9.4.15

幼稚園初日

ついに上の子が幼稚園に通い始めた。先週のうちに入園式を済ませており、今日が始業式。下の子が0歳のうちは一時保育を利用しまくっていたので、上の子がいない日常というのは初めてではない。けれど、いつもと違ってゆったりとした気持ちで洗濯物を吊るしながら、はせる思いもあるわけで。

みんなの前で名前を呼ばれても手を上げることを拒否してないかな、とか

みんなと歌を歌わないで壁際に張り付いてないかな、とか

口をつぐんで地蔵のように固まってないかな、とか

だけどここからずーっと続く学校生活が始まるわけだな、とか


物理的にも精神的にも親にべったりの幼児時代は終わりだな、とか

これまでの時間、どうしてあんなに私は子供から解放されたかったんだろう、必ず終わりは来るのに、とか



登園から約二時間後、私の心配をよそににっこりとご帰還。

ようちえんね、たのしかった! おりょうりごっこやつみきであそんだし、ほんもよんだよ。せんせいはおうたうたったり、かみしばいよんだりしてくれた。(出席ノートの)シールはせんせいがはっちゃったけど……。おともだちがね、たーくさんいたの!

それにね、おなまえよばれたときに、はーいってできたよ! でもね、まえにはでられなかったの

---

去年、ここに引っ越してきてからまもなく、少し遠い幼稚園のプレ教室に通ったことがある。幼稚園に入園する前に集団生活の練習をさせてくれるもので、この市ではいくつもの幼稚園が開催しているが、どこも満席ばかり。やっと見つけたのがそこだけで、親子で参加する週に一回1時間ほどの教室だった。

子供は歌や遊戯などのみんなの前で体を使うことに抵抗を見せていて、それに対して私は、なんでできないの! と何度も怒った。そして子は回を重ねるごとにかたくなになっていき、最後には個人で行う工作タイム以外は全拒否となった。出席の点呼、先生とのやり取り、歌、体操、リトミックの間は、まるで石になったかのように微動だにしなかった。

この頃、私は慣れない都会生活で、小さな子供を二人連れて交通量の多い狭い道を移動することにものすごいストレスを抱えていた。どこもかしこも大量の自転車がものすごい勢いで走り、2歳の子が歩くには危なすぎるが、幼稚園はバスで行くには徒歩かつ乗換えが必要な場所だった。自家用車を使うにも駐車場を探すところからままならない。下手すると家を出てから帰宅するまで5時間ほどになってしまう。教室の時間が昼寝の時間にも重なっていて、上の子はだんだんと機嫌が悪くなるし、0歳の下の子はおんぶしている背中で大暴れして号泣。苦労してたどり着いたその先で、子供は私の満足するようには振舞わない。ほかの子は先生の言うとおりにできているのに、楽しそうにやってるのに、どうしてうちだけ。

帰宅後に何度も子供にあたった。だけどそれは、子供の行動を口実に、私は自分の中のいろいろなままならなさをぶつけていただけだった。

そうして、せっかく入れたプレ教室は、8回ほど出席して退会した。

辞めた後には、負担が減った分ほっとするとともに、 プレ教室を勧めてくれた夫への申し訳ない気持ちに苛まれた。最近は幼稚園にプレというのがあるらしい、子供にもいい経験になるだろう、私にも気分転換になるんじゃない? そんな軽い気持ちで提案してくれたんだろうけど、それを実行できなかったことへの後ろめたい気持ち。いつのまにか、子供をプレに行かせ「なくてはならない」、という気持ちになっていたのだった。

今にして思えば、あの教室では親子ともにほかの出席者と交流するような機会はなかっただろうし、子供があの頃一番欲していたのは、同年代の子と自由に遊ぶことであって、教室にはいることではなかったと思う。だから、無理強いしている間はみんな不幸だった。とりわけ子供が。

余談ではあるが、それから三人乗り子乗せ自転車を購入し、去年の4月に買ってまもなく紛失した動物園の年間パスポートを買いなおし、手抜き弁当を作ることを覚え、日常的に子供たちを外に連れ出すことに慣れてきて、やっとどうしようもない閉塞感が薄れてきた。そして、自治体の母親フォローアップがあってこそ、こういった日常生活を組み立てていくことができたんだなと思う。そのうちに、だんだんと「ちゃんとできなくてもいいじゃない」という意識が生まれてきた。それでもまだ、私自身の「ちゃんとしなきゃ」と育てられた呪縛は根強く、「ちゃんと育てなきゃ」という気持ちが悪い形で出ることもしばしばあるが、これはまた別の話。
---


「はーいってできたの、よかったね。ひとつずつできればいいんだよ、今はできないことがあっても」と思わず口をついたのだけど、これは心底からでた言葉だ。

そばに親がいない方が、子は成長するのかもしれない。とりわけ、私と私の上の子については。

たんぽぽの綿毛が風に舞い上がり、別の土地に種を運ぶように。

0 コメント: