28.3.11

東京最終週

今週末に今の住まいを引き払うため、先週末からパッキングに大わらわである。しかしながら持つべきものは転勤族経験豊富な身内で、日曜のたった数時間でみるみるうちに雑多なものたちが箱に収められていった。まるで初めからそこにしまわれるべきだったかのように。残りは洗面用品や食品など最後まで使うものばかりだが、これらもまた箱詰めする段になると、きっと想像より量が増えていくのだろう。恐ろしいことだ。

先週の平日に銀座まで足を伸ばした。夕方だったのでついでに夕食もその辺でとろうかと目当ての店に向かったが、テナントとして入っているビル全体が6時閉店で運営していた。よくよく周りを見渡すと、4丁目交差点も数寄屋橋付近もなんだか暗い。人通りも少なくなっている気がする。なんとか別の店で食事にありつけたものの、以前は満席当たり前だったこの店にも、私たちが食事している間には5組しか入らなかった。自粛ムードが日本経済を停滞させるとは最近よく聞く話であるが、確かにそうかもと思う。特に都心では先週の帰宅パニック以降の早帰りの傾向が拍車をかけているのかもしれない。家の近所だと実感がなかったが、やや郊外の住宅地という立地だからこそ飲食店も活気があるのだろう。あの暗い街並みが未来を暗示していないといいのだけれど。

そんなめまぐるしい状況の中で半年後には家族が一人増えているかと思うと、未だに不思議な気分になる。会えるときには約3kgにまで大きくなると、今と比べると10倍の重さだ。 生きるってすごいことだな。これで、去年の秋頃に再会した友人に打ち明けた二つの野望のうち、一つはなんとかなりそうだ。もう一つは、まだ足踏み状態だけれど何らかの形で前進したいなぁ。

23.3.11

家の中が寒い

家がゆりかごの様にゆさぶられてから10日以上が過ぎた。東京は無事だったけれど、しばらくは家の揺れが怖かった。鉄筋の建物がどうして左右に揺さぶられるのか、想像を超えている。普段は全然つけていないテレビをずーっとつけてきたが、先の三連休でそんな日々も終わりいつも通りの生活に戻った。被害に遭った友人の地域では電気と水が復旧したと聞いた。鉄道や高速道路も整備し直されるなど、復旧の二文字を聞くたびに迅速に対応している多くの人々への賛辞が湧いてくる。多くの被災地ではまだまだ大変な日々が続くであろうが、一日も早く安寧の日々が取り戻せるといいなと願う。

さて、これからは引っ越し準備をしなきゃいけないんだけれど、平日はなんとなく何も進まない。今残っているのは細かくて始末が面倒な衣類と食器・調理器具。断断捨離捨離と呪文のように唱えながら物を処分していくと、だんだん空しさを感じてくる。欲しいと思って入手したはずなのに。物欲とはなんとむなしいものよ。最後には自分の脳内にあるものにしか価値を感じなくなりそう。

担々麺を作った。少し前まで食べたくて仕方なかった「液体が少なくちょっとどろっとしたソースが絡まってる麺」はこれだったのか! と目が覚める思い。以前、レストランで食べたのはかん水なしの小麦粉のストレート麺だったので乾麺のうどんやそうめんで試したりもしたけど、やっぱり中華麺がおいしかった。かん水最高。今更ながら入手した桃ラーの具で、トッピング具材としてのナッツ類を代替できるのもよい感じ。炸醤さえあればインスタントラーメンばりにすぐ作れるのはすばらしいことよ。

9.3.11

都会ショック

来る都落ちに向けて、ここぞとばかりに人と会って飲み食いばかりしている今日この頃。つきあってくれる人たちがいるのはありがたい事よ。

今日は久しぶりに新宿に出た。ここ半年で一度くらいしか来ていない街、新宿。人の多さもネオンの数も、伊勢丹の棚揃えのすばらしさも、もう何もかもに圧倒されてしまった。3年前まではよく立ち寄ってたのになぁ。すっかり田舎者マインドが復活している。待ち合わせの2時間前に到着したのに、ついつい大部分の時間を本屋に費やした。映画館とか美術館とかいろいろあるのに、結局は紀伊國屋頼みだよ。考えてみれば、よく来ていた3年前までも似たような過ごし方しかしていない。別に問題じゃないな。

しかし伊勢丹の地下の食品コーナーは、まるで一階の有名ブランドテナントが並ぶのと同じようで興奮した。食品もブランド化してる感じ。商品がみんなすばらしく見えてくるね。買い物魂に火がついたなぁ。