30.1.10

たまには思春期の頃を思い返してみる

年が明けて早一月、すっかり活動時間が後ろにずれこんでしまっている。せっかく申し込んだ英語のクラスも、初回に行ったきりで3回スキップした。ここでの無職的暮らしもあと半年だからまぁいいか、と楽な方へ流されているのをよしとしている自分が、それではいけないと責める自分に対して優勢だ。現状を悩むエネルギーすら出てこない。

そんな感じでなんだか覇気が出なかったここ数日間だったが、昔の友達から連絡があったことで少し前向きになった。

彼女は中学生の頃の同級生で、あの頃いつも一緒にいた。と言うよりもむしろ一緒にいてくれたと言った方が適切か。その頃の私は、なんだか特定の友達グループに入りたくなく、また入れなかった。良く言えば誰とでも仲良くしていたし悪く言えば孤立気味であった。その都度声をかける友達も違っていたのだが、その中でよく誘った子だ。年を経た後、当時の私は彼女自身の交友関係に土足で踏み込んでいたのではないかと悩んだこともあった。友達グループにはそれなりに色があり、それは彼ら同士よく似た気性が発しているものだが、彼女が属していたところはせっかちな私に比べてずいぶんと穏やかだったからだ。

実際の彼女とのつきあいでは、お互いに真剣に悩みを相談するということはなく、なんでもない日常の会話を交わしていただけだ。でもそれが心地よかった。また、彼女とのゆるやかな時間は新鮮でもあった。当時は放課後の部活や夜の塾に追い立てられてる思春期のまっただ中であり、多少の知恵がついてきて何事も考えすぎる傾向にあったあの頃、いつも何事にも真摯であるべきと思っていた。それが、そのようでなくてもよい、という空気に触れた時の驚きはいかほどだったか。そんな自分を見せることもなく、その年の終わりに彼女は転校し連絡は途切れた。

彼女からのメッセージにはただただ、再会を喜んでくれる言葉が並んでいて、彼女の変わらない温かさが嬉しかった。何度か書簡を往復するうちに、温和な彼女とごちゃごちゃ考える私の対比もあまり変化がないことに気づき、苦笑したりもしたけれども。夏になったら訪ねよう。きっとあの頃のような優しい笑顔に会えるだろう。

私も少しは落ち着いたところアピールしたいものよ。

25.1.10

アリゾナ・ニューメキシコ10日間の旅 その4(完)

12/28-1/9のアリゾナ・ニューメキシコ旅行を振り返る。

▼1/7 Thu 山登りも終盤

引き続き西へ向かうが、幹線道路沿いは実に何にもない。山もない。植物さえ少ない。道路沿いに「サンドストーム注意!」の看板がたびたび登場する。看板によると、本当に何も見えなくなるようだ。おそろしい。非常にいい天気で視界中雲一つなく、抜けるような青空が広がっているのに、ひたすらドライブ。

昼頃に幹線道路を降りて、唯一の売店でBLTサンドイッチを注文した。初めにパンの長さを6インチ(30cmくらい)のところ6フィート(180cmくらい)と間違えたところから、サンドイッチ屋のおばちゃんのからかい攻勢が始まった気がする。アメリカでは注文後に「何か足すか?」と聞かれることがよくある。バーガーキングでさえ、普通のハンバーガーを注文しているのに、チーズはいるか、だの、ベーコンは、だの聞かれ、聞き取れずにうっかりyesと答えると、チーズ&ベーコンハンバーガーにアップグレードされて値段も上がっている。だから、おばちゃんにそう聞かれたときに堂々とno!と答えたのだ。そうしたらおばちゃん「えーベーコンだけでいいの?」だって。ベーコン・レタス・トマトサンドイッチをくれって言ってるのにその確認はねーよ! あわてて訂正してレタスとトマトもお願いすると、にやにやした顔で返事するおばちゃんに、からかわれたなーと気づいた。このサンドイッチは後ほど国立公園にて食べたのだが、これがめちゃくちゃおいしかった。めちゃくちゃ見直した。おかげで旅行から2週間がたった今でもBLT熱が冷めず、頻繁に作っている。しかしなかなかあの味を再現できない。脂たっぷりの分厚いベーコンがどっさり入っていたのが良かったんだろうなぁ。ボストンは中途半端にヘルシー指向なスーパーが多いので、取り扱っているベーコンも薄切りだったり減塩ものだったりして、あのジャンクさを求める身にはイマイチ物足りないのである。

この日はチリカウアChiricahua National Monumentが目的地であったが、日本語のガイドブックには西側から来る道順しか載っていなかった。東から行く道順をなんとか調べ、道路の名前だけを頼りに進んだら、未舗装道路を延々と進むことになってしまった。山を越えて舗装道路にたどり着いたときには、舗装のすばらしさを思い知ったよ。この山の一部がチリカウアNMであるが、こちら側は山に木々が生えているのがわかる。チリカウアは山が浸食されて奇岩が多く見られるが、それが森と同居して特異な風景を形作っている。


岩の脇を縫うように敷かれたトレイルを歩く。雪が凍っている日陰はすべってしょうがない。時々岩の上に登ったりしながら、1時間ほど歩いたところで戻ることにした。

さらに田舎道を走り、夕方にトゥームストンへ到着。ここはガッツ石松の「OK牧場」の本物OK Corralがある街。とは言っても、私たち4人のうち誰もOK牧場の元ネタは知らず、「OK牧場の快斗」「ワイアットアープ」などの関連映画も見ていない。簡単に言えば保安官とカウボーイ(と言う名のチンピラ)の銃撃戦があったところで、保安官側のワイアットアープは無傷で生き残りましたと言う話。もともと銀坑で栄えたこの町も今は観光に頼るしかない様子。街の中心部は当時の建物を再現してあったが、何しろ夕方で軒並み閉まっていた。OK Corral Museumで当時の様子を眺めて、旧裁判所の外観を見たら終わった。滞在時間1時間。



この後、またも検問があった。パスポートは常に携帯すべきだと思い知ったね。Are you an American citizen? という問いにNoと答えれば、次に言われるのは「パスポート見せろ」に決まってるのだ。ちょっともたつくと、すぐに「はい、1番の標識の前に車停めてー」と言われる。空港の入国審査になぞらえれば「別室」行きってやつだ。まあ悪いことはしていないので臆することはないけど。

夕焼けに目を奪われながらツーソンまで移動。


▼1/8 Fri ハリスホーク大好き

前夜のうちに国立公園のある街まで移動していたので、この朝はゆっくり起きてサワロ国立公園Saguaro National Parkへ向かった。サワロとは縦に長い、FFのサボテンダーなどで非常にイメージとしては馴染みあるサボテンだが、実はアメリカではこの辺りにしか見られないらしい。旅の初めにフェニックスから北のセドナに向かう途中、幹線道路の脇ににょきにょき生えていたのだが、あれは別物か。公園の脇に動物園があったので、午前中はそこで予習して、午後に公園内を巡ることにした。

動物園の展示はこの砂漠地域のイグアナなどが見られてなかなかおもしろかったが、何より印象深いのは猛禽類の飛行ショーだ。午前と午後と二回行われていたが、午前は間に合わなかろうと見送った。がんばって見に行けば良かった…。というのも午後はハリスホークという鷹を人の頭上すれすれを何度も飛ばせるショーでかなり興奮したのだ。午前はフクロウやミチバシリを飛ばせた(走らせた)らしい。ハリスホークは単独行動が基本の猛禽類には珍しく、仲間と共同で狩りをする。砂漠の厳しい気候が行動様式を変えたというのは興味深いもんだ。かわいかったなぁ、鷹。帰ってから鷹匠になれないか研究したくらい。でも猛禽類を飼うのは大変そうだった。

公園は予想通り、サワロサボテンだらけ。そのほか、ウチワサボテンなど異なる種類のサボテンも見られた。

このサワロサボテンにはキツツキが孔を作るのだが、内側が殻のように固まり水分が逃れないようになるという。そしてその孔にはフクロウなど別の鳥が棲まうらしい。黒い孔が開いているサボテンはあちらこちらに見られた。ちなみに、このサワロサボテンは非常に成長が遅く、2mに達するものは120歳ほどと言われた。長寿だ。

十分にサボテンを見た後、フェニックスに移動。

▼1/9 Sat いつか終わる夢

10時半のフライトに間に合うよう、朝のうちにホテルを出て空港にてレンタカーを返却。10日間なんてあっという間に終わる。いつになく盛りだくさんの旅であった。クリーブランドで乗り継ぎ、8時頃ボストン着。相変わらず寒かった。

アリゾナ・ニューメキシコ10日間の旅 その3

12/28-1/9のアリゾナ・ニューメキシコ旅行を振り返る。

▼1/3 Sun 教会三昧

今回の旅程で最も北東に位置するタオスプエブロを目指して朝からドライブ。それまでの荒野の中の何にもない一本道から、小さな村を辿る川沿いのぐねぐね道にかわり勢い運転速度も落ちる。2時間ほど進んだところで、脇道にそれてジョージア・オキーフが晩年移り住んだゴーストランチへ立ち寄った。この敷地内で彼女の作品のモチーフとなった風景を見るにはガイドツアーに参加しなくてはならないのだが、冬期はやってないと言われてしまった。歩ける範囲で散策したところ、日本庭園という名のこの地方に伝わる渦巻き模様のラビリンスがあった。ただし、雪の下に……。ラビリンスはあちこちの文化で見られるものだが、ここのは外周にそって回りながら中心点のゴールを目指すもので、歩きながら瞑想するのが目的らしい。とりあえず一週はした。

雪はすべてを覆い尽くす。

さらに東に向かい昼頃にタオスプエブロTaos Puebloへ到着。ここは今も原住民がプエブロに住み自治を認められている村で、世界文化遺産に認定されている。30分ほどのガイドツアーに参加し、村の中心の教会、1800年代にアメリカ勢力に破壊された教会跡地をそのまま墓地にした区域、土釜のオーブンなどを見学。この城壁に囲まれた区域には約40人の定住者がおり、今も電気は通っていないが、プロパンガスは一部家屋で導入しているらしい。また城壁外にも住居を持ち、年に一度のお祭りの際に帰ってくる住民を含めれば300人以上がいるとのこと。土産店が多くあり、彼らの貨幣取得手段となっている様子だった。そのうちのいくつかの店舗では彼らの伝統的な祭礼に使う道具なども見られ、売り手に聞いてみるとその人の家にもあって使っているとのこと。生活の中に伝統的な何かがあるのは、今の自分の暮らしにはないことであり、それと比べて好ましい気持ちになった。


そこから南下しサンタフェに向かいながら、途中で奇跡の砂があるというチマヨ教会に立ち寄った。ここの砂に触れて歩けるようになったという奇跡があったらしく、砂を持ち帰る人も多いとのことで、ちゃんと減った分は足されているとガイドブックに書いてあった。教会の外観は非常にかわいらしい。いつものことだが、教会の見学は非常に気後れするというか、遠慮してしまうために、奇跡の砂の部屋を見つけるのに骨が折れた。だって正面の祭壇のすぐ脇に部屋の入り口があるんだもん。よほど観光地化されていない教会では祭壇近くまでは近寄り難く、いつも座席の後ろから眺めるだけであったのが裏目に出た。

夕方やっとサンタフェに到着。サンタフェと言えば宮沢りえの写真集くらいのイメージしかなく、一方で大きな町だと期待していた。実際は、街は景観を保つために高層建築の規制をしているらしく、高級ホテルや土産物店はプエブロを模しており、独特な雰囲気の街並みであった。かろうじて開いていたロレッタ教会にて奇跡の螺旋階段を見学。釘一本使われず、柱もない螺旋階段として有名らしい。その昔は螺旋階段の手すりすらなく、上り下りは怖かっただろうと想像する。ステンドグラスが美しく、裕福そうな教会だったなぁ。ホテルや土産物屋も併設されていた。

夕飯にガイドブックに載っていた〈Blue Corn Cafe〉にてタコスを食す。この旅で一番おいしいタコスであった。でもハードシェル(アメリカ人考案。リアルタコスのトルティーヤはソフト)だったけど。


▼1/4 Mon 再び自然の中へ

久々に高架の幹線道路に乗って、サンタフェからニューメキシコ州で一番大きな都市アルバカーキを通り越し、ホワイトサンズWhite Sands National Monumentへ。その名の通り真っ白な砂漠が広がるエリアで、その白さから宇宙からも見えるとして第3のスペースシャトル着陸地がある。また、隣は軍施設でときどき射撃訓練をしているとかで、公園への道すがらBorder Patrolの検問を受けた。この辺りから、Border Patrolのパトカーばっかり見かけるようになる。さすがメキシコ近くだ。

この辺りの起こりは、石膏を含む土壌が大部分に渡って隆起した後、ホワイトサンズNMの辺りだけ沈降して盆地のようになったことから始まる。山として残った部分の石膏は雨が降ると溶けて、多くの場合は海に流れ出るものだが、この行き止まり窪地では流れ出る先がない。その結果、盆地内にとどまった石膏を含む雨水の水分が蒸発して、現存する白い土となったらしい。その点、同じ白い砂でも石英を中心とするフロリダ州ペンサコーラとは異なるが、いずれも冬だからか白さによる土壌の冷たさは同じだった。

15時過ぎからトレイルへ踏み出した。初めは転々と生えていた植物も次第になくなり、見渡す限り砂になるのはすぐだった。赤いトレイルポストを辿って歩くのが基本であり、好き勝手に歩いたら遭難しそうである。砂は1年に9m移動するとの通り平坦ではなく、身長の3倍ほどの丘の日陰は早くから霜が降りていた。視界の果てには盆地よろしく山の峰が連なるのが見え、「砂と言えば浜」的な先入観からいつまでも違和感を覚えたものだ。夕焼けを眺めているうちに当然日暮れとなり、薄暗い中遭難せぬようがんばってトレイルヘッドまで戻ったら、レンジャーの車の拡声器が「早く帰れ」と盛んにがなっていた。日暮れは17時頃、18時には閉園のこの公園、17時45分の出来事であった。もう1台車が残っていたが、もし彼らが戻ってこなかったらレンジャーは捜索に行くのだろうか。大変そうだ。

宿がある最寄りの街までの道は実に真っ暗であった。この辺は車のライトをうっかりハイビームにしていると対向車がご丁寧に教えてくれる。何もない所だからこそよりまぶしいのは理解できるが、明かりが全くない地域を下向きのライトで走るのはなかなか心許ない。ボストン近辺だと全然相手のことを気にせずにハイビームにしっぱなしで時に運転に困るのだが、地域差を感じた。

▼1/5 Tue 冒険者たち

アメリカでもかなり南の地域にいるはずなのに、どこまでいっても道路脇に雪が残っている。避寒にかなり期待してこの旅行に来たのに、全然報われていなかった。が、この日のカールスバッド洞窟群国立公園Carlsbad Cavern National Parkに向かいながらだんだん雪が減っていった気がする。

12時過ぎに到着したところ、13時開始のガイドツアーにまだ申し込めるというので参加することに。この洞穴は基本的には歩道が敷いてあり自由に見学することができるが、未舗装のエリアにヘッドライト付きのヘルメットを被って探検するガイドツアーもある。申し込んだのはそういう類のLower Cave Tourだ。

参加者は定員ぎりぎりの12名であり、ツアーの初めに入り口は秘密にしてくれとレンジャーから再三注意を受けてから開始。歩道の脇の進入禁止ドアを開けて、窪地の斜面を綱を伝いながら下り、秘密の入り口の先にある鉄製の梯子を下ったところから地下洞窟が始まった。途中、レンジャーからこの洞窟の成り立ちや鍾乳石の解説を受けながら歩いた。一般に公開していないだけあってそれほど見所があるわけではなかったが、照明などが施されていない、素のままの洞窟を歩くのはなかなかに冒険的で興奮した。途中で狭い通路を四つんばいに這って進んだりもしたなぁ。


ツアー後、閉園まで1時間ほどあったため引き続き自由散策部分を歩いてみた。さすが一般公開部分だけあって、広い空間にこれでもか、これでもかと大きな鍾乳石があった。圧巻。

ここの洞窟は、かつて海の底だったためにできた石灰質の層を含めた土壌が隆起したのが始まり。その後、二酸化炭素を含む雨水によって浸食されたのと、下層にある石油層から発生する硫化水素による浸食とが相俟って、広大な空間ができたらしい。炭酸ガス、硫化水素両方の影響があるのは珍しい例という。アメリカにはこのほか、ケンタッキー州にマンモスという名の広大な洞窟があるが、そちらは二酸化炭素だけによってできたらしい。そんな話がとても興味深く聞こえ、もし子供の頃にこんな洞窟を知っていたら、今頃私は違う職業に就いていたかもしれないなぁと思いを馳せた。
 

▼1/6 Wed Go rush!

再度カールスバッドNPへ訪れ、午前のガイドツアーに参加することにした。朝9時半に到着したら、昨日参加したツアーはすでに満席となっていた。昨日は運が良かった。思い返せばこの旅では誰かの運の良さに助けられた場面がしばしばあった。最たるものは1/1のアンテロープ、モニュメントバレーで、アンテロープにあと10分遅れて到着していたら、あの日はモニュメントバレーまで到達できなかった。そしてそのしわ寄せはおそらくこのカールスバッドに起こり、昨日のツアーには参加できなかっただろうと思う。

午前のツアーは、昔は一般公開されていたが今は限定公開になっている場所で、歩道が敷かれていた。王の間という名の通り、広い空間に細かい鍾乳石が天井一杯に広がる様には圧倒された。その昔、まだ国立公園になる前には、ここで結婚式が行われたり、避暑に使われたりしたらしい。このツアーは80人が参加できる大規模なもので、レンジャーが初々しい感じだった。その後、一般公開部分を再度散策して、昼食後にここを出発。



カールスバッドはこの旅で最も東にあったため、ここからはひたすら西に向かって走る。途中、メキシコと国境を接するエルパソに立ち寄り、夕焼けを見ながら国境の向こうに思いを馳せたり、写真を撮りまくったりした。夜景も幹線道路の車の明かりもきれいであったが、国境がどこなのかは夕暮れ過ぎてよくわからず。ちょっといい気分で隣町まで移動したら、また検問。お仕事ご苦労様です!

最近の映画いろいろ

昨年から先日にかけて、3度も映画館に行った。私の人生においてこれまでにない頻度だ。1年に1度映画館へ行けばいい程度だったからね。見てきたのは、昨年に「クリスマスキャロル 3D」、先週に「AVATAR 3D」、そして昨日「U2 3D」。
 
■クリスマスキャロル 3D
ボストンに来て初めての映画館映画、幼い頃のドラえもん以来の3Dだった。ロードショーなんかを上映する映画館で、値段を確認せずにポップコーンとソーダ二つのコンボを頼んだら$17もした。映画は$11なのに。まあ、ポップコーンは1.5リットルくらい、ソーダも1リットルくらいの上、いずれもおかわり自由を含めた値段だったけど。実際、多すぎて追加ができなかったのが心残りだ。

それはそうと、映画はアニメなのに実写と見まごうばかりの動きやCGにびっくりした。顔はジムキャリーの演技をそのままキャプチャしていたらしく、表情豊かだった。モーションキャプチャも精度が上がったなーと感心。原作が一番初めに出版されたときの挿絵をそのままアニメにしていたのを知って、映像に心惹かれる理由が分かった気がする。あの時代の挿絵の絵は結構好きだ。挿絵付きの原作本がほしい。アリスの挿絵も好き。今思い返せば、それほど飛び出ていなかったような……3Dでなくても楽しめる気がする。ストーリーは原作通りなので特筆すべきことはないなぁ。 まああの時代&キリスト教的訓辞の話だ。

■AVATAR 3D
上記クリスマスキャロルの時にトレイラーとして流れていたし、その頃からテレビでもばんばん広告が流れ始めた。事前にいろいろなレビューで映像はすごいが話はへぼいと読んでいたので、技術を楽しみに鑑賞。

もうね、全部実写に見えたよ。世界観はFFで見たことがある感じだったけど、それを大スクリーンで見ると迫力が違う。光る枝をしならせる柳の枝を払いながら森の中をさまよったり、宙に浮く岩から垂れ下がる木の根を伝って登ったり、ファンタジーの世界を縦横無尽に歩き回る気分を味わえたのが楽しかった。思えば、ドラクエのいいところは、ドラクエの世界を自由に駆け回れるところで、それをFFのすごいCG世界と融合させた感じ。とそんな風に、90年代ゲーム世代にはたまらない映画だった。

ストーリーはまあ普通。主人公の所属元が「アメリカ」に見えて仕方なかった。それから、舞台となった星の原住民の英語がヒスパニック訛りっぽく聞こえたのが気になった。実際にどんな訛りを意識しているのかはよくわからないけど。

■U2 3D
近隣で唯一といってもいいIMAXシアターでの3D映画。上記二つはReal Dという別の団体がやっていて、IMAXはそれに比べると飛び出る感が段違いと聞いていたが、その通りだと別の映画のトレイラーを見てわかった。この映画館はニューイングランド水族館に併設のもので、通常の上映はUnder the sea的な水生動物の半ドキュメンタリー映画が主だ。鯨のひれが、シャチの突進が、いるかのくちびるが目の前をかすめてかなりの迫力。スクリーンの大きさもニューイングランド地方随一と自ら唱っているように、座席に座ると視界に収まらなかった。とはいえ、鯨映像なんかは3Dを意識して通常映画よりも飛び出るように作られているのかなとも思えたが。

U2 3Dはコンサートツアーのうち5カ所の映像と、別途14曲ツアーのステージで撮影した映像を編集して作った85分の映画で、コンサートの舞台に迷い込んだように錯覚させるほどに臨場感があった。目の前でBonoが歌ってる! ってな気分。メンバーみんなのリアルな背の高さや体型がよく分かった。これが3Dの威力かーとうならずにはいられない。家でライブDVDを見られなくなる(苦笑)。

音声も歓声が後ろから聞こえたりして、ここが本当の会場でないために立ち上がったり一緒になって歌ったりできないことが残念でならなかった。家にプロジェクタや複数チャンネルのすばらしい音響設備がないから、映画館に見に来ましたという感じで、本物のコンサートへは越えられない壁があった。でも、来週の土曜の夜にももう一度上映されるので、また行ってもいい。ちなみに、観客数は私たちを入れて6人であった。

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私は映画やドラマを見始めるのにかなりエネルギーが必要な方で、普段からそんなに興味はない。2時間拘束されると考えてしまうのか、踏み込むのが大変。一方で、はまりこむと現実世界に戻って来れないほどに心奪われたり、文字通り寝食を忘れて繰り返し見たり、周辺情報を調べたり(役者とか撮影場所とか原作ありなら原作者とか)してしまうので、怖いというのもある。

それにもかかわらず、音楽はむしろ視覚情報付きがいい。CDで聞くよりも映像で見たい。ライブDVDを2時間見るのは苦でないし、繰り返し見ることもできる。この差はなんだろうなぁ。作られたストーリーがないのがいいのかもしれない。それから、歌手の歌う歌詞も音として聴いていられるのがいいのかもしれない。ドラマの台詞を聞き取って理解していくのを面倒に思うときもある。

これから行くコンサートは宇多田ヒカル、ノラジョーンズと、U2ほどに熱くなれないのが物足りない感じ。来年のU2ツアーに帰国する前に行きたいなぁ。

16.1.10

アリゾナ・ニューメキシコ10日間の旅 その2

12/28-1/9のアリゾナ・ニューメキシコ旅行を振り返る。

▼12/31 Thu ウパキとグランドキャニオン

フラッグスタッフからさらに北上し、グランドキャニオンへ向かう途中でウパキWupatki National Monumentへ立ち寄った。この辺りはネイティブアメリカンがプエブロと呼ばれる住居をつくり、集落を形成した跡があちらこちらに残っている。化石の森にもあった。プエブロの最大の特徴は屋根に建物内部への入り口がある点。トウモロコシ、豆、カボチャが代々伝わる食料だが、他の集落と分け合うことはせず、ため込んでいたらしい。侵略者にこれらを奪われぬよう、外壁に入り口を設けなかったとのこと。ただ、ここはもう発掘も終わり、800-1200年頃の遺跡であることは分かっているものの、その規模等は明らかではないらしい。兵どもが夢の跡であった。

そこからさらに北上し、キャメロンという地図上は町、実際はガソリンスタンドがあるだけの交差点から西に折れ、一路グランドキャニオンGrand Canyon Naional Parkへ向かう。コロラド川が浸食してできた谷であり、時々その支流跡を眺めつつも山を登っていく。ビジターセンターにつく頃には、除雪はしてあるものの道路が一部凍っていたりして、運転にはちょっと怖い道路状況であった。

デザートビューポイントから初グランドキャニオン。広い! 視界に入りきらない! 渓谷の向こう側の浸食されていない部分が平らなままなのが、こんな谷深い場所のすぐそばにあると不思議に映る。それにしてもこのカメラのパノラマ機能はすばらしいなぁ。

宿はナショナルパークの中央から西よりにあったため、そこを目指しながも道筋に出てくるScenic Pointの看板に吸い寄せられる。

 午後の光と渓谷が深く一望できる範囲が広すぎるのとで、景色が霞む。

夕方になり、公園西部の夕日が美しいポイントに向かおうとしたら、車道は冬期は閉鎖されておりまったく除雪されていないことが判明。今回、こんなに歩くと思っていなかったためにハイキングシューズを持ってこなかったのは完全に誤りだった。来る前にフェニックス出身のESLの先生に強く勧められていたのに……。トレイルは踏み固められている範囲は、すべることさえ気をつければなんとか歩けた。しかしそのポイントまで足を伸ばす人は少ないらしく、奥に進むほど雪が柔らかく深くなっていく。途中で車道に抜けたら、最近つけられたとおぼしき轍があり随分歩きやすくなった。

日暮れもかなり進み、帰ってくる人にすれ違う一方で同じ方向へ向かう人には全然会えず。到着時には太陽が今正に沈まんとす、というタイミングであった。太陽と逆の地平線に、やけに明るいものが見えると思ったら月だった。

月って明るいんだね。このあと、真っ暗な雪道をひたすら歩くことになるのだが、月明かりにどれだけ助けられたことか。レンジャーに見つかったら無謀なアジア人だと怒られてしまいそうだった。 しかし、暗闇に強いカメラだなぁ。

遭難一歩手前と自重しながら宿に戻り、温かい夕食にありつけたときの喜びといったらもう! ふつーの食事がこんなにありがたいとは、と一口一口をかみしめた。

▼1/1 Sat  詰め込み観光

年が明けました。おめでとう。グランドキャニオンでご来光を拝むために、今回の旅行はこんな日程になった。朝日が美しいというポイントへ向かうと、約 100人ほど集まっていたのは殆ど日本人であった。グランドキャニオンを背景に日本語が飛び交うのはなかなかおもしろい光景であった。

で、車はグランドキャニオンを抜けて、さらに北上し一路アンテロープAntelopeを目指す。アンテロープは特に感動したという話を聞いていたこともあり、期待がふくらむ。ここから先、アンテロープとモニュメントバレーはネイティブアメリカンのナバホ族の自治領内にあってナショナルパークではなく、いずれも彼らのツアーに参加する必要がある。アンテロープに到着時は12:20、10分後にツアーが出発するところであった。滑り込みで申し込み、軽トラックの荷台に座席をつけた簡易乗り合い車両でアッパーアンテロープへ。

アンテロープは雨季の鉄砲水が岩場を浸食し、形成した非常に狭い谷だ。光が差し込むと本当に美しいと聞くが、冬期の低い陽光は谷底に届かないらしい。ツアーのガイドがカメラをPモードに、ISO400、曇天モードで撮れと 指導するので、従ったら絵のような画が撮れた。目で見えるのとも違う、カメラでしか見えない画だ。今振り返れば、写真撮影ツアーのようであったなぁ。思ったより狭く、短い谷だった。


モニュメントバレーに到着したのは16:15。通常、モニュメントバレーのあの台地(メサ)やとんがった岩(ビュート)を見るゾーンには自家用車でも入れるのだが、冬期は道路が凍結する危険があり、ツアー車以外の進入を禁止することがある。この日は、悪しくも禁止されていた。朝に凍結道路ですべった車が事故を起こしたらしい。元日とあってビジターセンターも休業で、駐車場で声をかけてきたツアーのおじちゃんに、一人$40のところ4人で$120でお願いしたらOKしてくれた。支払いはキャッシュだけと言われて、本当に手持ちがなかったんだよ……。

この日は近隣のカイエンタに泊まる。この旅初のHampton Innは相変わらずベッドがふかふかですばらしかった。

▼1/2 Sat 東征始まる

さて、詰め込み型観光もここで終わり、この先はひたすら長距離ドライブである。この日はチャコカルチャーChaco Culture National Historical Parkを目指す。雨季と乾季とで雨の量がえらく違う半砂漠地域であり、ここは特にナショナルパークへの道が途中から未舗装道路になるが夏場は浅い川を渡る必要があるなどと、アクセスに不安がある場所であった。日中はまあよかった。しかし、夕焼けを眺めながらの帰り道は怖かった。道は轍が固まっている上に、凍った雪が覆っていて、ハンドルは取られるしタイヤはスリップするし……。ここの道の運転は完全に下駄を預けてしまったが、後からあの道だけは怖かったと打ち明けられてしまった。

それはともかく、ここは谷間にまとまったプエブロが見られる場所だ。ウパキよりも発掘や修復が進んでいる様子で、規模も大きかった。このプエブロを作った人々は、アラスカのネイティブアメリカンであるアサバスカン族らしい。よくここまで移動してきたものだと思いを馳せた。谷を形作る崖には、彼らが残した岩絵petroglyphが見られた。ビジターセンターで、崖の上からプエブロ跡を見てみろと勧められた。崖の道…下から見たら、とても道があるとは思えない。ひやひやしながら登った。