30.7.19

まずは体力だ

千秋がそう言ってパリに着いて早々ジョギング始めてたから、私も筋トレします。

asicsがつくった筋トレアプリのrantasticってやつを使うんだけど、たった四種×3セットの30分弱で汗かいたなあ。ラジオ体操第一でウォームアップしてからやったからかも。振り回す腕や脚が重かった。ヒトの体って重いよね。

どんだけ体使ってなかったよ。自分に驚く。

27.7.19

のだめカンタービレ

帰省時の楽しみの一つに、家に置いてきた漫画を読み返すことがある。
それで今回は「のだめカンタービレ」を読み直したのよ。いやーおもしろかった。2008年発刊の21巻までしか持ってなくて、そういえばその後に渡米して途切れてしまったのだった。
最終巻の25巻までの四冊を求めて、台風が近づき土砂降りの中を、本屋六店舗ほど渡り歩いてしまった。けれどさすがに10年前の本はもう書店にはないのね。ブックオフを三軒回って揃えたよ。
本編最終回の23巻はきれいにまとまったし、おまけの番外編はかなり詰め込まれててお腹いっぱいだわ。

指揮者になりたいという明確な目標があって、最短距離を走り続ける努力もしているのに、PTSDのために海外に出られないという致命的な弱点をもつ千秋が苦悩するところによく自分を重ねていたことを思い出す。年も千秋が少し上だった頃のことだ。こんなことをしていて何になるのだろうって楽譜を破り捨てる場面に切なくなりつつも共感した。留学を終えて帰国して、就職市場的な価値が自分に全くなかったことに絶望していたから。就職しても、これが何になるのだろうと思っていた。そしてその後、夫の留学についていってしまったから、ある意味では逃げたのだ。Ruiと千秋のコンツェルトを聴いたのだめが突然プロポーズしてしまったように。私は千秋にはなれなかった。
だから、パリ編以降は心の距離が離れてしまい、読みかけでもいいと思ったんだろう。完結まで残りたった二冊なのに、ほっぽらかしになっていたのだ。

それから10年ほどたった今、たまたま家にあったから読み返してみた。
驚くことに、純粋に漫画の内容を楽しんでしまった。そうして、二ノ宮知子は好きだったなということを思い出した。
才能に惚れ込む関係は好きだ。先天的に備わった能力を昔はただ羨ましいと思っていたが、今では、発揮されたいわゆる「才能」が、降って湧いた幸運にだけに支えられたものではないと知っている。たゆまぬ努力と誰かの支えがあってこそ成立するものだ。
だからこそ、一番大事な局面での選択を自分自身で為していけるし、その先へと進むことができるのだろう。

今回まで読み残していた二冊では、あれほど音楽から逃げ回っていたのだめが、音楽と生きる覚悟を少しずつ決めていく。
二度目のサン=マロのコンサート開会を宣言するラストにおいて、かつてと同じセリフであっても、告げるのだめの見ている景色はさらに鮮やかだったと思う。

また、劇中で千秋が幾度となく説明する音楽の解説が、のだめといっしょにだんだんと私の中で意味をなしていけるのがとてもよかった。コンセルヴァトワールのアナリーゼ初回のクラスではちんぷんかんぷんだったのにな。
また、そうやって解説される中で、過去の偉大な音楽家たちの創作上の意図に、なんとなく共感できるものもあり、目がさめるような思いにもなった。

キャラクターの言動について、ポリコレ的には若干の危うさを感じる部分もあったが、20年の月日が流れたことの証左でもある。現代ならいくつかは描き直されるかもしれないな。