13.4.18

ついでだから、まあ聞いてよ

最近、テレビドラマを見るようになった。というのも、ちょっとついった再開しようかなと思って、いろいろ見てくうちに割と好きな感じのツイートをしている人たちがこぞって趣味としてのドラマ実況をしていて、その影響で見た前期の法医学ドラマ「アンナチュラル」がめちゃめちゃツボにはまり、すごく面白かったのよ。

でももともと継続する力がない私、すでに大河ドラマの「西郷どん」は脱落。もちろんNHKの朝ドラは見てない。有働さんイノッチ柳澤さんが卒業となったあさイチですら、最後20分となったところで気づいて急いで録画ボタンを押す感じ。テレビをそもそも見る習慣がないよ。なのですぐ忘れる。

今、昔の朝ドラの再放送をしてる。朝は「マッサン」、夕方は「カーネーション」。後者はとくに、最後まで見ればものすごいお釣りがあると既視聴者たちがこぞって褒め称えてるから、録画はしてる。でも見れない。見てない。溜まってく。見たいんだよ! でも見る心の余裕がない。

子供のついでに見てる「仮面ライダービルド」だって、ここ二回見られてない。話が一気に動いたし、監督が私の好きな人なので見たいんだけど、なかなか手が伸びない。

今期は検察官ドラマの「正義のセ」、海堂尊の「ブラックペアン」があるので気にはなってるのだけど、原作があるとなると、本読めばいいじゃん、と思ってしまう。

映像って、まどろっこしくて見られなかったな。人が朗読するのだって聞いてられない。小学生のころ、国語の時間に他の児童が当てられて本を読んでる時、聞くのに集中できなくてページをめくって勝手に読んでた。そんなのが原初体験みたいになっちゃって、先入観から抜けられなかったんだけど、映画やドラマが前よりは見られるようになってきた。というのも最近、本を読んでて理解スピードが落ちてきたからだ。暴走列車のような脳みそがちょっと力尽きてきたんだろうな、と思ってる。つまり耳から入る情報の処理サーキットが弱かったのに加えて、他の能力も落ちてきたってこと。

物語に没入すると、目は文字を追っていながら、脳内にはその映像がぶわっと広がっていて、登場人物たちがリアルに動いているんだよね。本を読む、というより、頭の中に再構成された映像を見て理解している、という感じ。そういうのは物語とか、物語性の強いエッセイでしか起きないんだけど、とにかくそうやって私はずっと本を読んできた。それこそ物心がついたときから。
だから法学部の学生になっていわゆる基本書を読み始めてから、眼の前で文字通りスパークした感覚に何度もなって、内容が入ってこなかった。現代文の授業で読んできた論説文とも違う、完全に内容を伝えるためだけの文章を読むのはあの時が初めてだったのかもしれない。映像に置きかわり得ない、文字そのもので内容を理解するということね。論説文は現文の国語の授業で扱う題材だし、文章そのものの芸術性みたいなものも見え隠れしていたと思うんだよね。そっちのほうが、それまで読んできた一般的な「本」に近かったと思う。


ところで読解力と言えば、ミスチルの歌に「ニシエヒガシエ」ってのがあるんだけど、歌詞の冒頭で

(前略)すっぽんぽんにしちゃえばおなじもんがついてんだ
めんどくさくなって送るのもよして
一人きり情熱を振りかざすバッティングセンター

のとこは、脱がせたら同性(この場合は男性同士)だってことが分かって、部屋からおざなりに追い出して、白けたぜ、って感じで本当にバッティングセンターに行ったと思ってた。歌舞伎町の北の端にあるあのバッティングセンターね。だから舞台は新宿。
この歌が出たときからだから、大学生くらいからかな。

という話を、こないだ、同じくミスチル好きの夫にしたら
「読解力がなさすぎる」
と一刀両断されてしまった。いや、だってさ、女子大生にはその隠語はわからんよ。多分日本国内に300人位は同じ想像した人がいるよ、きっと。

0 コメント: