4.3.22

フィニッシュかジエンドか

 7月から7か月にわたる司書講習が終わった。本来三か月で行われてきたこの課程が週一回の講義配信になった分だけ楽になったはずだったけれど,コンスタントに区切りのある環境に慣れておらず,立ち止まりどころがわからずにずっと足を動かしてきた気がする。続けてウェブの就職エントリーにいくつか申し込んだ。数日以内に返答がなければ不可らしい。望みは薄いがとりあえず動いている。入力項目では,離職期間,年齢,学歴,子どもの有無などを明らかにしなければならなかった。社会のありように照らすと不利な情報が多すぎる。そしてそれを不利だと思い,自分を低める目線がさらに自分を削る。

2008年に退職してから,人に混ざって働くという状況から14年も離れてしまったのか。その間,国外でほぼ遊び暮らしてみたり,日本のあちこちを物見しながら子どもを育てたりしてきた。生活の心配がいらない環境で生きてこられたことについては感謝しかないし,家族をえられたこと自体が僥倖だったとも思う。

けれども,働いて金を稼ぐ,生産ができることに人間の価値があると思いやすいこの社会で,家の中で過ごすだけの日々は容易に自尊心を削る。もちろんこれまでに動き出す機会はあったはずで,それを選ばなかったのは自分自身だ。

話は変わるけれど,ここ4年ほど創作の趣味をしていた。自分をつかまえる作品があって,登場人物の悲劇性が作品内で解決されないことが悲しかった。だから自分で続きを考えた。私は幼いころからお話や空想が好きだった。夜,寝床に入ってから,暗い天井の板の目に視線を這わせながら,小さな額の中には一大叙事詩の映像が何日も何日も渦巻いた。けれどもそれを文字に起こして,物語にしたことはなかった。小説なんて書いたこともなかった。

頭の中で何度も反芻するのは没頭して気持ちがよい反面,苦しくもなる。吐いた息をもう一度吸い込むマスク越しの呼吸のようだった。でもこういうとき,文字に起こすことで幾分か息を吐きだしてしまえることを,こういったブログ類を書いてきた経験から私は知っていた。小説とも呼べない形式の,ささやかな文章を書いた。タイプして画面に書き出しているとき,私は文字通り夢中になっていた。そして出来したものをウェブサービスにアップした。

現在では,アマチュアが創作作品を登録するサービスが多くあり,そこでは作品を好きで,自分でサイドストーリーを生み出すほどに情熱を持った作者と,同じだけ当該作品を好きな読者が感想を介して交流がするのが一般的になっている。そのうちのひとつを選んだ。もちろん最初はリアクションなんてほぼない。それが何か月かして,それまでの私からしたら急にスポットライトが当たったかのように注目された。見も知らぬ人,それもある程度のボリュームから承認を受ける快感を私は知った。社会から隔絶された私が,不特定多数の社会の人との接点を再び得たと思った瞬間だった。働いていた時の同僚や同僚とも呼べない同じフロアの労働者たちに感じたのと同じように,遠くて近くて,やっぱり遠い,ただおなじ場にいるというだけの人間の集団に属したときの安心感があった。

ただ,承認に対する喜びと,ものを書きだす動機づけは残念ながら重ならなかった。承認はほしいがそれに応えられる質を保つのは難しかった。私は人が望む作品は力不足で書けなかったし,私がそのとき抱えられなくなったごく個人的な感想しか文字に起こすことはできなかった。

書き物のベースとなる作品はほぼ完結していて,新しい展開があるわけではない。だからその作品のある要素のことを好きならば,書き物のテーマはおおよそ固定され,早い段階で飽きると私は思っていた。それが4年も続いてしまった。テーマはその時々で大きく変遷がある。はたされなかった喪の儀式,失ったキャリアと再出発,異性愛規範とクイアロマンス,アイデンティティへの不信。元作品を敷衍していくとどこかで出会うはずのトピックだった。けれども現状では,こういうことを書くものは少数派となる。ちなみに,メインストリームは恋愛であり,性愛だ。

私はその作品が好きなのだと思っていた。でもそれは好きといいきれるものではなかった。好悪に分類するには雑すぎる。過去に自分がうれしかったこと,傷ついてきたこと,どうしようもなかったけれどどうにかしたかったこと,自分の中で消化しきれてなくて腹の中にずっとわだかまっているのに,とっくに流れていってしまったと思い込んできたことを次々と引っ張り出されていた。各テーマの中でキャラクターをハッピーエンドにいざないながら,私はキャラクターのどこかに自分を仮託していて,結果として凝り固まった自分自身を解くことになった。このことに気づいて,ああ,これ以上,今の形で二次創作は続けられないなと思った。既存のキャラクターに負わせることではないと思ったのだ。

今日,この活動に関して集めた資料などを一部整理して,処分した。尚早だったとあとで後悔する可能性があっても,視界に置いておきたくなかった。違和感がありながらこれまで飲み込んできたものを,自分を解体していく中で,これ以上飲み込んだままにしておけなくなってしまった。

迷っているときに大きな決断はしてはいけない。特に,望みの薄い状態で留保されているような強ストレス下ではなおさらだ。でも,捨てるという行為をしておかなくてはいけないと思った。それでも私の身体にはまだなおからみつくものがあって,引きちぎりながらこんなふうに文字に置き換えている。

今日はやけに眼鏡の弦が側頭部に食い込む気がする。痛い。

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