26.7.09

Landmarks Festival at the Shell

ボストンを拠点にするオケの1つにLandmark Orchestraがある。市民へ良い音楽を広めることを目的に無料でコンサートを開いている。7月から9月の半ばまでチャールズ河畔の屋外ホールであるHatch Shellで毎週水曜の夜に演奏するため,この日は二度目の鑑賞をしに出かけた。

…だったのだが,雨が降りそうだったために雨天用会場に変更になり,しかもその場所がわからず行けず。近所にあるパブリックガーデンで持参したサンドイッチを食し帰宅。

その前の週はいい天気だった。その日はノースエンドの〈Daily Catch〉でイカスミパスタのアルフレドソースとペペロンチーノを食し,1830に会場に到着。Shellの真ん前は芝生敷きのためみな折りたたみイスと敷物持参でピクニックしている! タングルウッドでも同じ景色を見たなぁ。そんなことはつゆ知らず何も持たずに来たため,腰を下ろせる場所を探すがベンチは当然のことながらすべて埋まっていた。緑地の端にある偉人の像の台座にわずかなスペースを見つけるも,すぐそばを走る道路の騒音が非常に気になった。最終的に一脚$5の折りたたみイスを借りた。

曲目は「チェロ協奏曲第1番(ハイドン)」と「交響曲第1番(ブラームス)」。アンコールに2曲あったが1曲目は失念。2曲目はハンガリー舞曲。オケの人数はそんなに多くないもののなかなかの演奏だった。CDでしか聞いたことのなかったブラームスの1番を生で聞けたのは嬉しかった。アンコールのハンガリー舞曲は非常に有名な曲とあって観客総立ち。曲の演奏の前には指揮者自ら曲の解説もしてくれ,屋外で気軽に聞けるのみならず勉強にもなるいいコンサートだった。

毎回このオケが演奏するわけでなく,指揮者が指導するユースオケや近隣の大学オケが演奏することもある様子。また来ようと思った。

で,再度訪れたら冒頭のようなことになってしまったのであった。

24.7.09

タングルウッド音楽祭,再び

母がボストンに来た際に一度訪れた半野外コンサートに,今度は夜に行ってきた。幸いこの日も良い天気。この日はタングルウッドに係るすべての団体が演奏する,年に一度のお祭りの日「Tanglewood on Parade」が開催された。

タングルウッドとは,マサチューセッツ州の西の果てにあるボストン交響楽団の私有地で,広大な芝生地に屋根付きの舞台やソニーの大賀会長が寄付して作った小澤征爾ホール,オペラ用ホール等の施設を備えている場所。夏の間はボストン交響楽団がここに滞在して毎日のようにコンサートをしている。

ボストンにはボストンポップスオーケストラという別の団体もある。構成員はボストン交響楽団と重なっているのだが,夏の間にポップスなど軽い音楽を中心に演奏する目的で設立された。彼らも夏の期間,タングルウッドで公演する。

またタングルウッドミュージックセンターとして,優秀な若手演奏者達を集めて指導する機会も設けているらしい。フェローの多くはアメリカ人だが,中には日本人や中国人なども見られた。

タングルウッドの脇にはボストン大学のタングルウッドインスティテュートがあり,ユースオーケストラの指導も行っているとか。

Tanglewood on Paradeでは,上記4団体がそれぞれ,または合同で,昼の2時から夜8時半開始のガーラコンサートまで,十数もの演奏イベントがあった。

タングルウッドの醍醐味は,コンサート会場の後ろが開放してあるため,外側の芝生の上でピクニックをしながら音楽を楽しむことらしい。しかも,かなり気合いの入ったピクニックをしている人が多い。野外で使える折りたたみイスに腰掛けて,折りたたみ机の上にワイングラスと花を飾り,日暮れに備えてろうそくの準備も万端。

私たちはこの日は都合によりガーラコンサートのチケットを購入し,8時に到着。前に昼に来たときには芝生は半分ほどしか埋まっていなかったが,この日は芋を洗うような状態。芝生の端でささやかに弁当を食し,席へ移動した。

曲目はボストン交響楽団の「ウィリアムテル序曲(ロッシーニ)」から始まり,木管楽器のイントロが美しい「ルーマニア狂詩曲1番(エネスク)」。タングルウッドミュージックセンターの若手オーケストラに替わっての「ウェストサイド物語からシンフォニック・ダンス(バーンスタイン)」。ボストンポップスオーケストラによるやや難解な「小澤征爾に捧げる(ウィリアム)」,本物の政治家が登場してリンカーンに関するエピソードを交えた「リンカーンの肖像(コプランド)」。そして最後にボストン交響楽団とタングルウッドミュージックセンターオーケストラの合同という大編成で「序曲1812年(チャイコフスキー)」。指揮者は常任指揮者と客演指揮者の5人が登場したが,いずれもすばらしい演奏だった。特に最後の曲は,チェロ20台,コントラバス10台,バイオリン無数,ビオラ数えられないくらいという体制だったけれど,パート毎に1つの音に聞こえるのに感動した。演奏家の腕もすごいが,それをまとめあげる指揮者は何よりすごいと思い知った。

今回の曲は,1曲目,3曲目,6曲目は誰もが知っている超有名曲。でも,聞いたことがあるのは全部で数十分にわたる曲の中でもごく一部のフレーズだけとい うことが多い。1曲目では第4部の「スイス軍の行進」のファンファーレが鳴り響くと,「あぁーこの曲か」と突如会場がざわついていたのが印象深い。

私たちの席は後ろから3列目だが舞台正面。会場の真ん中には舞台の映像が映されていたため,各演奏家の細かい仕草まで見えたのがおもしろかった。ティンパニが演奏中にピッチの確認をしていたり,オーボエのリードを急いで交換していたり…。

そして終盤,「序曲1812年」の最も盛り上がるタイミングで背後で花火が上がった。が,屋根と木のせいで全く見えず。芝生席にいる人は見えたのか? 木が多いので見づらいのではと推測する。

前回の帰宅時に大渋滞となったことを思い出し,コンサート後もうち上げられる花火を振り返り見ながら駐車場に急ぎ午後11時半には出発。家に着いたのは午前1時半頃だった。もうちょっと近いと良いなー。もう一度くらい行きたい。

22.7.09

ホエールウォッチングとバンカーヒル

翌日の天気予報が快晴だったので,勢いでホエールウォッチングをオンライン予約し行ってきた。天候には非常に恵まれむしろ蒸し暑いほど。乗船30分前には桟橋前にすでに行列が出来ており,観光客のやる気あるいは座席をねらう意欲が感じられた。

船は高速双胴船で2階まで船室がありデッキは3階まで上がることが可能だが,3階は座席がなかった。席を求めて2階へ上がったが,後から思えば1階にいるべきだった。鯨は水中にいるから,一番近寄れるのは1階だ…。

事前に,見られなかったらタダ券あげます的な100%保証があったとおり,1時間ほど沖まで出ると数頭の鯨が寄ってきた。船になれているのか船の航路に並行して泳ぎ,3,4回潮を噴き上げると尾びれを翻して水中に潜る。それほど水が濁っておらず,船の脇にいる時には鯨の白い腹がうっすらと見られた。

それにしても,外海まで行くために船は揺れた。船酔いに弱いため座席とデッキをかなり往復してなんとか乗り切った。船室には同様に倒れ込んでいる人もちらほら。アラスカ旅行時の船は湾内だったから全く揺れず快適だったが,やはり海となると話が違う。ポイントまでの行き帰りもかなり揺れたが睡眠で港に入るまでを乗り切った。

海から見るボストンは少し横浜に似ていると思った。

ホエールウォッチングは3時間ほどで終わるため,午後はフリーダムトレイルの後半を歩くことにした。アメリカ建国に関する史跡を巡るトレイルの終点は,独立戦争の激戦地だったバンカーヒルの塔だ。しかし,チャールズ川を渡った向こう側にあるためちょっと遠い。母が来たときにフリーダムトレイルを少し辿ったが,とてもそこまで歩かせられなかったし私自身歩けなかったため,延期することにしたのだった。

暑い日の午後,交通量の多い幹線道路の脇や住宅街を抜けてバンカーヒルに到着すると,歴史的コスチュームの人が手にしている銃の説明をしていた。精度は低く扱いが大変だがそれでも重要な武器だった様子。

塔の中に入り登ったよ,300段。こういうモニュメントにありがちだが,必ず螺旋階段だ。階段を上るというのは非常に単純な動作の繰り返しだが,幼い頃からこういうことをしているとだんだん自分が何をしているのかわからないような,おかしな気分になってくる。不意に段の高さがわからなくなって踏み越えそうになったりつま先が段に当たって痛い思いをしたりとちょっとつらかった。

登り切ると非常に狭い空間だった。四方に小窓の枠が切ってあり,おそらく当時使われたであろう銃を支えるホルダーがある。ここでイギリス軍を見張っていたのかと思うと,同じ視線で今は観光として街を見下ろしている自分と比較して,なんとも不思議な気分になった。

また気が変になりそうになりながらも300段降りると,先ほどのガイドの人がちょうど銃のデモンストレーションとして実際に撃っていた。鼓膜に響く銃声にびっくり。一回打つ毎に銃身を解体して何かしていたのが印象深い。火縄銃もそうだけど,昔の長い銃は一発撃つのも大変なようだ。

フリーダムトレイルを逆に辿り,市庁舎付近まで戻ってきて電車で帰宅。よく歩いたなあ。


・上左…フリーダムトレイル中から見えるバンカーヒル
・上中…緑と近代的な建物と古い時計塔が同居するボストンの町中
・上右…船から見たボストン。NYCの自由の女神フェリーからの風景と似ている
・下…バンカーヒルからの眺め

21.7.09

母来る

先週半ばに母がこちらを訪れ,帰って行った。4泊6日の旅だ。母にとっては初めての海外旅行なのに,妹の都合が合わず,一人旅となってしまった。しかも,飛行機に乗るのは二度目ときた。特に言語の心配もあって,こちらに来ると決めてからこれまでにない頻度で,飛行機の乗り方と入国の仕方について確認の電話がかかってきたりもした。確かに入管の審査は怖いだろう。私も初めて海外に行ったときは怖かった(成田の出国審査すらちょっと怖かった)。しかし,実際にふたを開けてみれば入国審査はカンペで乗り切り,検疫通過時にわけのわからない質問をされたときには,飛行機で隣に座った三重県滞在中の米国青年に助けられ,そのまま彼に乗り継ぎ便のゲートまで案内してもらい,問題なくボストンまで到着。案ずるより産むが易しとは正にこのこと。あえて困ったことと言えば,ボストン空港で出口までの通路が長すぎて不安になり,降りたエスカレーターをまた上がるという楽しい行動に出てくれたおかげで,出迎えに待っていた我々の待機時間が延長されたことくらいか。

これまで必死に家をセットアップしていたのは,母が我が家に滞在することになっていたからだ。母が家で一番感動していたのは,蛇口レバーを上げればお湯がでること。実家でももちろんお湯は使えるが,都度ガス湯沸かし装置をオンにしなければいけないし,いつまでもオフにしないとガス会社から確認の連絡が来る。まあ,集合住宅と一軒家の違いに過ぎないと思うけど。

さて4泊6日では,正味3日間とれる。初日はボストン観光の基本である,フリーダムトレイルに沿った散歩。二日目はボストンを見渡せるプルデンシャルタワーの展望回廊とイザベラ・ガードナー美術館,ボストン美術館。三日目はタングルウッドで開かれているボストン交響楽団の夏のコンサート鑑賞。その合間にロブスターを食べたり,中華街でホタテのあんかけチャーハンを食べたり,フードコートでフォーを食べたりした(しかし,母が一番感動していたのは冷蔵庫にあったSimply Orangeのオレンジジュースであった)。大型生活用品店Targetもオーガニック風スーパーWhole Foodsも一般スーパーShaw'sも行った。おおお,盛りだくさんだ。

私にとっても,ボストン観光はこれが初めて。中でもコンサートはよかったなぁ。久しぶりのクラシック,しかもプロ。一曲目の出だしで鳥肌が立った。うまかったな。プロに対してうまいってのも失礼な話だが,なかなか安心して聞けないのだ。ピッチが合わないんじゃないか,変なノイズが聞こえるんじゃないか…ってね。昔,吹奏楽部にいたことや,その後学生オケなどのアマオケのコンサートしか行ったことがなかったことが尾を引いている気がする。こんなに安心して聞けたのは初めてかも。オケについて勉強したくなった。

初め二日は歩き通し,三日目はマサチューセッツ州の東の端から西の果てまで運転し通し(片道3時間強),疲れすぎて母との再会に感慨深くなる暇もなかったが,空港へ見送りセキュリティゲートの先に消えるときにはちょっと寂しさを感じた。

8.7.09

氷河地形系ナショナルパーク行脚 その7(完)

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5/29-6/14のイエローストーンNPおよびアラスカ旅行を振り返る。
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▼6/10 Wed ひたすら移動

楽しい登山の旅も終わり,ついに最後の目的地であるデナリNPへ向かって北上する。マッキンリー登山の基地として昔から栄えるタルキートナで一泊し,翌朝からデナリへ向かう計画だ。スワードからタルキートナまで約450km。

アンカレジへ向かって交通量が増し,アンカレジから遠ざかるにつれ減っていくのと反比例して,ガソリン代が高騰していく。イエローストーンでも$2.8/gallonに驚いたが,アラスカにおいてはこれがアンカレジ価格であった(最終的には$3.6/gallonまで上がった)。石油の採掘はアラスカの一大産業のはずなのに不思議だ。幹線道路沿いにマッキンリー山を眺めるポイントがあったが,晴れているのにもやがかかっていてよく見えず。遠いこともあって写真なんてもってのほか。なんとなく,あれかー,と指さす程度。

スワードを出て約6時間後にタルキートナ着。久々にパブの屋外席で,午後の黄色がかった日の光を浴びながらアラスカビールを飲んで,かわいらしいロッジながら蚊に悩まされて就寝。大変だった。

▼6/11, 12, 13 デナリNP  

デナリNPは四国ほどの面積をもつ国立公園。道路は公園の入り口から西の果てのカンティシュナまで一本走るだけ。カンティシュナはこの地が国立公園に指定される以前に金鉱が発見され,ゴールドラッシュにより入植された集落。とはいっても,現在はロッジが数件あるだけで金鉱堀りの現地人がいるわけではない。この道路は原則として自家用車は入れず,バスに乗って移動する。バスはキャンプ場と5カ所ほどの見所に停車するほか、ドライバーに頼めばどこでも乗り降り可能。

天気が良ければ、遠くにマッキンリー山の属するアラスカ山脈が見える。道路はずっとこの山脈に平行しているが、マッキンリー山が見えるバス停はアイルソンビジターセンターとワンダーレイクの2カ所。それぞれ、バスで片道5時間、6時間の距離にある。ものすごい時間がかかるが、崖沿いの道路は未舗装で時速40kmでも怖いと思うほどなので仕方ない。

3日間あったため、初日にアイルソンビジターセンターまで行って概要をつかみ、残りの日は気になったところを復習することにした。結果から言えば、天気が良かったのはこの日だけだったのでワンダーレイクまで行くべきだった。それでも午後には雲が出てきて、マッキンリーはよく見えなかったのだった。遠すぎたからまあいいかと思っている。山そのものよりも、山脈とその麓の谷が一望できたのがよかった。谷大好き。

デナリはあまりに自然すぎて、奥地はトレイルさえ敷いていない。ビジターセンターでは等高線の書かれた地図とおすすめルートを指導されるらしい。リアル登山だ。そんなわけでたくさんの野生動物がいる。体長2mを越える個体もあるというヒグマ、ボールドイーグル、足の白いアラスカウサギ、 ムース、野生のトナカイ…。でも、これらをよく見られるようになるのは8月末から9月、秋と聞く。
熊はデナリでは比較的よく見られたけれど。バスの隣を歩いていたりして、長生きする分慣れているのかもしれないなぁ。ビジターセンターの近辺 に現れたときは、レンジャーの人が観光客が近づかないよう最新の注意を払っていたので、車に乗っているのと丸腰でいるのとは訳が違うだろうけど。


この旅行を通じて、ムースなどの偶蹄目の雄は数えるほどしか見られなかった。それでも、一度遊歩道沿いに現れてびっくりした。ムースは熊よりも獰猛らしく、とにかく興奮させないように逃げろという注意書きを何度も見たなぁ。2m以上あって大きいんだよね、ムース。

ウサギは自家用車が入れるゾーンの終盤にたくさん現れて、轢きそうになって困った。臆病なくせに飛び出してくるんだ、あいつ。


どうしても見たかったのはビーバー。グランドティトンでビーバーと勘違いしてマスクラットを喜んで観察してしまったのが悔しかったのだ。でもそう簡単に現れてくれない。ビーバーダムはたくさんあるが、完成しているものは昨年の冬に活用されたもので、今は建設の季節だ。


木こりの跡はたくさん見たが、削っているところは見られなかったなぁ。結構太い木を削り倒しているが、ビーバーごときに木を運べるわけもなく、運良く池側に倒れた木があればそれを使うという感じ。ひょっとしたら、ここから削り倒して小さくして運ぶのかもしれないけど。

で、結局3日間ビーバー池へ通い、3日目に2時間待ってやっと発見したのであった。どうやら夕方から活動するらしい。午後9時に雨の中じっと待っているのはつらかったなぁ。本物のビーバーは体長が長く尾も平坦で、明らかにマスクラットとは異なる風体をしているのだった。


▼6/14 ひたすら帰る

アンカレジ発の飛行機は夜9時の便。デナリからアンカレジまで4時間ほど運転し、車を返してダウンタウンで昼食を食べ、空港に移動し無事にアラスカを発った。東に向かって移動すると時差の分だけ損している気がする。NYでバスに乗り換え、翌日16時にやっとイサカに帰ってきた。いやー遠かった遠かった。何がつらいかって、NYCで終わらないところだ。せめてシラキュース発着にすればよかった…。


7.7.09

氷河地形系ナショナルパーク行脚 その6

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5/29-6/14のイエローストーンNPおよびアラスカ旅行を振り返る。
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▼6/9 Tue 歩いて氷河を見る2

今回の旅行では,イエローストーンNPやグランドティトンNPで慣れないキャビンに泊まったり,トレイルを歩いたり,アラスカに来てからは登山スティックまで買って急峻な(でも短い)丘を駆け上がってみたりしたが,これらはすべてこの日のための練習であった。

アンカレジの南に延びるキナイ半島はその半分がキナイ・フィヨルドNPとなっているが,公園内にアクセスする手段が少ない。カヌーに乗って海から回るか,あるいは,このスワードの近辺に伸びるエグジット氷河の脇を登山するかだ。そして,この約15kmのハイキングをしてきた。

エグジット氷河は山間部の氷河で海ではなく地表に川となって流れ出ている。大昔は海に面していたかもしれないが,約50年前の発見時に比べ現在は数キロの単位で後退しており,原因は温暖化と言われている。氷河は雪が降り積もり,押し固まってできた氷の流れだ。そのため,落葉樹の森林が生い茂るその脇に氷河があるという光景も珍しくない。氷のそばで温帯のような暖かさを感じることができるのだ。

さて,このエグジット氷河の登山道は,地表が見える地点までは地元の高校生が整備しているらしい。傾斜のきつい山肌をくねくねとトレイルが敷いてあり,ときに岩が階段状に組んであったり,トレイルの脇に養生中のため踏み込まないようにとのサインがあったりと,手が入っているなぁと思いながら登っていくことになる。

木の背の高さがだんだん低くなり,果てには地表を這うような草もまばらになると,目の前に広がるのは雪に覆われた斜面だ。ここまで単純に登ってくるだけでも疲れたのに,これから先は雪に足を取られる。このとき,スティックがあって助かったと心から思った。登山客は少なくないようで,トレイルを示す小さな旗から旗を巡って雪上には多くの足跡がついていたが,それに従っても時々溶けた雪にはまりこむことがある。加えて致命的だったのはサングラスを持って行かなかったこと。どうしても雪をじっと見つめて歩き続けなくてはならず,しかもこの日は雲がほとんどない快晴で,反射する光の目への刺激がひどかった。

それでも4時間かけて頂上に到着。山頂から果てなく続く峰には雪が降り積もり一面の雪原だった。かろうじて雪が溶けて岩肌が見えている場所に腰を下ろして休憩。雪は音を吸い込むというけれど,本当に何も音がしない世界だった。足下には氷河が山肌を滑り始めるであろう場所があり,視線を遠くにやれば空との境まで雪が続く。照りつける陽光は痛いほどであるのに,肌をすべる風は冷たい。すべてがあってなにもない世界だと思った。

帰り道,すれ違ったレンジャーから登山道の途中に熊が出たと聞かされた。どうやら他の登山客に注意を喚起しに行くらしい。念のためにつけた熊よけの鈴が役に立ったのか,私たちは一度も野生動物に遭わずに無事下山できた。

6.7.09

氷河地形系ナショナルパーク行脚 その5

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5/29-6/14のイエローストーンNPおよびアラスカ旅行を振り返る。
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さて,アラスカである。アラスカは広い。アメリカで一番大きな州だ。観光でポピュラーなのは,アンカレジ(右地図青ポイント),その南部の夏でも氷河が見られるフィヨルドエリア(黄・ピンクポイント),中南部に位置する北米最高峰のマッキンリー山(黄鋲)を囲むデナリ国立公園であろう。他にも多くの国立公園があるが,車ではアクセスできずセスナ機でのみとか,ツアーもカヌーで川を下りながらキャンプ一週間とか,そういった本格的なマウンテニアリングをしたことのない我らには敷居が高すぎた。そんなわけで,初めに挙げた三カ所に絞ったのであった。しかも,アラスカをゾーニングすると,それらは全部同じ地域(アラスカ中南部)に収まってしまうというのもまた恐ろしい。これしきの旅行で,アラスカを訪れたと言って良いのか,ちょっと悩む。

▼6/7 Sun アラスカ鉄道に乗る&船から氷河を見る(青→黄→青)

氷河を見るには,クルージングが最も手っ取り早く,かつポピュラーな方法だ。中にはシアトルからアラスカへ一週間の豪華客船クルージングツアーなんてのもあるが,私たちはクルージングの基地であるウィッティア発着の日帰りツアーに乗った。

アンカレジからウィッティアまではおよそ160km。ここで一日一往復のアンカレジ鉄道を利用した。車社会のアメリカにおいて,電車に乗るのは初めて。ちょっとわくわくしていたのだけど,この電車すげー遅い。自転車をゆっくり追い抜くほどの速度で走る。途中,線路にムースが出たとのことで謎の停車もし,気がついた一部の乗客がカメラ片手に異様に盛り上がっていた。

プリンスウィリアムサウンド(サウンドは入り江の意)を一周しながら,10数個の氷河を見る。氷河の氷は,雪が80%の空気を含んでいるのに対し,40%ほどになるほど圧縮されているため遠くからでは青く見える。溶け出す水も深い緑色をしていて美しい。氷河に船が近づくと,気温が下がっていく。この日は雲1つない快晴で日差しが照りつけて痛いくらいだったが,肌を切る風が急激に冷たくなっていくのが分かる。氷河の真ん前でしばし停船すると,氷河の上部は雪で覆われていることもあって,本当に静かだった。時折,ぴしぴしっと聞こえたかと思うと,水辺にせり出した氷河の端が崩れ落ちる。大きな崩落があると,みんな息をのんで見守っていた。

昼過ぎに始まったこのクルージングは昼食もおやつも付いて夕方には帰港。ウィッティアはもともと第二次大戦中の対日本専用隠れ基地だったため,今もそれほど産業がない様子で観光地としてはそれほど発展していなかった。帰りの電車は9時にアンカレジ着。まだ明るかったため,ダウンタウンのパブでアラスカビールとアラスカンサーモンのクリームパスタを食す。これはおいしかった。サーモンの新鮮さも良かったが,料理がおいしいパブであった。徒歩でホテルへ戻り,明るい空を見ながら就寝。

▼6/8 Mon 歩いて氷河を見る1(青→黄→ピンク)

空港レンタカーの空港使用料約200ドルを節約するために,ダウンタウンのホテル近隣のレンタカーオフィスで車を借りる。事前にコンパクトカーを,とお願いしていたのに,今用意できる車はシボレーのコンパクトカーかピックアップトラックのいずれかしかないとのこと。トラックなんてとんでもない! もちろんコンパクトカーです。旅行が終わった今になって思えば,トラックは運転席が高いので見晴らしが良いはずで,通行量の少ないアラスカでは運転をおそれるほどではなかったかもしれない。

アンカレジ市内の山具用品店REI等で虫除けスプレーやウォーキングスティックを一本購入し,昨日のアラスカ鉄道の線路と並行して走る唯一の幹線道路を南に向かう。まずはウィッティア近隣のバイロン氷河トレイルへ。ここは往復で3キロほどのトレイル。初挑戦にはちょうど良い距離ではある。距離はね。トレイルヘッドに駐車場があるため,靴をハイキングシューズに履き替え,いざ出発。

しばらくは,普通にトレイルだった。砂利道ではあるが,左右は背丈が私くらいの草本に囲まれているので,きちんと整備されている。が,突然道が終わり,目の前一面が雪で覆われた。ここから先は整備してません,とは事前情報で知っていたが,本当に雪原だった。雪原状に足跡が多く残っていてそれに従って進むが,どこが雪だまりか全く分からない。途中で岩がごろごろしている地帯まで来ると,正面の山々の谷間に氷河が見える。先客の親子連れがランチ中であった。我らも適当な岩に登ろうかと一歩踏み出した瞬間,彼が太ももまで溝にはまった。このとき,せっかく買ったスティックを持ってきていなかったのが痛い。幸いにも,彼は無事に雪から抜け出せたが,私がすっかり及び腰になってしまい,それ以上氷河に近づくのはやめて戻ることにした。

次はポーテージ氷河を見るためのトレイル,ポーテージパスへ。この氷河はポーテージ湖に面した氷河であるが,船に乗るかトレイルを歩くかしなければ見ることができない。ポーテージにはビジターセンターがあったため,何か情報がないか尋ねてみた。が,あまり要領を得ない回答。どうやら,トレイルを頻繁に歩くようなレンジャーは配置されていないらしい。まあ行ってみれば? ということだったので,じゃあ行ってみるかということに。

このポーテージ湖脇からウィッティアに抜けるには,電車・自動車両用の一方通行トンネルを抜ける必要がある。毎時00分はウィッティア行き,30分は逆方向に流れるが,トンネルに入れるのはそれぞれ15分,45分まで。3マイルほどあるのに制限速度が時速25マイルなので,結構時間がかかるのだ。内部の様子は電車ではよく分からなかったが,自動車でだとよく分かる。鉄道の軌道の上を走ると,タイヤが溝にはまっているような,いないような気持ち悪い感じがした。また,トンネルの内部は岩がむき出しになっていて,崩落の危険はないのだろうけど,やや怖い。

トンネルを抜けてすぐ,何も表示がない砂利道に向かって線路を踏み越えてポーテージパスのトレイルヘッドに到着。ここも初めはバイロンと同じく普通のトレイル。しかし急に上り坂が始まり,すぐにとんでもない角度になった。砂利の間をちろちろと流れてくる水も気がかりだ。息が上がりながら歩を進めると,またも道が雪に覆われた。ただ,少し歩けば雪がとぎれ再びトレイルが始まる。バイロンと違って山道であったのだ。今度はスティックを持ってきたので,慎重に雪のあちこちに刺しながら地面を確認して進んだ。ただ,一本しかなかったので私が常用し,彼は怖い思いをしたことだろう。時々,崖側に雪が積もって谷に向かって遮る物が何もない場所もあったから。

なんとか登り切ると,小さな花が咲く小高い丘が広がっていた。ここまでで約2キロもない。歩いた距離はたいしたことないが,一気に登り切った上,雪で足下がおぼつかなく非常に疲れた。ややかすんでいるが,向こうにポーテージ湖と氷河が見える。鳥のさえずりを聞きながら,しばし休憩。相変わらずの晴天で日差しは暑かったが,氷河を吹き降りてくる風のせいか涼しかった。トレイルはポーテージ湖脇まで続くが,ここで我々は引き返すことにした。

ウィッティアを出て,さらに南へ進み本日の宿のあるスワードへ。途中,道の脇にムースが出現した。スワードは小さいものの街であった。さすが不凍港。唯一のスーパーで夕食にサーモンスシを買う。サーモンは悪くないが,いかんせんご飯が大きすぎた。

4th of July

7/4は独立記念日。各地でHappy Birthday America! と祝う日。独立の先鋒のボストンでも,様々なイベントが盛大に行われていたらしい。一番の目玉は,夜10時半頃開始の花火。ボストンポップスという,この夏の時期に行われる音楽イベントと絡めて,アメリカの懐かしいポップスをBGMに約30分間打ち上げられる。

打ち上げ会場のチャールズ川沿いの緑地は,私たちが到着した8時半には,芝生の緑が見えないほど人で埋め尽くされていた。イスを持ち込む人,テントを張る人,バスタオルで陣取っている人と,方法は様々だがちょっとしたピクニックの様子。このそばでボストンポップスのコンサートが行われているのだが,この場所にはスピーカーが設置されているので,待ちながら音楽鑑賞もできるのだ。

ちょうど到着したときに,戦闘機が4機,頭上を飛んでいった。どうやらオープニングイベントだったらしい。かなり低空飛行していて形がよく見えたけど,あまりに突然だったためにカメラを構えることも思いつかず呆然と眺めてしまった。

緑地の歩道の境目くらいの場所に陣取る。私たちは特段の準備をしていなかったので,周りの若者と同じように地べたに座り込んで待つと,9時40分くらいに10分間ほど花火が上がった。それも目の前で。よく見ると,正面の川の中に花火の仕掛けがある。なんという幸運! こんな近くで見たのは生まれて初めてかも。

BGMがクラシックからジャズへ,そしてオールディーズポップスに変わり,周りのアメリカ人が合唱しながら花火を待つ。彼らの盛り上がり方はすごいね。国民性もあるかもしれないけど,この日は特別な日なんだろうなと思った。

そして,BGMに合わせて花火が始まると,心奪われて見入ってしまった。花火との距離が近すぎて視界に収まりきらない! 花火の音が体の芯を揺さぶる! すごい迫力でした。


4.7.09

氷河地形系ナショナルパーク行脚 その4

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5/29-6/14のイエローストーンNPおよびアラスカ旅行を振り返る。
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▼6/4 Thu & 6/5 Fri

イエローストーンNP周遊の旅を終え,今度はその南に位置するグランドティトンNPへ移動。この公園は,南北に長く,西から山脈・湖・周遊道路・川・幹線道路・草原だったり私有地だったり…と遷移する。周遊道路と幹線道路は北と南に合流ポイントがあり,それほど広くないため簡単に一周できる。そこで,この地で一泊することとし,北の合流地点そばのコルターベイに宿をとり,1日目は一周ドライブ,2日目は気になるポイントへ行くことにした。

2日目はこの山脈の一部を登るトレイルを歩くことにした。7200フィート(2000m)まで上がるとの前情報に戦々恐々としていたが,実はこの山脈の一部だけあってトレイルヘッドは高度6800フィートであった。121mだけ上がればよい。なーんだ,と甘く見ていたら,結構大変な岩山を登らされて疲れた。展望台からの眺めは…山の足下に広がる湖が見えました。山は登らずに下から見る方が美しいね。


  • 上左…車で登れる山からの眺め
  • 上中…道路の正面に山
  • 上右…突如,車道脇にグリズリー現る。我々の車に驚いて逃げている。悪いことしたなぁ
  • 下左…小屋はモルモン教徒の遺跡。茶色の固まりはバイソン
  • 下中…4WDでも大変な道を下った。穴だらけの未舗装道路は一般車で走るべきじゃない
  • 下右…ビーバーやかわうそが見たくて1時間半待機したが,マスクラットだったかもしれない
ソルトレークシティへの帰り道に豪雨に遭遇。後に,同じワイオミング州内で竜巻が起こっていたことを知る。別の地域かもしれないけど,巻き込まれなくて本当に良かった。自然には人間は敵わないよと強く思うのであった。

▼6/6 Sat

さて,ソルトレークシティから一路アラスカへ。フロンティアを利用しデンバー乗り換えでアンカレジへ向かう。フロンティアはシートの後ろに着いた個別のモニタでケーブルテレビのチャンネルが見えた! すばらしいね。テレビは録画ではないと思う。今やすばらしいね。カナダの南半分を通り過ぎたら電波が受け取れなくなったけど。

アンカレジ到着は9時近かったが,さすが高緯度地域,十分に明るかった。アンカレジ近辺だと,日の入りが24時過ぎ,日の出は4時らしい。これはさすがに面食らった。それはそうと,空港に並ぶアラスカ航空機は壮観であった。

この日はダウンタウンのホテルに一泊。

毎度のことだけど,生活のセットアップは大変

さて,新居に入って3日目。今度の家は家具がない。家電は備えつけとはいえ,およそゼロから生活をセットアップするのは大変だ。組み立て家具でがんばるつもりでIKEAへ二度も行ってしまい,まだもう一度行く必要がありそうだが,もうね,遠いのよ。しかも最初の高速に乗るまですごく渋滞する。ボストンは狭い割に,自動車多すぎ。

キッチンとダイニングテーブル兼用の調理作業台はついていたので,スツールとベッド,ソファ等が必要となった。ベッドについて研究しちゃったよ。そして,イサカで住んでいた寮に備えつけのダブルベッドは高品質だったと再認識した。ベッドはマットレスはもちろん,それを乗せるフレームも必要だし,体圧分散も考えればスプリングの入ったボックスをマットレスとフレームの間に入れたりして。場所もとるし,価格も上がるし,大変だ。布団万歳!

生活家電は,掃除機とテレビを買い足したい。イサカの大学寮は掃除機は備え付けだった。たぶん,掃除用具がないと,掃除をしないやつが出てくるんだろうな(そのほか掃除機の紙パック,トイレブラシ,住居用洗剤も支給されていた)。

とまあ,こんな具合に何かと1年前と比べながら何とかやっているのであります。来年の帰国後はもっと大変だろうな。今度は家電も買わなきゃいけないし。

1.7.09

イサカからボストンへ

この日記は7/3に書いている。

8.30am,友人達に見送られながらイサカを発ち,午後にボストン市内の自動車保険会社へ到着。自動車は前日に友人から譲り受け,それを運転して来た。

朝から見送りにはるばる来てくれるような人がいるのは,本当に嬉しいし,ありがたいことだ。イサカではあまり多くの人とつきあうことはなかったし,たぶんこれからもその傾向は変わらないように思うけれども,こうして数少なくとも親切な人々に出会うことができればそれで十分かもしれない。

さて,自動車保険の手続きは日本人の方が対応してくれた。アメリカにいても肝心なところは日本語でいける,都会のすばらしさよ! 自動車を所有するには,まず保険に加入し,自動車を所有し,州の陸運局(RMV Registry of Motor Vehcle)に登録する(登録の義務として車検も受ける)。ディーラーで自動車を買う場合には,売買契約と同時に保険加入の手続きもする。しかも,SSNがあればその場でRMVへの登録もできるらしい。

自動車をイサカで譲ってもらって,ボストンで登録したかったので,次のようにしてみた。(1)7/1まで有効な前所有者の保険があるため,それでカバーされるものとして我々が保険会社まで運転する。(2)売買契約の日を6/30とする (3)我々の保険加入を6/30からとする。ちょっとアクロバティックな感じ。で,保険加入の手続きを済ませ,翌朝RMVに出向いて$400弱の登録料を支払い,マサチューセッツ州のナンバーをゲット。晴れて公的に自動車の所有者が変更できたのでした。

新居は7/1からの契約のため,この日は郊外のホテルにチェックイン。時間があったので,保険会社近辺のダウンタウンまでまた移動。車があることの自由さを大いに感じたのであった。