4.6.14

登って落ちてまた昇る

やっと生活に慣れてきたなと思う。

4月から二ヶ月間,なかなか笑顔になれないことが多く,私はもちろんだけど,家族にもつらい思いをさせてしまった。引っ越し疲れ,都会の動きづらさ,子どもと私の体調不良,夫のピリピリした雰囲気,寒くてじめじめする家…まあいろいろ要因はあったわけだけど,そうして余裕がなくなって小さな弱い者にあたってしまって,余計にこじれてた。連休は実家に帰ってやっと気持ちが落ち着いて,本当に楽しく過ごせたんだけど,そのあと東京に戻ってきてからがまたしんどかった。これまでにないホームシックよ。実家恋し,も,そうだし,延岡のストリートビューに涙するほどだ。でももっともつらかったのは私の体調不良。早く適切な病院にかかりたいけど,病院に行く気が起きないし,子ども連れてどうすんだとかで目の前の障害を見て思考停止してしまう感じ。もう無理,どうにもできない,と。

で,ようやく今週は普通の状態に戻れた感じ。普通ってのは,つまり,記憶の中の自分。

私は怒りが瞬間湯沸かし器のようにあふれ出る方ではなく,半日くらい心の中で熟成させてからやっと自覚してちくちくやるいやーなタイプだと思っていた。怒りが湧くのは理不尽に遭遇したときで,その瞬間は大抵自分の想像を超えたものと対峙しているので,頭が真っ白になっているのだ。だからこそ,瞬時に理解して怒るということができないわけで。なのに,この半年ほどは湯沸かし器に生まれ変わっていたのだった。

困ったり,悲しんだり,嫌悪感を抱いたり,落ち込んだり,ということはあっても,キレるということはあまりなかった。なんだろうね,キレる,という状態は。自分のしてきたことを思い返しても,相当ひどかったと思うけど,落ち着いている今は,なぜあの時自分をコントロールできなかったのかわからない。というか,自分をコントロールなんてそもそもしたことがないや。まあとにかく,よくわからない。

まあとにかく,毎日の生活の中で,困難だと思ってきたことが少しずつ困難でなくなったんだろう。解決した,一時的に見えなくなった,慣れたことで困難だと思わなくなった,など,追及するとくすぶっている何かを見つけそうなのでやめておく。

 一番うれしいのは,上の子がようやくオムツをとり,幼稚園のプレに慣れてきたこと。連休以来,上の子に一月ぶりに会った母は,たった一ヶ月で自分で排泄できるようなったことや自分の行動を言葉で説明できるようになった様子を見て,子どもの成長に感銘を受けていた。と同時に,数か月のサイクルでどんどん変わっていく子供の一挙手一投足に注目しすぎないようにとのお言葉を頂戴した。