11.9.09

ちょっと寂しくなってきた

正直に告白すると、夫以外の人と言葉を交わすことがない生活を送っている。それを寂しく思えてきた今日この頃。7月、8月は訪問者との交流があったし、そうでなくともボストン開拓や新居を存分に楽しんでいたので全然気にならなかった。ところがいざ授業に通い始めると、周囲は楽しそうなのに私は孤独だ。大講義はともかく、セミナーは少人数だしなんとか突破口を作りたいところ(英語的に不安という言い訳もあるけれど)。来週は勇気を出そうと思ったらセミナーは休講だった。残念。

自分の世界を広げる方法には二つあると思っている。一方は人とのインタラクティブな関係、もう一方は本や景色や、そういった外界の情報を一方的に受けることで、近年は後者の方が楽しくなっていた。例えば、知らない街を散策するのに全部の道を歩きたいという欲もあって、独りの方が集中できて都合がよい。とは言っても、前者タイプの友人に会うと受ける刺激が大きいことに驚き、その重要性を思い知る。

振り返ってみれば、幼い頃から友達作りは苦手だった。数年に一度男女問わず惚れ込む人が現れて、幸い今も縁が続いている友人がいるが、彼らには本当にありがたいと思う。

日本で就いていた職を辞して夫の留学について外国に来て、自分だけの世界がなくなったことに戸惑う妻は多いと思う。自分がここアメリカにいるのはあくまで夫の付随としてであり、自分自身が選んだ結果じゃない。生活の糧がすべて夫任せになったことも大きいと思う。かといって自力で世界を切り開くには語学力も度胸もない。アメリカの大学は新学期に学生の交流イベントを主催し、その家族も招待してくれることが多いけれど、そこで知り合う人たちはあくまで夫経由だ(最も、夫経由でもそこで知り合った人と得難い縁を得ることもあるけれど)。いつまでも夫におんぶにだっこだといじけてしまう。そんないじけた状態と従来の友人作りの下手くそさとが相まって孤独な状態が続く。そんな言い訳はくだらないとは思ってるんだけどね。

そんなわけで寂しさも感じてきたので、ちょっと外に出て人と会ってこようと思う。日本人、米国人のソーシャルミートアップの会とか大学のソーシャルイベントなど、機会は少なくない。特に大学にはお金を払って通っているので、今度は「私の」イベントだと胸を張って参加できる。あとは、英語と人間性の問題だな。それが一番大きな問題だ。

ところで、今日はSep11であった。この世界であらゆる暴力の犠牲者が減っていくことを願ってやまない。

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