24.2.22

よく休んだ

追われる期限がない休みが終わってしまった。昨日は家の人が出払っているあいだ,好き放題できたはずが,本を開いても数分後に眠くなってしまった。うとうとして一日過ごした。

今朝,講習のポータルを開けたら講師から全体向けメッセージがあった。本日の課題1解説講義を見て,本日締め切りの課題2の再提出を希望する場合は対応します。その可能性,あるよね…。まいったな。今日もまた行かねばいかんのか? NDLは11時までに入らないと。今日の予定はみんな飛ぶかも。

課題が難しいのはまあ別にいい。自分の提出済み答案に足りないところが見つかるのも,悲しいが構わない。そういうものだと思う。だってまだ学習中だし。
私がつらいのは,これをそのときまでにしなくてはならないという切迫感だ。やらなきゃと追い立ててくるストレス。内臓がぎゅっとしぼられているような,あの息苦しさ。逃げ出したくて眠くなる。頭が熱を帯び,視界がぼんやりとしてくる。耳の上のあたりがじわじわと重くなる。

などと書き出すと症状が重くなる気がするので,はやいとこ映像を見て再調査が必要かどうか検討しよう。

→講義は受けた。まあ…再提出しなくても大丈夫かな…。

課題内容はレファレンス対応の練習。想定質問は「おはぎとぼた餅は名前が違うが中身は同じに見える。どう違うのか。お彼岸に供える慣習の由来は」だった。かいつまんで回答すると「両者は同じものだが,名称については諸説あり。春は牡丹で秋は萩の花,ぼた餅は家でつくられる素朴な菓子でくず米を意味する”ぼだ”からきているなど。いずれも定説はなく,またこれ以外の異名も複数ある。餅は白や手触りなどから神聖なものとして古来より扱われ,小豆にもまた厄払いの民間信仰があった。赤い色や小豆自体の薬効(小豆サポニンによる代謝促進)が理由かと思われる。餅とは従来のもち米の餅だけでなく,うるち米を使った粘度のある塊を広く意味するようになった。ぼた餅は家でつくれるので,彼岸に限らず年中行事に重宝された。現在でも彼岸のみならず,年中食べられている。なお,小豆が菓子に使われるようになるのは砂糖が国内に入ってきた安土桃山時代以降である」となる。これを具体的な文献を示しながらもうちょっと詳しく説明するので,文字数はもっと増える。

こういうあまり重くない調査ものってどれくらい時間をかけられるんだろう。あんまり待たせられないと思うんだよね。半日くらいかなあ。
こういうのって結局,顧客対応のひとつだからね。顧客満足には,情報提供の質と量だけでなく,対応の外形も絡んでくるから。かかった時間や接遇なんかも全部,顧客の印象に影響する。

私がかつてしていた主な仕事はヘルプデスクで,顧客からの架電問い合わせ対応が中心だった。
回答までの時間は質問内容によるけれど,単発なら3分,簡単な確認が必要なら折り返しありで10分~30分,調査依頼が伴うと半日,出張するなら数日と幅広かった。そのうち,9割9分は当日に返せた。
図書館のレファレンスサービスでは,今回の課題でも,実務でも記録を残す。それと同じように,ヘルプデスク対応も記録を残していたので,とても懐かしい。手触りはよく似ている。

私の身近な図書館レファレンス体験で,一番大きいものはコーネル大学図書館に夫が尋ねた「裁判官のガベル(裁判官が叩いて注意を引き付けるハンマーのこと)について知りたい」だったと思う。回答としては,米国では現在ガベルは使われていないとのことで,フィクションの中にしかないらしい。伝聞なので詳しくは知らないが,確か回答まで数日かかっていたはず。
にしても,Supreme Courtのお土産屋にはガベルペンとかミニチュアガベルとか,いろいろ売られていたぞ。昔は使っていたのかもしれないね。自分で調べてないのでよくしらんけど。

22.2.22

二年ぶりの旅行、のことを書こうと思っていたのにお酒の思い出話をしています

 偶然が重なって、大人も子どもも月曜日が休みとなったので、日・月と二年ぶりに一泊旅行をしてきた。

 私は本当だったら大学に毎日赴いて演習をするタームに入っていたはずが、折からオンデマンド講義に振り替えられてしまった。その分図書館にこもってレポートを量産しなくてはならなくなり、提出期限と図書館の休館日との兼ね合いから、土曜日中にどうにか提出する必要があった。
 土曜日は国立国会図書館の開館時間5分前に行列の最後尾に並び、閉館15分前に最後のWordファイルを自PCからアップロードした。正月に5年ぶりに機種変更したばかりのiPhoneは、通信プランが刷新されていてテザリングもし放題になっていた。この課題はここで調べてここでまとめ、提出することが最初から決まっていたかのように、すべてが整えられていた。

 帰り道に気が大きくなって永田町駅のエチカのカフェに寄った。喫茶メニューと同じくらい、アルコールがメニュー表の面積を占めていた。最高値はヴーヴ・グリコ(ボトル)9000円である。壁にも高級ボトルの写真がプリントされて、その近くにはパテカン、生ハム、鴨のロースト、サーモンのカルパッチョが堂々と並んでいる。なるほど、需要があるんだろうな、と思った。
 霞が関から永田町の一帯は飲食店があまりないようだ。永田町寄りの方に勤めていた向きから聞いた話では、数人で突発的に催される飲み会といえば、たいがいは近所のフランチャイズインドカレー屋になってしまったらしい。
 もう5年以上前のことだけれども。永田町エチカのオープンは2013年。なんだ、時代的にはすでにあったぞ。とはいえ、インドカレーで食べ放題プランを選ぶ人たちとは、需給のミスマッチが起こりそうだ。
 とにかく、そこで私はさらに気が大きくなり、生ビールと黒生のハーフアンドハーフを選んでしまったのだった。小ジョッキ440円。コーヒーと価格が変わらないのよね。見た目も近いし。おいしゅうございました。

 で、仕事帰りに飲むビールの味を思い出した。
 働いていたころには、先輩たちとよく一杯やってから帰ったな。大手町のおでん屋台、プロント、スタンド形式のイル・プロントが多かった。おでん屋台はときどき駐禁を取られていた。歩道で開店していた記憶があるけど、そのときは道路にはみ出していたのだろうか。 当時私が勤めていたビルも、いまではまるっきり建て替えられたと聞いているが、あれから訪れてはいない。

 旅行のことを記録しておこうと思ったけれど、違う話になってしまった。まあいいや。

 ポーラ美術館のロニ・ホーン展はとてもよかった。ロニ・ホーンはコラージュ作品が多く、ドローイング、ハンドライティング、写真、パフォーマンス、工芸など、さまざまな作出を縦横無尽に形に落とし込む作家なのだなあと私はとらえ、とてもいいなと思ったのだ。

 私のしているこのプライバシー垂れ流しブログも芸術も、いつか出会うおなじ地平にあるものだと思っている。現実を写し取り、切り貼りし、別の形をつくろうと汗水垂らしている。その意図がうまくいっているかどうかは別だし、プロセスに技術の巧拙もあるだろうが、人間の立っている場所はそう変わらないのではないか、などと考える。

 それと、子どもが一緒の家族旅行でも、私の希望する美術展を行程に組み込めるまでになったのだなあ、と来し方を振り返って感じ入るものがある。別途、彼らのお楽しみのために小田原城観光もした。小田原北条家のことは、ゆうきまさみの漫画「新九郎、奔る!」でちょうど予習していたのがかなり理解の助けになった。

18.2.22

カフェラテにアルコールを追加する

 友人がインスタにコーヒーの写真をアップしていた。年明けの冷え込んだ日だった。赤と緑のタータンチェックのクロスの上に、クリーム色のコーヒーカップに浮かぶコーヒーブラウン。その隣には、セリフ体のラベルに威厳がありそうなウイスキーのボトル。黄金色が満ちたはちみつのジャー。それらをうまいことミックスして飲むらしい。
 友人の感想は直接書かれていなかったが、その風景を掲載しようとして、実際にしていること、それ自体が答えだ。 

  高田馬場の雑踏からすこし外れたところに、フランスのカフェによく似た店があった。メニューには当時やっと耳慣れてきたカフェラテやカプチーノなどという文言が並んでいた。その頃は、駅前に怒涛の勢いで出店を始めたシアトル系カフェ、それを装った日本の喫茶チェーンの新業態の注文カウンターで、田舎から出てきた大学生が戸惑う風景がよく見られた。それよりもずっと前から、この店にはそういうものがあった。
 この店は酒も出すし、イベントもする。演劇やギャラリーのフライヤーが棚や壁にあふれていた。むしろ、あのころ大学生だった私よりも二回りほど上の世代には、カフェと言えばそういうものだったのかもしれない。そういえば、学生の仲間内ではビールと言えば中ジョッキだったけれど、ハートランドの緑色の小瓶の清楚な佇まいを知ったのもこの店だった。 

  私が一番好きだったのはアマレットカフェラテだった。ゆるく泡立ったミルクと程よく混ざったエスプレッソ、その底に層をなす甘みの強いリキュール。ガラス製の本体にステンレスの細いハンドルの付いたカップが、同じステンレスのソーサーにのって供された。マグでも紙コップでもない。実家でつかっていた陶器のカップアンドソーサーでもない。それだけで私は、なにか特別な場所にいるような気分になった。

 イギリスに留学したのはその後のことだ。コースメイトの友人の家に遊びに行っては、食事を作ってもらって、お酒を飲んで夜通しおしゃべりして、コーヒーにアイリッシュクリームを垂らしてもらった。深夜のマグカップに浮かぶ湯気。
 よくお邪魔したあの寮のあった一角は総取替となり、昨年末にはぴかぴかの学生寮がインスタグラムの大学アカウントによって何度となく紹介されていた。 

  さっきの帰り道、近所のコーヒー屋で豆を買うついでにラムラテを頼んだ。ミルクで苦味や酸味が和らいだコーヒーの薫香と、拮抗する甘み。それを下支えるアルコールの厚み。日差しはちりちりとさえ頬を刺すのに、タンブラーを握る裸の指先を滑る風にはまだ冬の凍てつきがある。いろいろな風景を思い出すのはそんな日だからかもしれない。