27.11.14

お酒ブームの終わり

二ヶ月くらい前から、週末に夫と晩酌をするようになって、ビール飲んだりワイン空けたりしてきたのだけど、ついに私の中で何かがが終わった。閾値を越えたっぽい。

というのも、先週末の連休に出席した結婚式で、AKB48になりきるための潤滑油を体内に注ぎまくり、閉宴後には集まった仲間で場所を変えて反省会と、その一日だけで一ヶ月分くらい飲んでしまった。またその前日にも、子供たちを夫の実家に預けて、夫と二人で飲み歩いているのだ。あー満たされた。

学部生のときの仲間内なので、卒業からもう10年以上が過ぎたのか。それぞれ状況が変わっても、再会して楽しく過ごせるのはとてもありがたいし、嬉しいものだなあ。までも、しばらくはお酒はいいや。

写真は近所の武蔵野の森公園。地面の乾いている森ってのが日本にも存在することにびっくりした。調布飛行場の隣なので、伊豆諸島に飛んでいく小型飛行機やヘリコプターを間近で見られて楽しい。この辺は都立公園がたくさんあって、とてもいい。

15.11.14

もうすぐ友人の結婚式

近々、友人の結婚式があり、そこで余興をすることになった。まさかのAKB48である。いやーなんだかんだで本物はやっぱプロだねー。彼女らはかわいく見せるダンスをしてるなあと思った。かくいう私は、基本の振り付けに追いつく以前である。自主練、がんばります。

ところで、生協で余剰農産物を安価で提供するという商品を毎週頼んでいて、それが何かは届くまでのお楽しみなので、その季節のものになる。今はりんごとみかんだ。前回は紅玉が6個、今回は秋映が4個であったので、タルトタタンを二度作った。前回は酸っぱく、今回は甘さが強かったのでレモンを追加しても良かった。また紅玉は火を通すと柔らかくなるが、秋映は結構煮崩れないなど、りんごによって違うものだ。何より食べる直前に型からひっくり返すのが楽しい。始めにつくった生地のパートプリゼがあと1回分残っているので、来週も何らかのりんごが届くことを期待している。

14.11.14

晴れ

今日はいい天気だったので井の頭公園へ。この林ゾーンが好きで、ずっとここにいてもいいくらい。落ち葉が積もって足下がふかふかするのが気持ちいい。蹴り上げたり、両手で放ったりと、子供たちもやり放題。しかし帽子に落ち葉を集めるのはちょっと待ってー。

パイプの詰まり取り洗剤が、お風呂の床の黒ずみにてきめんと聞いて、大量に撒いて熱湯で流したら、その後しばらく目と鼻がしぱしぱした。考えてみれば、あの洗剤はハイターのすごい版だから、立ち上る塩素をもろに浴びたわけで。床は確かに真っ白になったので、次回は水で流そう。

13.11.14

はやく春が来ないかなあ

最近、めっきり寒くなった。今朝はついに寝室の窓が結露していた。窓の水分で冬の到来を知るのである。

日中はそこそこ気温が上がるので、この温暖差が体にキてるようで、調子が上がらない。今週は初めから子供たちの鼻水に悩まされ、それがストレスになったのか肩こりと頭痛が酷かった。刺すような痛み。でも、肩こり自体には、とりたてて重篤な疾患がないようだ。後鼻漏っぽい症状も出てきていたので、命に差し障らなくともQOLが著しく下がるこの状態がしんどかった。今は小康状態。薬が効いたのかも。

今夜のご飯は鱈のレモンバターソースがけ。適当なフレンチのレシピを参考に作った。魚はオーブンペーパーにバターとレモンと共に包んでオーブンで焼き、ペーパーに残った出汁を生クリームと塩と砂糖で調味し、ソースにして魚にかける。予想よりもレモンの酸味がきつく、砂糖で和らげたのだが、蜂蜜でもよかったかな。おかげでソースはとてもおいしくて、何かに転用できないかと悩んでしまうほど。惜しむらくは鱈が少なすぎた。次は大量に用意しておこう。

12.10.14

夜遊び

子供達を寝かしつけた後に、夫のコンタクトレンズの洗浄液がなくなったという、重要そうでそうでもない口実をつけて夜の街へ出かけた。

自転車を転がしてドラッグストアとコンビニをハシゴ。ここで例えば1人で飲み屋に行っちゃうような度胸があればなーなどと思いつつも、私の冒険などせいぜい帰宅するのに遠回りするのが関の山であった。

うちの近所は夜になるとめっきり人通りがなくなる。日中と違って思いっきりペダルを踏み込めるのが嬉しい。暗いと実際より速度が出ているように感じてしまうので、それほど速くは走れていないけれども、袖を通る空気が冷たくて気持ちよかった。

自分一人で、自分の思うままにどこへでも行けるのって、何て自由なんだろうと思った。また出かけよう。

8.9.14

外出

新生活が始まったと思っていたら、いつの間にか夏が終わりそうになっている。まだ三ヶ月くらいのところで足踏みをしている気分になったりもするが、それでも、少しずつ進んでいるようにも思う。

電動自転車の導入は、私の外出への気持ちのハードルをかなり下げた。初めはよろよろ怖かったし、転んだりもしたけれど、狭くて信号の多い都会の道ではかなり機動力が高く、その利便性が勝る。自転車楽しい。そのうち一人でサイクリングでもしたい。

車でも、片道一時間程度なら、思い立って出かけるか、と腰を上げることが増えた。ちなみに自動車所有率の高いこの多摩地区で、家から一時間でどこまで行けるかというと、なんとたったの20kmである。8km先のイオンすら30分近くかかったりする。通る道はそれなりの幹線道路だが、とにかく信号が多くてストップアンドゴーばかりしている気分になる。かと言って、多くの裏通りはすれ違うのが時に困難なほど狭かったり、その割りに通行人が多くてかなりの注意が必要だったり、そして信号がない大通りへの合流地点では進入するのに一苦労だったりで、抜け道はほぼない。とにかく車も人も信号も多すぎるのだ。これが都会か。

ところで、雨が降って寒いので、じゃがいもとねぎのスープを作った。これってpotage bonne femme、ヴィシソワーズの冷やす前、粉砕する前、生クリーム入れる前の状態なのね。知らなかった。リーキはないので普通の長ネギをつかっていて、あまり甘みはない。上の子は小麦粉とバターと牛乳という組み合わせが好きで、グラタン、シチュー、チャウダーとなんでもござれだ。寒い季節も、牛乳のヒゲをつけた笑顔で乗り切れたらいいのだけど。がんばろう。

4.9.14

都会の公園

井の頭公園は、ここに引っ越すまでは一度しか来たことがなかった。そして吉祥寺駅からすぐそこ、すごい人出、くらいの印象しかなかった。

のだけど。

端っこの方はすばらしいよ! 通路以外のところは樹木も下草もあまり手入れをしていないような、最低限はしているだろうけどなかなかの自然っぷりで、森の中を散歩している気分になれる。自然の中でそこそこ整備された通路を歩けるのは楽しいことだ。何より普通の靴で行けて楽だし。まるでアメリカの国立公園のようだ。こういうの、国内にはあんまりないと思っていたのに。

こういうの、存在したよ、多摩地区に。すばらしいよ多摩地区。さすが東京の「東京」じゃない地域。多摩地区は大きな都立公園がたくさんあって、季節がよくなれば広い草っ原の上で寝っころがるのも簡単だ。まああんまりきれいな芝生ってわけにもいかないけど。

都内で一番ごろ寝が気持ちよかった場所は、明治神宮の裏手だ。まだあるのかな、あの区画。

1.9.14

鶏皮とエリンギ

鶏皮が余ったら、フライパンに油を引かずに投入し、弱火でカリカリになるまで焼いたのに塩をふって食べるのがすきなんだけど、いつも大量に出てくる鶏皮の油がもったいないと思っていた。

今日はそこに、スライスしたエリンギもぶちこんで、表面がキツネ色でカリカリになるまで待ったら、とても、とてもおいしかった。世紀の大発見である。

エリンギって普通に炒めると、香りが強くて扱いに困ることが多いんだけど、今回は全く気にならなかった。香りが飛んだのか、鶏油の風味が強かったのか。

普段は豆腐と鶏胸肉本体でハンバーグにして、鶏油で焼くとコクがでるし油もたさないしでいい感じだと独り悦に入るのである。そしてカリカリ鶏皮はみんな私の胃の中へ…。こういう下品な食べ方は調理者の役得ってやつなのである。

塩は強めだとなおおいしい。またやろうっと。

5.7.14

実家サイコー


上の子の幼稚園のプレ教室が二週間なかったので、実家に帰ってきた。車での帰省は少々疲れるものの、実家付近で好き勝手に移動できることの喜びよ! 到着した次の日に早速友達と会ったり、友達オススメの地元の公園で大型遊具や水場で子供達を思い切り遊ばせたり、念願の自分の靴を買ったり、実家で使うためのビニルプールとテントを調達したりとフルスロットルに過ごしてきた。

のであるが、二週目に入ったところで下の子が発熱。私が家のイベントクラッシャーは健在であった。さすがである。しかも今回は初めての数日に渡る発熱。心労もあって、子供の体調が快方に向かった一方で、私がダウン。腹痛が止まず、過去に休めば治まったものがいつまでも続くことから、何か重大な原因があるのかと疑ったら余計に休まらず辛かった。ただの腸炎だろうという診断だったからよかったものの、悪いことを考えた時に初めに強く思ったのは、まだ幼い二人を残してどうにかなる訳にはいかないということだった。点滴と投薬で回復した今、健康のありがたみを噛み締めている。

ところで、手ごねでベーグルを焼いた。実家のオーブンは古いので、温度が十分に上がっていないのではと疑わせる焼き加減だった。

4.6.14

登って落ちてまた昇る

やっと生活に慣れてきたなと思う。

4月から二ヶ月間,なかなか笑顔になれないことが多く,私はもちろんだけど,家族にもつらい思いをさせてしまった。引っ越し疲れ,都会の動きづらさ,子どもと私の体調不良,夫のピリピリした雰囲気,寒くてじめじめする家…まあいろいろ要因はあったわけだけど,そうして余裕がなくなって小さな弱い者にあたってしまって,余計にこじれてた。連休は実家に帰ってやっと気持ちが落ち着いて,本当に楽しく過ごせたんだけど,そのあと東京に戻ってきてからがまたしんどかった。これまでにないホームシックよ。実家恋し,も,そうだし,延岡のストリートビューに涙するほどだ。でももっともつらかったのは私の体調不良。早く適切な病院にかかりたいけど,病院に行く気が起きないし,子ども連れてどうすんだとかで目の前の障害を見て思考停止してしまう感じ。もう無理,どうにもできない,と。

で,ようやく今週は普通の状態に戻れた感じ。普通ってのは,つまり,記憶の中の自分。

私は怒りが瞬間湯沸かし器のようにあふれ出る方ではなく,半日くらい心の中で熟成させてからやっと自覚してちくちくやるいやーなタイプだと思っていた。怒りが湧くのは理不尽に遭遇したときで,その瞬間は大抵自分の想像を超えたものと対峙しているので,頭が真っ白になっているのだ。だからこそ,瞬時に理解して怒るということができないわけで。なのに,この半年ほどは湯沸かし器に生まれ変わっていたのだった。

困ったり,悲しんだり,嫌悪感を抱いたり,落ち込んだり,ということはあっても,キレるということはあまりなかった。なんだろうね,キレる,という状態は。自分のしてきたことを思い返しても,相当ひどかったと思うけど,落ち着いている今は,なぜあの時自分をコントロールできなかったのかわからない。というか,自分をコントロールなんてそもそもしたことがないや。まあとにかく,よくわからない。

まあとにかく,毎日の生活の中で,困難だと思ってきたことが少しずつ困難でなくなったんだろう。解決した,一時的に見えなくなった,慣れたことで困難だと思わなくなった,など,追及するとくすぶっている何かを見つけそうなのでやめておく。

 一番うれしいのは,上の子がようやくオムツをとり,幼稚園のプレに慣れてきたこと。連休以来,上の子に一月ぶりに会った母は,たった一ヶ月で自分で排泄できるようなったことや自分の行動を言葉で説明できるようになった様子を見て,子どもの成長に感銘を受けていた。と同時に,数か月のサイクルでどんどん変わっていく子供の一挙手一投足に注目しすぎないようにとのお言葉を頂戴した。

10.4.14

宮崎から東京へ

やっと荷解きが済んで、陸送した自動車も届き、普通に買い物に行ける生活を始めた。
写真は新しい住まいに入る前に泊まったホテルそばの東京麺通団でのかけうどん(あつかけ)。大学生の頃から気になるだけで行けなかったので、十年越しの希望をやっと叶えたのだった。おいしかったー。

延岡を出る直前までひどいもんで、引越し当日は子供二人を一時保育へ預けるも、下の子発熱との連絡。迎えに行った後に小児科へまた行った。でも熱の原因となる所見はなく、なんだろね、って感じ。

翌朝は3/16に宮崎、延岡間が開通したばかりの東九州自動車道にのって、延岡から宮崎空港までドライブ。それまで二時間半かかっていたのに、なんと一時間強で到着した。もっと早くできていればなー。大変快適でした。で、陸送会社に車をデポして空港へ。

宮崎空港では上の子の飛行機三昧だった。屋上に飾ってあるプロペラ機の操縦席に、子供は乗れるのだ!しかもパイロット服を着て。いいなー、子供は。操縦桿を散々にいじくり回した後に、今度は離陸する飛行機を眺めたら、上の子は放心してた。で、レストランでパイロットランチなるお子様ランチを頬張り、搭乗、離陸。二歳だけど一席占領し、お子様ランチの付録の飛行機模型で遊び尽くしてご機嫌なうちに羽田着。飛行機のゆれも着陸の衝撃も、私より楽しんでた様子。

そこからバスで新宿へ。大人も子供も疲れたなー。ま、もっと疲れるのはその次の日以降の新居への移動や引越し荷物の荷解き、思うように出かけられないストレスや、上の子のひどい咳鼻水で、吟味もせずに近所の小児科へ駆け込んだりしたことだけど。車って大事ね。そうでなきゃ自転車がないとやっていけないなあ。

27.3.14

あと一週間

にもかかわらず,引っ越し準備は亀の歩みよりゆっくりのペースで進んでいる。これもみな子供たちの体調不良のせいだ。下の子は夏にRSウイルスにかかって以来,ずっと呼吸器が弱めなのだが,ここにきて気管支炎がかなり悪化した。医師には極力安静にと言われるほど。当然,上の子も同様に風邪の諸症状をみせている。今週は保育園の最終週だから,二人とも一時保育に丸投げして引っ越し準備と最後の延岡生活を楽しもうと思っていたのに,すべておじゃんだ。上の子はいやいやしつつもひどく悪化はしないで踏みとどまってくれているので,なんとか保育園へ任せられるところまできてはいるけれど。下の子もやっと快方にむかっているのがわかるところまできた。もう少しだ。来週の搬出のときには私一人の立ち合いになりそうなので,なんとか二人とも一時保育へ行ってもらわなくてはいけない。この週末は回復への正念場だ。気温はかなり上がってきているし,幸いにも,しばらくは最高・最低気温が24度-10度で推移する予報が出ている。

あー今は城山公園の桜が満開なのに,今年は一度もピクニックしてないよー。くやしいなあ。

19.3.14

青空と電線とハクモクレン

日中、20度を越えるともう上着は片付けてもいいなと思う。

あーーーー引越しの箱詰めがめんどくさいよーーー。詰めるのは、本、くつ、かばん、調理用品、食器、おもちゃあたりか。衣類は延岡でやたらと買い込んだプラスチックコンテナにぶち込めばいいし、ハンガーものは当日にハンガーボックスだ。ほかはB'zの「いらない なにも 捨ててしまおう」だよ。うるとらそぅッ!

頭の中でいろいろとシミュレーションしておかないと取りかかれないし、それがなくてはいろいろ行きつ戻りつしてしまい、大変に非効率になる。が、頭のフル稼働が過ぎると後はくたびれて廃人になるよなあ。

夫の私物以外はほぼ私がやり切ることになるだろう。でも、来週には心強い助っ人である我が妹がまた来てくれる! とりあえずそこまで生き抜こう。

イベント前に体調不良になるのは、子供の仕様ではあるけれども、先週末から続く二人の咳はつらいもんだ。なんで夜に悪化するのかね。なんとかなってー。

14.3.14

年明けからこの方

夫が送別会でそれはそれは大きな花束をもらってきた。普段,花を飾るなんて風雅なことはしないので,我が家には花器がない。仕方ないのでコップで代用。マグカップは重さで安定感が出ていい感じであった。

前のポストの続きである。

この3月で今の延岡生活は終りだ。4月には夫の異動に伴って引っ越しする。 そのため,年末ごろから夫の仕事が急激に忙しくなった。これまでは上の子の育児をほとんど任せてきたので,夕飯後にたった2時間ほどでもその助けがないのは大変だった。

4時に上の子が一時保育から帰宅し,5時に下の子の夕寝のために寝かしつけ,寝ているうちに上の子と二人でお風呂に入る。その間約30分だが,だいたい下の子が起きて泣き始めるので,あやしながら上の子にパジャマを着せる。夕飯の配膳にとりかかれるのは6時ごろ,下の子に離乳食をあげながら上の子が自分で食べるのを時々手伝い,自分のご飯をかきこんで,ごちそうさまの後に下の子に授乳。食卓を片付けて7時。夫が帰宅するまで子供二人と遊ぶ。遅くとも8時に帰宅する夫の食事が終わると,すぐに下の子と一緒にお風呂に入ってもらって8時半に下の子の寝かしつけ。寝室から這い出て上の子と二人で遊び,9時になったら上の子と寝室へ。うまくいけば9時半就寝,そうでなければ10時をすぎることも。やっと上の子が寝てくれたら,下の子の夜泣き対応で3,4回起こされ,そしてまた朝が来る。ああ,読みたくなくなるほどのボリュームだ。

夕飯前に上の子のお風呂をもってきたのが,それまでとの大きな違いだ。こうすれば夕飯後のばたばたは避けられるが,その分面倒なことがいくつもできた。まず,帰宅後に散歩などをする余裕がない。下の子も夕寝をあっさり寝入ってくれればいいが,上の子がそれを邪魔することも多々ある。入浴中も下の子がいつ泣くかわからず,リラックスはできない。ちょうどこのころ,上の子は食べたくない時期に突入して,毎回食事時に泣く。下の子の離乳食に嫉妬しているのかもしれなかった。夫の帰宅後に配膳,下膳もし「なくてはいけない」と思っていた。上の子の就寝時間が,それまではおよそ9:15だったのが後ろにずれ込むことに危機感を抱いた。

家事はもちろん,日中にすべて済ませておいた。上の子が一時保育に預けられない日の分まで,前倒しにした。毎日一生懸命なのに,上の子の癇癪が増えたように思えた。閉塞感が高まっていくのを感じていた。

年が明けて間もなく,夫が異動の内示を受けた。それからだ,私のこの出産後からの不安定さが爆発したのは。ネットの育児がしんどい系の話を読んで,まだまだそこまでは……と自分を慰めてきたが,いよいよ危険な水位まで達してきた。とにかく子供にやさしくできない。そしてできない自分を呪う。気を抜くと涙が出て仕方ない。人と話して気分を紛らわそうにも,自分に対する周りの目が怖くて支援センターへ行けない。かといって夫に頼れない。重症だ。

ある金曜日に,なんとか勇気を奮って市の保健師の相談窓口に電話したら,その日のうちに家庭訪問してくれた。保健師の方は話を聞くしかできなくて申し訳ないと再三言いつつも,心療内科にかかることを勧めてきた。やっぱり医療的に対処すべきレベルかと思いながらも診療所に連絡できたのは週明けとなった。診察の予約はすぐにとれた。診療所では,血液検査などから身体はかなり健康状態がよいが,典型的な育児疲れによる産後鬱であると診断された。とにかく子供から離れること,よく寝ること,薬を飲むこと。抗鬱剤ですぐによくなるものだが,授乳中は飲めない。断乳することで下の子の夜泣きに対応できなくなるのが怖く,受け入れがたかった。結果,医師曰く「非常に効き目は弱く,よくなるまで時間がかかる」漢方薬を処方された。

同じころ,上の子の一時保育を任せている保育園でも冷静でいられないことがあり,様子を見かねた先生方が話をする時間を設けてくれた。そしてその席で,下の子も一時保育に預かってくれることになった。

産後7か月にして,ようやく,急ぐ必要のない自分だけの時間ができた。 


と同時に,上記の「一生懸命」をやめた。

頼れる人がいることがわかったこと,プラシーボ含めた薬効もあって,衝動的に怒鳴り散らすようなことはなくなった。それに,100%母乳育児により離れられないと思っていた下の子と離れられたのが大きかった。保育園で哺乳瓶に慣れさせてくれたおかげで,夫に下の子を預けることに躊躇しなくてよくなった。下の子は2か月ごろから哺乳瓶もミルクの味も全拒否で,どうしようもなかった。夫は授乳をある種アンタッチャブルなものととらえていたらしく,私が「引き受けるしかない」とあきらめを感じながらも下の子を担当するとしてきた姿勢を尊重してくれたのだった。その下の子が今や哺乳瓶を見ると興奮するほどなのだ。 保育園様様である。自分の中で抑圧してきたけれど,下の子に感じるストレスが実は相当なものだったのかもしれない。

通院して一月半がたった。初めて医師に夫に対する愚痴をこぼした。いつも通りふんふんと聞きながら,「初めてここに来た時に比べたら,ずいぶんよくなったね」と。

部屋が片付いていなくてもいいじゃない,いやよくない,子供の就寝時間がずれこんでもいいじゃない,いやよくない,と判断に揺れる場面はまだ多々ある。「まあいいか」と気持ちを流すことの難しさもまだまだ感じている。4月からは夫は激務の職場に入るが,保育園はまず利用できない都会においてどうなることか不安もある。

それでも,春が近づいてきていると信じたい。







この日記は11月に書いていた

話は,前回二回分のポストより前にさかのぼる。

10月は上の子にいらいらすることが多かった。下の子に手を出すなど上の子のなすことなすことにいらいらするのもあったけれど,自分の思った通りに家事が進まないフラストレーションを,上の子にぶつけていたことがとにかく多かったと思う。料理に関しては,惣菜や外食では満足できないし,授乳にも差し障るから,どうしても自力で作らなきゃいけない。が,調理中に子供たちに手が回らなくなって,上の子は手しゃぶりしたよだれまみれの手をその辺になすりつけるし,このころから下の子はぎえーぎえーと耳に来る奇声を発し始めるようになった。掃除はしてもしてもほこりがたまるし,自分の産後の抜け毛が床を散らかし始めて耐えられなくなった。洗濯物を取り込んで畳んでる矢先に,上の子が洗い立てのハンカチでよだれを拭き,下の子がまた耳をつんざく叫び声をあげる。そしてやっとの思いで調理した食事は,上の子のこれいやあれ食べない口からペー床にポイでもう気が狂いそうだった。

上の子との関係改善の為に,保育園からの帰宅後にしばらく車の中に残ってカーステレオでアンパンマンの曲を聴きながら一緒にジュースを飲んだり,夕方の家事を前倒ししてその辺を散歩したり,下の子を早く寝かしつけて上の子と二人で遊ぶ時間を作ったりした。でも,上記の問題が解決されてはいないので,同じことを繰り返していた。

上の子は母が近寄りがたい雰囲気なのはよくわかっている。その分夫に甘えるようになり,だんだん夫の負担が増えてきた。夫に申し訳なく,視線を合わせられなくなった。上の子に怒りたくないけどどうしても怒ってしまうと言い訳めいた愚痴もこぼした。

なんだか逃げ場がなくなった気がして,情けないけれど,友人に愚痴メールを送ってしまった。ありがたいことに温かい返事をもらって,何度も見返した。

そうしたら,その数日後に風邪症状が出た。体調不良が精神に作用していた部分も大いにあったみたいだった(これが前回のポストだ)。家族全員を巻き込み,回復するまでの一週間は家中が暗かった。その後も体調不良時を引き継いで家事は捨て気味のまま低空飛行を続けてきたが,そのためにいらいらする気持ちに変化が出てきた。いらいらすることへの自己嫌悪が強くなってきたのだった。

いらいらは漢方薬で治まる。そんなケースをネットで見て,藁をもすがる思いで産婦人科へ電話した。長らく待たされた後,助産師が話を聞くとのこと。上の子は一時保育中,下の子を連れてすぐに向かった。このとき,母乳の生産量が減っていることにも追い打ちを掛けられていた。

結論から言えば,これでやっと落ち着いた。助産師さんは特段, カウンセリングのようなことをするわけでもなく,一般論で慰めてくれただけだ。上の子は下の子に嫉妬しているのよ。でも下の子がかわいいと思えるならいいじゃないと。こうして下の子を取り上げてくれた方,いろいろと母体の回復でお世話になった方と,あの大変だった出産時を分かってくれる人たちが,この出産の延長線上にあるであろう今の苦しみをまた分かってくれて,一緒に下の子の成長を喜んでくれたのがものすごい救いになった。そして,胸部マッサージで授乳量には問題ないとのこと。これがどれだけ拠り所になったか。

出産時は上の子がアデノウイルスにかかっていて,夫が一人で世話をした。だからお互い様の状況で,むしろ私は産院という安全な場所にいて,その分夫よりは負担が少ない。夫には本当に感謝している。心からそう思っていた。だけど,さみしかったのかもなあ。下の子を産んだことに後悔はないけれど,頼る身内がそばにいない今の状況で二人目を出産し育てるということを,軽く考えていたように思う。

その日,保育園から帰宅後の上の子と二人で遊ぶ時間を最大限とった。家事は病院からの帰宅後に済ませ,夜にも下の子はベビーベッドで寝かせたいなどの将来的な希望よりも,すぐに寝付くことを優先し横になっての授乳で早々に寝かせた。上の子は戸惑っているのか,なかなか私と二人だけでは遊ぶことができず,すぐに夫の傍へ 行ってしまった。それからも二三日は上の子も戸惑ったり私に近づいたり,夫にわがままを言ったり甘えたりしていたが,だんだんと笑顔を見せてくれるようになった。

それと同時に,これまでは怒鳴りつけていたような問題行動を見ても,それほどいらいらしなくなり,小言をやめた。初めはただ意図的にスルーしただけだったが,子自身の意図がわかることが増え,見守る場面もそれに伴い増えた。靴を履きたくないなら裸足で歩いてみればいい。とりこんだ洗濯物に興味があるなら畳んでみればいい。帰宅時に手洗いしたくないなら私が先にやる。食後の歯磨きもそうだ。

先ほど,夫との入浴を終えた子にパジャマを着せて保湿剤をつけようとしたときに,膝の上に乗ってきた。「だっこ,うれしいね」って。久しぶりに上の子の顔を,目を,見た。