29.11.07

冬が来た

急に寒くなった。入浴時に下半身(特に足の先)が冷え固まっているのがほどけていくのを感じる。

お風呂といえば、先週の連休中に母と妹と3人で仙台の作並温泉へ旅行してきた。初めての家族旅行かもしれない。温泉へ行ってもあまりにすることがないというイメージがあって、あまり興味をもっていなかったが、いざ行ってみると行ってよかったと思う。何しろ、旅行中は胃腸の調子がよかった。温泉の温かさで内臓がはたらきだしたのかもしれない。旅の途中で、松尾芭蕉の「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」の山寺へ立ち寄った。802段の階段を上りきって眺めた山間の景色は、紅葉のある雪景色で、なんとも不思議であった。

昨日は近所の食料品店でゆずを買い、輪切りにして浴槽にうかべてみた。東京ガスのウェブサイトにゆず湯はノルアドレナリンの分泌量が増えると書いてあり、その真偽はよくわからないが、普段のただの水道水よりは体が温まったような気がする。

18.11.07

おなかがへん

おなかいたい。便秘と下痢を繰り返し続け、日中の仕事にも影響が出てきたことから思い切って医者へ行った。

近所の胃腸肛門科は触診と問診の30秒診療で、とりあえずの便秘を解消するために酸化マグネシウムを30日分処方してくれた。原因や状況等はこの診察ではわからず、処方された薬も対症療法でしかない。

酸化マグネシウムは塩類の一種で腸内にあって水分を引き寄せるために、消化物は水分を保ち続け、その重量で排出するという仕組み。市販薬の便秘用の薬はその効き方から大きく二分されるが、うち一つは上記のような働きをする。もう一つは俗にセンナ系等と呼ばれるもので、腸の内容物をねこそぎかっさらっていく食物繊維のいとこみたいなもの。消化物は腸の蠕動運動によって出口へと向かうのだが、センナ系のかっさらい方が激しいので、薬の常用によって蠕動運動が弱まってしまう虞がある。そのため飲めば飲むほど薬が効きにくくなる。

そんなわけで近所の医者には見切りをつけ、職場の胃に問題を抱える上司に行きつけの消化器科の医者を教えてもらい、行ってきた。結果、我が症状は過敏性腸症候群(IBS) と名付られた。おなかをたたいてぽんぽんといい音が出るのは、おなかの中が空洞だからだ→つまりガスがたまっているということ。レントゲン撮影の結果と併せての診断だ。説明も詳しくわかりやすく、いい医者だと思った。薬も7日分しか処方されなかった。

薬で現在の苦しみを緩和できるのはありがたいが、生活にも改善の余地は大いにある。特に運動不足。ジョギングは手っ取り早いのだが、これから寒くなることと、平日は夜でないと走るのが難しいが近所は人通りが少なく暗いため怖い。踏み台昇降復活か、あるいは縄跳びか。有酸素運動で代謝の向上を目指すのがよいと思うのだが。

こんな状況にいると、ついついamazonで高速振動ベルトを物色してしまう。チャンピオンベルトみたいなそれをおなかに巻いてスイッチを入れると、ベルトの真ん中についている機械が振動しやせるというもの。やせるかどうかは実際のところよくわからないけれど、おなかを振動することで便通がよくなったというレビューが散見される。とても魅力的だが、購入は彼に反対されている。残念だ。

ところで、おなかにガスがたまっていると指摘され、ネット上でガスがたまる原因の一つに呑気症の場合があることをみかけてから、唾液を飲み込むことが増えた気がする。呑気症とは、唾液を飲み込む際には2~4ccの空気も一緒に飲み込んでしまうが、飲み込む頻度が多いために体に何らかの影響が出てくることを言うらしい。たとえば腸内にガスとしてたまり膨満感を感じるなど。

なんか、神経質になっている気がする。ストレスがたまっているのかなぁ。

10.10.07

あっ地震

今ちょっと揺れた。怖いなぁ。

先ほど、25分ほど走ってきた。先週走ったときは、あまりの横っ腹の痛さに800mで折り返してしまった上、家に着く頃には脚中がかゆかったので、今回はおそるおそる走った。横っ腹が痛くなるのは横隔膜のけいれんが原因といわれているが、本当にそうなのかは不明。今日も若干痛くなったけど、速度を下げて十分に呼吸したらよくなった。また、かゆくなるのは血流が急によくなるからというのをネット上で見かけた。それは一理あるかもしれない。これからもっと寒くなると、かゆくなる頻度も高くなりそう。

26.9.07

秋だ

日中は日差しがまぶしく太陽の熱を感じるものの、日が暮れると気温が下がるのが早い。湿度が下がったことを考えれば、湿気(水)の比熱の高さに驚く。

先週末に新PCが届いた。vaioの3代目で、初代505ノートの後継といえばかろうじてそうかもしれない。VISTAでできることがいまいちわからないまま、それでも動画を紙芝居でなく動く絵として楽しむ日々であります。昨日は有給をもらったので先週末は4連休であったが、うち3日間は家の中にひきこもりネットしてました。動画さいこー!

残り一日は遠方から友達が来るとのことで、マンダリンオリエンタルホテルへデザートブッフェに行った。生涯二度目のデザートブッフェだ。ケーキはおいしかったが、それよりお茶がすばらしかった。特にマンダリンオリジナルブレンドティーはウーロン茶に花の香りをつけてあって、甘さがさわやかに香るすっきりとした味わいだった(ルピシエ製であることが後ほど判明した)。昔の知り合いに再会するのが楽しい年頃になってきたのか、あっという間の半日だった。

あと二日、長いなぁ。

16.9.07

この日記は9月18日に書いている4

9月になると、みんな仕事にやる気をだしてくるから困る。もうちょっと休んでいてくれればいいのに。残暑も厳しいよ。

9/8 友人ジュンコさんの赤ちゃんを見に神奈川の奥地まで行ってきた。まだ生まれて間もないので、目は30cmほどまで近づかないと見えないらしい。一方で、音の認識力は高いらしい。そんなわけで、家の中にいつもと違う人がいるのがわかるのか、全然眠らなかったなあ。ジュンコさんには大変だったかも。それにしても子供がいるってのはいいな。人生の喜びって感じ。

9/16 たまにジョギングをすることにした。この日は三回目、5kmに挑戦。思えば高校のマラソン大会以来だ。ゆっくり長く走る(LSD=Long Slow Distance)ために、そんなにきつくはなかったけれど、走り終えた時には全身汗だくであった。私、まだこんなに汗かけるじゃん!と自分で自分をほめておいた。小出監督は、トレーニングの浅い人にとってマラソンでつらいのは呼吸ではなく脚の疲労と言っていたが、まさにそれはその通りで、脚全体が疲れた。この日は就寝も早かった。やっぱ5kmも走ると疲れるね。なお、筋肉痛はない。

22.8.07

この日記は9月18日に書いている3

8/18-22は夏休み。実家に帰って小・中の友人らと河川敷でバーベキューしたり、花火したりと遊んでしまった。中学生くらいのころは、とりあえず声のでかいやつがえらかったけど、大人になった今は車がある人がえらいね。

また、久々に大学の恩師に会いに行った。大学の構内に足を踏み入れるのも1年ぶりくらいか。3年前、大学院を卒業したばかりのころは、まだ自分が学部生の気分で闊歩していたのに、もう今や別世界に思える。思えば遠くになりにけり、か。

8月の仕事状況は問い合わせがかなり少なく、有り体に言えば暇であった。毎日自由でよかったなあ。

28.7.07

この日記は9月18日に書いている2

さっきよりおなかが落ち着いてきた。先ほど、おろしたての中華鍋を使ってニラ玉をつくったのだが、中華鍋の表面の錆止め塗装を落としきらずに調理したのが原因か…。うつぶせになっているとおなかをしげきしてイクナイ感じ。

さて、7/21-28の6泊8日でスペインへ新婚旅行してきた。とは言っても、ふつーに「旅行」で、むしろ普段よりも健康的な生活を送らされた。

7/21 昼過ぎに成田発。12時間のフライトの後、パリCDG着。EUのイミグレは相変わらずテキトーで、またもやパスポートに入国スタンプを押してもらえなかった。ココナツ入りチョコバーやバゲットサンドイッチに目移りしつつトランジットし、21時過ぎにスペインマドリッド着。地下鉄でホテルの最寄り駅を目指す。スペインの地下鉄はオーバーランしすぎで、2回に1回は駅についてからバックしていた。日本の電車は正確だ。電車でGO!はスペイン人には無理だと思った。

7/22 マドリッド一日自由行動。マドリッドは東京であった。午前中は王宮を見学(日本で言えば皇居)、昼にはバールで生ハムを食し、午後はトレドへの4時間のツアーに参加。日曜のマドリッドは店が全く開いてない!ので、トレド観光がなければ暇をもてあましていたな。なお、トレドはカスティリヤ王国の首都で、大航海時代にはトレドの大聖堂はバチカンと並ぶ宗教権力であったらしい。たしかに当時は世界の半分がスペインだったもんな。
ところで、藤本ひとみの小説に「トレドの花冠」てのがあったのを思い出した。

7/23 10時のAVE(新幹線)でコルドバへ。南下すると気温が上がる。昼すぎに到着したときには、空はどこまでも青く、日差しは網膜に鋭くささるほどまぶしい。街のあちこちに噴水や水道があって水を飲めるのが助かる。アイスワゴンもやけに目に付いた。コルドバの白い壁の路地は路地マニアにはたまらんね。ここで入ったバールはサングリアがおいしかったなぁ。
ところで、コルドバと言えばTM NetworkのSpanish Blueだ。

7/24 朝の特急でグラナダへ。緯度はわずかに下がっただけだが、気温はぐんと上がって日中は40土度。熱射病になるわ。観光地的なコルドバよりも、人が住んでいる街のにおいがした。アルハンブラ宮殿ではミニアチュールの細かさとフラメンコの情熱に心うたれた。飛び込みで入ったレストランもおいしかったし、グラナダがこの旅程で一番いい街だったように思う。イスラム芸術は美しい。

7/25 グラナダ空港から1時間ほどのフライトでバルセロナへ。バルセロナは大阪というか渋谷というか、人がたくさん・商業施設もたくさん。バルセロナでまず訪れたのはhabitat。イギリスでお気に入りのマグカップを購入したインテリアショップだ。次にスペインの有名靴メーカー・カンペールにて彼が念願の靴を購入(私はコルドバのデパートですでにカンペールのサンダルを買っていた)。
たまたまカフェでいわゆるシャンディ(セルベッサコンリモーネというらしい)を飲んで休んでいたら、目の前にレストランの行列があったので、ついうっかり仲間入りしてみた。そのレストラン、予約をとらないためにちょー並ぶことで有名なビストロで、安く、おいしいすばらしきレストランだった。サングリアも、前菜も、メインもデザートも非の打ち所無し。つか安いのはすばらしいことだ。店名はLas quinza nitsかな。

光GENJIがリラの咲くころ、バルセロナへってバルセロナ五輪の応援をしていたような気がする。

7/26 一泊し、翌日はバルセロナ一日自由行動。サグラダ・ファミリアはたしかに建築中で、資材置き場のような内部をくぐって地下に降りると、そこはガウディ博物館。ガウディの建築はごてごてしていて全体としては我が好みとは異なるが、一つ一つの細工は美しいと思う。特に自然をモチーフにしたために起こる不均衡が、均衡よりも落ち着く気がする。サグラダ・ファミリアの吊りモデルという着想もすごい。
この日は終盤、疲れと体調不良が一気に出てしまったのが残念。

7/27 ついにお別れのとき。バルセロナからパリを経由して成田へ。CDGではチョコバー(ココナツ入りのやつ!Bountyね)買ったり香水買ったりと夢を膨らませてたのに、彼の財布落とした事件(バルセロナで落とした疑惑)により何も買えずに終わった。とほほ。

7/28 7時半頃成田着。彼のカードは幸い使われた形跡もなく、問題なく止めることができた。よかったよかった。勝田台乗り換え、東西線中野駅経由で家についたのが11時半。結構時間がかかるもんだね。とりあえず洗濯。

7.7.07

この日記は9月18日に書いている1

あまりにおなかが痛いので、体をだましながら過去を振り返ってみようと思う。

7月7日、東京會舘にて結婚披露宴をした。親戚、職場、友人たち…よくみんな来てくれたなあ。ありがたいことよ。派手さでも手作り感もなく、何にもしないのが我々のスタンスであったが、まあそれなりによかったんではないかと思う。たぶん、一番楽しかったのは我々だなあ。

もう一度ご飯食べたい。

25.6.07

スタートダッシュしすぎてガス欠

金曜からの宿題業務に朝から着手したが、こんな日に限って重い内容の仕事が舞い込む。その後も落ち着く暇がなく、夕方にはへろへろになっていた。

精神的に疲れると、その勢いでジャンクなものが食べたくなる。こんな日は新高円寺のラーメン屋「旅の途中」で旅の空(塩ラーメン)とチャーシューご飯を食べよう! とすっかり体はチャーシューになっていたのに、休みだった。がっかり。

代わりに、「天鳳」にてつけ麺を食す。ここは背脂醤油とんこつラーメンで、ちょっと安い。最近は卵には追加料金とか、しみったれたトッピングを掲げるラー メン屋も少なくないが、ここは最もベーシックなラーメンでももやし、チャーシュー、ねぎ、メンマ、味玉一つ、とサービス精神あふれた盛りつけにしてくれ る。麺も多め。今日も食後は非常に苦しかった。ただし、つけ麺であってもスープはラーメンと殆ど変わりなかった。予めスープに麺が浸っているか、そうでな いかの違いしか感じられない。この店は塩がいいかな。

帰り道、前を通りがかったケーキ屋「MYNT」にて、イチジクのタルトとパッションフルーツとホワイトチョコのムースを購入。

帰宅し、少し横になったらそのまま寝てしまった。ケーキは明日へおあずけ。

18.6.07

摂取量>=消費量

終業後、有楽町のパスポートセンターまで歩く。約20分の距離だが、パンプスのバックストラップととかかとの摩擦は消して軽くなく、到着する頃にはつま先に靴をひっかけだましだまし歩いていた。

月曜夕方のパスポートセンターは、申請時に比べ格段に空いていた。20分弱で無事に受領。

夕食の約束に高田馬場まで出向く。行き先は「ボッデガ」。早稲田通りから一本北の裏通りにあるピッツェリアだ。私が大学生のころから、一度は来たいと思っていた店。あれから約7年、今日は半年ぶり二度目の来店だ。
今日は白ワイン(デカンタ)に、フンギ(キノコ)の白いピザとウニトマトクリームスパゲッティを、デザートはバナナチョコピザアイスクリーム添え。キノコ ピザはトマトソースがないのでblancoグループに表示されていた。トマトはないが、ガーリックオイルやチーズの控えめな主張が、キノコ(エリンギ、し めじ、まいたけなど)の風味や歯ごたえと合っていたように思う。スパゲッティはソースはもちろん、麺の固さもまさにここ数日私が食べたいと思っていたそれ であった。バナナチョコピザは食事ピザよりは薄目の台にチョコレート、生クリーム、焼きバナナがトッピングされている。温かいクレープ地とバナナチョコク リームの組み合わせが好きなので、ピザにしてもよかった。

ピザ、パスタ、デザートはこの順が一番難なく、さらにも食べられる気がする。バナナチョコピザの終盤は、再度塩気のあるニンニクオイルのピザが食べたく なった。思えば始めてきた時には、ゴルゴンゾーラのペンネにプッタネスカのピザの順だったため、ピザの途中でおなかがいっぱいになってしまった覚えがあ る。さらなる課題は、ピザ×2、パスタ、デザートピザのラインナップであれば少なくとも3人は必要であること。次回のチャレンジはいつになるやら。

17.6.07

食べたい

もう6月も下旬にさしかかろうとしている。なんだかこの間早かった。マリッジブルーだったのか? なんだか家にいるのがつらくて、よく会社の先輩と飲みに行き、ろくに食べず帰宅してそのまま寝てしまったりでだいぶやつれてきたと思う。体調も悪かった。立ち直るきっかけは読売新聞の連載記事「うつノート」。実際にうつ病を患い、そして回復してきた(完治かどうかはわからない)経緯を簡潔かつ克明に記している。私はこの手の病気体験記を読むと、感情移入しすぎるのか「私もそうかも…」と思って沈没しがちだが、それまでゆううつをまき散らしていた彼は「俺はこれとは違う、健康だ」と思いこんで浮上するタイプらしい。二人で沈没しないで、なんとか引っ張り上げられたように思う。よかったよかった。

これからしたいこと
・ジョギングとかして体力つけたい
・大久保でコリアン行きたい
・近所のイタリアンへ行きたい

23.4.07

もう4月も終わりか

一日一日が矢のように過ぎてゆく。もう少年ではないが、やはり学は成りがたい。

中旬頃にしばらくぶりに友人と食事。大事な友達と会うのはいい刺激になるなぁと帰路に就く頃いつも感じる。突然のお誘いにものってくれるような存在が身近にいることは本当にありがたいことだ。

また、そのころに情報処理試験を受けてきた。ちょー下っ端の試験。システムのアイデアレベルでは興味を持って取り組めるけど、16進法の計算とか、プログラムとか、実際の細かい動きを実現するのは苦手だしつまらん。計算問題があるのは百も承知だが、しかし、第一問目が3C.A5(16)を10進法で表せ、ってのには出だしからくじけさせられた。科学よりも人間相手がいいな…。

翌週の誕生日には会社のおでん先輩たちとおでん→プロントの立ち飲みをはしご。プロントのバーでは、今サントリーと提携してシングルモルトラリーをやっている。決められた10種類を飲んで、カードにスタンプをためると、なんとウイスキーの樽を筐体にしたシャチハタを作ってくれるのだ! 会社でシャチハタはんこは使いまくるのでとてもうれしい企画。3週間かけてなんとか制覇し、あとはシャチハタが届くのを待つだけ♪

せっかくいろいろウイスキーを飲んだので、以下覚えてるやつだけ列挙。
・山崎10年、白州12年…ソーダ割りにしたから違いがよくわからない。そもそも「はくしゅう」は読めず
・マッカラン15年、スキャパ10年…ロックにした。甘い香りが立ち上って私好みだった。
・オーシャントッフェン10年…ロックにしたら包帯(救急箱とか病院とか)の香りがした。辛口なのか?
・山崎18年…シングル1800円!ラリーのカードでも最後を飾るにふさわしい値段。良くも悪くも中庸だった。甘過ぎもせず、かといって包帯くさくもなく、ほめ言葉ではないだろうが「飲みやすい」感じ。

誕生日の夜は、その後彼と会って、新高円寺のバーへ立ち寄った。ひょっとして二人でバーは初めてかもしれない。例によって甘いのを飲んで(アマレット)、満足してラーメン食べて帰宅。

地方選挙が世間をにぎわしていたが、私が気になったのは各地の若い候補者たち。25歳で出馬・当選てすごいけど、若さのもの珍しさに救われているところもあるかもしれない。30代になるとやや厳しいかもと思った。そういえば友人のお母様も出馬し、見事トップ当選。サイトも拝見したが、やはりキャリアやこれまでの実績に裏打ちされた提言や公約は実現性が高く感じられ、この当選も有権者の信頼が得られた当然の結果に思われた。当選した人たちは皆これから、議会という集団に悪い意味で染まらず、当選時の気持ちを忘れないでいてほしいなぁと一選挙民として思う。

5.4.07

家の中でも寒い

今日は帰りに靴を買って帰ってきた。茶色い靴を買ったのだけど、黒にしておくべきだったかと、3時間以上たった今も悩んでいる。

今週はやけに寒い。日曜までの暖かさがどこかに行ってしまったかのようだ。とはいえもう冬コートは着られないので首元に春ストールを巻いてなんとか乗り切っている。友人からもらったタイ土産のピンクのと、私のパリ土産の若草色のをぐるぐる回して。

自分がしているからじゃないけど、今年はベージュのトレンチコートにグリーンのストールを合わせる人が多い気がする。緑色は顔色を悪く見せるのであまりよろしくないぞと言われたことがあって、そういえばストールで緑色って見たことないなと思っていたのだが、それは去年までの話だ。

今週末はまた雨らしい。雨が通り過ぎた後には、また暖かくなるだろうか。

31.3.07

3/31

早いものでもう3末。明日から新年度、我が故郷浜松市は政令指定都市になる。市面積は全国2位らしい。たしかに広すぎるもんなぁ。地形、気候的に長野県のような地域もあるからね。

今月から、従来4人で請け負っていた仕事を3人で回すようになった。やはり、負担が増えているなぁと思う。終業時間にきっちり帰れないことが多い。これまでは時間や量に余裕があったので、あまり効率を考えなくても良かったけれど、それが許されなくなってきた。たとえば、同時並行で期限がくる仕事が複数ある、という状況が出てきた。これまでは一つずつ片づけていけばよかったし、一つのことをやっている間に他のことにも手をつけざるを得ない、という状況はほとんどなかった。幸運だったな。

そのほかにも、今月は東京と浜松を行ったり来たりで多忙だった。何より、母が入院したのが大きかった。今は退院し、自宅療養で体力の回復を待っている状態なので問題はない。ただ、この間に考えてしまった。人生で何を優先するべきかを。

これまで仕事は続けていくつもりでいたけど、家族に何かあったときにはやはり家族をとるのだろうなと。もし私が独り身であれば、これを機に浜松へ帰ることも考えただろう。それから、いざというときに自分がいかに無力であるかを痛感した。つい先日、以前仕事で関わりのあった人から、転職先を半年で去り、今度は看護師になる勉強を始めるという知らせがあった。その人がなぜそのような選択をしたかは不明だが、今回ばかりはそれも一つの生き方だと我が身を重ねて思った。

ま、今思えば私もややパニックというか、思い詰めていた状態だった。彼にも申し訳なかったな。せっかくの新婚生活なのにね。とりあえず日常は元に戻ったし、私は今できることをするだけだ。ずっと逃げてきた、来月の資格試験の勉強もしなければ…(やりたくないなぁ)。

5.3.07

変な問い合わせばっかり

月の中旬から下旬にかけて、一般的に給与などの振り込みが増える時期以外は、私の仕事である問い合わせはぐっと減る。でも、そんなときにかかってくる電話ほど、変な話が多い。今日も、そんなネタはうちの業務委託範囲外だよ~って感じのが2件もあった。まいったまいった。

いつもより1時間ほど遅くまで居残って、業後会社を出たら、外はすごい嵐! 都心部はそんなに雨が降っていなかったけど、風が強いのなんのって。なま暖かい空気が渦巻いていて、まるで台風の前だった。そして、ちょうど最寄り駅に着いた頃、雨が一番ひどくなっていた。いつも雨がピークの時に帰っている気がする。そして、同じように思っている人はこの日本に100万人くらいいる気がする。

今晩は、角煮、春菊のごま和え、大根のみそ汁ほか。今日から新しい味噌を使い始めた。おいしいけど、溶けにくい、にくいやつ。あと、帰りに近所の高いスーパーで買った東京ビールってのが缶の黒ビールにも関わらず非常においしかった。

4.3.07

春だ

この週末は17度越えと週の頭くらいから聞いてはいたが、冬のジャケットが要らないくらいに暖かくなるとは思わなかった。

金曜の夜に同窓の友人と新橋の沖縄料理屋「なんくるないさ」で久々に飲み、そして飲み過ぎ、土曜は二日酔いで棒に振ってしまった。昼過ぎに起きて、全身があまりにたばこ臭かったためシャワーを浴び、そして力つきてベッドに戻り、気が付けば夜。夕飯はかろうじて炊き込みご飯をするも、あとは冷蔵庫の残り野菜を一掃すべく、ブロッコリーとにんじんとインゲンの塩ゆでとおみそ汁のみ。タカandトシでなくとも「イギリスか!」とつっこまれる可能性大。

そんな土曜を大いに反省し、今日日曜は近所をぐるぐる歩きながらスーパーへ。長袖Tシャツ1枚で歩ける陽気はうれしいけど、夏はまた猛暑になるだろうか。

18.2.07

やっとひととおり揃った感じ

新生活を初めてから約一ヶ月が過ぎた。当初は何をするにもあれがない、これがないという状態だったけど、そう思うことも殆どなくなった。ないなら、ないなりに、生活を送ることも可能で、そういった側面もあるのだとは思う。

先週、母が来たので東京をあちこち見物してみた。土曜はまず、早稲田の住まいの近所にある椿山荘へ行ってみた。折しもブライダルフェアで、見学者の顔をして入り込んだ。いやー、チャペルはすばらしかった。正面がガラス張りで、庭の滝が一望できる。庭も桜がたくさん植えてあり、春は美しいだろうなと思った。その後、恵比寿のウェスティンホテルでお茶。ケーキがおいしいこと! しかし紅茶はふつーだった。ホテルの喫茶は急かされないし、テーブルの間隔が広くて隣客を気にしなくていいし、コーヒーはいくらでも出てくるし、すばらしいね。日曜は湯島天神へ梅の見物へ。事前情報によると3分咲きだったが、その通り、場所によってはほとんどつぼみだった。にもかかわらずすごい人混み! 一週あとの「アド街っく天国」が湯島の予定とすれ違った人が話していたので、やはりちょっと早かった。

今週は雨が降ってしまったのでちょこっとお洗濯して終わり。

30.1.07

ちゃんと生活しようと思うと、真に自由な時間はあまりないのかもしれない。

今日はなぜか一日中気が晴れず、帰りがけには本屋でフランス家庭料理の本を眺めた後に、スーパー2軒に寄って散財し8時近くに帰宅。ご飯をつくり、食事は9時。食後、洗濯物を干し、アイロンをかけて、やれやれと腰を下ろしたらすでに10時半。お風呂に入って11時半。すぐに寝ないと翌朝に響く時間だ。

こうして見返すと、家のことをきちんとやって、かつ早寝しなくてはと思っていると、フリーの時間をたくさん確保するのは難しい。ただ、「家のこと」といっても、のべつ幕なしにすべて私が行っているわけではない。時間をもっと効率よく使いたいなあ。お風呂には入る前には、ゆっくり紅茶を飲む余裕はあるわけだし。

28.1.07

外出日曜

昼頃から、昨日排水の藻屑となってしまったコンタクトレンズの代わりを買いに新宿まで出かけた。これまで通っていたところに比べて、丁寧で説明上手だった。それに安い。今や、コンタクト業界は過酷な競争状態なんだとよくわかった。私の 眼球は平均より平たいので、サイズがないと言われることが多く、今回も指摘はされた。しかし、在庫があったらしくすぐに購入できた。すばらしいね。競争が盛んであるならば、消費者としてもよりよいものを得るチャンスが多いってことだ。自由経済を見直した。

その後、上野の東京都美術館へ。オルセー美術館展が目的。
今回は、ナポレオン以後の貴族趣味の終焉、主観を重要視する印象派、写真の発明による芸術(美術)の再定義、産業革命以後の非西洋文化へのあこがれなど、時代のうねりのなかで芸術がどのように変遷してきたのかというテーマがあり、芸術というより世界史に近い感じがしたが、それがなおおもしろかった。
写真ってすごい発明で、なぜなら写真ができたせいで、写実的なだけの絵には価値がなくなってしまう。だから、画家の世界観をカンバス上でいかに再構成するかが重要になってくる。そのうち、哲学や思想、音楽を絵にしようと試みる一派も出てくる。絶対王政期までの絵画は宗教と肖像画ばかりの印象があるが、それに比べて表現の対象物や表現方法も幅が広がったと思う。
今回は絵もよかった。と言っても、私の好きなのは青空と雲と影の風景+小さな人影の絵で、そんな類のがあったからなんだけれども。
そんなわけで、今回は珍しくも図録を買ってしまった。解説がたくさんあって楽しい。

帰宅後、ドライカレーを作って、のんびりテレビを見て1時前に就寝。

27.1.07

今週は早かった

先週に比べて今週は5営業日が短かった。木曜に顧客往訪があったせいだ。ちょうど新卒のリクルート時期で、たくさんの学生がきていた。ちょっと混ざってみようかと思ってしまった。

今日は昼頃に起きて、ご飯を食べてお掃除して、テレビを見たりブライダルフェスに申し込んだりしてのんびり過ごした。そういえば、一昨日、洗面所で流してしまったコンタクトレンズを買い換えに行かなくてはいけないのを忘れていた。明日はでかけなくちゃ。雨が降るって言うのに。

25.1.07

パソコンに触っている時間が大幅に減った気がする。

どうにかこうにか新生活がスタートし、早一週間とちょっとが過ぎた。慣れないこともまだたくさんあるけど、新しい日常が生まれつつある。大きく変わったことと言えば、朝ご飯を食べるようになったこと、家でパソコンをあまり触らなくなったこと、それなりにテレビを見るようになったことか。残念なことに、納豆の番組はまだ見ていなかったけれども。

今月の「旅」という雑誌は、第一特集がパリの食器。アンティーク食器やそれをキッチンに美しく並べている様子がたくさん掲載されていて、新生活を始めたばかりの身には夢が膨らむ内容になっている。それに対し、自分のくらしを振り返るとそういうものを並べる余地はない。そもそも来し方を思い返しても、そんな余地はない。現状の配置されているモノたちと雑誌でプレゼンしている様子とを比べると、それぞれの根底に流れるセンスとか、文化とか、まったく異なるコンテクストのものを同居させることになるが、そんなの困難だ。薬ダンスを天蓋つきベッドの脇に置くわけにはいかないものね。

ところで、明日は珍しくも客先に往訪する。しかも英語会議。発言するチャンスはないと思われるが、それでも緊張するなぁ。

8.1.07

選択的夫婦別姓が早く導入されんもんか

別にフェミニズム論をかざそうって訳ではない。

今週、婚姻届を出しに行くことになり、諸事情から私が姓を変更することになった。身分変更に伴う氏名変更であり、住所の変更もあることから、当然、会社には届けを出す必要がある。その他諸届出用紙の中に、私の会社の健康保険・年金基金事務委託を受けている会社へ、結婚お祝い金を申請する用紙があった。ちなみに、金額は空欄だった(恣意的に決められるのか? 実際には「お祝い」程度の額だろうけど。いただけるだけでありがたいと思わねば)。で、その用紙には、申請者氏名と旧姓欄と振込先口座欄があり、口座名義をどうしようか悩んでしまったのがタイトルの端緒となる。

普段の生活で氏名が重要な意味を持っているのは
・銀行口座(給与振込などで、振込先口座の受取人名を誤ると振込は拒否されるのが一般的。チェックしてるんです、ちゃんと)
・銀行口座から口座振替している他の契約、たとえばクレジットカード(クレジットカード自体の名義はそんなに重要でない気もするが、まあ一緒に変更するか)
・ゆうびん(住所変更は転送届けがあるけど、氏名変更はどうするんだろう)

で、これらを変更するためには、新氏名を証明するものが必要となるので
・運転免許証の記載事項変更手続き
・パスポートの変更
を持っていくのが一般的だ。とりわけ、免許証か。

そして、免許証やパスポートの変更手続きを行うための身分の証明には
・本籍の載った住民票(住所移転があればもちろん、氏名変更も)
・戸籍謄本や戸籍抄本
を使う。

婚姻届を提出すると、戸籍の変更手続きを行ってくれる。古い情報であってほしいけど、ゼクシイ.netでは、戸籍の変更完了まで2週間かかるとの記載がある。それではパスポートは婚姻届提出日に即日変更できないじゃないか。
結婚に合わせて引越をすることが多いが、住所の登録、つまり住民票の手続きは戸籍とは別管理のため別途行う必要がある。私も例に違わないため、婚姻届を提出する日に住民票の転入手続きも行う予定だ。戸籍に対し、住民票は転入手続き後に即時発行ができるはずなので、免許証の変更手続きのみがすぐ行える。

名前、変えなくてもいいじゃん。

なんて思ってしまう。めんどくさくて。
それに、今の名前で人間関係を構築してきたのに、それがなくなる…とまでは言わないけれど、仕事程度の疎遠な仲の相手であれば新姓での接触はゼロからの始まりに等しい場合もある。
さらに、生まれてからこの方27年間使い続けてきた愛着がある。それをある日を境にすぱっと変えてしまうのはさみしい。

変更すべきものをざっとリストアップしたら、10個くらいあった。しかも、郵便やネットでの手続きで済まず、店舗やセンターへ赴く必要があるものは半分ほどある。ため息が出るね。まあ、企業の社名変更みたいなものかと思って諦めます。私も仕事上、社名変更時は書類を書いて出してくれって送りつけてるもんなあ。