今年は一年半ぶりに帰省している。
で、地元の友達と二年ぶりに飲み会に行った。
飲み会、たのしーねー!!
二次会にうさぎさんのいるお店で初めてバカラやった。運ゲーな印象だったので、何も考えずにチップをかけるだけなんだけどおもしろかった。
でも、もう翌日を棒に振るような飲み方はいかんわね。
来年、ダブル成人式するんだって。幼小中の仲間たちなので、24-33年のつきあいだって。まあ間は空いてるとしても。信じられん。
15.8.18
31.7.18
みとめたくない、人はいつか死ぬということ
※これはただの日記です。
一言でまとめようとすると、タイトルのようにどうしようもなく陳腐な言い回しにしかならない。だけど、これは、私が一番直視したくないことであり、しかも厄介なことに年々その思いが強くなっている。
そして、テレビ画面の中で宇多田ヒカルが「夕凪」という新曲を滔々と歌うのを見て、この人は私がまだ踏み越えられない一線を越えていったのだなと思った。
そのことにものすごい衝撃を感じた。だからこうして言語化してみようと思ってこれを書いている。
そして、テレビ画面の中で宇多田ヒカルが「夕凪」という新曲を滔々と歌うのを見て、この人は私がまだ踏み越えられない一線を越えていったのだなと思った。
そのことにものすごい衝撃を感じた。だからこうして言語化してみようと思ってこれを書いている。
7月16日放送の「プロフェッショナル仕事の流儀 宇多田ヒカルスペシャル」を録画しておいたのを、先日ようやく見た。内容は前回のアルバム「Fantome」から三年、新譜「初恋」のレコーディングを追うというもの。
その中で一曲だけ、ものすごい難産な様子をずっとカメラは追っていた。
もう三年も悩んでいる楽曲だと宇多田ヒカル本人は言う。当初の仮タイトルは「Ghost」。ロンドンのレコーディングスタジオのレンタル期間には、この曲の歌を残して他の楽曲も含めて全部録り終えていた。その後、またしばらくの時間をおいて「夕凪」というタイトルで完成が告げられ、歌入れの風景とともにフルコーラスが流れて番組は終わった。
その中で一曲だけ、ものすごい難産な様子をずっとカメラは追っていた。
もう三年も悩んでいる楽曲だと宇多田ヒカル本人は言う。当初の仮タイトルは「Ghost」。ロンドンのレコーディングスタジオのレンタル期間には、この曲の歌を残して他の楽曲も含めて全部録り終えていた。その後、またしばらくの時間をおいて「夕凪」というタイトルで完成が告げられ、歌入れの風景とともにフルコーラスが流れて番組は終わった。
番組では宇多田ヒカルの生い立ちを振り返っていた。彼女は幼少時からずっと両親の仕事に合わせてスタジオ生活を送っていたようだ。八歳の時に母に勧められて歌い始め、歌をつくることで、抑えてきた自分の思いを託すことができるようになったらしい。そしてその母との別れ。
そんな番組のつくった「物語」を見ながら、自分の腑に落ちるストーリーラインを自分の頭に再構成し、紹介される楽曲を眺めていた。
前アルバムは宇多田ヒカルのお母さんが亡くなり、物理的にお別れをするための言葉を歌に載せたのだろうと思う曲がいくつかあった。例えば「花束を君に」。例えば「道」。どちらも、そのとき離れていく母へ向けた想いが歌になっていて、歌詞における出来事の描写は極めて具体的であり、個々のエピソードが目に浮かぶ。それらきれいな思い出とともに手を放そうとするイメージがある。
そこから三年、宇多田ヒカルは出産も経験したはずだ。そうして、もっと後ろから物事を見るようになったのかなと思った。
失っていくだけじゃない。命が自分の手の中にある。初めて赤子を抱いたときの温みが、私個人の思い出として蘇った。そのときに感じたのは、命への歓びだけではない。
命を自分の実感として得ることができたからこそ、いつか本当に終わってしまうのだとわかるというのは、なんとも皮肉なことだ。
そこから三年、宇多田ヒカルは出産も経験したはずだ。そうして、もっと後ろから物事を見るようになったのかなと思った。
失っていくだけじゃない。命が自分の手の中にある。初めて赤子を抱いたときの温みが、私個人の思い出として蘇った。そのときに感じたのは、命への歓びだけではない。
命を自分の実感として得ることができたからこそ、いつか本当に終わってしまうのだとわかるというのは、なんとも皮肉なことだ。
歌詞は夕凪の風景を淡々と描きだす。風もなく、ただ静かに寄せては返すを繰り返す穏やかな波に、命が近づき、やがて去っていくさまを見出すのは難しいことではない。それは例外なく起こること。誰にも。
その場に居合わせた、明言されない私は、小さくなった「あなた」を抱きしめ、しかしその風景にはどんな価値をも見出さない。ただ眼前に起きていることをそのまま受け止める。「夕凪」はそんな曲だと思った。
その場に居合わせた、明言されない私は、小さくなった「あなた」を抱きしめ、しかしその風景にはどんな価値をも見出さない。ただ眼前に起きていることをそのまま受け止める。「夕凪」はそんな曲だと思った。
極めて個人的な話になるが、私は死が恐ろしい。不老不死の薬があるなら、泰山に登って祈祷を捧げたいほどだ。
おそらく、自意識が芽生えるか否かの思春期にさしかかる微妙な時期に身内の死を経験したからだと思う。呪いのようなもので、もう干支を何度か周回しているというのに、まだ消化しきれていない。だからなおのこと、誰も死んでほしくないと割と本気で思っている。自分が死ぬのだって怖い。
そして独り残された母がここ数年、ものすごい勢いで小さくなっていくのを見るたびに、その思いは強くなる。ずっと今のままならいいのにと。
おそらく、自意識が芽生えるか否かの思春期にさしかかる微妙な時期に身内の死を経験したからだと思う。呪いのようなもので、もう干支を何度か周回しているというのに、まだ消化しきれていない。だからなおのこと、誰も死んでほしくないと割と本気で思っている。自分が死ぬのだって怖い。
そして独り残された母がここ数年、ものすごい勢いで小さくなっていくのを見るたびに、その思いは強くなる。ずっと今のままならいいのにと。
もし私が夕凪の浜辺にいたら、あなたを私の視界に入らないところに置いて、ばしゃばしゃと波の中に飛び込んでいっただろう。そうして腕を振り回し、水面を踏み散らして、「鏡」を割ろうとしただろう。
それから、決して割ることができないとわかって、きっと泣くんだろう。
それから、決して割ることができないとわかって、きっと泣くんだろう。
番組を見終わった後、私は「テレビって物語があるのがずるいよね」と隣で一緒に見ていた夫にこぼし、顔を上げないようにしてティッシュの箱をひっつかんで鼻をかんだ。でもきっと全然、ごまかせてはいなかっただろうと思った。
やっぱり言葉にしきれない。あのとき鼻水と一緒に顔からひっぱりだしたはずの涙の残滓は、今も自分の中にある。
ただわかるのは、最後の歌録りで宇多田ヒカルがマイクに向かっていた姿は、とてもとても美しかったということだ。
23.7.18
毎朝、窓を開けると
大気中に充満した水蒸気が朝日ですでに温められている。私的最高気温から一日が始まることにうんざりして、エアコンのドライを冷房に切り替えている。日中も夕立が恋しくなるほどの晴天で、洗濯物を干しにベランダに出るあの一瞬で、さらした腕や首筋に、じりじりと照りつける陽光が痛い。
そして毎日思っていたのだ、梅干しをはよ天日干ししなきゃなーって。
そしたら、今日はめっちゃ曇りだよ!
晴れてる日は風呂場を歩いている気分になる外が、今日は亜熱帯植物園。何この湿度。家の中にこの空気が入ってきたら、きっと壁に結露する。やばい。窓は締め切っとこ、いつも通り。
梅、干せないなー。残念だなー。
そして毎日思っていたのだ、梅干しをはよ天日干ししなきゃなーって。
そしたら、今日はめっちゃ曇りだよ!
晴れてる日は風呂場を歩いている気分になる外が、今日は亜熱帯植物園。何この湿度。家の中にこの空気が入ってきたら、きっと壁に結露する。やばい。窓は締め切っとこ、いつも通り。
梅、干せないなー。残念だなー。
21.6.18
タコの季節
店先に生の蛸が並んでいる。
生の蛸と言えば、鮨にしてぽん酢をかけたり、カルパッチョにしたり、ということくらいしか想像できなかった。
蛸にはもともと塩気があるし、嚙み切れる程度の歯ごたえもよい。それほど手をかけることもない。
蛸はトマトと煮込むと化ける。
オリーブオイルとニンニクを大目に垂らして、蛸とフレッシュトマトを重ねて煮込んでいく。アヒージョのイメージである。
トマトから大量の水が出るので、しばらく熱し続けて飛ばし、赤い油が分離してチリチリ音を立てたら完成だ。
しかし、蛸は煮込みすぎると生臭くなる。生のトマトは別の鍋で半分ほど水分を飛ばしてから投入した方がよかったな。
あるいは、缶のトマトの方が適しているかもしれない。
数年前からBSプレミアムで「世界入りにくい居酒屋」という番組が流れている。
タイトル通り、世界の地元民ご愛用、日本人は旅行者として現地に行ったら入りにくいだろうという居酒屋を紹介する内容だ。
そこで、ポルトガルのポルトが取り上げられた。
地中海沿岸では蛸はよく食べられるようだ。蛸は悪魔の使いなどと忌避する文化を先に知っていたので、一瞬、意外だなと思った。
しかし、海が近く、漁業が主要産業の地なら、捕りやすい魚介は食糧として定着するだろう。
居酒屋よりもむしろお酒も飲める飯屋といった趣のある、主人夫婦が営む小さな店では、女主人がかまぼこ板を3枚ほど重ねた大きさに切り出した蛸の足をフリッターにして、トマト煮込みをかけていた。
合わせるのは、初夏ということもあり、甘く濃厚なポルトワインではなく、グリーンワインだ。瓶内発酵の微発泡白ワインはグラスに注いで陽にかざすと、かすかにグリーンがかって見える。
朝晩は少し涼しく、日中も日差しこそ暑いが日陰を渡る風は爽やかなこの時期にふさわしいワインだと思う。
うちの近所で取り扱う酒屋があるのでまた飲みたいものだなあ。
そして今日は夏至だった。
Happy solstice!
生の蛸と言えば、鮨にしてぽん酢をかけたり、カルパッチョにしたり、ということくらいしか想像できなかった。
蛸にはもともと塩気があるし、嚙み切れる程度の歯ごたえもよい。それほど手をかけることもない。
蛸はトマトと煮込むと化ける。
オリーブオイルとニンニクを大目に垂らして、蛸とフレッシュトマトを重ねて煮込んでいく。アヒージョのイメージである。
トマトから大量の水が出るので、しばらく熱し続けて飛ばし、赤い油が分離してチリチリ音を立てたら完成だ。
しかし、蛸は煮込みすぎると生臭くなる。生のトマトは別の鍋で半分ほど水分を飛ばしてから投入した方がよかったな。
あるいは、缶のトマトの方が適しているかもしれない。
数年前からBSプレミアムで「世界入りにくい居酒屋」という番組が流れている。
タイトル通り、世界の地元民ご愛用、日本人は旅行者として現地に行ったら入りにくいだろうという居酒屋を紹介する内容だ。
そこで、ポルトガルのポルトが取り上げられた。
地中海沿岸では蛸はよく食べられるようだ。蛸は悪魔の使いなどと忌避する文化を先に知っていたので、一瞬、意外だなと思った。
しかし、海が近く、漁業が主要産業の地なら、捕りやすい魚介は食糧として定着するだろう。
居酒屋よりもむしろお酒も飲める飯屋といった趣のある、主人夫婦が営む小さな店では、女主人がかまぼこ板を3枚ほど重ねた大きさに切り出した蛸の足をフリッターにして、トマト煮込みをかけていた。
合わせるのは、初夏ということもあり、甘く濃厚なポルトワインではなく、グリーンワインだ。瓶内発酵の微発泡白ワインはグラスに注いで陽にかざすと、かすかにグリーンがかって見える。
朝晩は少し涼しく、日中も日差しこそ暑いが日陰を渡る風は爽やかなこの時期にふさわしいワインだと思う。
うちの近所で取り扱う酒屋があるのでまた飲みたいものだなあ。
そして今日は夏至だった。
Happy solstice!
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