19.4.18

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見てきた

働く人たちの話は心が踊るね。おもしろかった。

以下自分のためのメモ。

ペンタゴン・ペーパーズ

主人公;ケイ
ワシントン・ポスト紙の社主。家族経営の地方新聞社だったが、今ではそこそこの規模となっている。45歳の時に入婿で社主を継いでいた夫が亡くなり、専業主婦から自ら社主になる。
もともと聡明な女性、話題も豊富で仕事にも思慮が深いが、自分の意見を述べるののに自信がない。本編冒頭の理事会で株式上場の提案のため、念入りにメモを作っているが、いざその場になると言葉でなくなり、取締役のフリックが代弁した→のちに編集主幹のベンが、まわりからよってたかってお前は求められていないと言われてしまって完全に挫けてしまっていると擁護している。
取締役のフリックはケイのよきアドバイザーではあるが、父時代(または夫時代?)からの側近ゆえに、完全にケイの味方ではない。保守的。
やむを得ず表に立たないといけないときのために十分な準備もしている。夫の葬儀のときにもスピーチのメモを作っていた。遺された新聞社を家族のために守る、けれども新聞社としての理念も守るとする精神がこの時にすでにある。娘がこのメモを引き出してきて、読み上げてもらった時に、当時の精神を思い出したのだろうな。

新聞社のためにコストがかかっても良い記者が必要だとは本編冒頭で述べていて、質の高い新聞作りを強く意識している。よってベンに意見が近い。


ベン 
編集主幹で革新的。今なら事業は女性が継いでもいいと思っている。職場の政権にまったくおもねらない女性記者の記事を一番擁護しているのがこの人。表現の自由をうたった修正一条を誇りに思う。

あらすじ
現地調査員としてベトナム戦争の前線に送り込まれたロンは,従軍調査をしていく中で,戦況悪化にも関わらず歴代政権はその事実を隠して戦争継続していることを知る。そのため,帰国後に一連の戦争報告書である通称ペンタゴン・ペーパーズを,所属のランド研究所へと持ち出した。
そのコピーが初めに持ち込まれたのはNYタイムズ社だった。世紀の大スクープに,主人公ケイが社主を務めるワシントンポストは臍をかむ。が,ポスト社にもコピーの一部が謎の少女によって持ち込まれ,それを端緒にポスト社からロンへの接触もなされ,すべてのコピーが手に入る。
NYタイムズが報じたペンタゴン・ペーパーズの記事はすぐさま政府より差し止め請求がなされ,タイムズ社はそれに応じていた。よって同様の記事を公表しようとしているポスト社は,秘密保持法だけでなく、国家反逆罪にも触れる。さらに情報源が同じならばNYタイムズと共謀罪に問われる可能性があるとわかった。
同時期に進んでいたワシントン・ポストの株式上場は、罪に問われればおじゃん。ここはまとめて解決することになるだろうとは思っていたけど。
新聞社は潰れる、記者たちも捕まる、新聞業界としても言論の自由を奪われる、で、全部潰れる可能性がある。けれども、「発言への圧力は発言にて抵抗する」と,編集主幹のベンは記事にする姿勢を保ち続けた。
記事にするか否かを最終的に決めるのは社主のケイ。父,夫と連なる旧世代の理事たちに猛反対される中,記事にする決断を下す。
高裁ではNYTは差し止め、ポストは御咎めなし。最高裁では6対3で勝ち。賛成派裁判官の意見では「言論の自由はガバナー(政権)ではなくガバーン(国民)のためのもの」であるとした。

雑感
ここまではまるでメディア対国(ニクソン)だけの話で、ラストもウォーターゲート事件を仄めかす形でニクソンを悪役に仕立てて終わっている。ガバーンのためと言いつつ、登場する一般人はデモ活動をしているヒッピーモブくらいだった。

ペーパーの流出からNYTが記事にするまで3ヶ月、それからポストにリークがあった。持ち込んだ少女の身分が明らかにならないまま、リーク元に目星をつけた記者がダンに接近して、ペーパー本体を手にすることができた。少女は最高裁で再登場する。ケイの外見だけは知っていて、自分の身元を明かした。国側代理人のアシスタントだったが、兄がベトナムに送られているというだけの一般人だ。ここで新聞社とは無関係の人物をねじ込んでくることで、この問題がメディアだけではなく、国民全体に関係するものだと示唆する。

思えば初めから登場人物たちの価値観は一定で、約一週間という短い期間で、ケイはほんの小さな意識改革をし、ベンは自分の仕事をしながらもケイやジョイスのような女性たちの立場に意識を広げ、フリックは自分が旧世代であることを認識した。一人一人は本当に小さな変化しか起きていないけど、新しい未来を暗示する変化でもある。

昔の新聞の版下を作る工程、印刷工程なども見られたのが興味深い。活字鋳植やってた。初めて見た。最後の印刷された新聞が天井高くまでコンベアで運ばれていく中をケイとベンが去っていくロングショットは最高だった。「刑事訴追あるかもよ」「そこはあなたがなんとかして」というフランクな二人の会話。ちょっと際どいジョークにニヤリとする。 

この映画は、「レディ・プレイヤー1」の撮影中だったスピルバーグが脚本を見て,今撮るべき映画だと2017年6月から11月6日まで撮影。公開は18年1月。かなり突貫。
だからか,人物描写など少々甘いようにも見えた。粗削りな感じ。Twitterのような映画らしい。今出さないといけない,ということだろう。今見るべきだと思った。

スピルバーグは社会派とエンタテイメントを同時に撮影していくのか? 今回はジュラシックワールドも並行している。かつて,ジュラシックパークとシンドラーのリストを同時制作していたときと同じ手法を使ったらしい。私がかつてみたアミスタッドもロストワールド(ジュラシックパーク)と同年公開だったし。

ところで合衆国憲法修正第一条は「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない」
Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or     prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech,
or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.

というやつで、いろんな自由を規定している。
このうちの言論の自由については,起草者の意図なども残っておらず,その意図するところは不明。ただ,本国イギリスでも検閲からの自由が求められてきたのだから,合衆国憲法においても検閲を排除するのが第一の目的となろう。(「アメリカ憲法入門」松井茂記、有斐閣2007)
政治的な意思を自由に表明しあえる環境にあることで、意見ももみ合って発展していくし、結果としてよりよい社会が築けるところに、言論の自由を尊重すべき理由がありそうだ。

イギリスの表現の自由はどうなってんだろう。と思うだけで調べずにいる。

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