24.2.20

40日を切った

この地で暮らすのもあとひと月と少しになった。
ここでの記録をしばらくつけて、移転後に過去を懐かしむ手がかりにでもしようと考えた。けれどおそらく三日後くらいには、代わり映えしない毎日をただ記載しているだけだと気づいてフェードアウトしていくだろう。

今年は暖かいのが本当に助かる。数日前、市美術館へやっと訪れた。いまは浮世絵展を開催している。若冲以来の江戸絵画で、MFAでもろくに見てこなかった日本の芸術だ。
これが、じっくり眺めたらとても興味深かった。
浮世絵は版画だ。ということは、ある程度の疎な密度で絵を描かなくてはいけない。現実を捨象して、画家の捉えた世界が再度浮かび上がる。まるで漫画の技法だと思った。
小さな判型の中に印象深く収まるように、北斎や広重の自然の切り取り方は計算されているようでいながら、天性の勘でばしりと決めているようでもあった。自分に引き落としてみると、こんな構図で写真を撮ってみたいと思った。また、広重の美人図は髪型に命を注ぎ込んでいると思った。それに手。たおやかで艶のある手の様相には絵師の執着を感じた。しかしそれに比べて雑に広げた胸元に覗く乳房はあまりにそっけない描かれ方をしていて、そういえば江戸時代は女性の胸部にはいまほど性的な意味合いが付されていなかったのを思い出した。

ところでこれはスマホで書いているので、操作性が悪すぎて非常にストレスがたまる。腹立たしいことが多い。なぜ文末にあたるところに送信ボタンがあるのか。カーソルを合わせて改行したかっただけなのに、タップはボタンに反応した。
それに変換も。とりわけ無変換で確定したいときに、変換候補の一番を勝手に選ぶ場合がある。そうすると、頼んでないのに助詞の「は」をひたすら「ば」と確定し、私はそれを削除キーで一字消し、ふたたび「は」をフリック入力するとまた「ば」と確定する。3回くらい繰り返したのち、別の変換候補を選んで消すことで謎の順位はリセットされ、「は」が一番に繰り上がる。全く意味がわからず、ただフラストレーションだけがのこされる。
簡単に扱えるキーボードがほしい。具体的にいえば、iPadにキーボードカバーをつけたい。ずっと言っているが叶わず一年近くが過ぎてしまった。

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