26.2.10

かゆくてもう大変 カンクン6日間 その3(完)

2/18-24のカンクンの旅を振り返る。

▼2/23 Tue お魚と泳ぎたいヨー、再び

前日夜まで、体験ダイビングをどうするか悩んでいたものの、申し込んだツアー会社の対応があまりによろしくなかったのと、私の船酔いが限界であったために取りやめた。思ったより楽しかった市街地にもう一度行っても良いなぁと思いつつ夜が明けたら、夫がジャングルツアーに申し込むぞと決心していた。ホテルゾーンのある砂州の内側、ラグーンのマングローブ林をブレーキの付いていないモーターボートでかっ飛ばし、ホテルゾーンの南端にあるポイントでスノーケルをするツアーだ。これがなかなか楽しかった。魚もいっぱいいたしね。

この手のジャングルツアーというものを催行している会社はいくつかあるが、どれも行く先は同じ。スノーケルポイントには黄色のブイが浮かせてあり、そこから出ないようにと指示される。が、私たちの申し込んだところではガイドがあちらこちらに連れて行ってくれた。少し離れたところまで泳いだものの、ライフジャケットを着たままなのでそれほど疲れない。岩場に近いところにたくさん魚がいて感激したなぁ。すぐそばを通り過ぎていくエイも見られたしね。途中、ガイドを見失って珊瑚の岩場につっこんで痛い思いもしたけれど、スノーケル、楽しいんだねぇ。

カンクンのあたりは2005年にハリケーン・ウィルマに壊滅的なダメージを与えられ、珊瑚なんかはかなり死んでしまったらしい。確かに被害にあったのかと思わせるような寂しい海底風景もあったけれど、岩場に海草や珊瑚が揺らめき、その間に様々な魚が泳いでいる様子を見て、自然の回復力はすごいなとただひたすら思ったのだった。

ボートの運転もしたが、船酔いしなくて良かった。遠くを見るのがコツなのか。

最後の夕飯は、再びカンクン市内に赴いてアメリカ版ガイドブックおすすめのシーフードレストランでとることに。メルカド28という名のおみやげ物市場という恐ろしい場所の中心部にある〈El Cejas〉はガイドでも予算が$-$$$と安かったり高かったりする恐ろしい店であるが、ここのシーフードスープとセビーチェ(魚介のマリネ)は絶品であった。調理物もタコのニンニク炒め、イカの唐辛子炒め、ソフトシェルクラブのニンニクグリル、どれもよかったなぁ。ただ、生牡蠣はニューオーリンズの勝ち。なお、ここでかなりおいしかったのは、レモネードならぬオレンジエード。アレ、絶対生果汁だったよ。また飲みたい。



▼2/24 Wed 夏も終わり

帰りの飛行機は午後の便にしたのに、朝から雨。傘もない。近所にあった土産物市場などに散策しに行くが、もうこれと言って買う物もないし、すぐに「やすいやすい、たかい」「ちょっとみていって」とか声を掛けられるのが怖くてすぐに宿に帰還。昼食は近所の日本食屋〈K's Cafe〉で評判の浜汁定食やうどん、そばを食す。魚介出汁の味噌汁はおいしいね。でも汁物的には昨晩のシーフードスープが随一だなぁ。ここで一番おいしかったのは、サービスでつけてくれたデザートのマンゴのアイスバー。果肉入り最高。コストパフォーマンス的には、この旅行中で一番高いご飯でした。

で、ワシントンDC経由でボストンに帰還。さて、今回の帰りの空港トラブルは夫の入国許可紙紛失事件でした。メキシコ入国時に書いた書類の半券をパスポートに挟んで返されたのだが、これは出国時に必要で、もし紛失したらUSD$45または$500の過料が課せられる。しかもキャッシュのみ。最後の最後にATMでペソを引き出すことになった。ここの空港の発券手続きはやけにのんびりしていたこともあったが、これのために完全に時間に余裕がなくなり、免税店物色ができなくて残念であった。ちなみに、前科は新婚旅行の時のマドリッドでの財布紛失事件。あのせいで乗り換え地のCDGでの免税店散策が不可能になったんだよなぁ。ロストラゲッジなんかは一度もないんだけどね。

あっちゃこっちゃ皮がむけて カンクン6日間 その2

2/18-24のカンクンの旅を振り返る。

▼2/21 Sun 小休止

二日連続、宿に帰ってシャワーを浴びたら夜中で倒れるように眠りに就いた。普段、体を動かしていないどころか、12時間連続で起きていることも少ない今日この頃、日中に活動しているだけで疲れるのである。そんなわけで、カンクン滞在3日目はゆっくり起床し、午前中に洗濯をすませ、市街を散策観光することにした。

カンクンの市街は内陸部にあるが、外国人が滞在するホテルゾーンは海に突き出た砂州の上にある。両者を結ぶ路線バスは一回$6.5と格安である。これは何よりも、ホテルゾーンにて就労しているメキシコ人の通勤の足になっているためで、バスの客層は通勤人の多い朝や夕方と観光客の日中というように時間帯によってまるっきり違う。

なお、USドル表記はUSD$、メキシコ通貨のペソは$であるが、これを知らなかったためにカード決済したレシートの「$80」が心配で眠れない一幕があった。答えは80ペソ。なお、ホテルのレートではUSD$1=$12だった。

市街地へ赴く一番の目的は日本食レストラン〈山本〉での昼ご飯。その前に妹のお土産行脚のために現地のスーパーに立ち寄る。毎度の事ながら、旅行のお土産は大変だね。パン売り場が日本のスーパーにあるセルフ式に近くて懐かしい。ついでにメキシコ特製のPepsi Kickを購入しおやつに。Kickは昔懐かしい粉ジュースの味がした。カフェイン添加が売りのペプシのようだったが、その効果や如何に。

で、やっと待望の〈山本〉へ。メキシコは海産物を食べる国であるので期待して刺身系を注文するが、まあ普通であった。妹が異国っぽい寿司か天ぷらが食べたいよーと言っていたので、真ん中をとって丸ごと天ぷらになった巻き寿司セットを頼んだ。これがなかなかおいしかったな。挑戦してみるもんだ。

市街地でもハイストリートは観光客向けのおみやげ屋が軒を連ねていた。店の数は多いが並んでいる商品はどこも同じ。中には初日のチチェンイツァーツアーの途中で立ち寄ったお土産屋で買った物もある。なんてこったい。私たち日本人を見るや「やすいやすい、たかい」と声を掛けてくる軒先のおじちゃん達に手を振りながらも、道ばたのワゴン売りアイスを購入。妹の好きなマンゴとココナツのアイスをコーンに載せてもらって$14。小さな数ならなんとか聞き取れるようになった。この旅行のためにスペイン語を4回習いに行ったのがやっと役に立ったと感慨深い。カンクンでは観光客相手には英語で話してくれるのであんまり困らないが、カタコトでもスペイン語を言ってみると反応が違う気がする。

街の中心部にある広場でアイスを食べながら休憩。若い人たちが飛び込み前転の練習をしていた。隣では妹と夫がカメラの連写モードでの飲食風景の撮影に熱中している。そんな風景を横目に見ながら、のどかだなあと思う。こういうお金を使うことに追われない日常的な風景に溶け込んでいるときが、旅行の中でもっとも幸せな時間だと思う。
その後、ホテルゾーンに戻り大手ショッピングモールの一つであるLa Islaへ行ってみたら、もうすっかりきっぱりアメリカだった。自分が消費者であることを思い出してちょっと切なくなるが、自分達用のおみやげとしてテキーラを購入してしまうのであった。
歩き疲れたこの日の夜は夫がコンビニでビールを適当に見繕ってきて宿で酒盛り。しかし、缶のがらが違うと言って買いそろえてきたのは塩とライムが添加されたアルコールなしビール飲料であった。しょっぱかった。スペイン語でしか書いてないからわからないよなぁ。一緒に買いに行くべきであったとちょっと後悔した。なお、この日一番最初に撃沈したのは、言わずもがな、酒盛り言い出しっぺの夫であった。

▼2/22 Mon 島!

朝からとてもいい天気。結局、この旅でカラッと晴れたのは二日目のシカレとこの日だけだったなぁ。
この日はホテルゾーンの北側にある島Isla Mujeresイスラ・ムヘーレスへ行くことに。長いところでも8kmしかないこの島、昔はバックパッカーの聖地的な場所であったらしい。今はそれなりに観光地化されているようだけど、それでもホテルゾーンに比べれば現地的な風景が残っていた。高速船で波に揺られること30分、気持ち悪くなりながらも倒れる前になんとか到着。

当地ではゴルフカートを借りて移動する。道が狭い割に交通量が多いが、道のあちこちにバンプがあって速度違反ができないようになっている。ゴルフカート程度の遅さでも大丈夫なのだ。運転に免許証も不要で、フリーダムすぎて心配になる。島に信号はない。

まずは島の北にあるビーチ、Playa Norteプラヤノルテへ向かう。ここが天国のようなビーチであった。砂は柔らかく白く、海は浜から沖にかけて透明、ミントグリーンを経て深い青へと美しく遷移する。これがカリブの海か。あんまり海に馴染みがない私、少し水遊びしては、チェアーに寝っ転がって日焼けしてみるもすぐに暑くて耐えられなくなり、また水遊びして…を繰り返した。海水浴なんて、覚えている限り生涯2度目だもん。海水が予想以上にしょっぱかったり、波を横切って平泳ぎするのは結構疲れたりといろいろ新鮮だった。

そうは言っても、欧米人みたいにひたすら日焼けのためにごろごろするのには慣れてないこともあって、2時間半ほどで時間をもて余し気味になってしまった。 ゴルフカートに乗って島の最南端を目指しながら、道すがら目に付いた店で昼食をとる。ここがこのカンクンで一番おいしい店だったなぁ。夫のタコスと私のファヒータが同じものであったのはご愛敬ではある。半分外みたいな茅葺きの建物で外の風景を見ながら食べるご飯のおいしいこと! で、さらに南下してやっと岬に到着。島の西側は大海に面していることもあり、東側にある先に訪れたプラヤノルテや、この後に立ち寄るスノーケルポイントのあるビーチとは趣が違って日本海的であった。イグアナがごろごろしていたのも目新しい。

この島の南端にはガラフォン国立公園というシカレ的テーマパークがあるのだが、そこではなく、そのすぐ北隣にあるGarrafon De Castillaへスノーケルをしに行く。ここはホテルの私有地であるが、安価な入場料を払えば誰でも入れるのがよい。装備も借りられるし、魚の餌も売っているので、スノーケルでお魚が見たいヨーという夫の念願も簡単に叶うのである。ところが、ここに到着した瞬間に雨が降ってきた。遠くカンクンからこの島まで広範囲に雨雲が広がっているのが見て取れる。30分も待てば雨は上がったが、雲は依然多いままで海に入るには肌寒い。というわけで、私は完全にビーチのトドと化し、夫は意気揚々と魚を求めて海に突入、妹は波打ち際で餌を撒いている他の観光客に近づいて魚と戯れたり、その様を見ていたカナダ人にナンパされたりしていた。この辺で妹に近寄ってくる男どもをカウントするのをやめる。

で、ほどほどのとこで海から上がり、幹線道路以外の民家が建ち並ぶ細い道を迷走しながら港に戻る。町中で、外売りのタコスをおやつに買う。肉以外のサルサ(ソース)は載せ放題。$15。


最終の高速船で本土へ戻るが、ついに私の船酔いが爆発した。たかが30分程度なのに…。このため、夫が翌日の予定であった体験ダイビングに申し込むか悩み始める。夕飯は近所の簡単タコス屋でケサディージャを食す。妹はファヒータ。この日の昼食に全く及ばず、ちょっと哀しい食事であった。

日焼けのせいで カンクン6日間 その1

2月の半ばから3月頭までは公立学校や大学がそれぞれ1週間ほどの休暇を設定する期間だ。イサカでもボストンでも同じであることしか知らないが、雪国特有のものかもしれない。偶然にも妹が2月初旬にNYCへ来ており、その後にボストンの私たちを訪問したいとのことだったので、ついでにメキシコのカンクンへ行ってきた。

日程は2/18-24の5泊6日。カンクンの旅は宿を定めて、現地でツアーを追加するのがよくあるスタイルの様子。アメリカ御用達避寒地としてマリンスポーツも盛ん。しかも近くにチチェンイツァーがある! マヤ遺跡はいつかこの目で見たかったし、それがケツァルコアトルと縁のあるチチェンイツァーとは! それだけで大興奮ですよ。それにそもそも、年始の旅行をしたときに同行した友人夫婦がダイビングもスノーケリングもとてもよかったと強調していたのに惹かれていたのであった。というわけで、宿とフライトの格安パッケージを購入し、水着とビーチサンダルを携えて一路メキシコへ向かったのであった。

▼2/18 Thu とにかく移動

朝からバスでボストンからNYCへ移動し、JFKからカンクンへノンストップフライト約4時間。西海岸へ行くより近い。カンクンの入国審査では、審査官が日本語で接してくれる。夫、私と一瞥した後、妹の顔を注視した後「Beautiful!」と一言。そして早速妹の手を握る。この後、妹はどこへ行ってもメキシコ人男性に甘い言葉を掛けられ続けるのだが、その幕開けであった。彼氏ができないと嘆く妹、いっそメキシコにくればいいよ。

空港からホテルゾーンの宿まで乗り合いタクシーで移動。USD$15/人であったが、実は市内から空港への逆送では最高でも$28(チップ込み、タクシー一台)であった。なんだこの価格差! 45分ほどで宿に到着し、この日はすぐに就寝。

▼2/19 Fri いきなりマヤ遺跡

翌日は朝から雨模様。天気予報を鑑みて、前日にネットからチチェンイツァーへのツアーに申し込んでおいたのだった。日本人の運営するツアー会社にあった格安英語ツアーUSD$45/人の中身は別の催行会社によるものであったが、申し込み時や当日朝の料金支払い時の対応はすばらしく、なんだか日本を感じた。

カンクンからチチェンイツァーまでは車で2時間。行きは途中でセノーテ(泉)、お土産屋とランチに立ち寄る。ユカタン半島はかつて海の底だったために土壌の大半が石灰質であり、あちこちに鍾乳洞や水の湧く泉がある。ちなみに、水道水の硬度も高い。砂州にあるホテルゾーンでは、硬いだけでなくしょっぱい。

それはともかくとして、泉である。泳いでいいよと言われて水着は持って行ったものの、まあ見て終わり。 洞穴の上部には鍾乳石が見られたが、おそらく今はもう成長していないだろうと思われた。


近くで昔ながらの手法でトルティージャ(トウモロコシ粉パンケーキ、タコスの皮)を焼くデモンストレーションをしていた。日本人にとってのご飯みたいなもので、非常に大事な食料であるが、トウモロコシ粉のにおいはちょっと苦手かも…と思っていたことを思い出した。アメリカでタコスなどを食べるときには小麦粉のトルティージャを選べることが多いが、たぶんアメリカ人にもあの香りがきびしーと感じる人がいるんだろう。もちろんメキシコでは選べませんでした。

お土産屋では値切り交渉を楽しんで! と言われたが、ああいうのは性に合わないなぁ。欲しいと思った物に剥がし漏れた値札が付いていたので、その値段で売るように交渉はしたものの、きっとそれがなかったらそこまで価格は下がらなかっただろう。こわいこわい。で、食事の後、ようやくチチェンイツァーへ。

チチェンイツァーは800年頃にマヤ族に建造された旧遺跡群と、900-1100年頃にマヤ族と融合したトルテカ族に建造された新遺跡群から成り立ち、生け贄を捧げる儀式なんかが行われたのは戦闘民族でもあった後者の所。メキシコにはもともと蛇を神として祀る風習があったというが、トルテカのリーダーと蛇に羽の生えた神が融合して、ケツァルコアトルとして新遺跡のあちこちに石像が設置してあった。そのほかは旧遺跡に比べると全然装飾がない。あっさりしたものだ。そんなわけで、半分はトルテカ遺跡なのでこれをマヤ遺跡と呼ぶのには疑問が残る。

新遺跡群

旧遺跡群 雨の神様チャックがたくさん。鼻が上を向いていたり下を向いていたり。

 帰りのバスは参加者を宿まで送ってくれたが、例によって降り損ねる私たち。こういうときに降りられないことはしょっちゅうある。ついでに、ホテルゾーンからは少し離れた中心街へつれていってもらい、夕食をとることにした。ガイドに強く勧められて訪れた〈PERICOS〉はめちゃくちゃ観光客向けの店であった。それはそれでいいんだけどね。店員は英語を話せるし、音楽の演奏もあったし、味も悪くなかったし。ここでまた妹は店員に声を掛けられる。二人目。


▼2/20 Sat ビーチリゾートにいるのに水辺のテーマパークへ

常日頃から、ビーチリゾートのホテルに滞在してホテルのプールでだけ遊ぶ人の気持ちが分からなかったのだが、泳げるテーマパークへ行くとなれば私たちもそう変わらない。Xcaret(シカレ)という現地のマヤ遺跡と湧き水が海に流れ込むところにできた海浜公園と言えば聞こえはいいが、完全にテーマパークだ。カンクンからバスで約1時間、バスの送迎とシカレでのご飯・スノーケル装備セットプランにしてUSD$105/人。宿に常駐する旅行会社のスタッフに申し込む際、話をしているうちにあっさりUSD$5値下がったらしく、時間があればもうちょっと値切れたのだろうかと思う。

朝、宿に迎えに来たシカレのスタッフにまた妹が声を掛けられる。3人目。私たちが夫婦でこっちは妹、と紹介したら、彼氏はいないのか、メキシコ人はどうだ、俺はどうだ、と激しい営業活動。メキシコ人め。

敷地内に整備された川をスノーケル装備をつけて流されるのは、スノーケル練習には良かった。一応天然のビーチもあって、ちょっと日光浴をしたら大変なことになるわけだが、このときはまだ日焼けの恐ろしさをわかっていなかった…。

夜はこの地域の歴史と歌や踊りを見せるショーがあり、これがなかなかおもしろかった。前半は神話時代からマヤ時代の風習、コンキスタドールとの争い、キリスト教への改宗なんかのショーであったが、最後にメキシコ人とスペイン人が手を取り合ったところでなぜか拍手が広がる。観客はほとんど欧米人であるが、征服について申し訳なさを感じていたのかはは謎。後半はタップしたり、踊ったり、馬に乗った人が出てきたり、陽気な感じであった。

ここはご飯もおいしくてよかったな。メキシコ料理食べ放題最高!

18.2.10

熱が出た

日曜にPresidents' dayのセールを当て込んでレンサムアウトレットへ行ったときに、寒いなーとは思っていた。翌月曜、やけに鼻が詰まる。火曜、朝起きたら手が熱かった。

熱出てました。ちょこっと。

一日寝ていたら、それほど熱も上がらずに今日を迎えられた。発熱なんて数年ぶりだ。日本から持ってきたパブロンエースがついになくなったので、Walgreenの総合感冒薬を追加。昼用と夜用とあって、昼は眠くならないように作ってあるらしい。どちらも甘く、おいしくいただきました。夜用は睡眠導入剤としても使える。昼用はあまり利かなかったかもしれない。パブロンはおいしくなかったけど効果はピカイチ。鼻づまりが治るどころか、鼻の中がカッサカサになった。

熱が出ると、急に気持ちが元気になるのはなんでかね。かなり肩凝ってるのにね。

14.2.10

睡眠日記

昨日は就寝22:00、起床2:00。ついに私の早起きも早朝番組をもつアナウンサー並になった。その後、寝られないまま夜が明け、久々に「徹夜(に近いこと)をして翌日早く寝て生活リズムを正そう」作戦の決行です!

午前中は買い物に、昼前に最近不調のネット接続を確認しにサービスマンの訪問があり、午後は洗濯しながら2週間借りっぱなしのハリー・ポッターの最新作を見ると、寝ないように何かをし続けてきたのだが、ハリーが1時間ほどカンニングを続けたところでついに睡魔にやられてしまった。未だ寝るのは早すぎる!とたたき起こされ、なんとか夕飯を食べ、22:00に気を失うように就寝。おかげでモーグル決勝は見逃した。23:30になんとなく起きてしまうもその後また無事に寝られて、ついに現在日曜日、朝7時に自然と起きられたのであった。わーい。

日曜はバレンタインのためスーパーマーケット各社は関連商品を売るので大忙しであった。Whole Foodsではキャビア、チョコレートプリンやココアバーベキューの実演販売をしていた。おいしいのかなぁ。それとは全然関係なく、クレームブリュレを購入したら、これがすごくおいしかった! アメリカで2番目においしいクレームブリュレかもしれない。というか、食べたの2回目。普通のプリンはフランだが、レストランのデザートとしてしか見たことない。クレームブリュレに至っては、ああ、ケーキ屋にはあるかもしれないなぁ。まあとにかく、表面はぱりぱり、中は卵と生クリームのバランスが絶妙なすばらしい出来だった。一つだけ文句を言うならば、真ん中がまだ凍っていた。2 for $4, reg.$3.49。

12.2.10

3時半の怪

ここ数日、朝の3時半頃に起きてしまう。せっかく23時台に就寝できるようになったのに、このせいで日中眠くてしかたない。昨日の英語のクラスでクラスメイトに目が二重だと言われたが、そりゃ眠いからです。さぞかし目が開いてなかったことだろう。

一昨日の大雪騒動は肩すかしだった。雪雲にさえスルーされるボストン。前日から公立学校は休みとのアナウンスが出て、陪審裁判も午前中で閉廷、大学だってオフィスは午前でおしまい(教授も休ませてあげて!)。なのに、夜が明けたら車の上にさえ雪が残っていなかった。天気と言えば、テキサス州ダラスの降雪が気になる。年始の頃は「ダラスに雪が降った!」というそれだけでニュースになっていたのに、今朝「ダラス史上最も降雪量が多いぞ!」に進化していた。あんな南にあるのに、ボストンと気候がそう変わらないんじゃないかと思うと気の毒だ。

昨夜は近所のスペインバール〈Tasca〉へ行ってみた。前に一度突撃した際は満席・行列であえなく撃沈したので、今回はちゃんと予約した。いろいろ食べられるのが楽しくどれもおいしかったのでまた来てもいい。注文は特に冒険せず、バールの定番物中心に。サングリアのピッチャー、Gumbas al ajillo(エビのニンニクオイル揚げ)、Patatas bravas(フライドポテトのアイオリとトマトソースかけ)、生ハムとチーズ、Setas al jerez(ポルタベラのシェリークリームソース煮トースト添え)でチップ込み約$55。最後のはマッシュルームクリームスープに味が近かった。この手のシチューっぽいマッシュルームスープはかなり好きなのだが、アメリカで食べると軒並み濃厚すぎて久しく遠のいていたのだった。なにしろハインツの缶スープの側面にあるレシピにおいて、グラタンのソース代わりにすることを提唱しているくらいだ。まあ何より、この店の一番の長所は近所にあるということです。

10.2.10

got off the wrong foot

今朝の地下鉄の遅延にはまいった。いつも通りESLに行くべく電車に乗ったら、突然運行中止の車内放送が入り下車させられた。そういったことは珍しくないので、すぐそばまで来ていた後続の電車に乗るべく準備していたら、また運行中止。3台目はどうだと待ったのに、やっぱり運行中止。どれも折り返し、来た方向に戻っていった。降りた客が殆ど待たず、バスに乗り換えたり隣の他の路線が合流する駅に移動していたりしたのを見て、こりゃだめだと思い私も一駅徒歩移動。隣の駅はごった返していて、何度か見送る羽目になった。やっと乗れた後も非常に低速での移動で、ひっきりなしに車内放送がかかる。こりゃ全面的におかしいぞと思いつつも、やっと降車駅に到着。乗車から1時間半たっていた。ひどい一日の始まりだった。

クラスの後、図書館にて旅行ガイドを探すと2010年版を発見。ほくほくして借りようと思ったら、図書館カードを忘れたことに気づく。肩を落として本を戻し、帰宅。

家についてPCを起動するも、週末から続くネット接続の不調のせいでページ遷移の3度に1度が失敗する。

明日はいいことがあるように……と祈るが、天気予報は大雪。February Furyだって。もういやん。

8.2.10

スーパーボール雑感

この週末は一歩も外に出ず終わった。よく寝て睡眠欲が満たされた。いやー満足。もっとも、昨日はなんだか体調がすぐれず寝込んでしまい、今日はスーパーボールだからTV観戦のために絶対に家にいる! と強い決意を示した同居人がおり、引きこもったのは必然だったんだろう。

昨年は全然アメフトを見なかった。今年はケーブルテレビに加入したこともあって、夫がシーズンの初めからずっと見ており、その影響でおおまかなルールは分かるようになった。なにしろ見やすいのがいい。アメフトが他のスポーツより勝っているのは、一度の攻撃が短いこと、これに尽きる。

私はスポーツ観戦それそのものに強い関心があるわけではないけれど、観戦時の馬鹿騒ぎは大好きなので便乗したくてうずうずしたものだ。昨年のニューオーリンズ旅行の際、その時まで全勝を保っていたニューオーリンズ・セインツのユニフォームを道行く人みんなが着ており、やはり地元のチームが強いと盛り上がりが違うなと思った。まあその時は、旅行中にあったゲームで全勝がストップしてしまったけれど。

そんなわけで、本日のスーパーボールを見てしまった。ニューオーリンズ・セインツ対インディアナポリス・コルツ。そして前評判に反して、個人的に馴染みあるセインツが勝ったのが良かった。セインツは1967年の設立以来ずっと弱かったらしい。2005年の台風カトリーナによって本拠地のスタジアムまで被災してホームでゲームができなくなった。アメフトはホームかアウェーかに試合の結果が大きく左右されることもあり、2006年はひどい成績に終わった。その後無事にスタジアムも改修され、2009年の今回、初めてスーパーボールに出場でき、復興の象徴みたいなのも背負っていたのかな、と思う。それに対してコルツは強いチームで、過去何度もスーパーボールで優勝しているほど。弱いセインツと比べたらやっぱり悪役だろう。まあ試合を見ている最中、劣勢になったコルツに肩入れしたくもなったけど。

ボストンのフリーペーパー「Metro」にもこのスーパーボールの特集記事があって、ジョークまじりなのがおかしかった。例えば、コルツの花形選手マニングは父親も弟もNFL選手でサラブレッドだが、マニング家はそろそろ独占禁止法にひっかかるんじゃないか、とか。今回はコルツが負けたので独禁法の適用は見逃してあげたい。ちなみにマニングの父はその昔、弱い時代のセインツの選手だった。何か因縁を感じる。

7.2.10

Utada!

近所のライブハウスにUtadaが来る! ということで金曜の夜に行ってきた。前にManic Street Preachersを見た場所で、今回もチケットが格安であった。$20。チケットは売り切れにはなっていたものの、小さいハコだしチケットの枚数が少なかったのかと疑っていたが、蓋を開けたら満員御礼であった。ハコのキャパは700人強らしいので、それくらいの人数が来たのだろうと思う。

前座はDJが出てきた。が、クラブでプレイするのとは違ってここはライブハウス、しかもすし詰めで、踊る感じの盛り上がりが全然なかった。気の毒に。何度も「あと○○分でUtadaが登場するぜ!」と煽ったが、観客が反応するのはその瞬間だけ。私はクラブに行ったことがないためにDJと呼ばれる人たちが一体何をしているのかまったくわからなかったが、なんとなく、DJのしたいことが分かった気がする。あの人達は音楽の編曲をしたいんだね。速度を変えたり、そこにリズムを加えたり、効果音を足したりして、元の曲の新しい可能性を見いだすんだろうな。先日、グラミー賞に出てきたLady GAGAの「Paparazzi」やUtadaの「Dirty Desire」はとてもクラブ音楽映えするなぁと思った。

その後、総勢6人ものバンドを引き連れて定刻通りUtadaが登場。ドレッドっぽいボブに片方の肩をさらけ出したワンピース姿で、Utada名義のアルバム「This is the one」からの曲で幕が開いた。ファッションとあの独特のハスキーボイスが相俟って中森明菜が思い起こされた。Utadaの曲はほとんどこのアルバムからであったが、どれも聞きやすい感じ。じっくり聞き入る宇多田ヒカルの曲とは少し異なる印象か。宇多田曲も半分ほどあった。弾き語りをちょっと入れたサクラドロップスや一番盛り上がったFirst Love、Automaticのアレンジは原曲よりロックだった。私が一番ぐっときたのはSanctuary。この曲は同じメロディで歌詞が日本語のバージョンPassionもあるが、両方の歌詞を交えての歌唱であった。泣くかと思った。歌謡曲、ポップス、ロック、はてまた少しエキゾティックな曲まで、実に多彩な曲を聴きながら、メロディーメーカーとして天才なんじゃないかと思った。

バックバンドもうまかった。あんなうますぎる人たち反則だ。途中でロックな曲調が続く場面があって、その中にPlaceboのカバーが挿入されていたのだが、完全にバンドの独壇場だった。Utadaの声がかき消されるほどの激しさ。あの演奏だったら、よっぽど野太い声の人じゃないと太刀打ちできなかっただろうな。Placeboはアルバム「Sleeping with Ghost」のジャケットのイメージしかなかったので、もっと宇宙系の音楽だと思ったのに違ったのもショック。

観客はアジア人半分、アメリカ人半分といったところか。中には日本から来ている人もいたらしい。すごいね。確かに宇多田はあんまりライブをしないようだったので、ライブハウスツアーなんて夢みたいなものだろう。それもあってか、MCは基本は英語で、時々日本語で話していた。曲と全然関係ない雑談が多かったのが新鮮だったなぁ。彼女はNYC出身だけどボストンに来るのはこれが二度目らしく、一度目は小学校の同級生が中学校でボストンに転校したから会いに来た時と言う。その時に、小さな、あまりきれいでない中華料理屋に連れて行ってもらったのだが、出てきたスープに鶏の頭や脚がどかどか入っていたのが忘れられない思い出らしい。彼女としては、それはアリだったらしいけど。日本では音楽史上に残るCDセールスを記録した大スターであるのに、実際の彼女は非常にふつーの人って感じであった。すごいもんだ。

何にしろ、今回のコンサートに行けたのは幸運だった。今度いつコンサートするかわからないし、チケットもとれるか不明だし、チケットの価格もめちゃくちゃ高いだろうしな、今回の$20と比べたら。

10時過ぎに終演して、10時半には帰宅。いやー、コンサート後に早く帰って来られるって幸せ。

5.2.10

こんげつのもくひょう

先日、友人に三谷幸喜のエッセイを借りた。彼の本を読むのは初めてだ。朗らかな作風のテレビ番組や本人のシリアス顔でギャグをかますシュールさから、どんな文章を書くのか想像がつかなかった。ところが実際は、簡潔かつ明瞭でさらっと読めるけど引き込まれるという矛盾した感触があった。さすが職業作家(脚本家)だとうならずにはいられない。私もあんな文章が書きたい。先日二回分の日記を読み返すと、何度も推敲したことで文章の勢いが削がれていると感じる。書き終わった後の、あれ、私なんだかちょっといいこと書いてない? 的なちょっと得意気な表情が垣間見られるのが恥ずかしい。自分で掘った穴に埋もれてしまえ。

過去の経験からも、あれこれ悩むよりも軽い気持ちで瞬時に下した決断の方が後々まで残るように思う。試験の回答は見直すほど正答率が下がる。料理は調味料を足すほどまずくなる。そして、文章は推敲するほど読めなくなるのである。

また、もう少し日本語の表現の幅を広げたいと思った。来し方を振り返ると、たぶん最も頻繁に文章を書いていたのは中学生の時で、今よりもイイコトを書けていた気がする。美しきかな、思い出。この日記を振り返ると、特に複数ポストに跨る旅行の話なんかは、同じ表現が繰り返し出てきてうんざりするほどだ。それぞれのポストが日を置いて書かれているだけに、その時々のコンディションに左右されているのがよくわかる。もう少し訓練しないと。

というわけで、2月はできるだけコンスタントに日記を書きます。
書きたいです。
書ければいいなぁ。
書けるかなぁ。


以下、今日の日記。

ESL後、友人と連れだって昼食に〈China Pearl〉を初訪問。どの点心もおいしかったし、4人でおなかいっぱい食べても$36と、毎度毎度のことながら中華のすばらしいCPには驚かされる。でも4人で訪問したからこその高評価かもしれない。2人では戦力不足だろう。ESL主催のお茶会に参加した後、日が暮れるまで歓談してきた。いやー楽しかった。

3.2.10

中2ポエム的に日常を振り返ってみる

すっかり昼夜逆転生活を送っていたここ最近だが、今朝はがんばってESLへでかけた。昨日は起きたら午後3時で、そのまま夜通し起きて突撃した。しかし昼前に帰宅して昼食をとったら撃沈。朝のカフェイン飲料も切れてしまった様子。

久しぶりに仰ぎ見た午前の空はどこまでも青かった。

ESLの生徒には、夫の留学や駐在についてきた配偶者の立場の女性が多い。日本人・韓国人・中国人が三大勢力であるが、国籍によらず本国に帰れば専門職としてばりばりなキャリア生活を送れるような職業の人が珍しくない。何年も英語の論文を読み書きしてきたような人たちが日常会話の練習に来ているのだ。まあ数年だけだしと、仕事を辞めて夫についてアメリカに来て、家事だけに専念する暮らしを送るわけだ。ただ多かれ少なかれ、社会との関わりから得られる刺激と引き替えのこの優雅な時間を物足りないと感じることがあるだろう。勝手な感想だが、そんなすばらしい才能を持った人たちがくすぶっているのを自覚しながらも手をこまねいているのを見ると、本当にもったいないなーと思う。私にはその点、もてあますような専門性はないので気持ち的にくすぶってるだけだけれども。中学生か。

中学生と言えばその時の先生が、自分が選んだ道が結果的に一番いいんです、と高校受験直前に生徒に向かうでもなくつぶやいていたのを思い出す。人生において、時に不可避的な外圧に屈することもあるかもしれない。しかしながら、今の私は私自身が選び進んできた道の上にいるわけで、肯定しないのが馬鹿らしいと思い始めた。それに加え夫に対して、私は自分の人生を曲げてついてきてやったのに! と尊大な感情を少なからず持っていたことも反省すべきだ。夫がそれを申し訳ないと気遣ってくれるのに胡座をかいていた。そうでなければ一人暮らしでもないのに昼夜逆転生活などしない。

くすぶっているのなら、その火を再び燃え上がらせるような新しい風を吹き込んでみろってなもんだ。