今週から平日が始まって、なんのかんので予定があって困る。小学校へ行ってみたり、幼稚園に行ってみたり、来週の保護者会のための書類を作って…まだ着手してない、今週末は園の行事だ。
今週封切りの映画を二本楽しみにしていたのではよ行きたい。行けるときがあるとでも? 諸々がんばりたい。
去年から中東映画と韓国映画が面白いので、そろそろアラビア語とハングルを学ぶべきではないのかと考え始めている。映像に映り込む新聞の見出しとか、登場人物が着替えたシャツのロゴとか、読み取りたいんだよ。そういうところに大切な情報が隠れているかもしれないじゃん。
先日、「テルアビブ・オン・ファイア」を見た。
テルアビブ(イスラエル)のパレスチナ系のドラマ制作スタジオを舞台にした、パレスチナ系イスラエル人脚本家とユダヤ系イスラエル人エルサレム検問所主任とのおかしな交流を描いたコメディ映画。「テルアビブ・オン・ファイア」は劇中劇のタイトルで、第三次中東戦争の直前に、アラブ系のスパイがユダヤ系の将校に取り入ってどうにかしようとする愛憎劇なんだけど、主任が口出しした脚本が思いの外ヒットして、脚本家は彼のところへ通いはじめる。そしたら主任はスパイと将校を結婚させろと言い出して…と始まる話。
劇中劇の民族対立は決して過去の話ではない。このドラマ制作会社においても、中東戦争にどっぷりつかった上の世代は、スパイと将校が結婚するなんて絶対ありえないと抗議する。スポンサーが手を引くことを恐れ、自分たちの信念としても考えられない。
でも主人公たちの世代はもっと柔軟なんだよね。主任は脚本にアドバイスをする対価として、アラブのフムスを要求する。イスラエルも食べるはずなのに、わざわざ「アラブのフムスがうまい」と発言する。それに、検閲官をやめたくてしかたない。
そもそも主人公の脚本家だって、主任をユダヤ系と知っていてアドバイスを乞う。そこに憎しみのようなものはない。
そうして劇中劇のラストはあっと驚く別の結末を迎え、新しい世代で次シーズンの制作にとりかかる。ほわっと温かい気分になるラストだ。
ただ、この結末には、映画のように登場人物がみな裕福な暮らしをしていることが必要不可欠だとも思った。主人公がパレスチナ系イスラエル人なのがミソなんだと思う。パレスチナ難民ではない。だからこそ実現した世界ではなかったかなあと考える。
しかし、劇中劇の結末部分の衝撃よ。劇場内が驚きと笑いでざわざわしたし、私も変な声が出た。
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9.1.20
10.5.18
映画見に行った「君の名前で僕を呼んで」
昨日、立てたフラグはへし折られることなく、無事に「君の名前で僕を呼んで(Call
me by your name)」を見てこられた。映像が美しすぎてちょっと現実に帰ってこられない。以下、ネタバレ配慮なくまとめる。長い。
北イタリアの別荘で夏の休暇を過ごす主人公一家。1983年、考古学者の父のもとに、その年も若手研究員がやってきた。6週間の滞在中、父親について研究をするらしい。24歳のアメリカ人と主人公のひと夏の逢瀬を描いた作品。原作の小説あり。
別荘は古いが大きな邸宅で、母親が手をいれる果樹園があるほど広い庭園もある。石造りのプール付き。何かと木漏れ日の下にテーブルをセットし、昼から正餐をしていた。もちろんお手伝いの人もいる。街並みも石畳が町の広場まで続くようなところで、ヨーロッパ外の人が憧れる「ザ・ヨーロッパ」って感じ。映像が美しすぎてワンショットワンショットが絵画のよう。
主人公は17歳、同年代の友人たちも同じようにここへ夏の間だけ来ている様子。主人公はフランス人、家で雇われているのはイタリア人、そして今回やってきたアメリカ人、彼らに対し三種の言語を流暢に使い分ける。また、楽器の演奏も得意で、趣味は読書と編曲。ちょっと内気でインドアな内面を裏切らない外見は、まだ体格が出来上がっていないと思わせる筋肉の薄い細身の身体、栗色の巻き毛になんならそばかすもありそう。白磁のような肌に主張する眉と大きな瞳。
なんだこれ、マッチョ文化における理想の「はかなげでいて強さを秘めたヨーロッパ美少年」だろ。と言いたくなっちゃう。
そう、主人公もアメリカ人も男。主人公エリオはそんなわけで、オリバーのいかにもアメリカ人な無神経で勝手で、いつのまにか町の飲み屋で顔なじみを作っていたり、自分の友達にも気に入られちゃっているような、アウトゴーイングなところがちょっと気に食わない。食わなかったんだけど、あれこれあって近づいていく、という流れ。
17歳と24歳という設定が絶妙、というのが一番の感想だった。
17歳といえば身体機能は大人にかなり近づいているけれど、完成してはいない。性的衝動は進展していても、理性的に説明するすべがまだない。精神的な経験不足もある。心も身体もまだ成長の余地がある状態だ。劇中で何度か登場する、庭のアプリコットの甘酸っぱく、少しかたい果肉のイメージと重なる。
一方で、1983年の24歳はかなり成熟している。ただこの映画はほぼエリオの視点から描かれているものだと終劇後に思ったので、その分、実際のオリバーよりも大人びて描かれているのかもしれない。後半に出てくる桃(おそらくネクタリン)はアプリコットよりも酸味は控えめで果肉は柔らかく、果汁も多い。オリバーになぞらえているような場面で登場する。
エリオはアプリコットから桃への変化の入り口に立っているのかもしれない。
ストーリーに沿って思い出すと、エリオにはオリバーがいつの間にか気になってしまっている。ここの転機ははっきりとは描かれていないけれど、エリオとオリバーは同じくユダヤに繋がる血筋だぞ、とか、オリバーが思ったよりちゃんと研究者しているぞ、とか、エリオの女友達の一人の腰に手を回してキスするのを見たりしているうちに、
I want you to know me. あなたに僕を知ってほしい
と伝えてしまう。エリオが自覚した感情は「好き」という言葉で表されるものではなかった。けれど、オリバーに気持ちが向いていて、近づきたいという欲求という点では根本では同じ性質のものだろう。何度も繰り返す。自分に言い聞かせるように、自分の説明しようのない感情に輪郭を与えるように。そしてダメ押しの
Because there is no one else I can say this to but you(この台詞はスクリプトを探して確認した)
唱えている内に感情が高まってきちゃったんだろうな。衝動的に口をついたという印象に17歳らしさ、未成熟さが見える気がする。
そうか、感情というより衝動といった方が近いのかも知れない。全身から出てくる性急な何か。気持ちなどと言葉で説明できるようなものではなく、もっと本能的なもの。
それに対してオリバーは「自分の言ってることわかってんのか? 買い物へ行く」と逃げる。ここがエリオとの対比になっていて、大人のずるさを感じる。オリバーへのもやもや感がここからだんだん増えていったな。
エリオは自分だけのお気に入りの川べりにオリバーを連れ出す。そこで二人は雰囲気にのまれて口づけを交わす。
つまるところオリバーが止めていたのは自分自身であり、初めからオリバーはエリオが気になっていたわけだ。ここのキスを仕掛けたのはオリバーなのがまた……もやもやする。
ただ、二人の性指向については触れられない。
エリオにはおそらく数年来の仲の良いガールフレンドがいて、この夏に友達以上の関係になるかもしれないという雰囲気の中にいる。帰宅以来、オリバーはエリオから距離を置こうとしていて、二人の仲がぎくしゃくしている。そんな中で先日のキスから性的な興味が強く生じている様子のエリオは、ガールフレンドと彼にとっても初めての性行為を果たす。
エリオにとって彼女は気心知れた友人で仲もいいんだけど、ここでの行為は興味本位というか、年齢相応の生理的衝動の強さを感じたなあ。そもそもエリオから彼女へのときめき的な描写はほとんどない。二度のセックスシーンも全然色気がなかった。
で、不穏な空気のオリバーに、エリオから勇気を出して「仲直りしたい、沈黙は嫌だ」とのメモを渡すと、返答は「真夜中に会おう」だった。確信を得てからアプローチをしてくるオリバー、ひどいやつ!
それから、エリオは時計を見まくったり、カウチに昼寝しようと横になっても何度も寝返りを打って寝られなかったり、オリバーがエリオの父親と共にギリシア彫刻のスライドを確認しながら、男性像の上半身のしなやかさをうっとりと眺めていたりする。
見てるこっちにも彼らの緊張や昂りが伝わってくるわけですよ。
その後、夜中にバルコニーで会ってようやく言葉を交わせた二人は、どどどっと深い関係へとなだれ込んでいく。のだけど、こっちは彼女との関係に比較して、直接的なところはまったく映していないのにエロティックな映像になってた。
タイトルの回収はここ。後朝の歌ではないけど、翌朝目が覚めた二人が顔を寄せたところにオリバーがささやく。
Call me by your name
エリオに自分に向かって「エリオ」と呼びかけさせ、「オリバー」とエリオへ告げる。
エリオが「自分を知ってほしい」と言ったことの延長線上にこの行為があるんだろうなと思った。知ってほしいし、もちろん言うまでもないがあなたのことも知りたい。知ることは近寄ること。目いっぱい近寄って、相手との境界もなくしたい。あなたと自分を同一視してしまうくらいに。
となれば、肉体的にも繋がりたいとなって、きっちりやっちゃったのね。オリバー、鬼の所業だね。罪深い。
エリオにとって、生物として成長していくときにパートナーとなりえるのは女の子のガールフレンドだったけど、精神的にぐっと近寄れるような相手はオリバーだったということかな。この後、ダメ押しのようにエリオの自慰シーンがあるんだけど、普通に男の子だった。まあちょっと普通じゃないけど。桃つかってた。
余談で、エリオの役者のインスタグラムに梨の画像が掲載されて、そこにオリバーの役者が「桃から梨に浮気したの?」ってコメントしてるの。すごいよねえ。爆笑ですよ。
ちなみに字幕版で、「好き」だと言っているところはオリバーからの一言だけだったし、劇の終盤で彼女がエリオを訪ねてきて「私ってあなたの彼女?」と問う場面があるのだけど、周りの人達は恋愛の定番を理解していて言語化している。だけど、エリオとオリバーの関係、オリバーへに向けた感情についてはエリオの口からは言葉による説明はない。ここの対比もすごいと思うんだよね。
エリオは彼自身にとって消化しきれない、けれども深い関係を誰かと結ぶという稀有な体験の真っ只中にいて、当然のことながら初めての経験(出会い)でもあったってこと。エリオの知っていた恋愛とは違っていた、とはいいすぎかもしれないけど。
あとから振り返れば、あれは恋だったのかもなとぼんやり思い当たるという感じかな。やってることはやってるんだけど。その頃って心と身体が一体化しきれてないし、そのことに無自覚なように思うので。成熟してくると、自分の意志で分離しようと思えば可能なようになっていくと思うけども。
そうして気がつけばオリバーはそろそろ帰国する時期。両親は二人の仲を勘づいているけど、エリオに干渉することはなく、それどころかオリバーの大学見学旅行についていけと勧めてくれる。最後の数日、げらげら笑って過ごして、ミラノの空港行き電車に乗るオリバーと、エリオはほとんど言葉もなく抱擁しあってから見送り、二人は別れる。
このときのオリバーが車窓に肘をついて切なそうな横顔を見せるのに、くそアメリカ人め! とちょっと怒りにも似たものが湧いてきた。真夜中に会ってからのオリバーは率直にエリオを愛しがる。見返りを確保してから自分を見せるというやり方にちょっとした憤りを覚えるね。だからここで悲しい顔を見せるのに対して、見ているこっちは素直に残念だねと思えない。
それに17歳エリオはどうしたらいいかわからなくて呆然としてるのに。ずっと駅のホームのベンチから立ち上がれず、家に電話して母親に車で迎えに来てもらうんだけど、その車の中で子供みたいにひくひく泣くのよ。ちょっと収まってもまた泣けてきちゃってさ。お母さんは運転しながら、片手でひたすら頭をなでるんだけど、ここからもう親目線でしか見えなくなった。親に何もできることないよなあ。
そして帰宅後、父親がエリオを慰め、諭す。このシーンはちょっと説教臭いかなと思ったけど、でもこういう親になれたらなと思う場面だった。両親は、エリオとオリバーのことはわかっていて、例えば同性愛的なことは全然言及しない。それどころか、こんな密な関係性を築けることは幸運だという趣旨のことを言う。Parce-que c’etait lui ; parce-que c’etait moi. (直訳すれば「それは君だったから、それは僕だったから」)とモンテーニュを引用して、エリオとオリバーはかつてモンテーニュがラ・ボエシと結んだ深い友情にも匹敵したのだと伝える。学者の父親からこういう言葉が出てくるということは、息子の行動への賛辞にほかならないだろうな。
加えて、親としては子供が傷つくのを避けたいと思うけど、逃げてばかりでは先に心が死ぬ。そうでなくても、年をとれば心はいつかすり減っていく。容姿も衰え、誰も見向きもしなくなる。心と体が同時に満ちたりて、その状態で向き合える人と関係性が持てたのはすばらしいことだとエリオの経験を全肯定する。
この場面では、父親がメガネを初めて外す。すべての演出が父親としての威厳や確かさ、そして頼りがいのようなものを補強していると思う。その中で、自分はもう心がすり減ってきたと告白する誠実さ。対して、17歳エリオの命の輝きが増して感じられたなあ。
別荘は古いが大きな邸宅で、母親が手をいれる果樹園があるほど広い庭園もある。石造りのプール付き。何かと木漏れ日の下にテーブルをセットし、昼から正餐をしていた。もちろんお手伝いの人もいる。街並みも石畳が町の広場まで続くようなところで、ヨーロッパ外の人が憧れる「ザ・ヨーロッパ」って感じ。映像が美しすぎてワンショットワンショットが絵画のよう。
主人公は17歳、同年代の友人たちも同じようにここへ夏の間だけ来ている様子。主人公はフランス人、家で雇われているのはイタリア人、そして今回やってきたアメリカ人、彼らに対し三種の言語を流暢に使い分ける。また、楽器の演奏も得意で、趣味は読書と編曲。ちょっと内気でインドアな内面を裏切らない外見は、まだ体格が出来上がっていないと思わせる筋肉の薄い細身の身体、栗色の巻き毛になんならそばかすもありそう。白磁のような肌に主張する眉と大きな瞳。
なんだこれ、マッチョ文化における理想の「はかなげでいて強さを秘めたヨーロッパ美少年」だろ。と言いたくなっちゃう。
そう、主人公もアメリカ人も男。主人公エリオはそんなわけで、オリバーのいかにもアメリカ人な無神経で勝手で、いつのまにか町の飲み屋で顔なじみを作っていたり、自分の友達にも気に入られちゃっているような、アウトゴーイングなところがちょっと気に食わない。食わなかったんだけど、あれこれあって近づいていく、という流れ。
17歳と24歳という設定が絶妙、というのが一番の感想だった。
17歳といえば身体機能は大人にかなり近づいているけれど、完成してはいない。性的衝動は進展していても、理性的に説明するすべがまだない。精神的な経験不足もある。心も身体もまだ成長の余地がある状態だ。劇中で何度か登場する、庭のアプリコットの甘酸っぱく、少しかたい果肉のイメージと重なる。
一方で、1983年の24歳はかなり成熟している。ただこの映画はほぼエリオの視点から描かれているものだと終劇後に思ったので、その分、実際のオリバーよりも大人びて描かれているのかもしれない。後半に出てくる桃(おそらくネクタリン)はアプリコットよりも酸味は控えめで果肉は柔らかく、果汁も多い。オリバーになぞらえているような場面で登場する。
エリオはアプリコットから桃への変化の入り口に立っているのかもしれない。
ストーリーに沿って思い出すと、エリオにはオリバーがいつの間にか気になってしまっている。ここの転機ははっきりとは描かれていないけれど、エリオとオリバーは同じくユダヤに繋がる血筋だぞ、とか、オリバーが思ったよりちゃんと研究者しているぞ、とか、エリオの女友達の一人の腰に手を回してキスするのを見たりしているうちに、
I want you to know me. あなたに僕を知ってほしい
と伝えてしまう。エリオが自覚した感情は「好き」という言葉で表されるものではなかった。けれど、オリバーに気持ちが向いていて、近づきたいという欲求という点では根本では同じ性質のものだろう。何度も繰り返す。自分に言い聞かせるように、自分の説明しようのない感情に輪郭を与えるように。そしてダメ押しの
Because there is no one else I can say this to but you(この台詞はスクリプトを探して確認した)
唱えている内に感情が高まってきちゃったんだろうな。衝動的に口をついたという印象に17歳らしさ、未成熟さが見える気がする。
そうか、感情というより衝動といった方が近いのかも知れない。全身から出てくる性急な何か。気持ちなどと言葉で説明できるようなものではなく、もっと本能的なもの。
それに対してオリバーは「自分の言ってることわかってんのか? 買い物へ行く」と逃げる。ここがエリオとの対比になっていて、大人のずるさを感じる。オリバーへのもやもや感がここからだんだん増えていったな。
エリオは自分だけのお気に入りの川べりにオリバーを連れ出す。そこで二人は雰囲気にのまれて口づけを交わす。
つまるところオリバーが止めていたのは自分自身であり、初めからオリバーはエリオが気になっていたわけだ。ここのキスを仕掛けたのはオリバーなのがまた……もやもやする。
ただ、二人の性指向については触れられない。
エリオにはおそらく数年来の仲の良いガールフレンドがいて、この夏に友達以上の関係になるかもしれないという雰囲気の中にいる。帰宅以来、オリバーはエリオから距離を置こうとしていて、二人の仲がぎくしゃくしている。そんな中で先日のキスから性的な興味が強く生じている様子のエリオは、ガールフレンドと彼にとっても初めての性行為を果たす。
エリオにとって彼女は気心知れた友人で仲もいいんだけど、ここでの行為は興味本位というか、年齢相応の生理的衝動の強さを感じたなあ。そもそもエリオから彼女へのときめき的な描写はほとんどない。二度のセックスシーンも全然色気がなかった。
で、不穏な空気のオリバーに、エリオから勇気を出して「仲直りしたい、沈黙は嫌だ」とのメモを渡すと、返答は「真夜中に会おう」だった。確信を得てからアプローチをしてくるオリバー、ひどいやつ!
それから、エリオは時計を見まくったり、カウチに昼寝しようと横になっても何度も寝返りを打って寝られなかったり、オリバーがエリオの父親と共にギリシア彫刻のスライドを確認しながら、男性像の上半身のしなやかさをうっとりと眺めていたりする。
見てるこっちにも彼らの緊張や昂りが伝わってくるわけですよ。
その後、夜中にバルコニーで会ってようやく言葉を交わせた二人は、どどどっと深い関係へとなだれ込んでいく。のだけど、こっちは彼女との関係に比較して、直接的なところはまったく映していないのにエロティックな映像になってた。
タイトルの回収はここ。後朝の歌ではないけど、翌朝目が覚めた二人が顔を寄せたところにオリバーがささやく。
Call me by your name
エリオに自分に向かって「エリオ」と呼びかけさせ、「オリバー」とエリオへ告げる。
エリオが「自分を知ってほしい」と言ったことの延長線上にこの行為があるんだろうなと思った。知ってほしいし、もちろん言うまでもないがあなたのことも知りたい。知ることは近寄ること。目いっぱい近寄って、相手との境界もなくしたい。あなたと自分を同一視してしまうくらいに。
となれば、肉体的にも繋がりたいとなって、きっちりやっちゃったのね。オリバー、鬼の所業だね。罪深い。
エリオにとって、生物として成長していくときにパートナーとなりえるのは女の子のガールフレンドだったけど、精神的にぐっと近寄れるような相手はオリバーだったということかな。この後、ダメ押しのようにエリオの自慰シーンがあるんだけど、普通に男の子だった。まあちょっと普通じゃないけど。桃つかってた。
余談で、エリオの役者のインスタグラムに梨の画像が掲載されて、そこにオリバーの役者が「桃から梨に浮気したの?」ってコメントしてるの。すごいよねえ。爆笑ですよ。
ちなみに字幕版で、「好き」だと言っているところはオリバーからの一言だけだったし、劇の終盤で彼女がエリオを訪ねてきて「私ってあなたの彼女?」と問う場面があるのだけど、周りの人達は恋愛の定番を理解していて言語化している。だけど、エリオとオリバーの関係、オリバーへに向けた感情についてはエリオの口からは言葉による説明はない。ここの対比もすごいと思うんだよね。
エリオは彼自身にとって消化しきれない、けれども深い関係を誰かと結ぶという稀有な体験の真っ只中にいて、当然のことながら初めての経験(出会い)でもあったってこと。エリオの知っていた恋愛とは違っていた、とはいいすぎかもしれないけど。
あとから振り返れば、あれは恋だったのかもなとぼんやり思い当たるという感じかな。やってることはやってるんだけど。その頃って心と身体が一体化しきれてないし、そのことに無自覚なように思うので。成熟してくると、自分の意志で分離しようと思えば可能なようになっていくと思うけども。
そうして気がつけばオリバーはそろそろ帰国する時期。両親は二人の仲を勘づいているけど、エリオに干渉することはなく、それどころかオリバーの大学見学旅行についていけと勧めてくれる。最後の数日、げらげら笑って過ごして、ミラノの空港行き電車に乗るオリバーと、エリオはほとんど言葉もなく抱擁しあってから見送り、二人は別れる。
このときのオリバーが車窓に肘をついて切なそうな横顔を見せるのに、くそアメリカ人め! とちょっと怒りにも似たものが湧いてきた。真夜中に会ってからのオリバーは率直にエリオを愛しがる。見返りを確保してから自分を見せるというやり方にちょっとした憤りを覚えるね。だからここで悲しい顔を見せるのに対して、見ているこっちは素直に残念だねと思えない。
それに17歳エリオはどうしたらいいかわからなくて呆然としてるのに。ずっと駅のホームのベンチから立ち上がれず、家に電話して母親に車で迎えに来てもらうんだけど、その車の中で子供みたいにひくひく泣くのよ。ちょっと収まってもまた泣けてきちゃってさ。お母さんは運転しながら、片手でひたすら頭をなでるんだけど、ここからもう親目線でしか見えなくなった。親に何もできることないよなあ。
そして帰宅後、父親がエリオを慰め、諭す。このシーンはちょっと説教臭いかなと思ったけど、でもこういう親になれたらなと思う場面だった。両親は、エリオとオリバーのことはわかっていて、例えば同性愛的なことは全然言及しない。それどころか、こんな密な関係性を築けることは幸運だという趣旨のことを言う。Parce-que c’etait lui ; parce-que c’etait moi. (直訳すれば「それは君だったから、それは僕だったから」)とモンテーニュを引用して、エリオとオリバーはかつてモンテーニュがラ・ボエシと結んだ深い友情にも匹敵したのだと伝える。学者の父親からこういう言葉が出てくるということは、息子の行動への賛辞にほかならないだろうな。
加えて、親としては子供が傷つくのを避けたいと思うけど、逃げてばかりでは先に心が死ぬ。そうでなくても、年をとれば心はいつかすり減っていく。容姿も衰え、誰も見向きもしなくなる。心と体が同時に満ちたりて、その状態で向き合える人と関係性が持てたのはすばらしいことだとエリオの経験を全肯定する。
この場面では、父親がメガネを初めて外す。すべての演出が父親としての威厳や確かさ、そして頼りがいのようなものを補強していると思う。その中で、自分はもう心がすり減ってきたと告白する誠実さ。対して、17歳エリオの命の輝きが増して感じられたなあ。
オリバーは結局、エリオの眩しさに目がくらみ、若い肢体に溺れただけだろうとあてこすりたくなる。エリオを傷つけてくれちゃって! でもエリオはそれでもオリバーと近づきたかったんだよね。しかたないか。
半年後、雪のクリスマスもこの別荘で過ごす。ユダヤ系なのでハヌカだけど。
そこに鳴る一本の電話はオリバーから。結婚するという。しかも、彼女とはもう二年のつきあいだったらしい。オリバーはエリオの両親から夏の間に温かくもてなしてもらったことに改めて礼を述べ、自分の父親とは同性に好意があるなんてことを言える関係性はないと説明した。
エリオはいとおしそうに「エリオ」と呼びかけ、オリバーも「オリバー」と返す。そして加えて、I remember everything...ここの字幕が「僕は決して忘れない」
オリバー、お前、そこでそれを言うのか! ばか! と怒りに震えたのは私だけではあるまい。
エリオがリビングの暖炉の前を陣取って、焦点を合わせることなく揺れる炎を見つめる。その顔の横に映し出されるクレジット。後ろでは母親と手伝いの人がハヌカのディナーの用意をしている。エリオが目をゆがめたり、眉間をおしたり、あれこれ手を尽くすけど、一筋の涙がこぼれると、声も出さずにさめざめと泣く。
この泣き方が、夏の日の大泣きとは全然違っててね。17-18歳の成長は目を見張るね。そしてエリオに気付いた母親が優しく声をかけるところで暗転。終劇。
ほらアメリカ人への煮え切らない気持ちが湧いてくる。原作ではオリバーの心情が説明されていて、このもやもや感が払拭されるようだけど、流石にそこまで手を伸ばすエネルギーは今はないなあ。
立ち返って、この映画のOPでは、古い写真がテーブルの上にいくつも積み重ねられていくのだけど、その殆どはローマ・ギリシア時代の彫刻で、父親の研究対象かなと思わせるもの。けど合間に、煙草とか時計とか、ちょっと違ったものが混ざってくる。
ひょっとしたら、後年、エリオがこの別荘にやってきて荷物の整理でもしていたかもしれない。そして当時の物がいろいろ出てきて、思い出を振り返った本編だったのかもしれない。
OP後、本編冒頭で、タイトルカットと同じくハンドライティングで「1983年、北イタリアのどこか」 と表示される。本編を思い返せば、別に「どこか」と曖昧にする必要はなかったと思う。オリバーが帰国する直前の二人の旅行でははっきりと地名の説明がなされるし、見送った後に母親に電話するときにも駅名を述べている。ましてや物語の舞台となった別荘のある町の名だってもう少し細かく説明してもいいのに、してない。もう忘れてしまったのか、それとも思い出したくないのか、あるいは大事な思い出としてそっとしておきたいのか。そんな記憶をエリオが辿り直している、というイメージが浮かんだ。
以上です。
半年後、雪のクリスマスもこの別荘で過ごす。ユダヤ系なのでハヌカだけど。
そこに鳴る一本の電話はオリバーから。結婚するという。しかも、彼女とはもう二年のつきあいだったらしい。オリバーはエリオの両親から夏の間に温かくもてなしてもらったことに改めて礼を述べ、自分の父親とは同性に好意があるなんてことを言える関係性はないと説明した。
エリオはいとおしそうに「エリオ」と呼びかけ、オリバーも「オリバー」と返す。そして加えて、I remember everything...ここの字幕が「僕は決して忘れない」
オリバー、お前、そこでそれを言うのか! ばか! と怒りに震えたのは私だけではあるまい。
エリオがリビングの暖炉の前を陣取って、焦点を合わせることなく揺れる炎を見つめる。その顔の横に映し出されるクレジット。後ろでは母親と手伝いの人がハヌカのディナーの用意をしている。エリオが目をゆがめたり、眉間をおしたり、あれこれ手を尽くすけど、一筋の涙がこぼれると、声も出さずにさめざめと泣く。
この泣き方が、夏の日の大泣きとは全然違っててね。17-18歳の成長は目を見張るね。そしてエリオに気付いた母親が優しく声をかけるところで暗転。終劇。
ほらアメリカ人への煮え切らない気持ちが湧いてくる。原作ではオリバーの心情が説明されていて、このもやもや感が払拭されるようだけど、流石にそこまで手を伸ばすエネルギーは今はないなあ。
立ち返って、この映画のOPでは、古い写真がテーブルの上にいくつも積み重ねられていくのだけど、その殆どはローマ・ギリシア時代の彫刻で、父親の研究対象かなと思わせるもの。けど合間に、煙草とか時計とか、ちょっと違ったものが混ざってくる。
ひょっとしたら、後年、エリオがこの別荘にやってきて荷物の整理でもしていたかもしれない。そして当時の物がいろいろ出てきて、思い出を振り返った本編だったのかもしれない。
OP後、本編冒頭で、タイトルカットと同じくハンドライティングで「1983年、北イタリアのどこか」 と表示される。本編を思い返せば、別に「どこか」と曖昧にする必要はなかったと思う。オリバーが帰国する直前の二人の旅行でははっきりと地名の説明がなされるし、見送った後に母親に電話するときにも駅名を述べている。ましてや物語の舞台となった別荘のある町の名だってもう少し細かく説明してもいいのに、してない。もう忘れてしまったのか、それとも思い出したくないのか、あるいは大事な思い出としてそっとしておきたいのか。そんな記憶をエリオが辿り直している、というイメージが浮かんだ。
以上です。
ラベル:
3.映画・コンサート
19.4.18
映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見てきた
働く人たちの話は心が踊るね。おもしろかった。
以下自分のためのメモ。
ペンタゴン・ペーパーズ
主人公;ケイ
ワシントン・ポスト紙の社主。家族経営の地方新聞社だったが、今ではそこそこの規模となっている。45歳の時に入婿で社主を継いでいた夫が亡くなり、専業主婦から自ら社主になる。
もともと聡明な女性、話題も豊富で仕事にも思慮が深いが、自分の意見を述べるののに自信がない。本編冒頭の理事会で株式上場の提案のため、念入りにメモを作っているが、いざその場になると言葉でなくなり、取締役のフリックが代弁した→のちに編集主幹のベンが、まわりからよってたかってお前は求められていないと言われてしまって完全に挫けてしまっていると擁護している。
取締役のフリックはケイのよきアドバイザーではあるが、父時代(または夫時代?)からの側近ゆえに、完全にケイの味方ではない。保守的。
やむを得ず表に立たないといけないときのために十分な準備もしている。夫の葬儀のときにもスピーチのメモを作っていた。遺された新聞社を家族のために守る、けれども新聞社としての理念も守るとする精神がこの時にすでにある。娘がこのメモを引き出してきて、読み上げてもらった時に、当時の精神を思い出したのだろうな。
新聞社のためにコストがかかっても良い記者が必要だとは本編冒頭で述べていて、質の高い新聞作りを強く意識している。よってベンに意見が近い。
ベン
編集主幹で革新的。今なら事業は女性が継いでもいいと思っている。職場の政権にまったくおもねらない女性記者の記事を一番擁護しているのがこの人。表現の自由をうたった修正一条を誇りに思う。
あらすじ
現地調査員としてベトナム戦争の前線に送り込まれたロンは,従軍調査をしていく中で,戦況悪化にも関わらず歴代政権はその事実を隠して戦争継続していることを知る。そのため,帰国後に一連の戦争報告書である通称ペンタゴン・ペーパーズを,所属のランド研究所へと持ち出した。
そのコピーが初めに持ち込まれたのはNYタイムズ社だった。世紀の大スクープに,主人公ケイが社主を務めるワシントンポストは臍をかむ。が,ポスト社にもコピーの一部が謎の少女によって持ち込まれ,それを端緒にポスト社からロンへの接触もなされ,すべてのコピーが手に入る。
NYタイムズが報じたペンタゴン・ペーパーズの記事はすぐさま政府より差し止め請求がなされ,タイムズ社はそれに応じていた。よって同様の記事を公表しようとしているポスト社は,秘密保持法だけでなく、国家反逆罪にも触れる。さらに情報源が同じならばNYタイムズと共謀罪に問われる可能性があるとわかった。
同時期に進んでいたワシントン・ポストの株式上場は、罪に問われればおじゃん。ここはまとめて解決することになるだろうとは思っていたけど。
新聞社は潰れる、記者たちも捕まる、新聞業界としても言論の自由を奪われる、で、全部潰れる可能性がある。けれども、「発言への圧力は発言にて抵抗する」と,編集主幹のベンは記事にする姿勢を保ち続けた。
記事にするか否かを最終的に決めるのは社主のケイ。父,夫と連なる旧世代の理事たちに猛反対される中,記事にする決断を下す。
高裁ではNYTは差し止め、ポストは御咎めなし。最高裁では6対3で勝ち。賛成派裁判官の意見では「言論の自由はガバナー(政権)ではなくガバーン(国民)のためのもの」であるとした。
雑感
ここまではまるでメディア対国(ニクソン)だけの話で、ラストもウォーターゲート事件を仄めかす形でニクソンを悪役に仕立てて終わっている。ガバーンのためと言いつつ、登場する一般人はデモ活動をしているヒッピーモブくらいだった。
ペーパーの流出からNYTが記事にするまで3ヶ月、それからポストにリークがあった。持ち込んだ少女の身分が明らかにならないまま、リーク元に目星をつけた記者がダンに接近して、ペーパー本体を手にすることができた。少女は最高裁で再登場する。ケイの外見だけは知っていて、自分の身元を明かした。国側代理人のアシスタントだったが、兄がベトナムに送られているというだけの一般人だ。ここで新聞社とは無関係の人物をねじ込んでくることで、この問題がメディアだけではなく、国民全体に関係するものだと示唆する。
思えば初めから登場人物たちの価値観は一定で、約一週間という短い期間で、ケイはほんの小さな意識改革をし、ベンは自分の仕事をしながらもケイやジョイスのような女性たちの立場に意識を広げ、フリックは自分が旧世代であることを認識した。一人一人は本当に小さな変化しか起きていないけど、新しい未来を暗示する変化でもある。
昔の新聞の版下を作る工程、印刷工程なども見られたのが興味深い。活字鋳植やってた。初めて見た。最後の印刷された新聞が天井高くまでコンベアで運ばれていく中をケイとベンが去っていくロングショットは最高だった。「刑事訴追あるかもよ」「そこはあなたがなんとかして」というフランクな二人の会話。ちょっと際どいジョークにニヤリとする。
この映画は、「レディ・プレイヤー1」の撮影中だったスピルバーグが脚本を見て,今撮るべき映画だと2017年6月から11月6日まで撮影。公開は18年1月。かなり突貫。
だからか,人物描写など少々甘いようにも見えた。粗削りな感じ。Twitterのような映画らしい。今出さないといけない,ということだろう。今見るべきだと思った。
スピルバーグは社会派とエンタテイメントを同時に撮影していくのか? 今回はジュラシックワールドも並行している。かつて,ジュラシックパークとシンドラーのリストを同時制作していたときと同じ手法を使ったらしい。私がかつてみたアミスタッドもロストワールド(ジュラシックパーク)と同年公開だったし。
ところで合衆国憲法修正第一条は「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない」
Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech,
or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.
というやつで、いろんな自由を規定している。
このうちの言論の自由については,起草者の意図なども残っておらず,その意図するところは不明。ただ,本国イギリスでも検閲からの自由が求められてきたのだから,合衆国憲法においても検閲を排除するのが第一の目的となろう。(「アメリカ憲法入門」松井茂記、有斐閣2007)
政治的な意思を自由に表明しあえる環境にあることで、意見ももみ合って発展していくし、結果としてよりよい社会が築けるところに、言論の自由を尊重すべき理由がありそうだ。
イギリスの表現の自由はどうなってんだろう。と思うだけで調べずにいる。
以下自分のためのメモ。
ペンタゴン・ペーパーズ
主人公;ケイ
ワシントン・ポスト紙の社主。家族経営の地方新聞社だったが、今ではそこそこの規模となっている。45歳の時に入婿で社主を継いでいた夫が亡くなり、専業主婦から自ら社主になる。
もともと聡明な女性、話題も豊富で仕事にも思慮が深いが、自分の意見を述べるののに自信がない。本編冒頭の理事会で株式上場の提案のため、念入りにメモを作っているが、いざその場になると言葉でなくなり、取締役のフリックが代弁した→のちに編集主幹のベンが、まわりからよってたかってお前は求められていないと言われてしまって完全に挫けてしまっていると擁護している。
取締役のフリックはケイのよきアドバイザーではあるが、父時代(または夫時代?)からの側近ゆえに、完全にケイの味方ではない。保守的。
やむを得ず表に立たないといけないときのために十分な準備もしている。夫の葬儀のときにもスピーチのメモを作っていた。遺された新聞社を家族のために守る、けれども新聞社としての理念も守るとする精神がこの時にすでにある。娘がこのメモを引き出してきて、読み上げてもらった時に、当時の精神を思い出したのだろうな。
新聞社のためにコストがかかっても良い記者が必要だとは本編冒頭で述べていて、質の高い新聞作りを強く意識している。よってベンに意見が近い。
ベン
編集主幹で革新的。今なら事業は女性が継いでもいいと思っている。職場の政権にまったくおもねらない女性記者の記事を一番擁護しているのがこの人。表現の自由をうたった修正一条を誇りに思う。
あらすじ
現地調査員としてベトナム戦争の前線に送り込まれたロンは,従軍調査をしていく中で,戦況悪化にも関わらず歴代政権はその事実を隠して戦争継続していることを知る。そのため,帰国後に一連の戦争報告書である通称ペンタゴン・ペーパーズを,所属のランド研究所へと持ち出した。
そのコピーが初めに持ち込まれたのはNYタイムズ社だった。世紀の大スクープに,主人公ケイが社主を務めるワシントンポストは臍をかむ。が,ポスト社にもコピーの一部が謎の少女によって持ち込まれ,それを端緒にポスト社からロンへの接触もなされ,すべてのコピーが手に入る。
NYタイムズが報じたペンタゴン・ペーパーズの記事はすぐさま政府より差し止め請求がなされ,タイムズ社はそれに応じていた。よって同様の記事を公表しようとしているポスト社は,秘密保持法だけでなく、国家反逆罪にも触れる。さらに情報源が同じならばNYタイムズと共謀罪に問われる可能性があるとわかった。
同時期に進んでいたワシントン・ポストの株式上場は、罪に問われればおじゃん。ここはまとめて解決することになるだろうとは思っていたけど。
新聞社は潰れる、記者たちも捕まる、新聞業界としても言論の自由を奪われる、で、全部潰れる可能性がある。けれども、「発言への圧力は発言にて抵抗する」と,編集主幹のベンは記事にする姿勢を保ち続けた。
記事にするか否かを最終的に決めるのは社主のケイ。父,夫と連なる旧世代の理事たちに猛反対される中,記事にする決断を下す。
高裁ではNYTは差し止め、ポストは御咎めなし。最高裁では6対3で勝ち。賛成派裁判官の意見では「言論の自由はガバナー(政権)ではなくガバーン(国民)のためのもの」であるとした。
雑感
ここまではまるでメディア対国(ニクソン)だけの話で、ラストもウォーターゲート事件を仄めかす形でニクソンを悪役に仕立てて終わっている。ガバーンのためと言いつつ、登場する一般人はデモ活動をしているヒッピーモブくらいだった。
ペーパーの流出からNYTが記事にするまで3ヶ月、それからポストにリークがあった。持ち込んだ少女の身分が明らかにならないまま、リーク元に目星をつけた記者がダンに接近して、ペーパー本体を手にすることができた。少女は最高裁で再登場する。ケイの外見だけは知っていて、自分の身元を明かした。国側代理人のアシスタントだったが、兄がベトナムに送られているというだけの一般人だ。ここで新聞社とは無関係の人物をねじ込んでくることで、この問題がメディアだけではなく、国民全体に関係するものだと示唆する。
思えば初めから登場人物たちの価値観は一定で、約一週間という短い期間で、ケイはほんの小さな意識改革をし、ベンは自分の仕事をしながらもケイやジョイスのような女性たちの立場に意識を広げ、フリックは自分が旧世代であることを認識した。一人一人は本当に小さな変化しか起きていないけど、新しい未来を暗示する変化でもある。
昔の新聞の版下を作る工程、印刷工程なども見られたのが興味深い。活字鋳植やってた。初めて見た。最後の印刷された新聞が天井高くまでコンベアで運ばれていく中をケイとベンが去っていくロングショットは最高だった。「刑事訴追あるかもよ」「そこはあなたがなんとかして」というフランクな二人の会話。ちょっと際どいジョークにニヤリとする。
この映画は、「レディ・プレイヤー1」の撮影中だったスピルバーグが脚本を見て,今撮るべき映画だと2017年6月から11月6日まで撮影。公開は18年1月。かなり突貫。
だからか,人物描写など少々甘いようにも見えた。粗削りな感じ。Twitterのような映画らしい。今出さないといけない,ということだろう。今見るべきだと思った。
スピルバーグは社会派とエンタテイメントを同時に撮影していくのか? 今回はジュラシックワールドも並行している。かつて,ジュラシックパークとシンドラーのリストを同時制作していたときと同じ手法を使ったらしい。私がかつてみたアミスタッドもロストワールド(ジュラシックパーク)と同年公開だったし。
ところで合衆国憲法修正第一条は「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない」
Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech,
or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.
というやつで、いろんな自由を規定している。
このうちの言論の自由については,起草者の意図なども残っておらず,その意図するところは不明。ただ,本国イギリスでも検閲からの自由が求められてきたのだから,合衆国憲法においても検閲を排除するのが第一の目的となろう。(「アメリカ憲法入門」松井茂記、有斐閣2007)
政治的な意思を自由に表明しあえる環境にあることで、意見ももみ合って発展していくし、結果としてよりよい社会が築けるところに、言論の自由を尊重すべき理由がありそうだ。
イギリスの表現の自由はどうなってんだろう。と思うだけで調べずにいる。
ラベル:
3.映画・コンサート
8.5.11
週末ビデオレンタル
郵便で返せるのは楽でいい。でもこちらではキャンペーン期間で送料無料だから利用しているが、有料になったら使わなくなるだろうな。借りるのと郵送の費用が同じなのかと思うと…。ディスカスの料金がNetflix並みになればいいのに。ついでにウェブ配信もしてくれるようになればいいのに。てかNetflixが日本にも進出しないかなぁ。
●クリミナルCriminal (2004)
プロの詐欺師がバーで詐欺を働こうとした青年とともに、一攫千金の詐欺を行おうとするストーリー。
詐欺の進み方が小さなトラブルがありながらもうまくいきすぎだなと思っていたら、なんだようという結末。人が傷つかない映画はいいね。アルゼンチン映画の「Nine Queens」のリメイク。
●秒速5センチメートル (2007)
新海誠のアニメーション映画。3編の短編連作映画は全部でも60分と短いが、予想通り人物以外の映像がめっちゃきれいだった。映像のためだけに見てもいい内容。
東京の小学校で転校生同士として仲がよかった少年と少女が、中学入学と同時に離ればなれになった後のストーリー。1章では中学入学時に栃木へ引っ越していった少女を、種子島に引っ越すことになった少年が訪ねていく。 2章は種子島に引っ越した少年の高校生活、3章は大学卒業後、東京で生活する青年となった少年の心情が山崎まさよしの曲とともに描かれる。主人公の少年は転校が多いせいか少し大人びて描かれている気がしたが、それでも1章は中学一年生らしい子供っぽさを、2章は思春期らしさを、3章は都会の暮らしにやや疲れ気味の20代半ばらしさを、それぞれよく表していたと思う。内容には、EDのスタッフロールが流れた瞬間に「えーこれでおしまい!?」と思わず叫んでしまった、そんな感じ。小説ではもう少し補完されているようなので、そのうち読んでみたい。
●クリミナルCriminal (2004)
プロの詐欺師がバーで詐欺を働こうとした青年とともに、一攫千金の詐欺を行おうとするストーリー。
詐欺の進み方が小さなトラブルがありながらもうまくいきすぎだなと思っていたら、なんだようという結末。人が傷つかない映画はいいね。アルゼンチン映画の「Nine Queens」のリメイク。
●秒速5センチメートル (2007)
新海誠のアニメーション映画。3編の短編連作映画は全部でも60分と短いが、予想通り人物以外の映像がめっちゃきれいだった。映像のためだけに見てもいい内容。
東京の小学校で転校生同士として仲がよかった少年と少女が、中学入学と同時に離ればなれになった後のストーリー。1章では中学入学時に栃木へ引っ越していった少女を、種子島に引っ越すことになった少年が訪ねていく。 2章は種子島に引っ越した少年の高校生活、3章は大学卒業後、東京で生活する青年となった少年の心情が山崎まさよしの曲とともに描かれる。主人公の少年は転校が多いせいか少し大人びて描かれている気がしたが、それでも1章は中学一年生らしい子供っぽさを、2章は思春期らしさを、3章は都会の暮らしにやや疲れ気味の20代半ばらしさを、それぞれよく表していたと思う。内容には、EDのスタッフロールが流れた瞬間に「えーこれでおしまい!?」と思わず叫んでしまった、そんな感じ。小説ではもう少し補完されているようなので、そのうち読んでみたい。
ラベル:
1.今のくらし,
3.映画・コンサート
22.4.11
週末ビデオレンタル
レンタルショップで掘り出し物名作特集なるものをやっていた。その中から、かるーく見られそうなビデオを二本借りてきた。
●知らなすぎた男 The man who knew too little (1998)
シリアス風なイントロで始まったものの、全編大爆笑映画だった。先週の鬱々とした気持ちを吹き飛ばすにはもってこい。
イギリスに住む弟を訪ねてきたちょっと(どころじゃないけど)空気の読めないアメリカ人男性が、ドラマ撮影に参加しているつもりでいたら、本当にスパイ大作戦に巻き込まれていたYO! というストーリー。ちょっとした台詞回しがいちいち笑えたなぁ。舞台はロンドンなので映像も見ていて楽しい。もちろんお約束のハッピーエンドで、エンディングまで全く空気が読めないまま突き通したのがすばらしかった。こんなに笑ったのは久しぶり。
●ボビー・フィッシャーを探して Searching for Bobby Fischer (1993)
世紀の天才ボビー・フィッシャーのように、チェスの才能を見いだされた7歳の少年とその周りの大人達の話。
とにかく、少年の周りの大人達が彼の成功に貢献するすばらしい人材ばかりだった。公園で柄の悪い大人たちが賭チェスを行っている様子から少年がチェスに興味を持つのだが、おそらく普通の母親はそんな環境からは子供を遠ざけようとするものだろう。しかし、母親はある大人に対戦を依頼する。これがこの物語の第一歩だ。父親もボビー・フィッシャーのコーチを探し出して息子の家庭教師を依頼するし、このコーチも厳しい反面誰よりも少年の気持ちを受け止めるし、いつのまにか賭チェス公園で大人の友達ができているし、子供が成長するには環境が大事だと思わせられる話だった。少年と同じように子供チェス大会にアプライする子供達の親は彼らとは対照的に教育パパ・ママで、子供がくさっている描写がちょっと安易かなぁとも思った。
●知らなすぎた男 The man who knew too little (1998)
シリアス風なイントロで始まったものの、全編大爆笑映画だった。先週の鬱々とした気持ちを吹き飛ばすにはもってこい。
イギリスに住む弟を訪ねてきたちょっと(どころじゃないけど)空気の読めないアメリカ人男性が、ドラマ撮影に参加しているつもりでいたら、本当にスパイ大作戦に巻き込まれていたYO! というストーリー。ちょっとした台詞回しがいちいち笑えたなぁ。舞台はロンドンなので映像も見ていて楽しい。もちろんお約束のハッピーエンドで、エンディングまで全く空気が読めないまま突き通したのがすばらしかった。こんなに笑ったのは久しぶり。
●ボビー・フィッシャーを探して Searching for Bobby Fischer (1993)
世紀の天才ボビー・フィッシャーのように、チェスの才能を見いだされた7歳の少年とその周りの大人達の話。
とにかく、少年の周りの大人達が彼の成功に貢献するすばらしい人材ばかりだった。公園で柄の悪い大人たちが賭チェスを行っている様子から少年がチェスに興味を持つのだが、おそらく普通の母親はそんな環境からは子供を遠ざけようとするものだろう。しかし、母親はある大人に対戦を依頼する。これがこの物語の第一歩だ。父親もボビー・フィッシャーのコーチを探し出して息子の家庭教師を依頼するし、このコーチも厳しい反面誰よりも少年の気持ちを受け止めるし、いつのまにか賭チェス公園で大人の友達ができているし、子供が成長するには環境が大事だと思わせられる話だった。少年と同じように子供チェス大会にアプライする子供達の親は彼らとは対照的に教育パパ・ママで、子供がくさっている描写がちょっと安易かなぁとも思った。
ラベル:
1.今のくらし,
3.映画・コンサート
9.4.11
週末ビデオレンタル
近所のレンタルビデオ屋は旧作ならいつも100円で借りられる。しかも、人(というか車)の流れから外れているせいか、在庫が豊富。そんなわけで、ちょいと借りてみた。
●ザ・ロード(2009)
終末映画。レンタル屋でジャケ借りしようとすると、ついついこの手の暗いものばかりになってしまう。おもしろそうだと思わず選んでしまうが、見た後に言葉を失ってしまうことが多く、娯楽としてはあんまり適していない。でも気になってしまう。二律背反。
文明が崩壊して、食べ物を求めながら南へ向かう親子のロードストーリー。舞台設定として、他人を捕食することで生きながらえることを選択した人たちばかりがいる世界。彼らから逃げながら「善く」生きることを父親は息子に説き続け、それに応えようとする息子がいじらしい。ただ、その悲惨な背景が何度か描写される度に画面を見るのが辛く、先にネット上であらすじを見てしまった。同じ終末映画でも救いのなかった「エンド・オブ・ザ・ワールド」よりは鑑賞後の気持ちは軽いが、それでもやっぱり怖い映画だったなぁ。
●LAコンフィデンシャル(1997)
冒頭から警察がかなり暴力的で、全編この調子だと見ていて辛いなぁとながら見に逃げてしまった。
ある事件をきっかけに明らかになった、警察内部の腐敗と戦う刑事二人の奮闘物語。時代背景は1950年代なので、警察はそれなりに正しかろうと推定できる現代からすると、不正がまかり通る警察などの辛い描写が多かった。最後まではらはらした。
次回に借りるのは、はらはらしないどーでもいい話のビデオにしようと固く誓ったのだった。
●ザ・ロード(2009)
終末映画。レンタル屋でジャケ借りしようとすると、ついついこの手の暗いものばかりになってしまう。おもしろそうだと思わず選んでしまうが、見た後に言葉を失ってしまうことが多く、娯楽としてはあんまり適していない。でも気になってしまう。二律背反。
文明が崩壊して、食べ物を求めながら南へ向かう親子のロードストーリー。舞台設定として、他人を捕食することで生きながらえることを選択した人たちばかりがいる世界。彼らから逃げながら「善く」生きることを父親は息子に説き続け、それに応えようとする息子がいじらしい。ただ、その悲惨な背景が何度か描写される度に画面を見るのが辛く、先にネット上であらすじを見てしまった。同じ終末映画でも救いのなかった「エンド・オブ・ザ・ワールド」よりは鑑賞後の気持ちは軽いが、それでもやっぱり怖い映画だったなぁ。
●LAコンフィデンシャル(1997)
冒頭から警察がかなり暴力的で、全編この調子だと見ていて辛いなぁとながら見に逃げてしまった。
ある事件をきっかけに明らかになった、警察内部の腐敗と戦う刑事二人の奮闘物語。時代背景は1950年代なので、警察はそれなりに正しかろうと推定できる現代からすると、不正がまかり通る警察などの辛い描写が多かった。最後まではらはらした。
次回に借りるのは、はらはらしないどーでもいい話のビデオにしようと固く誓ったのだった。
ラベル:
1.今のくらし,
3.映画・コンサート
30.10.10
犬耳家親族会議 vol.5
11月の第一週に国際フォーラムでFFのクラシックコンサート「Distant World」が開催されると知ったときには、すでにチケットは売り切れていた。瞬間湯沸かし器のように植松楽曲が聴きたくなって調べたら、バンドライブっぽいものがその前の週に開かれることが分かって、気がついたらチケット買ってました。物好きな友人もともに参戦することとなり、咳をしながらも今年初上陸の台風の中を出かけてきた。
普通のライブかと思ったら、ショー的な構成だった。
・犬耳家というだけあって、初めに犬のロボットが単独でスポットを浴びて前説。
・前座のサイモンガー・モバイルはその名の通り、モバイル機器を活用した「一人ファンクユニット」らしく、見たことのない楽器を並べて変なラップを繰り出していた。楽器ってのは音が出れば何でもそうなるもんだなと感心したのは、彼が用意していたのはiPhoneとNintendo DS、ハンディシンセサイザーのカオシレーターなどなどでどれも鍵盤もつまみも付いていない。DSにはカオシレーターの発売会社korgのシンセサイザーソフトが乗っていた。でもちゃんと曲を鳴らせる。音楽って道具じゃないなと思った次第。
・植松レーベルのドッグイヤーレコードから出たピアノCDの奏者が三人立て続けに登場して演奏していった。一人目は中山"ショパン"博之。「ピアコン2」というファミコン時代のBGMのピアノアレンジしたCDからいくつか演奏していたのだが、FF3の「水の巫女エリア」は植松が絶品と言うだけあった。そのほか、「がんばれ五右衛門からくり道中」とか懐かしすぎて涙が出る。二人目は甲田雅人で「悪魔城ドラキュラ」。後にもらったプログラムにも載ってなかったし、これは絶対飛び入り参加させられたんだろうと思われるラフな格好だった。二人はそれぞれピアコン2号、3号と同じプロジェクトで古いゲームの編曲と演奏をしているのだが、こうもピアノの音やアレンジの傾向が違うものかと思ったね。派手なショパン(自分でショパンって名乗るくらいだからな)とシンプルなドラキュラ。三人目はたぶん今回の一番のゲストであるベンヤミン・ヌス。ドイツの若手実力派ピアニストだが、植松の曲をドイツの老舗レーベルグラモフォンから出すというので呼ばれた様子。この人の演奏がすばらしかった。これだけで来た甲斐があったと思ったなぁ。陶酔しちゃった。しかも日本人が好む系統のイケメンだったのもよかったな。
・演奏の合間合間に植松とプロデューサー松下の二人が出てきてはつなぐのだが、これがまたゆる~いMCで、おっさんが飲み屋でしゃべってるのを聞いている気になってしまった。でもだらだらしゃべっているようで、観客を飽きさせず笑いも絶えず、慣れてるなーと思ったな。
・最後は植松率いるバンドEarthbound Papasのライブ。全部で6曲。コーラス4人と「Liberi Fatali」でど派手にに幕を開け、続いて「片翼の天使」でもう全部持って行かれてしまった。次の二曲は何演奏したか思い出せないほど。この二曲はオケアレンジはよく聞くけれどロックアレンジはなかなかないので新鮮だったな。最後二曲は盛り上がる系かなと思ってたらDeep Purpleの「Highway Star」を始めちゃったものだから、演奏者がみんなおじさんということもあり、時代を感じたな。ラストはBlue Dragonから「Eternity」。今のゲームの戦闘曲は歌詞もついてんだね。これもまた違う意味で時代を感じた。今調べたら、EternityのボーカルはDeep Purpleの人らしい。だからDeep Purpleだったのね。ライブ補正もあるけど、コンサートのボーカルの人はすばらしかったな~。あの人の声でまた聞きたい。イアン・ギランに似てたけど。
・閉会は出演者と握手会だったので、舞い上がりながらも植松さんとお話しちゃった。最後にみんなのサイン入りポストカードをもらって会場を後に。なんか手作り感いっぱいのショーでした。おもしろかった。
Blue Dragonやってみたいな~。
普通のライブかと思ったら、ショー的な構成だった。
・犬耳家というだけあって、初めに犬のロボットが単独でスポットを浴びて前説。
・前座のサイモンガー・モバイルはその名の通り、モバイル機器を活用した「一人ファンクユニット」らしく、見たことのない楽器を並べて変なラップを繰り出していた。楽器ってのは音が出れば何でもそうなるもんだなと感心したのは、彼が用意していたのはiPhoneとNintendo DS、ハンディシンセサイザーのカオシレーターなどなどでどれも鍵盤もつまみも付いていない。DSにはカオシレーターの発売会社korgのシンセサイザーソフトが乗っていた。でもちゃんと曲を鳴らせる。音楽って道具じゃないなと思った次第。
・植松レーベルのドッグイヤーレコードから出たピアノCDの奏者が三人立て続けに登場して演奏していった。一人目は中山"ショパン"博之。「ピアコン2」というファミコン時代のBGMのピアノアレンジしたCDからいくつか演奏していたのだが、FF3の「水の巫女エリア」は植松が絶品と言うだけあった。そのほか、「がんばれ五右衛門からくり道中」とか懐かしすぎて涙が出る。二人目は甲田雅人で「悪魔城ドラキュラ」。後にもらったプログラムにも載ってなかったし、これは絶対飛び入り参加させられたんだろうと思われるラフな格好だった。二人はそれぞれピアコン2号、3号と同じプロジェクトで古いゲームの編曲と演奏をしているのだが、こうもピアノの音やアレンジの傾向が違うものかと思ったね。派手なショパン(自分でショパンって名乗るくらいだからな)とシンプルなドラキュラ。三人目はたぶん今回の一番のゲストであるベンヤミン・ヌス。ドイツの若手実力派ピアニストだが、植松の曲をドイツの老舗レーベルグラモフォンから出すというので呼ばれた様子。この人の演奏がすばらしかった。これだけで来た甲斐があったと思ったなぁ。陶酔しちゃった。しかも日本人が好む系統のイケメンだったのもよかったな。
・演奏の合間合間に植松とプロデューサー松下の二人が出てきてはつなぐのだが、これがまたゆる~いMCで、おっさんが飲み屋でしゃべってるのを聞いている気になってしまった。でもだらだらしゃべっているようで、観客を飽きさせず笑いも絶えず、慣れてるなーと思ったな。
・最後は植松率いるバンドEarthbound Papasのライブ。全部で6曲。コーラス4人と「Liberi Fatali」でど派手にに幕を開け、続いて「片翼の天使」でもう全部持って行かれてしまった。次の二曲は何演奏したか思い出せないほど。この二曲はオケアレンジはよく聞くけれどロックアレンジはなかなかないので新鮮だったな。最後二曲は盛り上がる系かなと思ってたらDeep Purpleの「Highway Star」を始めちゃったものだから、演奏者がみんなおじさんということもあり、時代を感じたな。ラストはBlue Dragonから「Eternity」。今のゲームの戦闘曲は歌詞もついてんだね。これもまた違う意味で時代を感じた。今調べたら、EternityのボーカルはDeep Purpleの人らしい。だからDeep Purpleだったのね。ライブ補正もあるけど、コンサートのボーカルの人はすばらしかったな~。あの人の声でまた聞きたい。イアン・ギランに似てたけど。
・閉会は出演者と握手会だったので、舞い上がりながらも植松さんとお話しちゃった。最後にみんなのサイン入りポストカードをもらって会場を後に。なんか手作り感いっぱいのショーでした。おもしろかった。
Blue Dragonやってみたいな~。
ラベル:
3.映画・コンサート
3.10.10
レンタルDVDすらため込んでしまう
映画はそれほど見ないので、レンタルDVDもそれほど借りない。しかし、一度借りて見ればおもしろいと思うし、その勢いでまた借りる。それでも見るのが億劫で返却期限ぎりぎりまで放置。
そんなことを繰り返すので、日曜の午後は続けて2本DVDを見る羽目になるのである。今日は「メメント」と「ジョー・ブラックをよろしく」。
・メメント…昔、おすぎがこの映画のシークエンスについて解説しているのを読んでしまったことがあり、ネタは分かっていたのだけれども、それを上回るよく分からない感じ。というか、今回は字幕を読むのに追いつかず、最後の種明かしを理解するのに時間がかかった。字幕が切り替わるのが早いんだよ! 俳優の顔が一人一人違ったのは見る上で非常に助かった。構成はよくできていると思ったが、ストーリーは結末を見た後にすっきりしない。
・ジョー・ブラックをよろしく…ブラピの顔を礼賛する映画。アンソニー・ホプキンス演じる、人生の酸いも甘いも噛み分けたご老公が光っていた。ブラッド・ピットの顔に惚れたアンソニー・ホプキンスの娘役クレア・フォラーニも美しかったけれど、年齢的に私と近いはずのフォラーニよりもホプキンスに感情移入しちゃった。去りがたいのが人生よ、と満足げな顔で独りごちた姿には落涙。ブラピの顔よりも、ホプキンス老人の一生をもう少し描いてほしかったな。何しろ180分もあるんだし。ラブストーリーとしては長すぎ。
そんなことを繰り返すので、日曜の午後は続けて2本DVDを見る羽目になるのである。今日は「メメント」と「ジョー・ブラックをよろしく」。
・メメント…昔、おすぎがこの映画のシークエンスについて解説しているのを読んでしまったことがあり、ネタは分かっていたのだけれども、それを上回るよく分からない感じ。というか、今回は字幕を読むのに追いつかず、最後の種明かしを理解するのに時間がかかった。字幕が切り替わるのが早いんだよ! 俳優の顔が一人一人違ったのは見る上で非常に助かった。構成はよくできていると思ったが、ストーリーは結末を見た後にすっきりしない。
・ジョー・ブラックをよろしく…ブラピの顔を礼賛する映画。アンソニー・ホプキンス演じる、人生の酸いも甘いも噛み分けたご老公が光っていた。ブラッド・ピットの顔に惚れたアンソニー・ホプキンスの娘役クレア・フォラーニも美しかったけれど、年齢的に私と近いはずのフォラーニよりもホプキンスに感情移入しちゃった。去りがたいのが人生よ、と満足げな顔で独りごちた姿には落涙。ブラピの顔よりも、ホプキンス老人の一生をもう少し描いてほしかったな。何しろ180分もあるんだし。ラブストーリーとしては長すぎ。
ラベル:
3.映画・コンサート
27.9.10
連日雨は困る
洗濯ができないじゃないか。我が家の洗濯機には乾燥などという高級機能はついていないのでござる。
二三先の駅に区立図書館がある。だいたい図書館に行くのに電車代を払わなくてはいけないのは癪ではあるが、徒歩圏内には小さな書店しかないのでやむなく遠征した。きれいでびっくり。最近オープンしたばかりらしい。まだ住民税も払ってないのに悪いねーと思いつつもいろいろ借りてみた。カードの作成申請用紙とともに本を抱えてカウンターへ。そしたら、チェックアウトは機械でやってね☆とスマイル0円。基本的に全部セルフチェックアウトだった。すごいね。よくよく見ると、機械の近所で係員が目を光らせていて、ちょっと戸惑っているとすぐに寄ってくる。別にほったらかしってわけじゃない。ちなみに返却はあちこちにあるブックポストへ。ここも対人のやりとりはない。あまりに人間が介在しないのを目の当たりにして、浦島太郎状態になってしまった。まあ不便がないからいいんだけど。ついでに、館内で閲覧した本も係員が片付けてくれるといいなぁ。
そういえば先週はDVDも借りた。久しぶりに映画を見るとおもしろいね。とは言っても2時間強を続けては見られず、1時間過ぎたあたりで休憩が必要だけど。
・ミスティックリバー… 「オトナのStand by me」とかアオリ文がパッケージについてるけど、そんなノスタルジックでいい気分になれる話じゃないな、これ。ただのサスペンスじゃないか。舞台はボストン北部のMystic Riverで、車で近所まで一度だけ行った。近所に地上を走る地下鉄の駅もあるけど、きっとその近辺には何にもないだろうと思って行ったこともない。あんまり交流がないエリア、そんな感じそのままのお話であった。そんな町で生まれ育った3人の少年が、ある日遊んでいるときに起きたちょっとした事件をきっかけに疎遠になってしまった。3人はそれぞれの人生をたどって大人になり、うち一人の娘が殺された事件をきっかけにその関係が変わっていく。その辺の描き方が小出しというか、少しずつ少しずつ明らかになっていく流れが秀逸だと思った。しかしながら、そのささやかすぎるために、役者の顔の見分けが付かないうちはかなり混乱したけど。まあそんなのいつもの話だ。台詞でみんな解説してしまう映画だとどこかで読んだけれども、全然そんなことはない。映像や役者の芝居から話を読み取っていく映画らしい映画。ちなみに原作者は「Shutter Island」の作者でもある。こっちもボストン沖が舞台。帰国前に見たかったな。作者はドチェスター出身。
・ダークナイト…悪役がやばすぎておもしろいとの評判を見たので借りた。とんでもないサイコパスだった。びっくら。「ミスティックリバー」よりは台詞が短かったため、字幕を読むのが面倒だったし、聞き取るために音量を上げていたら、突然の場面転換でどんぱち始まっちゃったときの爆発音のすごさよ。仕方ないのでまたどんぱち中は音量を下げ、会話シーンになったら音量を上げ、とリモコンを操作する親指が腱鞘炎になるかと思った。そして結局は字幕を読んだ。ちなみに転た寝していた夫によると、この映画の8割は「ばらばらばらどかんどしゅんげしゅしゅしゅ」「ぼそぼそぼそぼそ」「ばーんどがぐしゅーん」「ぼそぼそぼそ」だったらしい。よく居眠りできたな。まあそれはともかく、冒頭からサイコパスの悪役にしてラスボスのジョーカーが悪行の限りを尽くした上にマフィアと組んだんだけど、新しく着任した地方検事が武闘派だったからそろそろ引退したいと悩み始めたバットマン、あれやこれやで結局自分が出張ってジョーカーを捕まえ、警察に引き渡したらジョーカーが地方検事とその恋人を爆薬とともに閉じこめてると挑発、急いで彼らを救出に向かった最中に警察署は爆破されるは、組んだマフィアのボス的な立場の人(こいつも一度香港に高飛びしたのにバットマンがアメリカへ連れ帰ってきた)とともに逃げ出すは、ここまでで1時間ってあと半分以上残ってるの!? 的な、すでに心臓がどきどきしすぎてひっくり返って一周したので、その後は比較的穏やかに鑑賞できた。漫画原作らしいおもしろ映画でした。アメリカのあのどでかいトレーラーを使ってのカーチェイスはアメリカらしい物量作戦映像で、やりすぎだろと見ていて笑えた。
二三先の駅に区立図書館がある。だいたい図書館に行くのに電車代を払わなくてはいけないのは癪ではあるが、徒歩圏内には小さな書店しかないのでやむなく遠征した。きれいでびっくり。最近オープンしたばかりらしい。まだ住民税も払ってないのに悪いねーと思いつつもいろいろ借りてみた。カードの作成申請用紙とともに本を抱えてカウンターへ。そしたら、チェックアウトは機械でやってね☆とスマイル0円。基本的に全部セルフチェックアウトだった。すごいね。よくよく見ると、機械の近所で係員が目を光らせていて、ちょっと戸惑っているとすぐに寄ってくる。別にほったらかしってわけじゃない。ちなみに返却はあちこちにあるブックポストへ。ここも対人のやりとりはない。あまりに人間が介在しないのを目の当たりにして、浦島太郎状態になってしまった。まあ不便がないからいいんだけど。ついでに、館内で閲覧した本も係員が片付けてくれるといいなぁ。
そういえば先週はDVDも借りた。久しぶりに映画を見るとおもしろいね。とは言っても2時間強を続けては見られず、1時間過ぎたあたりで休憩が必要だけど。
・ミスティックリバー… 「オトナのStand by me」とかアオリ文がパッケージについてるけど、そんなノスタルジックでいい気分になれる話じゃないな、これ。ただのサスペンスじゃないか。舞台はボストン北部のMystic Riverで、車で近所まで一度だけ行った。近所に地上を走る地下鉄の駅もあるけど、きっとその近辺には何にもないだろうと思って行ったこともない。あんまり交流がないエリア、そんな感じそのままのお話であった。そんな町で生まれ育った3人の少年が、ある日遊んでいるときに起きたちょっとした事件をきっかけに疎遠になってしまった。3人はそれぞれの人生をたどって大人になり、うち一人の娘が殺された事件をきっかけにその関係が変わっていく。その辺の描き方が小出しというか、少しずつ少しずつ明らかになっていく流れが秀逸だと思った。しかしながら、そのささやかすぎるために、役者の顔の見分けが付かないうちはかなり混乱したけど。まあそんなのいつもの話だ。台詞でみんな解説してしまう映画だとどこかで読んだけれども、全然そんなことはない。映像や役者の芝居から話を読み取っていく映画らしい映画。ちなみに原作者は「Shutter Island」の作者でもある。こっちもボストン沖が舞台。帰国前に見たかったな。作者はドチェスター出身。
・ダークナイト…悪役がやばすぎておもしろいとの評判を見たので借りた。とんでもないサイコパスだった。びっくら。「ミスティックリバー」よりは台詞が短かったため、字幕を読むのが面倒だったし、聞き取るために音量を上げていたら、突然の場面転換でどんぱち始まっちゃったときの爆発音のすごさよ。仕方ないのでまたどんぱち中は音量を下げ、会話シーンになったら音量を上げ、とリモコンを操作する親指が腱鞘炎になるかと思った。そして結局は字幕を読んだ。ちなみに転た寝していた夫によると、この映画の8割は「ばらばらばらどかんどしゅんげしゅしゅしゅ」「ぼそぼそぼそぼそ」「ばーんどがぐしゅーん」「ぼそぼそぼそ」だったらしい。よく居眠りできたな。まあそれはともかく、冒頭からサイコパスの悪役にしてラスボスのジョーカーが悪行の限りを尽くした上にマフィアと組んだんだけど、新しく着任した地方検事が武闘派だったからそろそろ引退したいと悩み始めたバットマン、あれやこれやで結局自分が出張ってジョーカーを捕まえ、警察に引き渡したらジョーカーが地方検事とその恋人を爆薬とともに閉じこめてると挑発、急いで彼らを救出に向かった最中に警察署は爆破されるは、組んだマフィアのボス的な立場の人(こいつも一度香港に高飛びしたのにバットマンがアメリカへ連れ帰ってきた)とともに逃げ出すは、ここまでで1時間ってあと半分以上残ってるの!? 的な、すでに心臓がどきどきしすぎてひっくり返って一周したので、その後は比較的穏やかに鑑賞できた。漫画原作らしいおもしろ映画でした。アメリカのあのどでかいトレーラーを使ってのカーチェイスはアメリカらしい物量作戦映像で、やりすぎだろと見ていて笑えた。
12.5.10
Aqualung @ Berklee cafe 939
教室の一角かと思った。
この床に座り込んで、前から2列目で見たのです。めっちゃ近! 前座が登場した時には、まだ観客数も少なく余裕で体育座りができたのだが、彼らの演奏が終わる頃には入りきらないほど来場していたらしい。会場スタッフに前に詰めろと促され、さらにステージに近づいてしまった。いやー近かった。
Aqualungはピアノを弾きながら歌うソロ歌手で、イギリス人らしいくらーい曲が多かった。が、最新のアルバムにはロックな曲も入り、どうしちゃったの!? と思っていたが、これがまたライブでは映えて意外であった。前座の人はギターにボーカルのグラマーなオージーおねーさんKrista Polvereが務めていたが、Aqualungのサポートとしても引き続き登場し、殆どの曲でコーラスやらギターやらやっていた気がする。出ずっぱり。でもKristaはAqualungの邪魔にならないのに個性溢れる声でいいコーラスだったと思う。前座の演奏でも、もっと聞きたいなーと思わせられた。たいがい前座の人たちは初見であるが、時々新しい発見があるのがライブの醍醐味な気がしてきた。
Aqualungの人Matthew Halesの顔も初めて見たのだけれど、イギリス人らしいほそっこい感じの人だった。たぶん、実際はそんなに細くない。若々しい顔をしていたが、38歳と知ってちょっとショック。だって若い顔してるんだもん。
コンサートの後の物販で、AqualungがCDを手売り、Kristaが金勘定をしていたのが衝撃的であった。とりあえず$20のDVDを購入してサインをもらっておいた。またチケットより高い値段でグッズを買ってしまった……。
ラベル:
3.映画・コンサート
8.5.10
一日1イベントどころか1週間3イベントまで、的な
昼に近所に住む友人と、これまた近所の台湾料理屋〈Jo Jo Tai Pei〉へ行ってきた。店の外にメニューが提示されておらず、また窓から建物の中をうかがうこともできないので、勇気がなくて入れない店の一つであった。が、おいしかった。日本で食べる中華料理に近い味。ランチでは、ご飯とスープに20種類以上あるおかずから一つ選んで$6.99、三つ選んで$19.99。三つも選んでも盛りあわせだろうから、いろいろ頼んでシェアしよう! と注文したら、普通に3倍出てきた。二人でやっとこさ1/3食べられたほど。持ち帰る際に、店からさらにご飯とスープをサービスされてしまった。謎なほどに親切な店。早くいけばよかったな。持ち帰ったものを食べた夫と滞在中の友人にも好評だった。
それにしても中華料理は奥が深いね。魚香○○という料理はよく見るけれど、魚? と注文したことがなかった。これは魚が含まれないピリ辛炒め物で、オイスターソースっぽかった。○○のところに素材の名前が入るらしい。茄子とか鶏肉とか。回鍋肉から甜麺醤を抜いた感じで馴染みある味でおいしかったな。回鍋肉と言えば、「回」は2回調理するという意味らしい。そういえば以前に見たレシピでは、茹でた豚肉を中華鍋に貼り付けて焼いた後、ソースと炒め合わせた。とはいえ、いわゆる湯通しは2回調理には含めないと言う。別の台湾料理屋で何度も注文したことがある葱爆牛肉は牛肉と玉ねぎ炒めであるが、爆はかんかんに熱くした中華鍋に肉や野菜を入れるとじゅーっと湯気が上がる様子を示しているらしい。中華料理にはおなじみの風景だ。調理素材によって湯通したりしなかったりするらしいが、家庭料理の定番のトマトと卵炒めは必ず卵だけを先に炒めて皿に上げ、トマトを炒めてから再度卵を投入しないと絶対失敗すると強調された。実は、先週にその手順に従わずに作ってひどいことになっていたのだけど。中華料理はもう少し知りたいな。
夜にはok goのライブへ。8時開始で前座が一組つくだろうと予想して8時半過ぎに会場に入ったら、すぐに二組目の前座が演奏を始めた。長い。長いこと待たされて、やっと10時に登場。ok goの曲で分かっているのはたったの一曲、トレッドミル8台の上で踊るPVが有名な「Here it goes again」のみであったが、曲のバラエティが歌謡曲からロックまで幅広く、またボーカルのMCも下品に笑える感じで楽しいコンサートであった。帰りには、その日のパフォーマンスを録画した映像と新アルバム、その他動画や写真500GB分を入れたUSBメモリを$20で販売すると言うので買ってしまった。価格はチケット$17よりも高いのに、コンサートで気分が高揚しているときにその日の内容だと言われたら買っちゃうよね。うまい商売だな。
イベント事は楽しいけれど、体力的に一日1つが限界だと思っていた。しかし、最近はそれすら大変な気がしてきた。一日おきくらいがいいかもしれない。根が引きこもりだもんでね。
それにしても中華料理は奥が深いね。魚香○○という料理はよく見るけれど、魚? と注文したことがなかった。これは魚が含まれないピリ辛炒め物で、オイスターソースっぽかった。○○のところに素材の名前が入るらしい。茄子とか鶏肉とか。回鍋肉から甜麺醤を抜いた感じで馴染みある味でおいしかったな。回鍋肉と言えば、「回」は2回調理するという意味らしい。そういえば以前に見たレシピでは、茹でた豚肉を中華鍋に貼り付けて焼いた後、ソースと炒め合わせた。とはいえ、いわゆる湯通しは2回調理には含めないと言う。別の台湾料理屋で何度も注文したことがある葱爆牛肉は牛肉と玉ねぎ炒めであるが、爆はかんかんに熱くした中華鍋に肉や野菜を入れるとじゅーっと湯気が上がる様子を示しているらしい。中華料理にはおなじみの風景だ。調理素材によって湯通したりしなかったりするらしいが、家庭料理の定番のトマトと卵炒めは必ず卵だけを先に炒めて皿に上げ、トマトを炒めてから再度卵を投入しないと絶対失敗すると強調された。実は、先週にその手順に従わずに作ってひどいことになっていたのだけど。中華料理はもう少し知りたいな。
夜にはok goのライブへ。8時開始で前座が一組つくだろうと予想して8時半過ぎに会場に入ったら、すぐに二組目の前座が演奏を始めた。長い。長いこと待たされて、やっと10時に登場。ok goの曲で分かっているのはたったの一曲、トレッドミル8台の上で踊るPVが有名な「Here it goes again」のみであったが、曲のバラエティが歌謡曲からロックまで幅広く、またボーカルのMCも下品に笑える感じで楽しいコンサートであった。帰りには、その日のパフォーマンスを録画した映像と新アルバム、その他動画や写真500GB分を入れたUSBメモリを$20で販売すると言うので買ってしまった。価格はチケット$17よりも高いのに、コンサートで気分が高揚しているときにその日の内容だと言われたら買っちゃうよね。うまい商売だな。
イベント事は楽しいけれど、体力的に一日1つが限界だと思っていた。しかし、最近はそれすら大変な気がしてきた。一日おきくらいがいいかもしれない。根が引きこもりだもんでね。
9.4.10
Ben Folds と Atoms for Peace
4/6
Fenway Parkの歓声を聞きながら、その隣のHouse of BluesへBen Foldsの単独公演へ向かう。昨年から三度目のコンサート、今日こそバンドだといいなぁと薄く期待するも単独だった。
House of Bluesという会場はアメリカのあちこちにあるライブハウスのようだが入るのは初めて。一階は完全立ち見だけれども、3面の壁に複数の、また柱の影にも必ずモニタが設置してありなかなかの親切設計。それほど広い会場ではないが、それでも半分より後ろからでは演奏者の顔はよく見えない。
曲目は有名どころを中心に、即興は少なかったので楽しめた。2曲披露した新曲のうち1曲は、最近「できちゃった」ゴシップを提供してくれたサラ・ペイリンの娘の相手の心情を歌っていたが、あれ本当にCDに入れる気かな。すごい。コンサートではおなじみの、観客をパート分けしてのコーラスもあった。いつも思うけど、4パートに分けるのは無理だ。せいぜい3パートが限界じゃないかなぁ。立ちっぱなしの2時間弱だけれどもあっという間だった。
4/8
前夜、夫がLast.fmで近日公演の情報をチェックしていたら、RadioheadのボーカルThom Yorkeの率いるAtoms for Peaceを見つけたらしい。当日、会場のBox Officeまでチケットを買いに行ったら、なぜか前から8列目くらいの席になった。チケットはすべてwill callで、昼に買ったのに夜の公演前にピックアップしろと言われる。転売防止らしい。いい方法だね。それにしても、コンサートのチケットは窓口で買うのが安いし、直前の方がいい席になったりする…気がする。売り切れの危険性と隣り合わせだけれど。
このAtoms for PeaceはベーシストがRed Hot Chili Peppersの人とかかつての名プロデューサーがついてくるとか、前座はThomが好きなDJの人だとかいろいろと楽しそうな話を聞きながら会場へ。Radioheadさえ聞いたことがなかったので、どんなだろうとわくわくしながら。
Utadaの時もDJが前座であり、あのときは単純に曲を流してそこに効果音を足している様子であった。が、今回のDJは様々な効果音で曲を作っているように聞こえた。音は途切れないままに自然にリズムが変わったり、曲調が変わったりしていた。そして踊り狂う観客達もすごかった。ここはクラブかってくらい。このDJはFlying Lotusという人だった。帰宅してから知った。
そして登場したAtoms for Peaceに会場一階は総立ち。ドラムと風変わりなパーカッションがビートを刻み、ギターの音は控えめに、ベースの人は踊り狂い、そしてボーカルのThomの裏声が響く、なんとも不思議な空間だった。パーカッションはドラムセットとは別に、ボンゴなどのアフリカンドラムやテーブルの上にステンレスボウルをひっくり返して置いてあるような独自色の強いセットがあったが、それらの音の威力が大きかったな。パーカッションとベースの可能性を感じた。ギターがぎゅいーんと鳴りアップテンポな曲が目白押しになる、いわゆるロックとはかなり違ったけれどおもしろかった。
Thomはほそっこいのに、どこからそんなエネルギーが出てくるのか!? と思えるほどに妖しい踊りを踊っていた。なよっちい人がくねくね動くのは、MUSEのマシューもそうだったけど、セクシーだ。いつかRadioheadを見たいな。でもあのひげはいただけない。
Fenway Parkの歓声を聞きながら、その隣のHouse of BluesへBen Foldsの単独公演へ向かう。昨年から三度目のコンサート、今日こそバンドだといいなぁと薄く期待するも単独だった。
House of Bluesという会場はアメリカのあちこちにあるライブハウスのようだが入るのは初めて。一階は完全立ち見だけれども、3面の壁に複数の、また柱の影にも必ずモニタが設置してありなかなかの親切設計。それほど広い会場ではないが、それでも半分より後ろからでは演奏者の顔はよく見えない。
曲目は有名どころを中心に、即興は少なかったので楽しめた。2曲披露した新曲のうち1曲は、最近「できちゃった」ゴシップを提供してくれたサラ・ペイリンの娘の相手の心情を歌っていたが、あれ本当にCDに入れる気かな。すごい。コンサートではおなじみの、観客をパート分けしてのコーラスもあった。いつも思うけど、4パートに分けるのは無理だ。せいぜい3パートが限界じゃないかなぁ。立ちっぱなしの2時間弱だけれどもあっという間だった。
4/8
前夜、夫がLast.fmで近日公演の情報をチェックしていたら、RadioheadのボーカルThom Yorkeの率いるAtoms for Peaceを見つけたらしい。当日、会場のBox Officeまでチケットを買いに行ったら、なぜか前から8列目くらいの席になった。チケットはすべてwill callで、昼に買ったのに夜の公演前にピックアップしろと言われる。転売防止らしい。いい方法だね。それにしても、コンサートのチケットは窓口で買うのが安いし、直前の方がいい席になったりする…気がする。売り切れの危険性と隣り合わせだけれど。
このAtoms for PeaceはベーシストがRed Hot Chili Peppersの人とかかつての名プロデューサーがついてくるとか、前座はThomが好きなDJの人だとかいろいろと楽しそうな話を聞きながら会場へ。Radioheadさえ聞いたことがなかったので、どんなだろうとわくわくしながら。
Utadaの時もDJが前座であり、あのときは単純に曲を流してそこに効果音を足している様子であった。が、今回のDJは様々な効果音で曲を作っているように聞こえた。音は途切れないままに自然にリズムが変わったり、曲調が変わったりしていた。そして踊り狂う観客達もすごかった。ここはクラブかってくらい。このDJはFlying Lotusという人だった。帰宅してから知った。
そして登場したAtoms for Peaceに会場一階は総立ち。ドラムと風変わりなパーカッションがビートを刻み、ギターの音は控えめに、ベースの人は踊り狂い、そしてボーカルのThomの裏声が響く、なんとも不思議な空間だった。パーカッションはドラムセットとは別に、ボンゴなどのアフリカンドラムやテーブルの上にステンレスボウルをひっくり返して置いてあるような独自色の強いセットがあったが、それらの音の威力が大きかったな。パーカッションとベースの可能性を感じた。ギターがぎゅいーんと鳴りアップテンポな曲が目白押しになる、いわゆるロックとはかなり違ったけれどおもしろかった。
Thomはほそっこいのに、どこからそんなエネルギーが出てくるのか!? と思えるほどに妖しい踊りを踊っていた。なよっちい人がくねくね動くのは、MUSEのマシューもそうだったけど、セクシーだ。いつかRadioheadを見たいな。でもあのひげはいただけない。
ラベル:
3.映画・コンサート
27.3.10
パストラミサンドとNora Jones
今週は20Cまで上がったかと思えば翌日に雪がちらついたり、いざ出かけよう! と意気込んでも掛けた梯子を外される一週間であった。
今学期のESLのクラスでは先生が何らかの記事を持ってきて教材にしている。しばらくはフロリダのKissimmeの観光案内パンフを使っていたが、ついにNational Geographicに移行した。あれ一つの記事が長いんだよねー。日本語版が日本で刊行されてから3年間ほど定期購読していたが、読み切れない号がかなりあった。写真はめちゃくちゃきれいだけど、レベルが高すぎて参考にもできない。ちらっとウェブサイトを覗いたら、記事がまるまる掲載されている模様。やるな。あの雑誌は高品質の写真が売りなので、記事だけをウェブ上に全部上げても雑誌の売り上げにはあまり影響しないのかもしれない。
クラスの後、ボストンのパストラミサンド屋〈Sam La Grassa's〉へ行った。アメリカに来て3度目のパストラミサンド屋だ。ストイックにパンにハムだけが挟んであるサンドイッチを食べたかったのだがメニュー上で見つけられず、コンビーフ・パストラミハム・コールスロー・チーズサンドを食す。サラダのドレッシングでかなりさっぱりさわやか風味。おいしかったけど、ハムだけを堪能したい気持ちもある……。
過去の類似品履歴。
で、昨夜Nora Jonesのコンサートに行ってきた。はっきりいって全く聞いたことない。先月Utadaのコンサートの後に、女性シンガーもいいねーなんて言ってノリでとったチケットだ。それでも、これまで行ってきたコンサートに比べたらチケットは2倍ほどの値段で、さすがアメリカの人気歌手である。
ジャズシンガーだけれどもカントリーやポップスやさまざまな音楽がミックスされたような曲が多かった。何と言ってもNora Jonesは声が独特かつものすごく歌がうまかった。約2時間歌い続けてもまったく調子が変わることがない。弾き語りの時の衝撃たるやいかほどであったか。すごい歌手であることは分かった。
会場のWang Theatreは内装がきらびやかでまるでオペラ座(入ったことないけど)。音響もすばらしすぎて、時にバンドの演奏がやかましく聞こえるほどであった。コンサートっての演奏家のスタイルに合わせた会場をちゃんと選んでいるもんだね。
今学期のESLのクラスでは先生が何らかの記事を持ってきて教材にしている。しばらくはフロリダのKissimmeの観光案内パンフを使っていたが、ついにNational Geographicに移行した。あれ一つの記事が長いんだよねー。日本語版が日本で刊行されてから3年間ほど定期購読していたが、読み切れない号がかなりあった。写真はめちゃくちゃきれいだけど、レベルが高すぎて参考にもできない。ちらっとウェブサイトを覗いたら、記事がまるまる掲載されている模様。やるな。あの雑誌は高品質の写真が売りなので、記事だけをウェブ上に全部上げても雑誌の売り上げにはあまり影響しないのかもしれない。
クラスの後、ボストンのパストラミサンド屋〈Sam La Grassa's〉へ行った。アメリカに来て3度目のパストラミサンド屋だ。ストイックにパンにハムだけが挟んであるサンドイッチを食べたかったのだがメニュー上で見つけられず、コンビーフ・パストラミハム・コールスロー・チーズサンドを食す。サラダのドレッシングでかなりさっぱりさわやか風味。おいしかったけど、ハムだけを堪能したい気持ちもある……。
過去の類似品履歴。
- Schwartz's (Montreal Canada) のスモークハムサンド
- Kat'z Deli (New York) のパストラミサンド
- Sam La Grassa's (Boston) のパストラミサンド
で、昨夜Nora Jonesのコンサートに行ってきた。はっきりいって全く聞いたことない。先月Utadaのコンサートの後に、女性シンガーもいいねーなんて言ってノリでとったチケットだ。それでも、これまで行ってきたコンサートに比べたらチケットは2倍ほどの値段で、さすがアメリカの人気歌手である。
ジャズシンガーだけれどもカントリーやポップスやさまざまな音楽がミックスされたような曲が多かった。何と言ってもNora Jonesは声が独特かつものすごく歌がうまかった。約2時間歌い続けてもまったく調子が変わることがない。弾き語りの時の衝撃たるやいかほどであったか。すごい歌手であることは分かった。
会場のWang Theatreは内装がきらびやかでまるでオペラ座(入ったことないけど)。音響もすばらしすぎて、時にバンドの演奏がやかましく聞こえるほどであった。コンサートっての演奏家のスタイルに合わせた会場をちゃんと選んでいるもんだね。
7.3.10
過剰の美学 MUSE@TD Garden
イギリスではウェンブリースタジアムさえ満杯にするMUSEが、単独でボストン公演をするというので行ってきた。会場はTD Garden、入場するのは初めて。
6年前に留学する際に当時つきあっていた夫が、傾倒していたUK Rockで餞別の「詰め合わせCD」を作ってくれたのが、MUSEを聞いたきっかけだった。とはいえ「Sunburn」一曲のみであったけれど。 それ以来この人達の音楽は、装飾過多で宇宙系のメロディーでやたらめったら壮大な感じ、というイメージがずっとあった。で、実際のコンサート演出(特に照明)もイメージに違うことなくド派手であった。
演奏した曲目にはSunburnはなかったものの、宇宙系は引き続き絶賛邁進中であった。ああ、でもSunburnのぶっとんだ感じからすると、そ の後の音楽は少しだけ大衆寄りになったかもしれない。聴いたことすらない曲でも聞ける。メロディーだけならむしろ歌謡曲っぽいのに、あの伴奏の装飾っぷり はすごい。おかげで日本でも売れているらしいね。アメリカに来る前には日本でもツアーをしていたとか。
演奏はうまかった。とにかくCDと同じクオリティのまま突っ走る。ボーカルのマシュー君はギターを弾いたりピアノを弾いたりショルダーキーボードを弾いたりとめまぐるしく活躍していた。なよっちく細い腰がセクシーであった。ドラムのドムさんもおそらく腕は相当だ。ベースのクリスさんはよくわからないけど、3人しかいないメンバーの一人だからたぶん大事。
席はステージの上手後方の最上段。微妙に後ろ姿しか見えない端っこの席だが、それでも周囲の観客はジャンプしまくり。見下ろすGAはモッシュが激しく、ああ、あそこにいなくてよかったーと胸をなで下ろすほどであった。観客層はこれまでのコンサートとはうって変わってみんな若い。タトゥーが入っている人、髪の毛がピンクの人、パンクな服装の人なんてこれまで全然目にしたことなかったのに! 最近は映画「Twilight」シリーズのテーマ曲にも採用されているので、若い人への訴求力が強いのかも。
半年前にツアーをしていたU2の前座にも登場したMUSE。というかむしろ、このMUSEを前座にするU2は別格だと思った。
6年前に留学する際に当時つきあっていた夫が、傾倒していたUK Rockで餞別の「詰め合わせCD」を作ってくれたのが、MUSEを聞いたきっかけだった。とはいえ「Sunburn」一曲のみであったけれど。 それ以来この人達の音楽は、装飾過多で宇宙系のメロディーでやたらめったら壮大な感じ、というイメージがずっとあった。で、実際のコンサート演出(特に照明)もイメージに違うことなくド派手であった。
演奏した曲目にはSunburnはなかったものの、宇宙系は引き続き絶賛邁進中であった。ああ、でもSunburnのぶっとんだ感じからすると、そ の後の音楽は少しだけ大衆寄りになったかもしれない。聴いたことすらない曲でも聞ける。メロディーだけならむしろ歌謡曲っぽいのに、あの伴奏の装飾っぷり はすごい。おかげで日本でも売れているらしいね。アメリカに来る前には日本でもツアーをしていたとか。
演奏はうまかった。とにかくCDと同じクオリティのまま突っ走る。ボーカルのマシュー君はギターを弾いたりピアノを弾いたりショルダーキーボードを弾いたりとめまぐるしく活躍していた。なよっちく細い腰がセクシーであった。ドラムのドムさんもおそらく腕は相当だ。ベースのクリスさんはよくわからないけど、3人しかいないメンバーの一人だからたぶん大事。
半年前にツアーをしていたU2の前座にも登場したMUSE。というかむしろ、このMUSEを前座にするU2は別格だと思った。
ラベル:
3.映画・コンサート
7.2.10
Utada!
近所のライブハウスにUtadaが来る! ということで金曜の夜に行ってきた。前にManic Street Preachersを見た場所で、今回もチケットが格安であった。$20。チケットは売り切れにはなっていたものの、小さいハコだしチケットの枚数が少なかったのかと疑っていたが、蓋を開けたら満員御礼であった。ハコのキャパは700人強らしいので、それくらいの人数が来たのだろうと思う。
前座はDJが出てきた。が、クラブでプレイするのとは違ってここはライブハウス、しかもすし詰めで、踊る感じの盛り上がりが全然なかった。気の毒に。何度も「あと○○分でUtadaが登場するぜ!」と煽ったが、観客が反応するのはその瞬間だけ。私はクラブに行ったことがないためにDJと呼ばれる人たちが一体何をしているのかまったくわからなかったが、なんとなく、DJのしたいことが分かった気がする。あの人達は音楽の編曲をしたいんだね。速度を変えたり、そこにリズムを加えたり、効果音を足したりして、元の曲の新しい可能性を見いだすんだろうな。先日、グラミー賞に出てきたLady GAGAの「Paparazzi」やUtadaの「Dirty Desire」はとてもクラブ音楽映えするなぁと思った。
その後、総勢6人ものバンドを引き連れて定刻通りUtadaが登場。ドレッドっぽいボブに片方の肩をさらけ出したワンピース姿で、Utada名義のアルバム「This is the one」からの曲で幕が開いた。ファッションとあの独特のハスキーボイスが相俟って中森明菜が思い起こされた。Utadaの曲はほとんどこのアルバムからであったが、どれも聞きやすい感じ。じっくり聞き入る宇多田ヒカルの曲とは少し異なる印象か。宇多田曲も半分ほどあった。弾き語りをちょっと入れたサクラドロップスや一番盛り上がったFirst Love、Automaticのアレンジは原曲よりロックだった。私が一番ぐっときたのはSanctuary。この曲は同じメロディで歌詞が日本語のバージョンPassionもあるが、両方の歌詞を交えての歌唱であった。泣くかと思った。歌謡曲、ポップス、ロック、はてまた少しエキゾティックな曲まで、実に多彩な曲を聴きながら、メロディーメーカーとして天才なんじゃないかと思った。
バックバンドもうまかった。あんなうますぎる人たち反則だ。途中でロックな曲調が続く場面があって、その中にPlaceboのカバーが挿入されていたのだが、完全にバンドの独壇場だった。Utadaの声がかき消されるほどの激しさ。あの演奏だったら、よっぽど野太い声の人じゃないと太刀打ちできなかっただろうな。Placeboはアルバム「Sleeping with Ghost」のジャケットのイメージしかなかったので、もっと宇宙系の音楽だと思ったのに違ったのもショック。
観客はアジア人半分、アメリカ人半分といったところか。中には日本から来ている人もいたらしい。すごいね。確かに宇多田はあんまりライブをしないようだったので、ライブハウスツアーなんて夢みたいなものだろう。それもあってか、MCは基本は英語で、時々日本語で話していた。曲と全然関係ない雑談が多かったのが新鮮だったなぁ。彼女はNYC出身だけどボストンに来るのはこれが二度目らしく、一度目は小学校の同級生が中学校でボストンに転校したから会いに来た時と言う。その時に、小さな、あまりきれいでない中華料理屋に連れて行ってもらったのだが、出てきたスープに鶏の頭や脚がどかどか入っていたのが忘れられない思い出らしい。彼女としては、それはアリだったらしいけど。日本では音楽史上に残るCDセールスを記録した大スターであるのに、実際の彼女は非常にふつーの人って感じであった。すごいもんだ。
何にしろ、今回のコンサートに行けたのは幸運だった。今度いつコンサートするかわからないし、チケットもとれるか不明だし、チケットの価格もめちゃくちゃ高いだろうしな、今回の$20と比べたら。
10時過ぎに終演して、10時半には帰宅。いやー、コンサート後に早く帰って来られるって幸せ。
前座はDJが出てきた。が、クラブでプレイするのとは違ってここはライブハウス、しかもすし詰めで、踊る感じの盛り上がりが全然なかった。気の毒に。何度も「あと○○分でUtadaが登場するぜ!」と煽ったが、観客が反応するのはその瞬間だけ。私はクラブに行ったことがないためにDJと呼ばれる人たちが一体何をしているのかまったくわからなかったが、なんとなく、DJのしたいことが分かった気がする。あの人達は音楽の編曲をしたいんだね。速度を変えたり、そこにリズムを加えたり、効果音を足したりして、元の曲の新しい可能性を見いだすんだろうな。先日、グラミー賞に出てきたLady GAGAの「Paparazzi」やUtadaの「Dirty Desire」はとてもクラブ音楽映えするなぁと思った。
その後、総勢6人ものバンドを引き連れて定刻通りUtadaが登場。ドレッドっぽいボブに片方の肩をさらけ出したワンピース姿で、Utada名義のアルバム「This is the one」からの曲で幕が開いた。ファッションとあの独特のハスキーボイスが相俟って中森明菜が思い起こされた。Utadaの曲はほとんどこのアルバムからであったが、どれも聞きやすい感じ。じっくり聞き入る宇多田ヒカルの曲とは少し異なる印象か。宇多田曲も半分ほどあった。弾き語りをちょっと入れたサクラドロップスや一番盛り上がったFirst Love、Automaticのアレンジは原曲よりロックだった。私が一番ぐっときたのはSanctuary。この曲は同じメロディで歌詞が日本語のバージョンPassionもあるが、両方の歌詞を交えての歌唱であった。泣くかと思った。歌謡曲、ポップス、ロック、はてまた少しエキゾティックな曲まで、実に多彩な曲を聴きながら、メロディーメーカーとして天才なんじゃないかと思った。
バックバンドもうまかった。あんなうますぎる人たち反則だ。途中でロックな曲調が続く場面があって、その中にPlaceboのカバーが挿入されていたのだが、完全にバンドの独壇場だった。Utadaの声がかき消されるほどの激しさ。あの演奏だったら、よっぽど野太い声の人じゃないと太刀打ちできなかっただろうな。Placeboはアルバム「Sleeping with Ghost」のジャケットのイメージしかなかったので、もっと宇宙系の音楽だと思ったのに違ったのもショック。
観客はアジア人半分、アメリカ人半分といったところか。中には日本から来ている人もいたらしい。すごいね。確かに宇多田はあんまりライブをしないようだったので、ライブハウスツアーなんて夢みたいなものだろう。それもあってか、MCは基本は英語で、時々日本語で話していた。曲と全然関係ない雑談が多かったのが新鮮だったなぁ。彼女はNYC出身だけどボストンに来るのはこれが二度目らしく、一度目は小学校の同級生が中学校でボストンに転校したから会いに来た時と言う。その時に、小さな、あまりきれいでない中華料理屋に連れて行ってもらったのだが、出てきたスープに鶏の頭や脚がどかどか入っていたのが忘れられない思い出らしい。彼女としては、それはアリだったらしいけど。日本では音楽史上に残るCDセールスを記録した大スターであるのに、実際の彼女は非常にふつーの人って感じであった。すごいもんだ。
何にしろ、今回のコンサートに行けたのは幸運だった。今度いつコンサートするかわからないし、チケットもとれるか不明だし、チケットの価格もめちゃくちゃ高いだろうしな、今回の$20と比べたら。
10時過ぎに終演して、10時半には帰宅。いやー、コンサート後に早く帰って来られるって幸せ。
ラベル:
3.映画・コンサート
16.1.10
明けすぎた
新年を迎えて、もう半月がすぎてしまった。今年もよろしくお願いします。
12/28-1/9の旅行から帰ってきて以来、暖かい日が続いていてありがたい。年末は全米が寒さに襲われており、旅行中に最もよく見たテレビは天気予報チャンネルだ。
1/12にBSOのコンサートへ行ってきた。BSOは毎週末、木・金・土に同じ曲目の演奏をする。会場ではプログラム冊子を無料でもらえるが、不要となれば返却も可能で、期間中はその冊子を使い回す。冊子の内容も、曲の解説、指揮者やゲスト演奏家の紹介、近日のコンサート予定なんかが載っていて読み応えがある。とは言ってもコンサート後に読み返すかと言えばそうでもないので、このリサイクルはなかなかいい制度だと思う。
で、前回11月に行ったときに、プログラム内にYo Yo Maがチェロ協奏曲で来るとの予告があったために今回のチケットをとったのだった。いつもの「40歳未満$20」チケット。
曲目:
バロック音楽はコンサートやCDでは自らあまり聞いてこなかったが、さすが貴族のサロン音楽だけあって耳に優しい。
12/28-1/9の旅行から帰ってきて以来、暖かい日が続いていてありがたい。年末は全米が寒さに襲われており、旅行中に最もよく見たテレビは天気予報チャンネルだ。
1/12にBSOのコンサートへ行ってきた。BSOは毎週末、木・金・土に同じ曲目の演奏をする。会場ではプログラム冊子を無料でもらえるが、不要となれば返却も可能で、期間中はその冊子を使い回す。冊子の内容も、曲の解説、指揮者やゲスト演奏家の紹介、近日のコンサート予定なんかが載っていて読み応えがある。とは言ってもコンサート後に読み返すかと言えばそうでもないので、このリサイクルはなかなかいい制度だと思う。
で、前回11月に行ったときに、プログラム内にYo Yo Maがチェロ協奏曲で来るとの予告があったために今回のチケットをとったのだった。いつもの「40歳未満$20」チケット。
曲目:
- HAYDN Symphony No. 98
- HAYDN Cello Concerto No. 1 in C
- C.P.E. BACH Symphony in G, Wq. 183:4
- SCHUBERT Symphony in B minor, Unfinished
バロック音楽はコンサートやCDでは自らあまり聞いてこなかったが、さすが貴族のサロン音楽だけあって耳に優しい。
- 紀伊国屋で流れてる感じ。本のにおいがしてくる気がした。本屋大好き。ハープシコードを使った曲てのも初めて聞いた。あんなに小さな音とは。ホールのコンサートには向かないな。室内楽時代の楽器だ。
- ヨーヨーマ登場。初めは音が荒っぽいかなあと思ったが、第2楽章からは気にならず。ヨーヨーマがなぜこんなに著名なのか分かる気がした。ソリストとオケの中のソロとでエネルギーがこんなにも違うのかと思った。演奏後、日曜に逝去したBSOのチェアマンに捧げるとソロで演奏したが、トイレに行って聞き逃した。
- 医者に行くと待合室で流れている感じ。ヨーヨーマショックでちゃんと聞いていられなかった。
- 時代が下ってシューベルトは、それまでのバロック音楽とはやはり違う。音楽にドラマ性が感じられて、作曲家シューベルトは偉大だと思った。ヨーヨーマがなぜかチェロパートに参加していて、彼が舞台にふつーに現れて着席したときには会場がざわついた。
23.12.09
クリスマスシーズンのおたのしみ
曲目は、クリスマスの童謡のメドレーやイエスの生誕にまつわるエピソードの朗読を交えながらの賛美歌など、いろいろ聞けてよかった。とは言っても、クリスマスの定番曲でも知らない曲もあり帰ってから調べたりもした。特に「12 Days of Christmas」は、周囲がどっかんどっかん受けているようなアレンジだったのに、原曲はわからず、歌詞も聴き取れずでその世界に入っていけないのが悔しかったなぁ。Queenのボヘミアンラプソディーからフレーズを借用してたり、結構フリーダムなアレンジではあった。そして先日、おもしろいと思って購入したクリスマスカードの絵柄がまさにこれであった。歌詞ははっきり言って無意味だ。クリスマスの翌日から12日間に毎日一つずつ何かが増えていくみたいな歌で、日本でいう数え歌が近そう。1月は正月で酒が飲めるぞー的なのにも親近感を覚える。宗教的には12日目の1/6はイエスが三賢者Magiに祝福を受けた日として、特に東方教会では12/25よりも1/6の方が重要という。ちなみにアメリカは1/6は祝わない。それどころか、クリスマス商戦として12/14からの12daysだとか間違ったことを堂々と主張する人たちもいるらしい。アメリカってほんと敬虔な人がいる一方で、そんな原理主義者に刺されそうなことを言う人もいて、不思議な国だなぁ。
ラベル:
3.映画・コンサート
25.11.09
BSO
2週間前に思いつきで買ったBSOのチケットのコンサートへ行ってきた。Boston Symphony Orchestraという団体の演奏をSymphony Hallで聞く、といった体は初めてだ。BSOの演奏は夏のTanglewood以来だし、殆どメンバーが同じだけれども先日のBen Foldsと共演したのはBoston Popsである。シンフォニーホールの音響の良さはベンフォールズの時に十分に分かったので、てきとーにとったチケットとはいえ結構楽しみであった。何しろチケットは一人$20、破格であるよ。40歳未満ならばこの$20チケットが買える。若い人にもっと来てほしいんだろうなぁ。
そしたら、いつの間にか指揮者が交代しておりそれに伴って2曲目も変更されていた。まあ今回の目当てはバイオリンコンチェルトでソロを務めるJoshua Bellであり、そこんとこは変わりなかったのでよい。夏のTanglewoodで見たときには彼が有名な演奏者であることを知らなかったために、演奏後に握手を求めるファンの数にびっくりした。かっこいいのも人気の秘密だと思われる(写真は無断引用です)。この人、youtubeにWashington Post紙の企画で、駅の片隅で演奏したら何人立ち止まってくれるかを試した動画がある。都会は冷たいけど、さすがたくさん人がいるね、と思ったもんだ。
曲目は以下の通り。
クラシックこそCDで聞くのではなくコンサートに行くべきだと思う。CDの演奏はうまいけれども(市販のCDでもヘタクソなやつもあるが、それはまた別の話)、小さなスピーカーからを通すとそれだけ狭められる気がする。少なくとも家の15cm*8cm×2個のスピーカーは小さすぎる。5.1chの音響システムを使うと違うかもしれない。いいイヤホンを使うと、例えばバイオリンが右手前から、ホルンが正面から、トランペットが右奥から聞こえてくるのがわかる点でスピーカーに勝るけれども、演奏している姿が見えないのが決定的だ。その点コンサートは自分の視界一杯から音が聞こえてくるし、演奏家が見えることもあってそれぞれの楽器の音もわかりやすい。ひいては各楽器が担うフレーズが際だち曲が立体的に感じられる…気がする。
それと、クラシックでも聞いていられる曲と聞き続けるのにエネルギーが必要な曲があるとつくづく思った。旋律があってそれを補佐するように伴奏がある曲と、どこにメインのメロディーがあるのかわからない曲。前者はわかりやすいし、もしその旋律が自分のツボにくると、もう100回でも聞いていられる。その点ブラームスは偉大だと、今日の演奏を聞いていて思ったのだった。三楽章とも楽しく聞けたもんなぁ。口ずさみながら聞ける感じ。そのほか例えばブラームス交響曲1番なんてコンサートの定番だけど、定番になるだけのことはある。
好きな曲と言えば、ドボルザークの交響曲5番もそうだ。この曲はマイナーすぎてなかなかCDが売られていない。かつて2chのどのCDを買うべきかスレみたいなところでおすすめのCDを教えてもらったもんだ。ちなみに、この曲を認識したのは「のだめカンタービレ」からであった(日本編のニナ・ルッツ音楽祭で選抜オケが演奏した曲目の1つ)。いろいろ書いてきたが、きっかけはそんなもん。
曲目は以下の通り。
- DEBUSSY Prelude to The Afternoon of a Faun
- STRAVINSKY The Firebird (1945 suite)
- BRAHMS Violin Concerto
クラシックこそCDで聞くのではなくコンサートに行くべきだと思う。CDの演奏はうまいけれども(市販のCDでもヘタクソなやつもあるが、それはまた別の話)、小さなスピーカーからを通すとそれだけ狭められる気がする。少なくとも家の15cm*8cm×2個のスピーカーは小さすぎる。5.1chの音響システムを使うと違うかもしれない。いいイヤホンを使うと、例えばバイオリンが右手前から、ホルンが正面から、トランペットが右奥から聞こえてくるのがわかる点でスピーカーに勝るけれども、演奏している姿が見えないのが決定的だ。その点コンサートは自分の視界一杯から音が聞こえてくるし、演奏家が見えることもあってそれぞれの楽器の音もわかりやすい。ひいては各楽器が担うフレーズが際だち曲が立体的に感じられる…気がする。
それと、クラシックでも聞いていられる曲と聞き続けるのにエネルギーが必要な曲があるとつくづく思った。旋律があってそれを補佐するように伴奏がある曲と、どこにメインのメロディーがあるのかわからない曲。前者はわかりやすいし、もしその旋律が自分のツボにくると、もう100回でも聞いていられる。その点ブラームスは偉大だと、今日の演奏を聞いていて思ったのだった。三楽章とも楽しく聞けたもんなぁ。口ずさみながら聞ける感じ。そのほか例えばブラームス交響曲1番なんてコンサートの定番だけど、定番になるだけのことはある。
好きな曲と言えば、ドボルザークの交響曲5番もそうだ。この曲はマイナーすぎてなかなかCDが売られていない。かつて2chのどのCDを買うべきかスレみたいなところでおすすめのCDを教えてもらったもんだ。ちなみに、この曲を認識したのは「のだめカンタービレ」からであった(日本編のニナ・ルッツ音楽祭で選抜オケが演奏した曲目の1つ)。いろいろ書いてきたが、きっかけはそんなもん。
ラベル:
3.映画・コンサート
6.11.09
Ben Folds
近隣の大学で、学生は$10、一般人でも$15という破格のBen Foldsライブを見てきた。この間のBoston Popsも良かったが、バンドライブもいいよねーと期待していったんだけど、結論から言えばイマイチだった。チケットの価格を考えればバンドなんて採算が合わないだろうし、会場も大学の体育館とくれば設置場所の観点からも難しいだろう。実際はBen Folds一人のピアノコンサートであった。
開場時間に到着しても駐車場が空いているのが嬉しい。入り口にそこそこの行列ができていたのは厳重なセキュリティチェックのためであった。飲食物は持ち込み禁止、バッグの中身を二人がかりで確認した上、金属探知機のゲートをくぐらされた。コンサートの入場がこんなに厳しいのは初めて。何かあったら大学の責任だからこその対策だろうけど、大変だ。そして内部はオールスタンディング。悲惨。
7時開演のはずが、前座が登場したのが7:20頃。ソロの人で曲の紹介が長い。周りの人と同じように「早く歌えよー」とぼやいてしまった。で、本人は9時になってようやく登場。売れた歌はそれなりに合唱が聞こえたけど、学生向けの大学イベントだけあって観客のすべてがファンというわけではない様子。視界を遮る背の高い人がつまらなそうな様子でいるのを見続けなければならないのは辛かった。Ben Foldsは歌詞もMCもおもしろいはずなのだが、聞き取れないのもつらい。そこに加えて即興曲を披露してくれちゃったりもしてついて行けない感じ。周りが笑っているのを自分だけが笑えない状況ってのは寂しいものだ。
終わったのは11時近く、立ちっぱなしは脚にキた。次のU2のコンサートではGAに参戦するのが夢だねなんて夫と話してきたが、やっぱり音楽は座って聞くべきだと考えを改めた。
開場時間に到着しても駐車場が空いているのが嬉しい。入り口にそこそこの行列ができていたのは厳重なセキュリティチェックのためであった。飲食物は持ち込み禁止、バッグの中身を二人がかりで確認した上、金属探知機のゲートをくぐらされた。コンサートの入場がこんなに厳しいのは初めて。何かあったら大学の責任だからこその対策だろうけど、大変だ。そして内部はオールスタンディング。悲惨。
7時開演のはずが、前座が登場したのが7:20頃。ソロの人で曲の紹介が長い。周りの人と同じように「早く歌えよー」とぼやいてしまった。で、本人は9時になってようやく登場。売れた歌はそれなりに合唱が聞こえたけど、学生向けの大学イベントだけあって観客のすべてがファンというわけではない様子。視界を遮る背の高い人がつまらなそうな様子でいるのを見続けなければならないのは辛かった。Ben Foldsは歌詞もMCもおもしろいはずなのだが、聞き取れないのもつらい。そこに加えて即興曲を披露してくれちゃったりもしてついて行けない感じ。周りが笑っているのを自分だけが笑えない状況ってのは寂しいものだ。
終わったのは11時近く、立ちっぱなしは脚にキた。次のU2のコンサートではGAに参戦するのが夢だねなんて夫と話してきたが、やっぱり音楽は座って聞くべきだと考えを改めた。
ラベル:
3.映画・コンサート
2.11.09
Travisアコースティックライブ
夫が大好きなイギリスのバンドTravisがボストンで見られる! ボーカルFranとギターのAndyの二人だけのアコースティックライブで、ものすごい狭い会場、しかもグッズは本人が手売りする!! ということで行ってきた。Travisのコンサートは6年ぶり2回目。前回はロンドンのアレクサンドラパレスでクリスマスの日だった。あのときも二人で来たっけ…と思い出す。私が留学中でチケマスでチケット買って、結婚する前の夫が日本から来たんだよなあ。懐かしい。
会場は家から約6kmの所にある、地域の集会場みたいなところ。規模的には公民館の体育館。44台分しかないという駐車場も会場1時間前はがらがら。しかも近隣は路駐し放題ゾーンで全く恐れるに足りず。すばらしいね。チケットはGA(自由席)だったために、前から2列目の座席を確保。小さいハコ最高。
どんな曲を演奏するかと思ったら、やはり売れた2,3枚目のアルバムが多かった。私は4枚目を留学中にずーっと聞いていたこともあって思い入れが深いのだが、コンサートで演奏するには暗すぎるようだった。それでも定番の「Writing to reach you」「Why does it always rain on me」「Turn」「sing」「side」に観客大喜び。
自前のPCでプレゼンをしながらというのも手作り感いっぱいで斬新。彼らはグラスゴー出身なのだが、わざわざスコットランドの地図を大きく提示しての講義。Franが一曲毎に、その曲ができたときのエピソードを披露してくれて、学校の課題のようだと言って笑いを誘っていた。彼らの曲は楽曲は静かで美しく歌詞も詩的であることが多いのだが、実際に曲ができるシチュエーションはまったく関係ないのが衝撃的であった。例えば妻に幸せな未来を誓う「Flowers in the window」は、メンバーが深夜まで飲み明かして醜態をさらしているのを見たらアドレナリンが出てきて10分で書けたとか、この曲が好きな私にはちょっとショック。笑いの絶えないMCだった。
今回初めて、プロの歌手ってのは歌も演奏もうまいんだなーと感動した。一曲目の「20」はFranが舞台から飛び降りて会場の真ん中へ移動し完全にアンプラグドで弾き語りしたにもかかわらず、声もアコギも切なく響いた。また、ギターが響く「As you are」は私的スキップ曲であったのに、Andyのギターに釘付けになってしまった。エレキギターってあんなにいろんな音が出るんだねぇ。びっくら。
最後にリクエストに応えると言ったら、会場が突如激しいオークション会場の様相を呈した。が、全然それには応えず自分たちの都合で曲を演奏していた。ひどい。2曲で締められたけど、もう1曲くらい聴きたかったな。時間が押している様だったが、それは絶対Franのしゃべりすぎが原因だ。
その後、物品販売でこのツアーのオフィシャルブートレッグCDとTシャツを購入し、CDに二人のサインをもらっちゃった。握手も写真も撮ってもらってしまった。しかもFranの手撮り。そんなことさせるなんて! ちょこっと言葉を交わしたのだけど、なんかものすごい緊張した。AKB48が売れる理由が分かった気がする。手売りいいねぇ。また来たくなっちゃうよ。CDもいい商売だ。このコンサートをライン録りしてそれをCDに焼いて売っている様子で、MCが全部入っている。コンサートの後にはやっぱライブ版の音源聞きたくなるもん。うまい商法だ。写真は後から見返したら、肝心の夫がFranの陰に半分隠れていて落ち込んでいた。申し訳ないけど笑えた。
今度はいつ行けるかな。去年、国際フォーラムに来ていたらしい。次は何年後に来日するんだろう…。
会場は家から約6kmの所にある、地域の集会場みたいなところ。規模的には公民館の体育館。44台分しかないという駐車場も会場1時間前はがらがら。しかも近隣は路駐し放題ゾーンで全く恐れるに足りず。すばらしいね。チケットはGA(自由席)だったために、前から2列目の座席を確保。小さいハコ最高。
どんな曲を演奏するかと思ったら、やはり売れた2,3枚目のアルバムが多かった。私は4枚目を留学中にずーっと聞いていたこともあって思い入れが深いのだが、コンサートで演奏するには暗すぎるようだった。それでも定番の「Writing to reach you」「Why does it always rain on me」「Turn」「sing」「side」に観客大喜び。
今回初めて、プロの歌手ってのは歌も演奏もうまいんだなーと感動した。一曲目の「20」はFranが舞台から飛び降りて会場の真ん中へ移動し完全にアンプラグドで弾き語りしたにもかかわらず、声もアコギも切なく響いた。また、ギターが響く「As you are」は私的スキップ曲であったのに、Andyのギターに釘付けになってしまった。エレキギターってあんなにいろんな音が出るんだねぇ。びっくら。
最後にリクエストに応えると言ったら、会場が突如激しいオークション会場の様相を呈した。が、全然それには応えず自分たちの都合で曲を演奏していた。ひどい。2曲で締められたけど、もう1曲くらい聴きたかったな。時間が押している様だったが、それは絶対Franのしゃべりすぎが原因だ。
今度はいつ行けるかな。去年、国際フォーラムに来ていたらしい。次は何年後に来日するんだろう…。
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