18.4.15

家事と育児と

子どもが小さいころは特に,家の中のことがままらないということがよくある。そして,それに対して「家事なんて手抜きでいいよ」という慰めまでがテンプレートである。

でもね,本当は,思いっきり家事したいのよ。育児って人間相手の仕事なので,私の思い通りに事が運ばないことが多い。というかそれが出発点。だけど,家事は極めてプライベートなことで,自分の思った通りにできる。しかも成果は目に見えて分かりやすい。料理なら食べる,洗濯や掃除ならきれいにする,などのゴールがちゃんとある。そして達成まではほかのことに比べたら簡単。さらに,家族のためという大義名分もある。なので,専業主婦で社会からの承認が得られない立場としては,家事をこなして自己承認したいのです。ささやかでも,わたし,まだできる! って感じたい。


だから,家事をする時間が欲しい。自分の時間が欲しい。

家事が億劫なときには,冒頭の言葉はとてもうれしいんだけど,残念ながらいつもいつもそうとは限らんのです。

15.4.15

車検と自動車の諸手続き

我が家の自動車の車検の期限が近づいてきたので,最も近所で最もガソリンが安く最も頻繁に通っているガソリンスタンドでやってもらうことにした。今回は二度目の車検であり,前回はディーラー任せだったので,見積もりをもらったらずいぶん安いなあと感じた。まあ,この数年間でいろいろ手直ししてるけどね。

ところで,昨年の春に引っ越してきたのに,車のナンバーは今もなお前の県のまま。車検ってのは自動車税をきちんと納めてないと受けられなくて,車検が受けられないと自動車は公道を走ってはいけないらしいね。自動車学校で習ったかもしれないが忘れた。他県ナンバーだと車検を受ける際に納付証明書が必要だと言われて固まる私。自動車税って5月で,約一年前だ。そんな用途があるとはつゆ知らず,おそらく捨ててる。納税先はもちろん前住所地。げー,まさか郵送で申請か!? めんどくさい…とやさぐれそうになっていたら,

今年の春から納税確認が電子化したから, 証明書なしでいけるようになった! わーい! まだ,システム対応してないかわいそうな府県がいくつかあるのだけど,うちの車の場合は大丈夫。あーよかった。

ついでに警察署で車庫証明の申請もしてきた。書類を揃えるのが面倒だったけど,警察署は思ったより空いていてすぐ終わった。また2年くらいしたら同じことをするんだろうな(予言)。問題は次の陸運局への届け出だ。立川まで行かなきゃいけない。遠い! 面倒! まあしかたないか。

余談だけど,車検の見積もりをもらうときに,車をきれいに乗っているのであまり問題のあるところはないと言われて,なんだか子どもを褒められているようなこそばゆい気持ちになってしまった。ここ一年間,夫と乗換についてあーでもないこーでもないでももう少し広い車に乗りたいね,なんて相談してきたのだけど,もう少し乗り続けてもいい気がしてきた。もう走行距離が6万キロを超えている中古車なんだけど。6年前の車だったかな。ベテランの域だなあ。

9.4.15

幼稚園初日

ついに上の子が幼稚園に通い始めた。先週のうちに入園式を済ませており、今日が始業式。下の子が0歳のうちは一時保育を利用しまくっていたので、上の子がいない日常というのは初めてではない。けれど、いつもと違ってゆったりとした気持ちで洗濯物を吊るしながら、はせる思いもあるわけで。

みんなの前で名前を呼ばれても手を上げることを拒否してないかな、とか

みんなと歌を歌わないで壁際に張り付いてないかな、とか

口をつぐんで地蔵のように固まってないかな、とか

だけどここからずーっと続く学校生活が始まるわけだな、とか


物理的にも精神的にも親にべったりの幼児時代は終わりだな、とか

これまでの時間、どうしてあんなに私は子供から解放されたかったんだろう、必ず終わりは来るのに、とか



登園から約二時間後、私の心配をよそににっこりとご帰還。

ようちえんね、たのしかった! おりょうりごっこやつみきであそんだし、ほんもよんだよ。せんせいはおうたうたったり、かみしばいよんだりしてくれた。(出席ノートの)シールはせんせいがはっちゃったけど……。おともだちがね、たーくさんいたの!

それにね、おなまえよばれたときに、はーいってできたよ! でもね、まえにはでられなかったの

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去年、ここに引っ越してきてからまもなく、少し遠い幼稚園のプレ教室に通ったことがある。幼稚園に入園する前に集団生活の練習をさせてくれるもので、この市ではいくつもの幼稚園が開催しているが、どこも満席ばかり。やっと見つけたのがそこだけで、親子で参加する週に一回1時間ほどの教室だった。

子供は歌や遊戯などのみんなの前で体を使うことに抵抗を見せていて、それに対して私は、なんでできないの! と何度も怒った。そして子は回を重ねるごとにかたくなになっていき、最後には個人で行う工作タイム以外は全拒否となった。出席の点呼、先生とのやり取り、歌、体操、リトミックの間は、まるで石になったかのように微動だにしなかった。

この頃、私は慣れない都会生活で、小さな子供を二人連れて交通量の多い狭い道を移動することにものすごいストレスを抱えていた。どこもかしこも大量の自転車がものすごい勢いで走り、2歳の子が歩くには危なすぎるが、幼稚園はバスで行くには徒歩かつ乗換えが必要な場所だった。自家用車を使うにも駐車場を探すところからままならない。下手すると家を出てから帰宅するまで5時間ほどになってしまう。教室の時間が昼寝の時間にも重なっていて、上の子はだんだんと機嫌が悪くなるし、0歳の下の子はおんぶしている背中で大暴れして号泣。苦労してたどり着いたその先で、子供は私の満足するようには振舞わない。ほかの子は先生の言うとおりにできているのに、楽しそうにやってるのに、どうしてうちだけ。

帰宅後に何度も子供にあたった。だけどそれは、子供の行動を口実に、私は自分の中のいろいろなままならなさをぶつけていただけだった。

そうして、せっかく入れたプレ教室は、8回ほど出席して退会した。

辞めた後には、負担が減った分ほっとするとともに、 プレ教室を勧めてくれた夫への申し訳ない気持ちに苛まれた。最近は幼稚園にプレというのがあるらしい、子供にもいい経験になるだろう、私にも気分転換になるんじゃない? そんな軽い気持ちで提案してくれたんだろうけど、それを実行できなかったことへの後ろめたい気持ち。いつのまにか、子供をプレに行かせ「なくてはならない」、という気持ちになっていたのだった。

今にして思えば、あの教室では親子ともにほかの出席者と交流するような機会はなかっただろうし、子供があの頃一番欲していたのは、同年代の子と自由に遊ぶことであって、教室にはいることではなかったと思う。だから、無理強いしている間はみんな不幸だった。とりわけ子供が。

余談ではあるが、それから三人乗り子乗せ自転車を購入し、去年の4月に買ってまもなく紛失した動物園の年間パスポートを買いなおし、手抜き弁当を作ることを覚え、日常的に子供たちを外に連れ出すことに慣れてきて、やっとどうしようもない閉塞感が薄れてきた。そして、自治体の母親フォローアップがあってこそ、こういった日常生活を組み立てていくことができたんだなと思う。そのうちに、だんだんと「ちゃんとできなくてもいいじゃない」という意識が生まれてきた。それでもまだ、私自身の「ちゃんとしなきゃ」と育てられた呪縛は根強く、「ちゃんと育てなきゃ」という気持ちが悪い形で出ることもしばしばあるが、これはまた別の話。
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「はーいってできたの、よかったね。ひとつずつできればいいんだよ、今はできないことがあっても」と思わず口をついたのだけど、これは心底からでた言葉だ。

そばに親がいない方が、子は成長するのかもしれない。とりわけ、私と私の上の子については。

たんぽぽの綿毛が風に舞い上がり、別の土地に種を運ぶように。