27.4.06

懐かしさだけで食べられるものは、実はそんなにおいしくない

今日はどうもだめな一日だった。些細な一言にダメージを受けて、胃が痛い。

終業後、OAZOの丸善で洋書の庭雑誌や料理本を眺めて現実逃避。ガーデニングはいいなあと思った。プランター野菜栽培やってみようかな。あと、料理本ではイギリスの本で朝食やトーストなどを紹介するものがあったけど、それって生野菜そのままじゃん! とか果物切っただけじゃん! みたいのが堂々とレシピとして載っていて、なんとも言えない気分になった。それに追い打ちをかけたのが隣の棚にあったフランスご飯のレシピ本。卵を使ったレシピにゆで卵(これは前述の朝食本にも載ってた)とか目玉焼きまで…! まあね、グリルアスパラガスに目玉焼き乗せておろしたパルミジャーノチーズをかけたやつが立派な前菜になる一面があるからね、普段のご飯がいかに質素かとか思ったけどね。ほかにも豊かな食事を享受できるようになったのはつい最近のことで、ちょっと前まではおそらく世界中の一般人は貧しいごはんしか食べてないぞとか、つか現代もそんな人たちはいっぱいいるぞ、なんて思って、食べられるだけでしあわせだなんて結論に強引に結びつけてみたり。

その棚の周辺には麺料理本があり、中華っぽいけど明らかにヨーロッパな焼きそばのレシピがのっていた。黄色く太い中華麺にオイスターソース・しょうゆ・五香粉のソースが絡まっていて、おいしそうだった。というか、懐かしくて食べたくなった。そして帰宅し、作ってみた。…子供の頃から知っているような味で懐かしく、調理過程からこの味に帰結することには納得できるが、おいしいかと言われればそれはどうかと。食べられるけどね。

よくテレビの食べ物系番組では出演者がおいしいおいしいと言っているが、同じものをわたしが食べたら同じようにおいしいと思えるのかな。いい食材はたしかに味が違うと思うけれど、それは「違う」と判別できているだけであって、好みとは異なる。私は「おいしいものを求める自分」になりたいと思っていた、そんな時期があった。だから時に高い食材を買って調理したり、高いレストランへ行ったりもした。今は料理そのものは楽しいけれど、おいしいと思えるものを食べたくて作っているわけじゃない。今後はできあがりご飯じゃなくて野菜へ焦点を当てたい。プランター栽培、ちょっと考えてみよう。

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