そう。さてどうしたもんか。この日は公園周辺に食事ができる場所がまったくなく、昼ご飯の準備なく午後になってしまった。一度公園の東の出口にある小さな町ウィンスロップまで下りて栄養補給することに。

ウィンスロップは開拓時代の街並みを再現して町おこしをしているらしい。その甲斐あって、日曜のこの日は人が溢れていた。町といっても幹線道路沿いに100mほど続く商店と小さな州立公園、その後ろに民家が少々見られるほどの小ささ。何も考えずに入ったピザ&ハンバーガー屋でラムバーガーを注文したら、絶品であった。空腹は何者にも勝るスパイスだね。いわゆる町のピザ屋ってのは結構当たりが多い気がする。もっと早くに気づいていれば良かったなぁ。

で、栄養補給したので一つくらいは雪中行軍するべく公園に戻り、Cutthroat trailへ。幹線道路からトレイルヘッドまで2マイルの道は、雪かきが済んでないでやんの。雪が溶けている轍に従って走るが、車体の下に氷があたってがりがり音がする。ハンドルも取られるし、こういうところは短時間であっても走るのは遠慮したい。予想通りにトレイルは完全に雪に埋もれていた。しかし物好きもいるもので、足跡がたくさんあってとりあえずルートはわかる。Cutthroatの名の由来となった湖へ向かってゴーである。

首切りトレイルというのも、一見なかなか物騒であるが、幸い人の首ではなく魚の首らしい。湖はその昔、魚が釣れて釣れてどうしようもなく、釣れた先から絞めるために魚の頭を落としたという。今はほとりに花畑の広がる湖の向こうに山々を眺められる、子供もウェルカムな夏のハイキングトレイルということだ。ところが5月末のこの日はまだまだ雪。2時間歩いたところですれ違った、帰り途中のハイカーに話を聞くと、とても湖までは到達できなかったとのこと。しかもまだ四分の一程度じゃないかと言う。2時間歩いたよ! 困った話だ。

トレイルはずっと湖から流れ出る川にそって敷かれており、湖へ向かうには途中で渡らないといけない。丸太橋が見えるものの、勾配の大きな雪の坂、しかも足跡がないものしか目の前にはないんだけど……という状態に陥りさらに迷うこと40分、吹きだまりにはまらぬように強引に下る。足の幅ほどしかない丸太橋の下を囂々と流れる雪解け水に足をすくませながら(実際、すくみすぎて這って進んだ)、なんとか渡るが、ここから先はついに足跡がなくなった。ろくにトレイルマップも持っていないため、ついに諦め戻ることに。この頃7時近く、山に囲まれた谷間は日陰になるのも早いので当たりは薄暗い。これ以上進むと遭難すること必至である。雪の上って歩くの大変だよなーと愚痴りながら、なんとか無事にトレイルヘッドまで戻ってこられて良かった。雪中行軍にはクロカンのスキーかスノーシューが必要だと思うよ、ほんと。

ここから更に2時間ほど東南に下り、カスケードループ最大の保養地シェラン湖の一つ手前の町ペテロスにて宿泊。到着したら22時を回っていた。

走行距離 274 mi 


▼5/31 mon

宿泊したペテロスはバードウォッチングの名所で秋には多くの人が詰めかけるらしいのだが、私は早朝に起きられるわけもなく、いつも通り8時に起床。この宿でノースカスケードの観光用リーフレットをやっと入手。近隣には、国立公園や国営林以外の場所にもトレイルがたくさんあるらしい。昨日のうちに知りたかった。その中でも、花畑や湖を見ながら遠くにノースカスケードの山々が見えるという両得なコースがウィンスロップにあるらしい。ノースカスケード近隣の観光では、国立公園を東に抜けたら南側のシェラン湖を通ってぐるっと南回りに西へ戻るカスケードループを走るのが一般的なコースだが、ウィンスロップはすでに逆方向である。トレイルが5km近くあることから、最後は国立公園の中を西に戻ることにした。

ウィンスロップのそばには釣りができる湖がいくつもあり、トレイルはその中でも一番奥のパターサン湖の畔のパターサン山を登るというもの。トレイルヘッドには小さな看板が一つ立っているだけで、簡単に見落とす。誰が管理しているのかよくわからないだけある。が、昨日のカットスロートトレイルと違ってトレイルの周りは花畑が広がっており、ここにきて初めて「ハイキング」をしている気分になった。眼下に広がる花畑とトレイルヘッドそばの湖、遠くノースカスケードの頂に雪を冠した山々を眺めながら、山歩きの楽しさがなんとなくわかった。

 
なんて、楽しい気分でいられたのはほんのわずか。ここはそれほど高い山ではないが、勾配が大きくスイッチバックを辿ってもなかなかきついものがあり、すぐにくじけそうになる。しかも、雲行きがあやしくなり、遠くの山々が灰色の霧に覆われたと思ったらすぐに雨が降ってきた。雨は午後からの予報だったのに……。午前はいい天気だったため通り雨かと歩き続けたが、雨脚は強くなる一方。結局30分登ったところで諦めて下山した。たぶん2kmも歩いていない。歩き始めの眺望がすばらしかっただけに、本当に惜しいことである。もしもう一度ワシントン州に行くことがあれば、もう一度トライしなくてはいけないなぁ。びしょ濡れぶりは、車に戻った後に全身着替える必要があるほどであった。

国立公園内を昨日とは逆に辿り、宿へ。途中で湖に立ち寄ったりしたが、遠くの山々は雲がかかっていてよく見えず。雨ってほんと困るね。


走行距離 274 mi



▼6/1 tue

シアトル付近は野生のオルカ(シャチ)を見るツアーがポピュラーだ。ボストンのホエールウォッチングみたいなもの。観測できるポイントは、カナダとワシントン州が接する付近であり、シアトルから船に乗ると片道5時間の旅となってしまう。私は船酔いがひどいので、そんな長い航海には出ていられない。ところが、アナコルテスという北部の港町からも片道2時間のツアーが出ているという。それなら行ける! とアメリカではこれまたポピュラーな酔い止め薬ドラマミンを投与して、昼11時に出航したのである。

ツアーのコースは島の周りを一周する。前半はなかなかオルカが見られない。鯨と違って小さく、かなり遠いところに黒い背びれっぽいのが見えた気がする……という感じであった。しかしながら、ツアーもよくできていて後半に多数目撃できるポイントへ到達すると、かなりいた。オルカは単体でも泳いでいたが、つがいやそれに子がいる場合が多かった。オルカの動きにはいろいろと名前が付いているが、その行動の目的がなんなのかはよく分からないらしい。例えば、顔だけ海面に出すスパイボット。腹を見せて横に飛び上がるブリーチングを親子3体が次々に行ったときには、船中から感嘆の声が漏れた。ツアーでもブリーチングが見られるのは稀らしい。そのほか、遠くの無人島に鹿やマウンテンゴート、コンドルがゴマ粒のように見えたり、航路を示すポストでひなたぼっこするアザラシをほほえましい気持ちで眺めたりして、あっという間に4時間の旅路は終わる。酔い止め薬の効果がばっちりだったこともあって、楽しいクルージングとなった。

2時間半かけてシアトルまで南下し、街中の宿に泊。

走行距離 104 mi 

15.6.10

まるごとオリンピック半島  CA・OR・WAの旅 その5

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▼5/27 thu

オレゴン州とワシントン州の州境となっているコロンビア川を渡り(長い橋だった…)、ワシントン州に突入した。朝から寄り道すべく、Cape Disappointmentへ向かった。このコロンビア川河口一帯はその昔Lewis君とClark君が時の大統領トマス・ジェファーソンに命じられて太平洋まで冒険しにきた場所だ。一行がやっと太平洋に着いたよわーい!と喜んだ岬が、実はコロンビア川に向かっていたのでした、がっかりだね、ということで「がっかり岬」と名付けられたとのエピソードがある。現代においても、眺望的にもちょっとがっかりかもなー、てな感じ。

気を取り直して、再び北上を続ける。ワシントン州の太平洋側は、オリンピア山を中心とするオリンピック国立公園に指定されている。水蒸気を多く含んだ海風が山にぶつかって雨を降らせるため(日本では珍しくない話だ)、山の麓には温帯雨林が広がり、Hoh Rainforestのように世界遺産に指定されている森もあるほど。そういえば、レッドウッドも世界遺産だった。

トレイルの敷いてある温帯雨林のうち、QuinaultとHohへ行った。いずれも、クラブモスというエアプランツが木の幹や枝にたくさんもさもさとくっついており、ずるずる感がたまらない。モミ、トウヒ、カバ、メープルと大きな木だけでも様々な種類があるが、だいたいどれもずるずるしていた。木の種類によっては、幹が酸性のためにクラブモスが付着できないものもあったらしいが気づけず。中には、ずるずるの重みで曲がってしまった木も。

ここもレッドウッドのように倒木が別の植物のナーサリーベッドになっており、森の生命の循環があるのだなと感動した。森に生きる生命に思いめぐらすと、その豊かさに圧倒される。



この二つの森を回る途中、海岸まで下りることになる。砂地の一部が赤いというRuby Beachに立ち寄るが、赤い部分は見つけられず。大きな流木がどっかんどっかんと流れ着いていたのが印象深い。太平洋の波の力ってすごいなあ。広い潮だまりを見つけたのでついつい水切り遊びに興じてしまった。初めて3段跳躍したよ! 12年ぶりの新記録である。言うまでもないが、習得したのは12年前だ。

この日はフォークスに宿泊。映画「トワイライト」の舞台となった小さな町で、モーテルの内装がぴかぴかだったことからトワイライト特需かなあと思った。あの映画の中の森の映像は確かに美しかった。

走行距離:260 mi.


▼5/28 fri

オリンピック国立公園に来たのだから、やっぱりオリンピック山の頂は眺めたい。Hurricane Ridgeがその場所である。が、天気が悪い。幹線道路を走っていても、山の中腹より上部は霧にけぶっている。この半島はオリンピア山一つだけではなく、プレートの移動によって隆起してできたために複数の山とその合間に湖や渓谷が見られる。ハリケーンリッジは、オリンピック山に近い別の山の上というわけだ。

しかしながら、見えないんじゃ行ってもしかたないし、翌日は多少晴れ間が見えるらしい。明日に回そう。ということでこの日はレイククレセントの脇で山中の小さな滝を眺めるちょっとしたトレイルを歩いたり、半島の北側にある砂州spitがすごいDungeness national wildlife refugeへ行ったり、半島の北側は海を挟んでもうカナダであるが、影響を受けたビクトリア調の小さな港町Port Townsendへ行ったりと、まあなんて言うか余った一日どうしようか的な過ごし方をした。

レイククレセントは山の中の湖といった様子で、芦ノ湖に似ていたが、霧が濃すぎて山の中腹より上は全く見えなかった。滝のトレイルの近所に、山の上に登って湖を眺めよう(ただしめちゃくちゃきつい勾配)的な別のトレイルがあり、挑戦しようか何時間か迷ってやめた。まあ登っても眺望は霧で視界が完全に閉ざされて登り損であったと思う。後ほど、その山トレイルについて現地の人に尋ねる機会があったが、自己鍛錬トレイルだと言っていた。眺めとか、そういう楽しみについては全く言及がなかった。

Dungeness national wildlife refugeは地図で確認できるほどに大きな砂州が海に伸びているところ。到着したときにはちょうど満潮で、砂州の先の灯台まで片道5mi.のトレイルは 完全に海の中であった。砂州の砂州の根本の断崖絶壁の松の上にはボールドイーグルが営巣している。私たちの車がカリフォルニアナンバーだと気づいて、親切 な現地の人がその居場所を教えてくれた。とても肉眼では見えない距離だったが、写真に撮ってヒナに餌をやっている様子がわかった。町に戻る際に松の木の下 を通ったら、二頭ものイーグルが枝に止まっていた。道のすぐ隣は住宅があるというのに……。ボールドイーグルは少し前まで絶滅危惧種であったし、去年のア ラスカ旅行でもはるか遠くに見えたらみんな大興奮していたのでレア鳥だと思っていた。ここワシントン州ではそれほど珍しくもないのだろうか。



現地人の言うところのPT、もといポートタウンゼントは、小さな港町ながら観光客と向かい(ワシントン州内)に渡るフェリーがあってそこそこにぎわっていた。チェーンでないカフェがたくさんあったのがアメリカには珍しい。この町までの道路の周りは完全に荒れ地で、陸の孤島のような状態だからかもしれない。町のシンボル的な建築だった裁判所や、1800年代後半に建築された建物が今も教会や住宅として残っており、町歩きが楽しい。1800年代といえば、入植時だろうか。時代を感じる。

この日は365日中300日が晴れというSequimに泊。到着したときは雨降ってたけど。

走行距離:164 mi


▼5/29 sat

外は小雨。山の方は朝から霧が立ちこめている。天気予報が「夕方から時々晴れ」に変わってしまった。Hurricane Ridgeは午後に回し、午前中はDungeness national wildlife refugeに再び訪れることに。

干潮時の砂州と言われても、目で見る分にはあまり違いが分からない。トレイルというほどの道もない。ただ礫海岸が昨日見たより少し幅広くなっている程度。とは言っても、砂州自体が結構太く、その地に降り立つと細く伸びているようには見えないのである。

崖の上の松林にまたもボールドイーグルが複数舞っていた。枝から枝へとみな同じ方向に移動していく。なんだろうと近づいてみると、崖を子鹿が走っていた。奴らは狩りをしていたんだろうな。ボールドイーグルは集団で狩りをしないはずなので、複数の鷲がそれぞれ獲物を狙っていたのだろうか。不思議だ。

天気が回復しないので、さらにElwha Riverをのぞいてみた。雪解け水のためかきれいなエメラルドグリーン。月曜がメモリアルデイという祝日のため、この週末は国立公園がごった返すと聞いてはいたが、こんな知名度の低いだろう場所のキャンプグラウンドまで盛況していたのにはびっくり。いや、本当はそれほどマイナーではないのかもしれないけど。

そしてついにHurricane Ridgeへ向かうことに。約45分、17マイルで1500mまで一気に駆け上がる。道路はヘアピンカーブの連続、なのに前方はとんでもない霧。15m先までしか見えないのもざらであったが、周りの車は速いね~。 がんばったよ、私。そして、やっとridgeにあるビジターセンターに到着したが、駐車場の範囲しか見えない。泣ける。2時間半ほどねばったが全く霧が晴れそうになく、まあウェブカメラで見るか、と諦めて下山した。そこそこ人はいたが、みんなさっさと帰るか、駐車場脇に寄せられた雪に大興奮する子供達の世話をするかのいずれか。親は大変だ。

ここから、オリンピック半島の北東にあるケンジントンからフェリーでPuget Soundを渡ってエドモンズに入り、その北の町エバレットにて宿泊。ケンジントンでカーナビが「take a ferry」って指示したのが笑えた。車一台$14、40分の航海であった。

走行距離:195 mi

14.6.10

いきなり本命Redwoodとオレゴンコースト  CA・OR・WAの旅 その4

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▼5/24 mon

SFのダウンタウンでレンタカーをチェックアウトし、運転が怖いと有名な市内を通ってゴールデンゲートブリッジを渡っていく。通勤ラッシュを終えた午前中でいわゆるリバースコミュートのために、難なく終了。海岸線をひた走り、目指すはカリフォルニア州の北の端にあるレッドウッド国立・州立公園だ。

ここに生えているレッドウッドはセコイア(アメリカスギ)の一種で、世界に類を見ない太さ、高さとなる木。最も大きなクラスになると、大人が20人集まって手をつないでもその幹を取り囲めないほどという。この公園周辺は海岸に近いところに生えているのでcostal redwoodとも呼ばれる。去年、イサカで習ったESLの先生が自分の人生ベスト3に入る公園だと言って、それに関連する記事やラジオを教材にしていた。その時に見た写真で、こんなにでっかい風景があるのか!と驚愕し、アメリカにいるうちに必ず訪れたいと思っていたのだった。

森は国立公園に指定されている範囲だけでなく、その南側から続いている。ドライブしている間も、道路の両脇に大きな木がにょきにょきと生えていて壮観だ。事前にハイキング本でおすすめのクリーク沿いトレイルを見つけ、Humboldt redwood state parkへ。ビジターセンターで道路状況を尋ねると、雪解けで水位が上がり自動車道路さえ通行止めになっているという。代わりに、よりお手軽で定番のトレイルを紹介してもらい、結果的にそれで良かったのだが、この「雪で道路封鎖」のコンボは、この旅行ではずっとつきまとうのであった。

森は、大きかった。背の高い木がどかんどかんと生えていて、視界に収まらない。樹冠が遠すぎる。森の足下はシダシダシダ。とにかくシダ。あと苔とクローバー。レッドウッドは寿命が来ると根元から倒壊し、それがまた他のレッドウッドやシダ、苔などの植物のナーサリーベッドとなる。また、この根は木の高さに比べてあまりに短いことに驚く。


歩いている間、どうも『もののけ姫』のBGM「アシタカとサン」が頭から離れなかった。生命の循環を感じた。

さらに国立公園まで北上しLady Bird Johnson Groveへ。州立公園とそう変わらない風景に首をひねる。トレイルヘッドから幹線道路に戻る急傾斜の山道をおそるおそる下り、海岸の崖ぎりぎりを走るCostal Driveを抜けてこの日はクレセントシティに泊まった。

走行距離:372 mi.


▼5/25 tue

朝から大雨。国立公園のビジターセンターへ行き、森の定番の訪問地を尋ねると、未舗装ながら森の中を一周できる自動車道があり、途中のStout Groveが見物という。

未舗装道路にはいると周りの景色がこれまでと全然違うことに気づく。森の木が太いこと! 樹冠のおかげで雨は地上まではそれほど落ちてこず、時々ターンアウトに停車して森の中にたたずんでみた。地表はバックカントリーハイクなんてとてもできないほどにシダが生えているために、車道から周りを見渡すくらいしかできないけれど、しとしとと落ちる雨音に心が落ち着いた。Stout Groveにはちょっとしたトレイルが敷いてあり、森の中に入ることができた。

トレイル周りの森はかなり手入れをしてあって、レッドウッドの赤茶色に雨に濡れたシダ葉の緑色が美しく映えていた。 言葉が出ない。もう一生ここにいてもいい。


名残惜しい気持ちを引きずって、レッドウッドならびにカリフォルニア州よ、さようなら。州境を越えて今度はオレゴン州だ。

オレゴン州は山と森のイメージしかなかったが、それは中央部だけで、西の端は太平洋に洗われた海岸線、東の奥地は砂漠と多様な地形を抱えているらしい。特にこの海岸はドライブに大人気でOregon coast driveとして無料のガイド紙がたくさん出ているほど。アメリカ人には一生海を見ないで過ごす人もいるわけで、海を見るということには、日本人には想像できないほどの感動と興奮があるらしい。

いろいろと見所はあるのだが、実はそれほど印象に残っていない。レッドウッドの印象に引きずられすぎたのと、運転して、見所があるから降りて、また運転して、また降りて……という繰り返しがちょっと負担だった。落ち着かないのだ。車を走らせる時間も短いし、何か見物していても時間が気になる。だいたい、見物するといっても、ビューポイント程度の規模しかないので、車を降りて眺めて終わり、ということもざらだ。

この日はSea Lion Caveで一人$12払ってアシカの大群を見て、遠くのフォトジェニックな灯台を眺めた。アシカは遊び好きなのか、集団で波間に漂っているのが遠目に見えたのが興味深かった。


そういえば、このコーストハイウェイは一方が崖、一方が海岸になっていることが多く、落石注意の看板もよく見る。のだが、本当に落石でウインドシールドが完全に破損している自動車を見かけた。警察車両も数台集まっており、こんなことあるんだなとその後冷や冷やして運転した。

走行距離:189mi.



▼5/26 wed

今日も今日とてオレゴンコースト。いろいろ見所が出てくるのは中部から北部である。灯台やオレゴン州を横断する大河にかかる鉄橋などの人工物、奇岩 がにょきにょき生える海岸に砂丘、入り江に伸びる砂州といった地理の教科書でしか見たことがなかったような様々な海岸地形と、バラエティ豊かだ。

印象深いのはYaquita Bay State ParkとThree Capes Scenic Loopのドライブ。
 
州立公園は灯台のある岬の周辺にアザラシが営巣しているために、一帯を保護しているらしい。太平洋の波に浸食されて、陸地が削られているのが素敵。 台地の端っこと通ずるステキさがある。アザラシは…アシカ以上にごろごろしていた。アシカと違って手が発達していないので、陸地を移動するためには全身で 飛び跳ねなくてはならず大変そうだ。こぢんまりとしていながらも、いろんな風景が見られてすばらしい州立公園であった。


Three Capes Scenic Loopはその名の通り、3つの岬を巡るシーニックハイウェー(風景街道)である。この辺りの海岸には沖に巨石がごろごろしているが、これらは haystack rockと呼ばれていた。干し草の山のような岩とはなかなか詩的だ。


入り江に伸びた砂州が湾の入り口をほぼ完全にブロックしているのがいくつも続くのも、後から気づいて驚愕した。規模が大きすぎて運転中には気づかな かったのだ。航空写真などで上から見ないとあのすごさはわからないなと思いGoogle Earthしたけれども、よくわからなかった……。

この日はオレゴン州がワシントン州と州境を接する街、アストリアに泊。

走行距離:257 mi.