26.4.19

日常生活は簡単に破綻する

 先日の体調不良の予兆はまさしく現実のものとなり,そこからまる二日間寝込んでしまった。発熱は治まったと思えばまた上がり,全身が軋んで,頭痛が続き,食事はにおいだけで抵抗感が出て,食べたら食べたで体が足りないエネルギーを消化に使うからか疲労の波がばさりとかかり,まったく自分が使い物にならなかった。
 専業主婦が突然いなくなると,未就学児のいる家庭は簡単に行き届かなくなりそうだと思った。
 生活を夫婦分業に最適化している場合,母子家庭など,父親がいなくなるリスクばかりが計られる印象がある。たとえば生命保険とか。そしてもし父親が不在となっても,日常生活は母子間で回していけるものだ。金銭的なリスクは負うものの,ただちに立ち行かなくなることはない。ところが逆だったらどうだ。誰が子を幼稚園へ送迎できるのか。誰が子の弁当を用意できるのか。家事は電化製品や購買力で補える。まだなんとかなるだろう。けれども仕事のスケジュールは突然変えられない,かもしれない。長期的には心配はないかもしれないが,今日までやれたことを明日明後日もとは,すぐに対応できない可能性がある。
 今回はたまたま母の滞在中のことで, 私の代理がいたから事なきをえた。幸運だった。 完全分業は効率的だが,両親の健康という薄氷の上で成り立つものだなとつくづく感じた。リスク分散をどうすべきか,この先のことを少し考えたい。と同時に,日常生活をもっと簡素化しておくべきだ。家事は誰でもできるように。仕事と同じだな。標準化しておかないと。
  それともうひとつ,健康は大事。目を開けて視覚情報をとりいれただけで頭痛が起こるというのは,初めての経験だった。目を開けられない。何も見られない。当たり前にできたことができないのは歯がゆいし,くやしいし,つらいものだ。つらいのだけど,頭痛のせいかそのつらさすらも輪郭がぼんやりとしていた。何も考えずにただ目を閉じた。いつか死ぬときには,こんな風に何の感慨もなく,ゆるやかに意識が途絶えるのだろうか。

 

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