21.10.19

歯は言うほど大したことないよ

レントゲンを撮って,歯科医に一通り検査されて,上の中央左前歯をぐいぐい押されて痛い思いをしたある瞬間から,それまで感じていた歯の根元のぐらつきが気にならなくなり,痛みが消えた。文字通り,霧散した。
先生,痛くないんですけど。
何にもしてないよ。検査しかしてない。気持ちだったんじゃないの? ……まあ言うほど悪くなってないよ。
歯科医は私に噛ませた赤い紙片を眺め,それよりも,と言葉を継いだ。
…あのさあ,ディープバイトっていうんだけどこのかみ合わせがよくなくて――

というわけで,一番の懸念だった前歯の損失はまったく気にしなくていいことになったものの,過蓋咬合や親知らずなどを“発見”されてしまい,ついに私も歯科に通わなくてはいけなくなった。やだー。こわい。虫歯はないのよ。

もののついでに教えてもらった。歯の打撲は脱臼のような状態らしい。脱臼は医学的には骨折。だから歯の打撲は骨折なんだそうだ。亜脱臼状態なので,はめ込んだまま固定しておいたほうがいい。というわけで,上前歯四本を横に接着された。おかげで完全に歯は止まったし,痛くもない。ただ接着剤がぬるぬるするのが気になるくらいだ。

結果として,人間は無事でした。よかった。自転車はマジ凶器。

ところで全然違う話だけど,今日は近所の薬局へ食洗器洗剤を買いに行った。
のだが店に入った瞬間に忘れた。というのも,店内にかかっているBGMが私の好きなとてもノリノリな曲だったので,ついつい一緒に口ずさんでしまったのだ。
別の目的は覚えていたので,買い物かごに鼻歌とともに放り込む。そしてふと気づく。もう一個,買うべきものがあったよなあ。なんだっけ。すごく致命的なもの。これがないと暮らせないもの。思い出せない…と悩みつつ店内を巡回する。BGMはいつのまにか二回目のサビも過ぎ,Cメロを経て最後のサビに向かっていた。
 ぴ,ぷ,ぺ,ぽ,ぱ,ぴ,ぷ,ぺ
とボーカルに合わせて無声の破裂音を唇にのせる。
 痛い! とぅ たい! と たい! たい! たい!
自然と足取りも軽くなる。
 あい わな joyと
JOYだ!!!!!!
てなわけで,台所用洗剤のJOYを無事に発見保護し,購入ののち帰宅。

17.10.19

食べられないことはQOLを直ちに下げる

先日の午後,自転車同士はでにぶつかって転倒した。ほぼ正面衝突のような状態で,お互いにふっとんだ。私の背後にはブロック塀があり,後頭部をぶつけた。さらには自転車のハンドル部分が顔面に飛んできて,上顎を圧迫する形で打撲した。

夕方から子供の習い事でハロウィンイベントがあり,とりあえず準備段階まで整えて,あとは他の保護者の方に任せて(頼もしく引き受けてくださってありがたかった),近所の脳神経外科へ行った。すぐにMRIを撮ってくれる医院だ。結果,今のところは脳はきれいで血管にも異常がない。よかった。習い事に戻ると,みんなでうまく進行していたのでほっとした。よかった。

ほっとして肩の力が抜けて,ふと気がつくと口が痛い。顎関節もなんだかおかしい。
夕飯時,前歯が痛くて噛めない。噛合わせることも難しい。乳歯が抜けるときのように,若干,歯茎から浮いているようにも感じる。前後にわずかに動く。昨夜は白菜の水餃子の鍋にしたのだが,白菜がうまく噛めなくて難儀した。前歯がだめなら奥歯でと思っても,すりつぶすときに前歯同士が当たる。いたい。当たらないように気をつかって,そうっと咀嚼して,食べたような食べなかったような気分でとりあえずよそった分は胃に収めた。
なんだかとても疲れてしまった。
 
なのに,昼の興奮が残っているのか,夜はなかなか寝付けなかった。急に寒くなったのものある。
なんかだめだ。結局今朝は心身ともにだるさが抜けず,子の送迎も夫に任せてしまった。ごめん。ありがとう。

こうなってくると,ネットを見ててもネガティブな話ばかりが目につき,陰鬱な気持ちばかりが湧いてくる。呪詛を吐き出して,ネット断ちした方がいいなあ。

最近は食べることにそれほど重きをおいていない。おいしいものをつくって食べたい,食べに行きたい,というような食への興味関心は薄くなりつつある。
私はドトールが好きだ。毎日ドトールでもいいくらい。考えたり選んだりするのもおっくうで,知っている味が安定して出てくる(しかも食べるのも楽)ドトール大好き。

というほどだったのに,普通に食べられないことがこれほどストレスになるとは思わなかった。
これまでできたことが,意識せずなしえてきたことが,急にできなくなるのはつらい。

歯医者の予約はもうとった。

15.10.19

どうせみんな消えてしまうのに

絶不調だ。体がだるい。やる気が起きない。何事にも無感動…というほどではないが,先月まであふれだしていた何事にもいっちょかみしてやろうという野次馬根性は一切消えてしまった。さらには,やるべきことにも気がのらない。もうすぐ幼稚園のイベントがあるのに,腰が重い。悪いなと思いつつも,集まったところで無為に時間が過ぎていくのがつらい。

体調はすぐれない。だから体調に精神が引きずられているのかもしれない。疲れやすく,落下するように午睡している。頭がくらくらするのは貧血様なのかもしれない。薬は飲んでない。

いくら物を持っていても,死ぬときには一円たりとも持っていけない。せめて頭の中に世界を拡張したいと,代わりにものをみて知ることを意識してきた。そうして,それが生まれた子供に伝えられればそんな嬉しいことはない。
と思ってきたのだけど,年長の次男とぜんぜんわかり合えなくて,二年生の長男にはいっても言っても伝わっている気がしなくて,私と子供は別の存在であることをまざまざと突き付けられて日々ショックを受けている。

そう,そういうことなのだ。自他の境界が薄いってやつ? 自分の子を自分の手足のように意のままに動かせ,変化させられるものだと勘違いしていたのだろう。
結局私は私でしかなく,頭の中に蓄積してきたものさえもいつかはすべて消えてしまう。
むなしいな。

私が小4の時に父が42歳で他界した。病歴などはない。事故でも事件でもない。朝起きたら呼吸が止まっていたらしい。隣で起床した私は,何も気づかず寝床を出て,朝の支度をし,いつも通り登校した。まだ当時土曜日は半日授業があって,もうすぐ帰りの会になるところで先生に呼ばれ,普段あまり会うことのない親戚が車で迎えに来ていた。
もうほとんど覚えていないが,それからおそらく小六くらいまで,私はことあるごとに「むなしい」と言っていたらしい。父の上の妹である叔母が引きずられそうだったと,いつだったか,だいぶ後になってから教えてくれた。子どもの言うことにまさか,と疑いたくなるが,父と似て口先だけは豪快だったけれどその実は繊細なタイプだったから,あながち嘘ではなかったのかもしれない。
同じように口ばかり達者な私はこの叔母によく可愛がられていたと思う。
その叔母も数年前からもういない。記憶は日々疎くなっていく。父の声はいつのまにか思い出せなくなっていた。

それはそうと,今「病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)」を読んでいる。科学史をナラティブに語っているので読みやすく面白い。にもかかわらず必要以上に人の情緒に触れないので読んでて楽。簡単に読める…という内容ではないが,今の私には肩の力を抜いて読める本だ。
だから物語はちょっとつらい。十二国記の新刊が出たとのことで,図書館で一巻を借りてきたが,手を出せそうにないな。