16.1.10

アリゾナ・ニューメキシコ10日間の旅 その2

12/28-1/9のアリゾナ・ニューメキシコ旅行を振り返る。

▼12/31 Thu ウパキとグランドキャニオン

フラッグスタッフからさらに北上し、グランドキャニオンへ向かう途中でウパキWupatki National Monumentへ立ち寄った。この辺りはネイティブアメリカンがプエブロと呼ばれる住居をつくり、集落を形成した跡があちらこちらに残っている。化石の森にもあった。プエブロの最大の特徴は屋根に建物内部への入り口がある点。トウモロコシ、豆、カボチャが代々伝わる食料だが、他の集落と分け合うことはせず、ため込んでいたらしい。侵略者にこれらを奪われぬよう、外壁に入り口を設けなかったとのこと。ただ、ここはもう発掘も終わり、800-1200年頃の遺跡であることは分かっているものの、その規模等は明らかではないらしい。兵どもが夢の跡であった。

そこからさらに北上し、キャメロンという地図上は町、実際はガソリンスタンドがあるだけの交差点から西に折れ、一路グランドキャニオンGrand Canyon Naional Parkへ向かう。コロラド川が浸食してできた谷であり、時々その支流跡を眺めつつも山を登っていく。ビジターセンターにつく頃には、除雪はしてあるものの道路が一部凍っていたりして、運転にはちょっと怖い道路状況であった。

デザートビューポイントから初グランドキャニオン。広い! 視界に入りきらない! 渓谷の向こう側の浸食されていない部分が平らなままなのが、こんな谷深い場所のすぐそばにあると不思議に映る。それにしてもこのカメラのパノラマ機能はすばらしいなぁ。

宿はナショナルパークの中央から西よりにあったため、そこを目指しながも道筋に出てくるScenic Pointの看板に吸い寄せられる。

 午後の光と渓谷が深く一望できる範囲が広すぎるのとで、景色が霞む。

夕方になり、公園西部の夕日が美しいポイントに向かおうとしたら、車道は冬期は閉鎖されておりまったく除雪されていないことが判明。今回、こんなに歩くと思っていなかったためにハイキングシューズを持ってこなかったのは完全に誤りだった。来る前にフェニックス出身のESLの先生に強く勧められていたのに……。トレイルは踏み固められている範囲は、すべることさえ気をつければなんとか歩けた。しかしそのポイントまで足を伸ばす人は少ないらしく、奥に進むほど雪が柔らかく深くなっていく。途中で車道に抜けたら、最近つけられたとおぼしき轍があり随分歩きやすくなった。

日暮れもかなり進み、帰ってくる人にすれ違う一方で同じ方向へ向かう人には全然会えず。到着時には太陽が今正に沈まんとす、というタイミングであった。太陽と逆の地平線に、やけに明るいものが見えると思ったら月だった。

月って明るいんだね。このあと、真っ暗な雪道をひたすら歩くことになるのだが、月明かりにどれだけ助けられたことか。レンジャーに見つかったら無謀なアジア人だと怒られてしまいそうだった。 しかし、暗闇に強いカメラだなぁ。

遭難一歩手前と自重しながら宿に戻り、温かい夕食にありつけたときの喜びといったらもう! ふつーの食事がこんなにありがたいとは、と一口一口をかみしめた。

▼1/1 Sat  詰め込み観光

年が明けました。おめでとう。グランドキャニオンでご来光を拝むために、今回の旅行はこんな日程になった。朝日が美しいというポイントへ向かうと、約 100人ほど集まっていたのは殆ど日本人であった。グランドキャニオンを背景に日本語が飛び交うのはなかなかおもしろい光景であった。

で、車はグランドキャニオンを抜けて、さらに北上し一路アンテロープAntelopeを目指す。アンテロープは特に感動したという話を聞いていたこともあり、期待がふくらむ。ここから先、アンテロープとモニュメントバレーはネイティブアメリカンのナバホ族の自治領内にあってナショナルパークではなく、いずれも彼らのツアーに参加する必要がある。アンテロープに到着時は12:20、10分後にツアーが出発するところであった。滑り込みで申し込み、軽トラックの荷台に座席をつけた簡易乗り合い車両でアッパーアンテロープへ。

アンテロープは雨季の鉄砲水が岩場を浸食し、形成した非常に狭い谷だ。光が差し込むと本当に美しいと聞くが、冬期の低い陽光は谷底に届かないらしい。ツアーのガイドがカメラをPモードに、ISO400、曇天モードで撮れと 指導するので、従ったら絵のような画が撮れた。目で見えるのとも違う、カメラでしか見えない画だ。今振り返れば、写真撮影ツアーのようであったなぁ。思ったより狭く、短い谷だった。


モニュメントバレーに到着したのは16:15。通常、モニュメントバレーのあの台地(メサ)やとんがった岩(ビュート)を見るゾーンには自家用車でも入れるのだが、冬期は道路が凍結する危険があり、ツアー車以外の進入を禁止することがある。この日は、悪しくも禁止されていた。朝に凍結道路ですべった車が事故を起こしたらしい。元日とあってビジターセンターも休業で、駐車場で声をかけてきたツアーのおじちゃんに、一人$40のところ4人で$120でお願いしたらOKしてくれた。支払いはキャッシュだけと言われて、本当に手持ちがなかったんだよ……。

この日は近隣のカイエンタに泊まる。この旅初のHampton Innは相変わらずベッドがふかふかですばらしかった。

▼1/2 Sat 東征始まる

さて、詰め込み型観光もここで終わり、この先はひたすら長距離ドライブである。この日はチャコカルチャーChaco Culture National Historical Parkを目指す。雨季と乾季とで雨の量がえらく違う半砂漠地域であり、ここは特にナショナルパークへの道が途中から未舗装道路になるが夏場は浅い川を渡る必要があるなどと、アクセスに不安がある場所であった。日中はまあよかった。しかし、夕焼けを眺めながらの帰り道は怖かった。道は轍が固まっている上に、凍った雪が覆っていて、ハンドルは取られるしタイヤはスリップするし……。ここの道の運転は完全に下駄を預けてしまったが、後からあの道だけは怖かったと打ち明けられてしまった。

それはともかく、ここは谷間にまとまったプエブロが見られる場所だ。ウパキよりも発掘や修復が進んでいる様子で、規模も大きかった。このプエブロを作った人々は、アラスカのネイティブアメリカンであるアサバスカン族らしい。よくここまで移動してきたものだと思いを馳せた。谷を形作る崖には、彼らが残した岩絵petroglyphが見られた。ビジターセンターで、崖の上からプエブロ跡を見てみろと勧められた。崖の道…下から見たら、とても道があるとは思えない。ひやひやしながら登った。

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