29.6.12

もはや産後ではない

それに,もうすぐ赤ちゃんでもなくなる。

明後日には11ヶ月になる子。もうすぐ出産から一年か。この一年はあっと言う間だった。去年の今頃,里帰りして重い体でごろごろしていたな。あのときは長かった。一番長かったのは入院してから出産するまでの二日間だった。あのときは産みの苦しみが永遠に続くような気がした。似た感覚は小学生の頃の長距離走のときにも味わったけど,そんな感じ。それを思うと,怒濤の一年でした。

ここ一ヶ月ほどまたパウンドケーキ(カトルカール)の熱が出てきて,二週に三本ペースで焼いて食べてきた。そして月曜には久々にでっかいプリンを食べた。そのせいか,火曜の夜から初めての乳腺炎にかかってしまった。話では聞いてきたけど,突然症状が出るのね。胸元になんだかしこりがあるな,さわると痛いぞ,などと思っているうちに襲来した寒気。歯の根があわないほどがくがく震え,一時間もしないうちに体温は39度まで上昇した。いろいろ手を尽くすも改善せず,翌朝に産婦人科へ泣きの電話を入れて診療してもらった。根治はしてないが,薬のおかげもあってだいぶマシな状態に。でもしばらくは食べ物に気をつけたいな。

などと思いつつも,今日の昼ご飯はPBJサンドイッチだった。反省がない!

今週から,できるだけ子を児童館へ連れて行くことにした。子の月例の近い顔見知りができ,家よりも広い空間で縦横無尽にずりばいする子を見て,私も子も両方ともにいいことだと思う。他のお母さんや保育士さんたちの子供への接し方は大いに参考になるし,自分の子に多少ともかまってもらえることで私も息抜きできる。家にいるとついつい家事にかまけてしまって子を放置してしまうが,ここではずっと子を見ていられる。まあ毎日弁当作るのめんどくさいけどね。まだ弁当ってレベルでもないけど。子が親の取り分けご飯を食べられるようになれば,あるいは…。吉と出るか凶と出るか。

11.6.12

床の修繕

先月くらいから,急激に台所の床が劣化した。踏むとふかふかする箇所があって,少し勢いをつけて踏み込むと,そのままぶち抜きそうな雰囲気。穴が開く前に修繕することになった。

で,今日一日で作業が完了した。

台所スペースだけと狭い範囲だが,冷蔵庫や食器棚,炊飯器などは動かさなくてはならず,なかなかの重労働であったと思われる。業者の方がきちんと養生してやってくれたのでありがたい。シンク下は対象外のため,調理用具の撤去も不要だったので助かった。細かいものを詰め込んでいるのが完全に仇になっている。断捨離がもっとも難しい場所,台所。だってなにもかも必要だもん。

それにしても,床をはいだらそこは地面だったとは。そりゃ冬は寒いわけだよ……。びふぉーあふたーなんかでは,基礎にコンクリを流し込んで吸湿剤なんかを撒いたりしてるけど,たぶんそういうことはやってないんだろうな,この画像からすると。

4.6.12

つかれた

ついに梅雨入りした。洗濯好き(特に,日光に当てて乾かすことに喜びを感じるタイプ) にはつらい季節だ。天気予報を見ては,次の晴れ予報を期待しながらも裏切られてため息をつく日々である。コインランドリーは車の距離にしかないし,歩けない子と行くのは難儀だ。梅雨明けするか除湿器を導入するしかない。

そんなわけで,日々のルーチンが回らないと気持ちも鬱々としてくる。その程度のことで気が沈むほど暇だってことか,と自嘲したりして。はああ。

雨降りで外が暗いと子の生活リズムも狂いがちで,しばらくは順調だった寝かしつけも,また号泣して大反抗される。布団におろすと大号泣,そのくせに起こすと眠気がひどくて泣きわめく。ねむけりゃねりゃいいのに。寝かしつけに苦労しないという話は時々聞くが,うらやましいものだ。多ければこういうのが一日三回。運が悪ければ寝起きも号泣。もう朝が来るのが恐いくらいだ。目が覚めている間は,多少の後追いがあるものの一人遊びができて,手がかからないのだが。今だけの問題だと意識を切り替えて状況を俯瞰すれば余裕が出ることもあるが,辛い渦中はどうしようもない。こんなときふと実家に帰りたくなる。遠いから無理だけど。

こんな時は現実逃避に限る。たとえそれが睡眠時間を削って翌朝に疲れを引きずることになろうとも,刹那的になってやる。てなわけで,「幼年期の終わり」読了。原題は"Childhood's End"。TM Networkの2nd アルバムのタイトルじゃないか。やっと元ネタを読んだ。あのアルバムは過渡期を表しているということだったが,それじゃあ本は読んでないんじゃないの? なんて思ったりして。この本では宇宙人と地球人が出会い,どうなっていったかが描かれている。光文社の新訳版だったからか非常に読みやすく,世界観に入り込めないのではというSFものへの危惧は杞憂だった。ともかく,これはおもしろかった。文字として認識すると同時に,頭の中で像が結ばれ,まるで映像を見ているかのように読み進んだ。没頭するとこういう読み方ができるが,久しぶりに体験した。子供の頃はよくこうして読んだものだけど。

最近,参考にしている読書ブログに「この本を未読の人がうらやましい,こんなにおもしろい本をこれから楽しめるなんて」といった趣旨のポストがあり,興味をもっていたのだ。確かに1954年に書かれたにしては現代でも遜色なく読め,名作だと言えるだろう。

先週,60億年後に我々の属する天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突するとのニュースが流れた。宇宙には広さなんて概念ではとらえられないほどの途方もない空間が広がっていて,銀河一つでさえその規模が感覚的に掴めない。太陽系だって各惑星の距離と星の大きさがあると何度も見返してしまう。自分という存在が,そのうちの地球の一点にしかなっていないなんて,宇宙と比較するとなんとちっぽけなんだろう。そして必ず宇宙の大きさに意識が戻り,なんとも気が狂いそうになる。60億年後という時間にも同じ気持ちを抱く。その前には太陽の寿命が尽き,巨大化するのに巻き込まれて地球は滅びるであろうが,もちろんそのときには私はこの世にいない。そもそも人類もその頃にはまた違った生命に進化しているかもしれないし,あるいは滅びているかもしれない。こうなると急に,道しるべも道さえもない,まっさらな空間に取り残されている気分になるなあ。くらくらする。くらくらしているまま今日は寝よう。