8.12.19

生きるとは哀しい

先日、Twitter上で父親が生前に記していたノートを見つけたというつぶやきを見かけた。認知がだんだん衰えていき、生活でのトラブルに対して妻から受けた注意を記録していくものだった。言われたことは守る、だとか、自分で判断しない、だとか、日付とともに書かれている。ページが進むごとに同じ内容が繰り返しあらわれるようになり、また漢字がかな混じりになり、ついにはひらがなばかりになるのが見てとれた。自分が衰えていくのを認識しているからこその内容だ。勝手な心情を読み取ってはいけないと強く自制しつつも、どれだけもどかしかっただろうと思う。

高3のときに、私は自分の所属していた書道部の恩師を亡くした。高2の冬に恩師に病気が見つかり、即入院となった。公立高校の芸術科目の教員なんて一人しか配置されないものだ。高3の4月には新しい先生が赴任された。書道準備室は教員のオフィスだが、四分の一ほどのスペースを部室に割いてくれていた。いつもどおり訪れた準備室で、新しい先生が桜並木の窓に向かったデスクについているのを見つけた春の初め、この小部屋の空気が変わったと思った。私のほかにも部員はいたし、また恩師を慕って出入りする部外の生徒も数人いたが、それからみな足が遠のいたのをよく覚えている。
恩師の入院先の病院は学校から近かったこともあり、私は何度かお見舞いに寄った。いつも朗らかに迎えてくれて、おなじ病室の方と一緒に病院への愚痴を聞かされたこともある。6月に迎える高3の学校祭では、私は自分の作品は恩師に指示を受けて、恩師の助言のもと手掛けた。藤村の「小諸なる古城のほとり」を書けと言われて、内容もなにも全くわからず、国語科研究室に相談に行った。最初で最後のろうけつ染めだった。
新しく来られた先生は三年生の部員にはほぼノータッチだった。今ならわかる。よくも黙って見守っていてくださったと思う。私はその先生に歩み寄ることができなかった。あきれるほど子どもだった。
なにがきっかけだったか、夏休みに入る頃には先生のお見舞いへは行かなくなった。部長を務めていた同級生もよく通っていたようだが、おそらくしばらく来ないようにとの伝言を受けたのだと思う。もう思い出せないけれど。9月の運動会も終えて受験勉強に取り掛かるには腰が上がらない秋の中頃、恩師は亡くなった。
うちの高校は年に一度文集をつくる。各学級、部活、生徒会や行事の委員会、なにかを書いて表現したい人たちが原稿を寄せた。
この年の巻頭は、恩師を偲ぶのに割かれた。部長が葬儀で述べた生徒代表の弔事の次に、先生からの手紙が載せられた。初めて見る、私達への手紙だった。いつもどおり、朗らかに、ユーモアを交えて書かれている。手を合わせるな、おれは仏じゃない。饅頭は供えるな、自分で食べろ。けれどその末にしたためられた一句には、もう手が震えて満足に字も書けない、という内容を含んでいた。恩師の弱音は、その三十四字にしか見たことがない。
恩師は書道の先生だった。漢字をその意味から再度図像化するという研究をなさっていた。そのうちの一つをお借りして、私は母と子という作品をつくったこともある。恩師にとっての字を書くことの重みは、当時の私には想像しきれなかっただろう。

できたことができなくなる。それがどれだけ恐ろしいことか。生きることは死に向かって進むことと同じだ。必ず通る道だ。死ぬのが怖いと幼少期から抱いていた思いは、おそらくこの経験で再燃したのだと思われる。

さて、今日、年長の子の園の発表会が行われた。カトリック園のため、12月にイエス降誕劇を行うのが習わしだ。下の学年の子は毎年、年長が行う聖劇を見て育つ。いずれ自分もやるものだと、すこしずつ意識に埋め込まれている。
ありがたいことに、次男は先生の覚えめでたく、台詞が多めの役を与えられた。私は係として前日のリハーサルから詰めていたので、当日の流れもわかっていたものの、それでも緊張で胸がつぶれるかと思った。子が何事もなく舞台袖にはけたとき、私は肩の力が抜けて背もたれにかかる体重が増したと感じた。そうして振り返って、ここ数週間の彼の家での気難しさはこの役目のプレッシャーやストレスを子なりに背負っていたせいだったのかもしれないと、ようやく、ほんとうにようやく、思い至った。
この子は年少児から三年間お世話になった。家にいるときにはまったくわからないが、こうして離れて見ると、成長したのだとわかる。できることが増えている。相変わらず人見知りはあり、新しい大人のいる場に打ち解けるのに時間のかかる部分はあるが、家で話す語彙の量、理解、身体の動き、食事の振る舞い、同世代の子たちとの交流、いくらでも挙げられる。三歳から六歳への成長は著しい。このまま大きくなってほしいと、切なる願いが湧いてくる。

死ぬことは怖い。それは変わらないが、おそらくもう自分だけの問題ではない。
今回は次男だったが、長男も毎日九九を唱え、見様見真似で漢字の多い本を読み下そうとし、 休みの日には友達と遊びに一人ででかけていく。彼らの世界はどんどんひらけていく。
そんな子たちを眺め、夫と他愛のない会話を交わし、ときどき遠方から来てくれる母と小旅行などができるようになった今を手放したくない。ネットを徘徊して新しいことを知って、小さな文章をさらしてささやかな交流をして、古い友だちとときどき思い出したように連絡を取り合えるこの心地よい世界が惜しいのだ。
いつかはみな変化し、離れ、すべては無くなってしまう。生きることがそれと裏表であるからこそ、いまに愛着が増すほどに、哀しくてしかたがなくなる。

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