28.5.24

昨日,終戦を迎えた

  虎に翼の話。

 昨日の花江が直道の死亡を知った瞬間,森田さんの一瞬息が止まったようになった後に顔がじわじわとゆがんでいきあるタイミングで涙と声がほとばしったお芝居が,35年前に母から「父が」と告げられた時の私自身と全く同じだったので,思い出して画面を直視していられなくなった。

 ただ,大人の花江は即座に悲しみが出てきただろうけども,10歳の私は衝撃が頭いっぱいになって脳内にこらえきれないものがあふれこぼれたおちた感じでもあり,同時に泣きながら,家の中に知らない人や線香の匂いが充満しているのがどこかよその家にいるようだと妙に冷静になってもいた。

15.4.24

ドラマを見ている

 昨年に引き続き,今年も大河ドラマを見ている。それと朝ドラも。

今年の大河は紫式部,朝ドラは女性裁判官一号となった三淵嘉子さんをモデルにしているオリジナル脚本で,両者ともにフェミニズムが強い。いいことだ。朝ドラの今朝の回に至っては,主人公が月経痛に苦しむ場面がすらでてきた。朝ドラは女性を主役に据えた物語が多いけれど,過去にこんな描写はなかったよ。朝から最高を浴びたと思ったし,社会的には女性の体調不良は存在しないものとして扱われてきたのだと,改めて認識してしまった。

ここに私がいる,という気持ちで毎朝見ている人は少なくないと思う。

昨日の大河の放送回で「私はなにもなしえていない」と肩を落とすまひろ(紫式部にもなっていない主人公)と,今日の朝ドラで女中扱いされた主人公の親友であり兄嫁の花江のことを,思い出すたびに苦しくなる。泣ける。あれはかつての私だった。そして今の私でもある。

2.9.22

冬の始まり

 イギリスでは8月末のバンクホリデーが終われば次はクリスマスだし、アラスカのデナリ国立公園は草本が紅葉の真っ只中だ。マスクの中で呼吸するだけで喉が焼けそうな気温がやっとゆるんできたように思う。

となると、グラスに氷を山ほどいれてエスプレッソを注ぐ時期はそろそろ終わりになる。代わりに取り出すのは待ち焦がれたお茶だ。今年の正月にもらったルピシアの福箱には、秋冬のためにとっておいた重めの紅茶が残っている。

のだけれど、グラス一杯でむかむかしてくる。さらにはトイレも近くなる。その2つがどう関係しているかははっきりとはわからないが、たぶんカフェイン負けしてるんだろうなと思う。夏場に飲んでいたコーヒーは、マキネッタでいれるエスプレッソではあるけれど、注ぐグラスにこれでもかと氷をいれてさらには水を足している。色付き香り付き水である。夫はたまに私のグラスに口をつけては、うえー、と舌を出す。おいしくないなら飲まなきゃいいのに。でもおそらく、そのころはそういうコミュニケーション方法が彼の中で流行っていたのだろう。最近はあまり手を出さなくなった。

職場には煮出したグリーンルイボスティーを持っていく。カフェインは含まれていない。毎日飲んでいただけ、なんらかの変化が体内に起きているのだろう。

仕事は休暇に入った。しがない雇用調整弁のひとりなので、職場が新学期を迎えるまでは待機である。


7.7.22

11年

11年前の今日は結婚式をした日でした。

今朝、夫にそう言ったら、「11年かあ」と感慨深く一呼吸したのち、「つぎは年齢算だなあ」と続けおった。完全に算数脳である。こいつはやばいのではないか。私は〈中年の危機〉を感じました。今日の日記。

台風はおもったよりも雨を降らせなかったので残念。今日の気温は低いが湿度が高すぎる。これじゃ上昇気流が起きにくく、渇水の可能性はまだまだ残る。雑巾みたいに大気を絞れたらなあ。

9.6.22

同じことをしてるはずでもすべては相手次第

 添削仕事をいまも続けている。さすがに6年目ともなると慣れもあって、どんな誤解や知識の抜けからこの誤答に至ったかは、いまやだいたいひととおり見ればわかる。担当科目は英語だ。

おなじ言語学習なのに、子の国語の答案を見るのにこんなに苦労するとは思ってなかった。

いやまあ、ぶっちゃけ、国語のほうが難しい。英語は日本の高校英語だから。難易度は大きく見積もっても、英語を母語とする7,8歳くらいの子どもの操る程度の語彙語法ではと思う。なんの根拠もないが。

うすうす気づいてはいる。これは添削の技術だけじゃない。自分の子相手だと答案に感情が湧いてきちゃう。それがノイズになる。そんなとこにリソースは割きたくないんだが? 

しかもこのあと対面で伝えなきゃなんないからな。モチベーションを下げないように、知識も不足なく伝わるように。そんなことを考えだすと本当に荷が重い。