19.9.18

いらん野暮用が多すぎる

絵本の読み聞かせの亜種に,本を使わないでお話を話すというのがある。この近所で勉強会をやっているのに参加している。詳しく書いてもしばれたらまずいのでぼかして書く。

今,忙しすぎてやばいのに,どうにも叫びたい気分なのでここに書き付けることにした。

耳から言葉をただ聞くだけで理解するための私の脳のチャネルは弱い。と思ってきた。

小学生の時,年に一度の市内統一テストがあった。
国語は毎回第一問目が先生の話す短い文章を聞き,紙に書かれた問いに答えるという形式だったんだけど(まさにリスニングだね),必ずどこかを間違えた。聞き終えてから問題文を見て解答を書く時には頭が真っ白になってるんだよね。思い出そうとすればするほど,頭の中が消しゴムでこすられてぼんやりとした範囲が広がっていく感じ。
自分で言うのもあれだけど国語の成績は良かった。でもこのリスニング部分だけはとにかくダメだった。
それがショックだったんだろうな。当時はメモもとっちゃいけなかったし。大人になってみればやり方一つで克服できることだ。けど,ショックさだけが残ってて,そのままなんとなくリスニングは難しいって印象が残っている。英語はずっと苦手だった。我ながらよく留学したな。学部時代、英語の単位は二回落としたぞ。

で,今日の講義で「実演される語りを聞きましょう,メモもぜひ取らないで耳からの物語に身をゆだねてください」って言われてね。
どうなったか。寝たよ。
数人の話者が交代で語って,それぞれに特徴があって,すごく上手い人もいたんだけど,全員等しく眠気が襲ってきた。

お話を語るというのは,完全に覚えた上で,物語に心をゆだねて自然に発話して聞き手に届けるというもの(すっごく抽象的だな)。要は昔話とかを本を見ないで話すのね。

だけど話者の中には,本なんてもとよりなくて,真実その人の言葉で語っているように聞こえてくるというのもあったんだよね。相当な技術だと思う。

にもかかわらず,私は眠かった。ほんとごめんなさい。

その後の講義や質疑応答などでメモを取れたら眠気は飛んだ。何か一緒にやることがあればいいんだと思う。

そんなんで大学の講義とかどうしてたんだろうってふと疑問になったんだけど,ああそうだ,かなりさぼってたわ。

 ということがあり,そのあとに園のクラスの送別ランチがあり,子供の習い事の係りで時間的に拘束され,やっと帰ってきたら今度はPTA。今週の仕事量は少ないけど,まだ残ってる。明日も午前中は園だし,小学校も行かなきゃだし,あーーーーーーー!!1!!

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