29.9.13

入院狂想曲

やっと暑さが和らいできたと思えば、朝晩はあっという間に肌寒いほどになった。雨も降り出して秋雨前線か。延岡の夏は暑かったけれど、収束するのも早い気がする。

この夏は下の子どもの月齢を鑑みて、ちょこっとだけ滞在型旅行を計画していた。出発前夜には、上の子と明日には広いプールで遊べるよ! と言い合って、親子でわくわくしていた。けれど、当日の早朝から下の子が異常な泣き方をし、数時間後には発熱したので、すぐさま小児科へ連れて行ったらRSウイルス罹患との診断。入院できる総合病院へ紹介され、その足で向かい、午後には病室で点滴を打たれていた。

それから十日間、24時間付き添い必須の病室に泊まり込んだ。

親の食事は出ない、シャワーは制限あり、寝床は子供が寝返りを始めたら簡易ベッドを利用(うちは寝返り前だったので添い寝が可能だった)、などど厳しい環境だった。自宅で夫一人が上の子の世話をしなければならない状態への不安や、低月齢児を発熱させてしまった悔しさなんかで、今後やることの優先順位もつけられず、はっきり言ってめちゃくちゃ混乱してた。

医師には入院期間は二週間の予定と聞かされていたが、その長さが途方もなく感じられた。入院時の病状は、RSウイルス発症してすぐで、万が一重症化するとしたらこれから、というところだった。ウイルス性の病気だが、細菌感染も見られるため、髄膜炎発症の可能性があった。そんな中、子の機嫌は早朝のギャン泣きを除けばずっと良く、ニコニコしていたのが唯一の救いだった。

そうこうしているうちに物事はいろいろと落ち着いた。自宅は身内がはるばる助けに来てくれて食事の心配はいらなくなった。病棟では保育士さんが一時間程度までなら子の世話をしてくれるとのことで自分の準備もすることができた。この話をした友人は、遠く海の向こうから差し入れを送ってくれた。夫も足繁く病院まで来てくれた。助けてくれる人がいることのありがたさをかみしめた日々だった。

付き添い必須とはつまり、治療以外の世話をすべてするということで、授乳やオムツ交換は私の仕事だった。入院直後のいわば熱に浮かされた状態が落ち着くにつれ、だんだんと母乳が枯れてくるのがわかった。病院にはコンビニがあるものの、その利用だけではどうしても栄養状態は悪くなる。なるべくヘルシーにと、パックご飯やお味噌汁、いただいた煮魚を中心に過ごしつつも、コンビニでカロリー摂取してなんとか乗り切った。

結局、当初の予定より早く、十日間で退院できるほどに子の症状は悪化せずに済んだのだが、この日々は言うなれば非常にサバイビングだった。ただ、この下の子を出産後、こんなにこの子とべったりいられた時はなかったので、その点では良かったのかもしれない。帰宅後間も無く、子は寝返りに成功した。生後三ヶ月と2日のことだ。

そして上の子が私たちの帰宅をわかって戸惑いながらも笑顔を見せてくれた瞬間は、今でも思いだすと切ない気持ちになる。