27.3.14

あと一週間

にもかかわらず,引っ越し準備は亀の歩みよりゆっくりのペースで進んでいる。これもみな子供たちの体調不良のせいだ。下の子は夏にRSウイルスにかかって以来,ずっと呼吸器が弱めなのだが,ここにきて気管支炎がかなり悪化した。医師には極力安静にと言われるほど。当然,上の子も同様に風邪の諸症状をみせている。今週は保育園の最終週だから,二人とも一時保育に丸投げして引っ越し準備と最後の延岡生活を楽しもうと思っていたのに,すべておじゃんだ。上の子はいやいやしつつもひどく悪化はしないで踏みとどまってくれているので,なんとか保育園へ任せられるところまできてはいるけれど。下の子もやっと快方にむかっているのがわかるところまできた。もう少しだ。来週の搬出のときには私一人の立ち合いになりそうなので,なんとか二人とも一時保育へ行ってもらわなくてはいけない。この週末は回復への正念場だ。気温はかなり上がってきているし,幸いにも,しばらくは最高・最低気温が24度-10度で推移する予報が出ている。

あー今は城山公園の桜が満開なのに,今年は一度もピクニックしてないよー。くやしいなあ。

19.3.14

青空と電線とハクモクレン

日中、20度を越えるともう上着は片付けてもいいなと思う。

あーーーー引越しの箱詰めがめんどくさいよーーー。詰めるのは、本、くつ、かばん、調理用品、食器、おもちゃあたりか。衣類は延岡でやたらと買い込んだプラスチックコンテナにぶち込めばいいし、ハンガーものは当日にハンガーボックスだ。ほかはB'zの「いらない なにも 捨ててしまおう」だよ。うるとらそぅッ!

頭の中でいろいろとシミュレーションしておかないと取りかかれないし、それがなくてはいろいろ行きつ戻りつしてしまい、大変に非効率になる。が、頭のフル稼働が過ぎると後はくたびれて廃人になるよなあ。

夫の私物以外はほぼ私がやり切ることになるだろう。でも、来週には心強い助っ人である我が妹がまた来てくれる! とりあえずそこまで生き抜こう。

イベント前に体調不良になるのは、子供の仕様ではあるけれども、先週末から続く二人の咳はつらいもんだ。なんで夜に悪化するのかね。なんとかなってー。

14.3.14

年明けからこの方

夫が送別会でそれはそれは大きな花束をもらってきた。普段,花を飾るなんて風雅なことはしないので,我が家には花器がない。仕方ないのでコップで代用。マグカップは重さで安定感が出ていい感じであった。

前のポストの続きである。

この3月で今の延岡生活は終りだ。4月には夫の異動に伴って引っ越しする。 そのため,年末ごろから夫の仕事が急激に忙しくなった。これまでは上の子の育児をほとんど任せてきたので,夕飯後にたった2時間ほどでもその助けがないのは大変だった。

4時に上の子が一時保育から帰宅し,5時に下の子の夕寝のために寝かしつけ,寝ているうちに上の子と二人でお風呂に入る。その間約30分だが,だいたい下の子が起きて泣き始めるので,あやしながら上の子にパジャマを着せる。夕飯の配膳にとりかかれるのは6時ごろ,下の子に離乳食をあげながら上の子が自分で食べるのを時々手伝い,自分のご飯をかきこんで,ごちそうさまの後に下の子に授乳。食卓を片付けて7時。夫が帰宅するまで子供二人と遊ぶ。遅くとも8時に帰宅する夫の食事が終わると,すぐに下の子と一緒にお風呂に入ってもらって8時半に下の子の寝かしつけ。寝室から這い出て上の子と二人で遊び,9時になったら上の子と寝室へ。うまくいけば9時半就寝,そうでなければ10時をすぎることも。やっと上の子が寝てくれたら,下の子の夜泣き対応で3,4回起こされ,そしてまた朝が来る。ああ,読みたくなくなるほどのボリュームだ。

夕飯前に上の子のお風呂をもってきたのが,それまでとの大きな違いだ。こうすれば夕飯後のばたばたは避けられるが,その分面倒なことがいくつもできた。まず,帰宅後に散歩などをする余裕がない。下の子も夕寝をあっさり寝入ってくれればいいが,上の子がそれを邪魔することも多々ある。入浴中も下の子がいつ泣くかわからず,リラックスはできない。ちょうどこのころ,上の子は食べたくない時期に突入して,毎回食事時に泣く。下の子の離乳食に嫉妬しているのかもしれなかった。夫の帰宅後に配膳,下膳もし「なくてはいけない」と思っていた。上の子の就寝時間が,それまではおよそ9:15だったのが後ろにずれ込むことに危機感を抱いた。

家事はもちろん,日中にすべて済ませておいた。上の子が一時保育に預けられない日の分まで,前倒しにした。毎日一生懸命なのに,上の子の癇癪が増えたように思えた。閉塞感が高まっていくのを感じていた。

年が明けて間もなく,夫が異動の内示を受けた。それからだ,私のこの出産後からの不安定さが爆発したのは。ネットの育児がしんどい系の話を読んで,まだまだそこまでは……と自分を慰めてきたが,いよいよ危険な水位まで達してきた。とにかく子供にやさしくできない。そしてできない自分を呪う。気を抜くと涙が出て仕方ない。人と話して気分を紛らわそうにも,自分に対する周りの目が怖くて支援センターへ行けない。かといって夫に頼れない。重症だ。

ある金曜日に,なんとか勇気を奮って市の保健師の相談窓口に電話したら,その日のうちに家庭訪問してくれた。保健師の方は話を聞くしかできなくて申し訳ないと再三言いつつも,心療内科にかかることを勧めてきた。やっぱり医療的に対処すべきレベルかと思いながらも診療所に連絡できたのは週明けとなった。診察の予約はすぐにとれた。診療所では,血液検査などから身体はかなり健康状態がよいが,典型的な育児疲れによる産後鬱であると診断された。とにかく子供から離れること,よく寝ること,薬を飲むこと。抗鬱剤ですぐによくなるものだが,授乳中は飲めない。断乳することで下の子の夜泣きに対応できなくなるのが怖く,受け入れがたかった。結果,医師曰く「非常に効き目は弱く,よくなるまで時間がかかる」漢方薬を処方された。

同じころ,上の子の一時保育を任せている保育園でも冷静でいられないことがあり,様子を見かねた先生方が話をする時間を設けてくれた。そしてその席で,下の子も一時保育に預かってくれることになった。

産後7か月にして,ようやく,急ぐ必要のない自分だけの時間ができた。 


と同時に,上記の「一生懸命」をやめた。

頼れる人がいることがわかったこと,プラシーボ含めた薬効もあって,衝動的に怒鳴り散らすようなことはなくなった。それに,100%母乳育児により離れられないと思っていた下の子と離れられたのが大きかった。保育園で哺乳瓶に慣れさせてくれたおかげで,夫に下の子を預けることに躊躇しなくてよくなった。下の子は2か月ごろから哺乳瓶もミルクの味も全拒否で,どうしようもなかった。夫は授乳をある種アンタッチャブルなものととらえていたらしく,私が「引き受けるしかない」とあきらめを感じながらも下の子を担当するとしてきた姿勢を尊重してくれたのだった。その下の子が今や哺乳瓶を見ると興奮するほどなのだ。 保育園様様である。自分の中で抑圧してきたけれど,下の子に感じるストレスが実は相当なものだったのかもしれない。

通院して一月半がたった。初めて医師に夫に対する愚痴をこぼした。いつも通りふんふんと聞きながら,「初めてここに来た時に比べたら,ずいぶんよくなったね」と。

部屋が片付いていなくてもいいじゃない,いやよくない,子供の就寝時間がずれこんでもいいじゃない,いやよくない,と判断に揺れる場面はまだ多々ある。「まあいいか」と気持ちを流すことの難しさもまだまだ感じている。4月からは夫は激務の職場に入るが,保育園はまず利用できない都会においてどうなることか不安もある。

それでも,春が近づいてきていると信じたい。







この日記は11月に書いていた

話は,前回二回分のポストより前にさかのぼる。

10月は上の子にいらいらすることが多かった。下の子に手を出すなど上の子のなすことなすことにいらいらするのもあったけれど,自分の思った通りに家事が進まないフラストレーションを,上の子にぶつけていたことがとにかく多かったと思う。料理に関しては,惣菜や外食では満足できないし,授乳にも差し障るから,どうしても自力で作らなきゃいけない。が,調理中に子供たちに手が回らなくなって,上の子は手しゃぶりしたよだれまみれの手をその辺になすりつけるし,このころから下の子はぎえーぎえーと耳に来る奇声を発し始めるようになった。掃除はしてもしてもほこりがたまるし,自分の産後の抜け毛が床を散らかし始めて耐えられなくなった。洗濯物を取り込んで畳んでる矢先に,上の子が洗い立てのハンカチでよだれを拭き,下の子がまた耳をつんざく叫び声をあげる。そしてやっとの思いで調理した食事は,上の子のこれいやあれ食べない口からペー床にポイでもう気が狂いそうだった。

上の子との関係改善の為に,保育園からの帰宅後にしばらく車の中に残ってカーステレオでアンパンマンの曲を聴きながら一緒にジュースを飲んだり,夕方の家事を前倒ししてその辺を散歩したり,下の子を早く寝かしつけて上の子と二人で遊ぶ時間を作ったりした。でも,上記の問題が解決されてはいないので,同じことを繰り返していた。

上の子は母が近寄りがたい雰囲気なのはよくわかっている。その分夫に甘えるようになり,だんだん夫の負担が増えてきた。夫に申し訳なく,視線を合わせられなくなった。上の子に怒りたくないけどどうしても怒ってしまうと言い訳めいた愚痴もこぼした。

なんだか逃げ場がなくなった気がして,情けないけれど,友人に愚痴メールを送ってしまった。ありがたいことに温かい返事をもらって,何度も見返した。

そうしたら,その数日後に風邪症状が出た。体調不良が精神に作用していた部分も大いにあったみたいだった(これが前回のポストだ)。家族全員を巻き込み,回復するまでの一週間は家中が暗かった。その後も体調不良時を引き継いで家事は捨て気味のまま低空飛行を続けてきたが,そのためにいらいらする気持ちに変化が出てきた。いらいらすることへの自己嫌悪が強くなってきたのだった。

いらいらは漢方薬で治まる。そんなケースをネットで見て,藁をもすがる思いで産婦人科へ電話した。長らく待たされた後,助産師が話を聞くとのこと。上の子は一時保育中,下の子を連れてすぐに向かった。このとき,母乳の生産量が減っていることにも追い打ちを掛けられていた。

結論から言えば,これでやっと落ち着いた。助産師さんは特段, カウンセリングのようなことをするわけでもなく,一般論で慰めてくれただけだ。上の子は下の子に嫉妬しているのよ。でも下の子がかわいいと思えるならいいじゃないと。こうして下の子を取り上げてくれた方,いろいろと母体の回復でお世話になった方と,あの大変だった出産時を分かってくれる人たちが,この出産の延長線上にあるであろう今の苦しみをまた分かってくれて,一緒に下の子の成長を喜んでくれたのがものすごい救いになった。そして,胸部マッサージで授乳量には問題ないとのこと。これがどれだけ拠り所になったか。

出産時は上の子がアデノウイルスにかかっていて,夫が一人で世話をした。だからお互い様の状況で,むしろ私は産院という安全な場所にいて,その分夫よりは負担が少ない。夫には本当に感謝している。心からそう思っていた。だけど,さみしかったのかもなあ。下の子を産んだことに後悔はないけれど,頼る身内がそばにいない今の状況で二人目を出産し育てるということを,軽く考えていたように思う。

その日,保育園から帰宅後の上の子と二人で遊ぶ時間を最大限とった。家事は病院からの帰宅後に済ませ,夜にも下の子はベビーベッドで寝かせたいなどの将来的な希望よりも,すぐに寝付くことを優先し横になっての授乳で早々に寝かせた。上の子は戸惑っているのか,なかなか私と二人だけでは遊ぶことができず,すぐに夫の傍へ 行ってしまった。それからも二三日は上の子も戸惑ったり私に近づいたり,夫にわがままを言ったり甘えたりしていたが,だんだんと笑顔を見せてくれるようになった。

それと同時に,これまでは怒鳴りつけていたような問題行動を見ても,それほどいらいらしなくなり,小言をやめた。初めはただ意図的にスルーしただけだったが,子自身の意図がわかることが増え,見守る場面もそれに伴い増えた。靴を履きたくないなら裸足で歩いてみればいい。とりこんだ洗濯物に興味があるなら畳んでみればいい。帰宅時に手洗いしたくないなら私が先にやる。食後の歯磨きもそうだ。

先ほど,夫との入浴を終えた子にパジャマを着せて保湿剤をつけようとしたときに,膝の上に乗ってきた。「だっこ,うれしいね」って。久しぶりに上の子の顔を,目を,見た。